第二幕・銃後の戦争
秀英なる外交官
二つの国家を統合して銀河連邦共和国が成立した時、課題の一つとなったのは首都をどこに置くかと言うものであった。常識的に考えれば二つの国の首都のどちらかであろうが、片方の首都を用いればもう片方が不平等感を抱くことは想像に難くない。
そこでオーリア星系の未開発の居住可能惑星にニューフィラデルフィアの名前を冠し、ここに政府機関と都市をゼロから造営して新国家の首都に定めた。それから三世紀以上の長きに渡り、惑星ニューフィラデルフィアは銀河連邦共和国の首都惑星として銀河史に語られる重要な惑星として登場することとなる。
ニューフィラデルフィアは自然豊かな森林惑星であり、温暖かつ安定した気候に恵まれていた。そのため首都と定められてからすぐに政治、経済、文化、産業の中心地となり、二十億の民が住まう名実ともに連邦の中心となった。特に首都ニューフィラデルフィアポリスはキロ単位の高さのビルが大量に林立するメガロポリスであり、連邦最大の巨大都市である。
ニューフィラデルフィアは政治の中心地であり、大統領官邸キャピトルハウスを始め、連邦議会、連邦最高裁判所、国務省、財務省、内務省等政治機関が軒を連ねている。これらの建物が並ぶ政治の中心地区はセントラルエリアと呼ばれ、その周囲には金融機関や主要産業等大企業のオフィスが林立する。更に都心部のマンション地区や商業施設が広がり、壮麗な都市景観を形作っていた。
その巨大なビル群の一つに、政治家や官僚らが利用するマンションビルがある。地上百五十階に上院議員ジェファソン・パタークレーの住居があった。
二階分のスペースを占めるパタークレー宅の吹き抜けのリビングに降りる階段を一人の若い女性が降りてきた。ブルックスの高級スーツに身を包み、黄金色の長い髪を後ろで一つ結びにして垂らしている。
「今日も早いな」
ソファに座って本を読む父親に声をかけられてマーガレット・パタークレーは頷いた。
大学を飛び級で首席卒業して後国務省に入省し、外交官としてのキャリアを重ねた。四年の間に帝国、エリウスの大使館や国務省本省に勤務してそのいずれでも年齢と経験を考慮すれば十分優秀と言って差し支えない仕事ぶりを発揮していた。現在は上院外交委員会の自由党スタッフとして勤務している。
「委員会があるから。パパも今日から地元でしょ?」
「まぁな。それで明日にはまたこっちにとんぼ返りだ」
連邦議員は議会に出席しさえすればいいかと言えばよいかと言えばそうではない。地元の利益を代表する議員は、支持者からの支援を維持するため、様々な業務をこなす必要がある。ジェファソンはローマン星系州選出の自由党議員であり、連邦議員らしい膨大な職務と重圧に囲まれて政治の世界を生き抜いている。
「それじゃ私は先に行ってくるわね、パパ」
マーガレットは手をひらひらと振ると、父親に背を向けてアパートを出た。
自宅を出るのと同時に彼女の表情は能面のように無表情に固まり、公人の仮面を被る。
ディスプレイグラスをかけて手首に巻いたモバイルコンピュータを起動すると、レンズに画面が映し出された。そのグラスを通じて仮想投影されたキーボードを叩くことができた。彼女の目の動きに対応して画面は次々と切り替わる。彼女がエレベーターで百十回にあるタクシーターミナルに着くまでに二つのメッセージを送信して仕事をスタートさせた。
タクシーターミナルにはスカイカーが何台も駐車してある。開口部から見える外にはニューフィラデルフィアポリスのビル群と、その合間を飛ぶ無数のスカイカーや宇宙船が見えた。
身近なタクシーに乗り込み、ホログラムのディスプレイに指を近づける。指紋を読み取り、乗客が認証された。
『目的地を指定してください』
女性の機械音声が車内に響く。
「セントラルハム三番街、連邦議会議事堂」
マーガレットが応じると反重力推進ユニットが起動し、タクシーは宙に浮かび上がった。そのまま開口部へと向かい、空中へと飛び出す。そのまま首都交通局によって指定されているスカイカーのレーンに合流し、目的地を目指して飛行を始めた。
十分もしない内にタクシーは連邦議会議事堂へと辿り着いた。周囲は議会警察の対空防御システムや迎撃ドローンによって守られているが、緊急時以外はそうした武装が外から見えることは無い。議事堂の正門内へとタクシーは降下し、指定されたターミナルへと着陸した。タクシーの乗客は自動的にスキャンされているため、もし議事堂に進入する資格がない人間がいれば、即座にタクシーは停止し、議会警察によって拘束されることとなる。
『料金は十五クレジットです』
