急行

 「敵全戦力の五分の一が反転、残りの敵艦隊は速力を上げました!」

 エリウス軍第二エルジア艦隊の動きは第五七連隊の旗艦シュトルム・ティーガーから見て取れた。

 「我々の仕事は敵主力の足止めだ。一隻でも先を行かせたくないね」

 「我が艦隊の速力は敵より高速ですからな。この速力で機動戦を挑むのですか」

 「その通りさ」

 第五七連隊は全て二等戦列艦以下の高速艦艇のみで構成され、旗艦シュトルム・ティーガーもシャルンホルスト級二等戦列艦の通信性能と防御性能を強化した特注仕様である。自分の部隊の艦艇を全て好きに指定するなど普通はできたものではないが、高価で貴重な一等戦列艦と比べれば安価な中小艦艇なら軍事省も悪い顔はしない。

 ゆえに第五七連隊は総じて敵軍よりも優速であった。機動力を生かし、常に敵に対して主導権を握り得る地点を確保する。直線的な機動力、陣形転換や攻防転移のスピードも当然五七連隊は他の部隊と比べて素早かった。

 だがそれは単に五七連隊が快速艦で構成されているからと言う理由に留まらない。その機動力を最大限発揮させうるだけの指揮官がいなければ折角の快速も意味を成さず、弱小な火力と防御力、射程で敵戦艦に薙ぎ倒されるだけの無力な羊に過ぎない。その意味で後に「騎兵提督」と呼ばれることとなるブリュンヒルデ・フォン・ハインリッヒ少将は適任の人材であったと言えるだろう。

 最適のポイントに最速で部隊を移動させ、戦闘の主導権を握り続ける。そのような芸当は言うは易いが砲火が輻輳する戦場の中で実行することは易いことではない。

 彼女は艦隊を素早く扇状に展開させて前進を試みるエリウス軍の主隊の頭を取り、瞬く間に半包囲して砲火を浴びせかけた。元々隊列が乱れていた中で戦闘ではなく脱出のために行動していたエリウス軍にとってこの攻撃は無痛では済まない。損害こそ大きなものではなかったが、元々乱れた隊列がさらに乱れて動きが鈍った。

 「よし、第二次攻撃隊を突撃させろ。敵をさらにかき乱してやれ」

 動きが鈍ったエリウス軍に再び複数方向から航空機が迫り魚雷を投下する。回避行動、対空戦闘のために各艦が動いた結果エリウス軍はさらに隊列が混乱し、全体としての行動速度はさらに鈍化した。

 ブリュンヒルデはこの戦いに備えて軍団司令部に掛け合って多数の航空母艦を調達していた。一般的な航空機の攻撃範囲よりも艦砲の射程が長いためにこの時代の艦隊戦において航空機の役割は大きいものではない。しかし敵艦隊の足止めを目的とするブリュンヒルデにとって数において圧倒的多数の敵に相対するには航空機は欠かすことのできない貴重な戦力であった。

 ブリュンヒルデは空母を借りるべく軍団長エルヴィンに直談判した時の会話を思い出した。

 「敵艦隊を引き付けるだけではなく、足止めする必要があるでしょう。そうであれば航空機が必要不可欠となります」

 スクリーンの向こうでエルヴィンは考え込んだようだった。

 「だが貴官が全艦隊の半数の空母を引き抜けば、我々の航空打撃力は半減することとなる。それだけのリスクを冒すなら貴官の作戦が成功する保証が無ければならない」

 「小官の任務は敵の足止め。敵を徹底的に攪乱し、その移動を阻害することです。ですが私の部隊が役割を果たせず全滅すれば、閣下が敵を各個撃破する前に敵が合流し、作戦は破綻するでしょう」

 「敵を引き付けるだけで十分だ。後退しつつ遠距離で撃ち合うだけでも十分な足止めとなる」

 エルヴィンが自分を試していることが分からないブリュンヒルデではない。この銀髪の大将よりは年上とは言え、彼女とて二六歳に過ぎない。信頼を置こうにも置くことができないことは無理が無いものである。

 「敵が一部部隊で我々を足止めし、残りの全力で救援に向かえば意味がありません。敵の全兵力を抑える必要があります。小官の麾下にいるのは機動力の高い軽部隊です。高機動力と航空機の打撃力で必ず数倍の敵を食い止めましょう」

