反撃

 帝国軍第五七連隊とエリウス軍第二エルジア艦隊の戦闘は戦闘開始から五時間が経過してもまだ終わる気配は見られなかった。

 一部の部隊で帝国軍を足止めして、主力部隊は第三本国艦隊の救援に向かわせようとしたエリウス軍に対して第五七連隊はエリウス軍主力の隊列に突入して四方八方に砲火を乱射し行き足を無理矢理止めた。陣形を乱されたエリウス軍は、いよいよ怒って圧倒的少数の敵をまず先に宇宙の岩礁に仕立て上げんと総力を挙げて叩き潰しにかかったが、帝国軍はひらりひらりとエリウス軍の火線をかわし続け、有効打を与えられない。

 そしてそこに、帝国軍第五軍団の主力が現れたのである。二万隻以上の狼の群れに対しい、隊形は乱れて何時間も一個連隊を相手に振り回されて疲弊したエリウス軍は哀れな羊に過ぎなかった。

 帝国軍の堅固な陣形から放たれた光の矢を受けてエリウス軍艦は次々と被弾し、シールドを剝がされて爆炎に包まれる。反撃しようにも一度乱れた陣形を戦いながら立て直すことは容易なことではない。その間にも砲火の嵐の中で一隻、また一隻とエリウスの巨大な艦船が漆黒のキャンバスに鮮やかな爆光の絵具を叩きつけた。

 「敵の一部、敗走していきます」

 オペレーターの報告にエルヴィンの口元が微かに緩んだ。

 倍近い相手に対し彼は積極攻勢に打って出て、そして現に敵二個艦隊を撃破しつつある。勝利の美酒を苦く感じる者はいないであろう。

 第二エルジア艦隊は元々第五七連隊との戦闘で疲弊していただけに、第三本国艦隊よりも弱兵と化していた。本来弱兵ではなく、司令官ハーバード提督もその実力を認められる勇将であったが、自身の五分の一程度の敵艦隊に翻弄されていると言う屈辱感は理性の厚い壁を容易に打ち崩した。散々一個連隊に振り回された挙句、痛打を与えられぬままに到着した帝国軍本隊の猛砲火を浴びせられたエリウス軍にもはや戦意は存在しなかった。司令部の命令も指揮系統の混乱で末端に伝わらなかったのか、或は伝わったが無視されたのか、一部の艦艇が艦首を翻して逃走に移った。それを見た他の艦も雪崩を打って敗走し、頑強に戦線を維持しようとした勇敢な艦艇も集中砲火の前に次々と撃破されていく。

 「どうやら勝てそうね」

 戦術テーブルを一瞥してディートリンデが口を開いた。

 「最後に敵の増援艦隊だ。艦隊三個を撃破すれば勝利は疑いない」

 言い終えてエルヴィンは肘掛けを指で叩いた。数秒で今後の方針を決め、再びその薄い唇で言葉を紡ぐ。

 「五七連隊はまだ戦闘可能か?」

 「まだ戦闘は可能ですが、一個大隊の増援を求めています」

 数秒の間を置いてオペレーターが応じた。

 「司令部直下の部隊から送ってやれ。五七連隊に敵艦隊の追撃を任せ、我々は最後の敵艦隊に向かう」

 「はっ」

 オペレーターが頷き直ちに司令官の命令を伝達すべくコンソールへと向かったその時、

 「五時方向より敵艦隊接近!」

 別の方向から急報が舞い込んだ。

 「後方に敵?」

 エルヴィンの目つきが一瞬で険しくなった。

 「数は?」

 「凡そ七千から八千隻と思われます!このままでは挟撃されます!」

 エルヴィンは収まりの悪い銀髪をかき上げて舌打ちした。

 「早いな」

 計算ではエリウス軍の増援が到着するには今から早くても二時間か三時間はかかると見込まれていた。しかしそれよりも早く一万隻近い戦力が来援し、当初の戦略に修正を迫られることとなる。一部が敗走したとは言えまだ第二エルジア艦隊は七割強の戦力を保持している。既に第三本国艦隊と一戦交えた帝国軍にとって戦闘の長期化は歓迎すべき事態ではなかった。

 「一部の分艦隊を反転させる?」

 ディートリンデが尋ねた。それがこの状況においては常識的な対応と言えるだろう。戦艦は正面への火力投射で最大の火力を発揮することができるように設計されており、側面や背面の敵との交戦においては火力が落ちる。前面に砲撃しながら後部砲だけで対応することは現実的とは言えなかった。