指紋と紐付けされた銀行口座で自動的に支払いが完了するため、マーガレットがすることは無い。空いたドアから降りると、そこは連邦の政治中心地、セントラルエリアであった。議会議事堂の周囲には財務省ビルや内務省ビルがそびえ立ち、地上からは見上げても頂上が見られない高さである。
正面玄関から中に入り、自身の職場へと足を向けた。
「パタークレーさん」
突然声をかけられたマーガレットが振り向くと、キャピトルハウスの職員がそこに立っていた。
「大統領が貴女をお呼びです。このまま宜しいですか?」
マーガレットは目を細めた。
「大統領が?私に?」
職員は頷いた。
「分かった。車を回させといてね」
「はい」
大統領からの突然の呼び出しに困惑しつつ、マーガレットは今自分がやってきた道を戻り始めた。
連邦大統領府キャピトルハウスは銀河連邦共和国開闢以来三三二年に渡って同国の行政府として機能してきた、正に連邦政府の中心である。これまで五九人の大統領がここで執務を行い、それは第六〇代連邦大統領フランクリン・カールも同様であった。
カールはこの年五六歳。連邦宇宙軍の戦闘機パイロットから政界に転じ、自由党から大統領選に出馬して当選した。その後今に至るまでの三年半安定した経済政策と外交政策によって安定した支持を保ち、次の大統領選でも二期目が確実視されている。
キャピトルヒルのイーストウィングに位置する大統領執務室にはこの時ジョアン・ファン大統領補佐官、ファビアン・デ・ブラウン国務長官、ヘンリク・キュラコスキ国家情報長官、ジョン・マクラカン国防長官が集っていた。
「帝国とエリウスの戦争はエリウスが優勢です。帝国の軍事力は前のルーシアとの戦争で弱体化している。このまま戦争を継続しても、帝国が弱体化を続けるだけとなるでしょう」
ファンの報告にカールはこめかみを指で叩いた。
「先日の帝国軍による侵攻はやはりエリウス軍の勝利に終わったようです」
キュラコスキは数枚の紙をテーブルに置いた。
国家情報長官は連邦政府に属する十八の情報機関を統括する閣僚級高官である。連邦の情報機関の代表的存在であるRBI(共和国情報局)も無論彼の配下にある。銀河中に情報網を展開し、自国の脅威となり得る情報をいち早くキャッチするために必要な存在であり、その能力において連邦は他国に対して圧倒的に優れていた。
「酷いものだな。帝国軍は随分と弱体化している」
書面に記された情報を一読してカールは呟いた。
「ウンタ―作戦」と命名された帝国によるエリウス領への侵攻作戦に帝国軍が投入した兵力は三個軍団合計約十万三千隻。これに対しエリウスが迎撃に出動させた戦力は本国艦隊とエルジア艦隊の連合艦隊であり、合計して九個艦隊十万二千隻。数においてはほぼ同数であったが、その損失の差は大きなものであり、エリウス軍の一万九千五百隻に対し帝国軍は三万八千九百隻に上る。帝国軍第七軍団長モーデル上級大将も戦死し、帝国軍は一度は占領した領土を全て失って撤退することとなった。
「前回の戦争で受けた打撃が大きかったようです。人材確保のために経験不足の若手や実績のない大貴族らを将官に任じた結果、指揮官層において弱体化が著しく見えます」
キュラコスキの指摘は正鵠を得ていた。
帝国はテーダー戦争においてエリウス、ルーシアの二か国に攻撃を受けた。積極的な領土拡張で勢力を伸ばし、強大な軍事力を保持した帝国に対し、エリウスとルーシアが手を組んで襲い掛かったのである。特に戦争の名前の由来となったテーダー星系を巡る戦いが分水嶺となった。一年近くに渡って各惑星で大規模な地上戦、星系の各所で最も激しい時には数十万隻の艦船が集結した艦隊戦が繰り広げられ、帝国は数に勝る敵相手に奮戦したものの艦隊は大打撃を受けて当時軍の中核を担った優秀な指揮官たちが悉く戦死することとなった。
テーダー戦争自体はルーシアと帝国の間で講和が成立したことで終結したが、その後エリウスと帝国との戦争は落着店が見当たらないままだらだらと続いている。とは言え一度に優秀な指揮官たちを喪失した帝国の弱体化はエリウスのそれと比べて著しく、穴埋めのために経験の浅い下級指揮官や実戦経験のない貴族たちを軍の中枢に迎え入れざるを得ない状況となった。
「このまま戦争を継続しても帝国の損失はいたずらに増すばかりでしょう。加えて今の帝国の内情を考えれば…」
銀河帝国の頂点に立つのは他の誰でもない皇帝ただ一人だと思われている。無論それは間違いではないのだが、現在の帝国においては必ずしもそうとは言えなかった。