 エルヴィンは表情を変えずに数秒考えこんだ。群青の瞳は狙撃するようにブリュンヒルデを直視している。その年齢に似合わぬ威圧感と威厳にこの男が非凡な人間であることを一瞬の内に彼女は悟った。年の功がもたらす知恵と若さゆえの豊かな感受性の双方がもたらした感覚である。

 数秒してエルヴィンは頷いて口を開いた。

 「良いだろう。そう言うならやってみろ。成功すれば貴官は中将だ」

 ブリュンヒルデは微笑して一礼した。

 「ありがとうございます。必ずや閣下の勝利に貢献致しましょう」

 ブリュンヒルデはエルヴィンの信頼に応える必要がある。まだ若く多くの人間に認められない彼女からすれば、恐らく自分より若いエルヴィンは自分のことを認めてくれる可能性のある存在であった。

 しかしここで勝たなければ口だけの女として終わってしまう。彼女の今後を決める試金石となる戦いであった。

 「連隊各艦、本艦に続け。敵艦隊に突入し分断、徹底的に敵艦隊を足止めする!」


 帝国軍第五軍団とエリウス軍第三本国艦隊の交戦は四時間で決着がついた。

 「敵は総戦力の四割を損失。敵艦隊に組織的戦闘力は残されていません」

 ディートリンデの報告にエルヴィンは素早く頷いた。その満足げな表情は数時間前からは打って変わり、生命の活力を感じさせる。

 戦を好み、乱世に生きる。このことが道義的に善か悪かはさておき、エルヴィンはまさしくその境地に属する人物であった。そうであればこそ、この混沌とした銀河史のオペラに、新たな一小節を書き加えることとなったのである。

 「敗走する残敵は放置して構わない。陽動部隊が釣りだした敵艦隊を叩く。全艦隊先頭艦より取り舵五十順次転舵!」

 帝国軍左翼を固める第十二師団の旗艦ミュンヘンの艦橋で師団長フリッチュは目を見開いた。

 「馬鹿な…たった四時間で無力化だと?」

 ほぼ倍の戦力差があったとはいえ、四時間で一個艦隊を敗走させたのは並の技量ではない。エルヴィンは陣形を横に広げて最大限火力を発揮させ、手持ちの航空隊とフリゲート艦をフル活用して敵の懐に飛び込んだ。

 その打撃力でエリウス軍は瞬く間に統率を失い、その後は急速に解体されていった。もはやエリウス軍が艦隊として戦闘力を発揮することはほぼ不可能であり、戦略単位としての役割を果たすには指揮系統を再建しなければならないだろう。

 フリッチュにしてみれば不愉快で仕方がない。認めたくない相手が目の前で成果を上げているのを見れば、フリッチュのような思考に至るのが人間の常であろう。同様に彼がその実力を軽視していたブリュンヒルデも敵一個艦隊の戦力を押さえつけ、第三本国艦隊撃破まで敵の増援を阻止し続けた。

 このままでは彼の働きが全てエルヴィンに名を成さしめる結果となってしまう。その事実に愉快ではいられないフリッチュであった。

 

 エリウス軍第七本国艦隊は高速艦艇で構成された前衛部隊が先行し、低速艦は後から駆け付ける形で、最速で救援に向かおうとしていた。

 この方針を提案したのは第七本国艦隊参謀長ジェフリー・カニンガム少将である。彼は今前衛となった高速艦部隊の作戦指導のため前衛部隊指揮官となったB分艦隊副司令官ジェローム・アルフォード准将の旗艦コーンウォールに乗り込んでいた。

 この高速艦部隊は各分艦隊から高速艦を抽出し、無理矢理一つの部隊に纏めてアルフォードの配下に入れたものであり、艦隊司令部の参謀長が作戦指導役として派遣されるのは当然と言える。

 「第三本国艦隊より連絡!『我、戦闘能力ヲ喪失セリ。旗艦ロイヤル・ソヴリンハ通信途絶』!」

 アルフォードは目を見開いた。

 「まだ交戦開始の報告があってから四時間しか経っていないぞ!」

 ジェフリーは戦術テーブルの上に戦場地図を投影した。第二エルジア艦隊が敵に足止めされ、第三本国艦隊が戦闘力を喪失し、第七本国艦隊後衛は戦場への到達にまだ四時間はかかる。第七本国艦隊前衛部隊の動きにこの戦闘全体の勝敗がかかっていた。

 「どうなさいますか?最後の命令に従い、このまま戦場に直行しますか?」

 アルフォードが問うた。刻一刻と状況が変わる戦場では従来の命令を墨守するだけでは対応できない。墨守することしかできないのなら、中級指揮官の存在価値はないだろう。

 ジェフリーは数瞬考えた。

 敵は第三本国艦隊を無力化し、次は一部部隊で足止めした第二エルジア艦隊を撃破に向かうだろう。第三本国艦隊を四時間で無力化した敵であり、第二エルジア艦隊が成すすべなく撃破されることは想像に難くない。であれば今すぐ針路を変え、第二エルジア艦隊との合流に向かうべきか。

 しかし、第七本国艦隊前衛は高速艦五千七百隻の構成であり、戦力としては些か心許ない。仮に敵が全力でかかってくれば、戦艦級の圧倒的な火力と長射程の前にこちらは接近する前に薙ぎ倒されることとなる。

 「第三本国艦隊の残余を吸収し、第二エルジア艦隊に向かうことはできるか?」

 「しかし、指揮系統の再建、戦力の再構成が必要になります。その間に第二エルジア艦隊が撃破されかねません」

 「着いてこれる分だけで構わない。第二エルジア艦隊と敵を挟撃する間に第七本国艦隊の本隊が来援すれば敵と互角に持ち込むことができる」

 方針を提示して作業はアルフォードたちに任せ、ジェフリーは席に腰を下ろして考え込んだ。

 倍の兵力があったとは言え四時間で一個艦隊を戦闘不能にするなど並の実力ではない。情報によれば敵第五軍団の司令官はエルヴィン・フォン・ジークムント大将、まだ二二歳の若者である。帝国の門閥貴族に特有の貴族としての地位のために二十歳かそこらで階級を与えられ、大した能力も無いのに物見遊山気分で戦場に出てきたと思われていたが、どうやら非凡な指揮官らしい。もっともそう考えているジェフリー自身もまだ青二才と言われるべき年齢でしかないのだが。

 そんな人間が今現在大将、もし今後も昇進し、軍の重要な地位を占めるようになればエリウスのみならず、連邦やルーシアにとっても大きな脅威となるだろう。しかし、そうした非凡な英雄が栄華を掴むことができなかったと言うのもまた事実である。一個人の影響力が肥大化した時、上の者からは脅威を、同格の者からは嫉妬を、下の者からは反感を抱かれるものであろう。

 事実エリウスにおいて二十、三十代前半にして将官まで昇進した者で海軍卿や本国艦隊、エルジア艦隊、内海艦隊、フォートランド艦隊、近衛艦隊の司令長官となった者は数少ない。あらぬ疑いをかけられて左遷されたり、予備役送りにされたり、最前線に出されて戦死したり、そこで昇進が止まったり、暗殺されたりして悉くエリウス軍の中央からは排除された。

 そう考えればジェフリーもまた排除されるべき対象と言うことになる。ここまで気にせず昇進を重ねてきたがさてこの後どうなるだろうか。しかし彼の同期には士官学校を首席で卒業して今は少将となっているピーター・アストリーの存在があり、どちらかと言えば彼の方が軍部では目立ち、比較的ジェフリーが注目を浴びることは少ないとは思われるが。

「第三本国艦隊より連絡!敵艦隊、第二エルジア艦隊の攻撃に向かい回頭した模様!」

 報告が深く沈んだジェフリーの思考を一気に海面まで引き上げた。

 この先のことを考えるにしても、それは戦闘が終わってからである。今ここを乗り切らなければこの先の昇進も望みようはない。政治家一族の伝統から逃れて軍人としてのキャリアを望んだ以上、戦場で実績を上げなければ誰も彼のことを認めはしないだろう。

 今まさに第七本国艦隊の高速艦部隊の動きにこの戦いの勝敗がかかっている。それを自覚すれば他人事のように考え事などしてはいられなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る