 だが、その「常識的な対応」を採ってこの先の展開が好転する見込みはない。敵の包囲下において防戦に徹して、自らジリ貧の状況に飛び込んで行く可能性もある。

 エルヴィンは数瞬考え、おもむろに席を立った。

 「前面の敵を撃破し、しかる後反転して後背の敵に対応する。後部砲で敵増援部隊に対応し、全火力を前面の敵に指向しろ。フリゲート艦部隊は突撃、雷撃戦を挑め!」

 銀髪の若い司令官の命令は直ちに通信回路を通じて全ての部隊に伝達され、数分の間に今まで戦闘に参加できないでいた足の速いフリゲート艦が一斉に突撃を開始した。亜光速魚雷を次々と撃ち放ち、エリウス軍の懐へと飛び込む。

 誘導兵器が無効化されたこの時代の魚雷はただ真っ直ぐ飛ぶだけの代物であり、ほとんど命中はしない。だがただでさえ押されまくっていたエリウス軍はこの大量の魚雷の反応、そしてフリゲート艦の突撃に冷静さを失った。慌てて艦首を翻して逃げ出そうとして、皮肉にもその結果魚雷の直撃を受ける艦、横腹を晒して陽電子ビームの直撃を受ける艦が続出する。

 「何をやっているんだ!後退しつつ時間を稼げ!」

 ハーバードはここ数時間怒鳴ってばかりであった。旗艦ハウも陽電子ビームが何発も直撃し、シールドが消失しかかっている。

 「閣下、右翼部が敗走しつつあります。このままでは全軍が崩壊しかねません」

 ブレンドン参謀長の報告は報告だけに留まり、何かしら建設的な案を出すことは無い。責任を司令官に投げ、自らが責任を持って作戦立案に当たろうとはしなかった。

 「陣形を維持しつつ後退しろ!接近する敵小型艦に集中砲火を浴びせろ!」

 激しい砲火で帝国軍フリゲート艦は次々と爆炎に包まれて轟沈したが、既に統制の取れた射撃は不可能な状況であり、隙を突く形でフリゲート艦部隊はエリウス軍の隊列に飛び込んだ。四方八方にビーム、ミサイルを乱射し、エリウス軍の隊列は更に乱れ、秩序ある後退から無秩序な敗走にエリウス軍は陥った。

 そしてその敗走するエリウス軍に、一時戦線を離脱して最速で補給と再編成を終えたブリュンヒルデの第五七連隊が突撃する。秩序の取れた魚雷斉射でエリウス軍艦は次々と炎上した。そこに帝国軍本隊の火線が輻輳し、緑の閃光の濁流がエリウス軍を押し流す。

 十字火線に挟まれる形でエリウス軍第二エルジア艦隊旗艦ハウは真っ二つに折れて爆沈した。無論脱出できた者など存在するはずがない。

 第二エルジア艦隊はここに至りほぼ崩壊した。戦力の四割を失い、艦隊としての秩序は無くなり、猟犬に追い回される家畜の群れに等しい。

 エリウス軍がこの戦闘に投入した兵力の内実に半数以上がこれで無力化された。もはやエリウス軍が反攻に転じて帝国軍を押し戻すことは不可能だろう。後は第七本国艦隊を殲滅するのみ…だったはずなのだが。


 「後方の敵艦隊の攻撃が激しく、既に千五百隻以上の艦艇が撃沈、或は損傷を受けています」

 オペレーターの報告にエルヴィンは形の良い眉をひそめた。

 正面の敵艦隊の撃破に専念すべく、後輩の敵を無視してでも正面に火力を向けた。無論それによって生じる損失は覚悟していたが、この短時間で異様なほどの損失である。理由としては前後両方からの砲火でよりダメージを受けやすいことにもあるが、それ以上に後背の敵が近距離に接近し、秩序だった猛砲火を加えてくることにあった。

加えてその艦隊運動は洗練された物であり、後部砲と一部の艦載機で反撃せざるを得ない帝国軍に対して自在な機動で翻弄してくるのである。その艦隊運動の腕前はここまでの戦闘でその腕前を思う存分見せつけたブリュンヒルデの実力に勝るとも劣らないものであったであろう。

 「D分艦隊はフォーメーション5に移行。C分艦隊はフェーズ4艦隊行動。D分艦隊の隙を埋めるんだ」

 第七本国艦隊先遣隊の作戦指導役として乗り込んだ参謀長ジェフリーは作戦に当たり複数パターンの艦隊行動や陣形を各艦艇のコンピューターに入力していた。それを実戦の場において組み合わせ、各分艦隊の寄せ集め所帯の艦隊運動を自在に制御したのである。元々規定された運動に従うだけだから、現場の指揮官たちも命令を誤解することなく正確に実行できる。

 このような戦術は決してジェフリーの独創ではなく、過去に例は存在するし、実際エリウス軍にはそのような艦隊運動パターンのテンプレートが存在する。だが現場で適切な艦隊運動をパターンだけで指定することはそう簡単なことではないし、状況の急変に対応しづらいという欠点も存在する。だがその欠点をジェフリーの頭脳は打ち返した。戦術テーブルを見て瞬時に適切なパターンを考案し、それを司令官アルフォードを通じて指示する。帝国軍は緩急自在な攻撃に翻弄された。

 無論これに対してエルヴィンが直接対応していれば互角以上に戦えたであろう。数においては圧倒的であり、戦艦(帝国軍では一等戦列艦に当たる)の数においてはジェフリーはようやく第三本国艦隊の一部の戦艦を調達したものの、それも速度が遅いため後続の増援として現在ようやく到着しつつあるという状態であった。

 しかしエルヴィンは正面の第二エルジア艦隊に専念し、その結果正面の敵は敗走させたが後背の敵への対応は不十分なものとなった。

 「偵察機より報告。敵の増援の主力と思われる部隊が接近。このままですとあと三十分ほどで戦闘状態に入ります」

 報告を受けてエルヴィンはため息をついた。

 既に連戦の後であり将兵は疲弊している。休息なしに戦闘を続行することは不可能に近い。この状況で敵の増援を相手にしても消耗戦に陥ることは疑いない。最後は数の差で勝ち切ることはできるだろうが、この手腕のエリウス軍指揮官を相手にしてはそれも不透明だった。

 「撤退する」

 エルヴィンの下した決断は一言であり、誤解しようのない明確さであった。

 「良いの?」

 ディートリンデが声をかけた。中途半端に終わらせ、引き上げることをこの青年が好むはずが無いことを彼女は良く知っている。先ほどと打って変わって不機嫌そのものの表情を見ればエルヴィンの心情は容易に察することができた。

 二個艦隊を撤退に追い込み、もうあと一歩で完全勝利をつかみ得たにもかかわらず、後輩のこざかしい少数の敵のために疲弊させられ、撤退を余儀なくされた。エルヴィンとしては口惜しさが残る終末である。しかし個人の感覚と一軍の統帥者としての理性を混同させるような男であれば、彼はこの年齢で大将まで昇進はできなかったであろう。

 「撤退だ。第五七連隊を殿につけ、軍団主力は速やかに戦場を離脱する」

 彼の冷静な判断は結果によって報われた。ブリュンヒルデは迅速に機動してジェフリーの部隊の足を止めるとその後軍団主力が撤退するまで援護を行い、機を見て自らも反転、誰にも真似できない機動力で撤退に成功したのである。

 エルヴィンは舌打ちし、ジェフリーは舌を巻いた。前者は思い通りに進まなかったことへの苛立ちから、後者は戦闘の始まりから終わりに至るまで、見事と言うしかない采配で戦場をコントロールした敵将への敬意からである。彼の奇策で増援が間に合わなければ、エリウス軍全軍が崩壊したであろう。そして最後の引き際も誰も文句がつけられない完璧な撤退戦であった。

 「最後に俺の背後を襲った敵司令官、その者の名前を調べろ」

 最後にそれだけを指示してエルヴィンは艦橋を後にした。

 「可能な限り味方を救助させよう。人員は貴重な資源だ」

 ジェフリーは司令官にそれだけを指示し、二時間ぶりに席に腰を下ろした。

 

 帝国軍の公式記録において第二次スタル海戦と呼ばれることとなる帝国とエリウスの戦闘はこのようにして幕を閉じた。帝国軍の参加兵力は約二万五千五百隻、エリウス軍の参加兵力は約四万二千百隻。最終的な損失は帝国軍が艦艇二千三百隻、エリウス軍の損失は艦艇一万二千二百隻に上った。六倍近い損害の差であり、帝国軍の勝利と言えよう。しかし帝国軍は最終的に撤退し、エリウス軍は辛うじて戦線を維持した。

 「第三、第六両軍団よりの報告が届いた。どちらもエリウス軍に敗北したみたい」

 星系外縁部で補給と再編成を行う帝国軍第五軍団に報告が入ったのは翌三月七日のことであった。

 「損害が大きくて、これ以上は戦えないそうよ」

 「そうか」

 エルヴィンは頷き、六十万キロ程光を飛ばしてから再び口を開いた。

 「それで、例の敵将の名前は?」

 ディートリンデは手に持ったパッドをエルヴィンに手渡した。

 「ジェフリー・カニンガム少将、二九歳…」

 「過去にも前線で活躍した、有能な士官みたい」

 「…覚えておこう。次に会った時は必ず勝つ」

 ディートリンデは微かに微笑を浮かべ、それ以上余計なことは言わずに退出した。

 翌三月八日、帝国軍宇宙艦隊総司令部は作戦参加の全軍団に作戦の中止と撤退を指令。帝国遠征軍は艦首を翻し、帝国本土への帰途に就いた。

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