皇帝暦四一三年、当時の皇帝フリードリヒ・ヴィルヘルム二世は対外戦争の激化によって財政が悪化したことから、これまで免税対象とされてきた貴族に対しての課税を実行しようとした。しかしこれは当然ながら大貴族たちの強い反発を受ける。貴族の私兵が王宮へと乗り込み、皇帝は退位を強要された。それ以降、貴族への課税を含め国政の重要決定事項に対して帝国内で最も力を持つ五人の公爵——「五公」の会議が大きな影響力を持つこととなる。五人の公爵の持つ軍事力は帝国正規軍にも匹敵し得る戦力であり、皇帝や宰相も五公の意思に正面から反対することはできない。
もちろん戦争の開戦や講和にも五公の意思が強く反映される。皇帝に宰相、五人の公爵と合計七人の権力者の中で、誰もがこの不利な戦況で講和すべきだと考えていても自ら敗北論を口に出すことはできない。互いに対立する同格の者同士において下手に尻尾を出せば失脚への道を自ら舗装することになりかねないためである。これは帝国において長く続く政治的決定の大きな弱点であった。
「エリウスに勝たせ過ぎてはならない。可能な限り連邦が直接手を下さない形で勢力均衡を維持する必要がある」
連邦が直接手を下さない形での勢力均衡の維持、それは連邦の国是とも言える外交方針であった。連邦は強大な軍備を保持し、いざ戦争となれば十分に戦えるだけの力を持っているが、連邦軍が直接戦うことに対しては国民や議会の反対が根強い。そのため非軍事的手段で安全を確保する外交戦略が連邦の対外政策の旨であった。RBIを中核とする情報への注力もその政策ゆえである。
「何かしらの手段で帝国に働きかけて講和を斡旋する必要がある。無論エリウスへも同時にな」
カールの言葉に参集した閣僚たちは頷いた。それと同時に机のブザーが鳴った。
大統領がボタンを押すと、低い男の声が響く。
「パタークレーさんがお越しです」
「よし、通せ」
カールがボタンから手を離すと、執務室の扉が開いて小柄な若い女外交官が入ってきた。居並ぶ閣僚たちが一斉に振り返る。
集まる政府高官たちの視線を一身に浴びてマーガレットは一瞬意識せず体が締め付けられる緊張感を覚えた。議員と接することはあっても、国家元首たる大統領と会ったことは無い。大統領から直接呼び出されて内心穏やかではいられなかった。
「よく来てくれたパタークレーさん。自由党の委員会スタッフとしていつも助けてもらっているようだ」
マーガレットは恐縮して頷くばかりであった。
「君は大学の時には外交についての論文でジョン・マクラカン大を首席卒業し、これまでも自由党の外交委員会スタッフや各国大使館の一員として優秀な成績を上げたと聴いている。国務長官曰く君の見識の高さは近年の熟練した外交官でも稀にみる卓越した能力だそうだ」
「それはどうも…」
適切な返答が思い浮かばず、マーガレットは視線を逸らした。
「今回は君に仕事を頼みたい。大事な仕事だが、表向きに行うことのできない任務だ」
大統領はブラウンへと目配せした。頷いて国務長官が話し始める。
「先日エリウスに対する帝国の侵攻作戦が失敗した。今回に限らず帝国はエリウス相手に劣勢に立たされている。このまま戦闘が続いても帝国が劣勢に立つばかりでパワーバランスが崩れかねない。そのような事態を防ぐには外交で決着をつけるか、わが国が直接介入するしかないが、それは何としても避けたい」
そのために君には帝国に入り、帝国内部の和平派を使嗾してどうにかエリウスとの講和を斡旋してほしい、帝国内部の切り崩しは公式の外交ルートでは行うことができないから、国務省ではなく非公式の大統領特使として君に赴いてもらいたい——
「私が、でありますか?」
マーガレットは目を見開いて聞き返した。
「そうだ。実力と無名性の両方が必要だが、その任に適したのは君しかいないという国務長官の判断だ」
カールはそう答えてキュラコスキを示した。
「無論、君に一人で戦えと言うわけではない。君の任務は在帝国大使館やRBIの帝国局が全面的にサポートする。帝国の政策決定において最大の権威を持つ五公を切り崩し、和平へと国論を導いて貰いたい。成功の暁には君には史上最年少の各国大使や、その先の国務長官への道が開ける。どうだ、やってみるか?」
史上最年少の国務長官!それはマーガレットの思い描いた夢そのものであった。何のために苦学してジョン・マクラカン大を首席卒業するだけの努力をしてきたか、何のために国務省で今日まで働いて来たか。外交官として歴史に名を残す、ただその目標のために生きてきたのだ。そして今、その絶好の舞台が目前に拝跪している。
マーガレットは頷いた。彼女の伝記の新たな一節がこの時幕を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます