第一幕・スタル星系海戦
戦闘開始
三月六日十一時十三分。
スタル星系に展開するエリウス立憲王国軍第三本国艦隊旗艦ロイヤル・ソヴリンの艦橋に突如として急報が舞い込んだ。
「偵察機より入電!帝国軍凡そ一万隻以上の戦力が戦場宙域を迂回しつつあり!」
「どういうことだ?」
第三本国艦隊司令ジェームズ・カーター中将は目を細めた。
「補給部隊の位置が発見されたと思われます。護衛は付いていますが一個艦隊に近い戦力を阻止することはできません」
第三本国艦隊参謀長ブルック准将が告げた。彼の背後では参謀たちが新たな状況に対応すべく動き回っている。
「こちらに向かっている第七本国艦隊を補給部隊に向かわせることはできるか?」
航海参謀キース中佐がコンソールへと向かい、二十秒後には計算の結果を出した。
「仮に今すぐに第七本国艦隊が針路を変更したとしても、到着は七時間後になります。発見された敵艦隊の速度と針路からして、補給部隊に接触するのは早くて三時間後です」
カーターは音高く舌打ちした。
「敵の数が一万隻に上るならこちらの一個艦隊で相手取らねば阻止はできない。しかし我が全艦隊を反転させれば敵に背後を取られることになる」
「ですが、偵察によれば敵の総数は二万隻程度。その半数を割って補給部隊攻撃に向かわせたと言うことではないでしょうか」
状況を考えればブルックのその指摘が的を射ていると考えるのが当然だろう。敵の補給部隊を先に叩くと言う発想は間違っていない。戦力の半数をもって戦場を大回りに迂回させ、敵後背の補給部隊を叩く。それによってエリウス軍二個艦隊は継戦能力を喪失し、更に前後から包囲されることとなる。
しかし、それで半数の戦力を反転させることに、カーターは躊躇せざるを得ない。この認識が正しいのか、彼は自信が持てなかった。
しかしこの戦場における先任指揮官は現在第三本国艦隊と共に行動する第二エルジア艦隊司令官アーロン・ハーバード中将である。同格とは言えカーターはハーバードの決定に従う必要があった。
「ハウとの通信回線を開け」
第二エルジア艦隊旗艦ハウに座乗するハーバードが通信に出た。
「敵の総兵力の半数に上る戦力が戦場を大きく迂回している。すぐ戦力を反転させなければ補給部隊は圧倒的多数の敵艦隊の前に掃滅されかけない」
ハーバードは頷いた。
「私の艦隊は反転して迂回する敵艦隊を叩く。敵はただでさえ我々より少数の兵力をさらに分割した。私の艦隊が敵の迂回部隊を抑える間に第七本国艦隊が合流し、二個艦隊で敵迂回部隊を叩く。しかる後我が総兵力で残る敵艦隊を撃滅する」
ハーバードの作戦構想はカーターよりもずっと積極的だった。第七本国艦隊が合流の途上にある以上、総戦力ではエリウス軍の側が優勢である。ハーバードの構想は理論上間違ったものではなかった——間違った認識の上でのものでなければ。
帝国軍側の作戦における迂回陽動の実行役は、第五七連隊約三千隻である。その周囲をダミー艦が取り囲み、一万隻以上に見せかけている。
第五七連隊長ブリュンヒルデ・フォン・ハインリッヒ少将はこの時二六歳。本来であれば中尉か大尉、幼年士官学校卒業でも少佐か中佐が普通の年齢である。この若さで少将となった彼女が直属の上官フリッチュ中将に嫌われるのは当然だと言えるだろう。年少の上司を嫌うフリッチュにとって、自分と階級が一つしか違わない二〇代の部下もまた好ましい存在ではないらしい。
無論その年齢に見合うだけの実績を上げたからこそ若くして将官となったのであるが、フリッチュには実力も無いのに運だけで這い上がった気にくわない存在であった。
そんなフリッチュが陽動部隊の指揮官として「使えない奴」を選んだ結果、ブリュンヒルデが陽動の実行部隊として指名されたのである。
無論ブリュンヒルデがその程度の事情に気づかないはずがない。そしてそんなフリッチュの意思に彼女が従ってやる義理は無い。何なら司令部の命令に唯々諾々と従って全軍のために犠牲となる必要もない。
「敵一個艦隊にこちらから攻撃してやろうか」
連隊参謀長ブロンベルク少佐が目を丸くした。
「数においては少なくとも四倍以上の差がありますが…」
ブリュンヒルデは不敵に微笑んだ。
「正面から相手にしてやる限りはな。それにこちらの実数が少ないことに気づけば敵が再反転する可能性もある。いっそこちらから足止めしてやった方が本隊のためになるだろ?」
「なるほど…ですが一歩間違えれば圧倒的な数の差で粉砕されかねません。細心のご注意を」
なおも不安を隠しきれない参謀長の肩に若い女提督は手を置いた。
「心配性だな少佐。そんなビビるなって」
「敵艦隊発見!」
オペレーターが急報を告げ、一瞬でブリュンヒルデは緩んでいた表情を引き締めた。
「全艦第一種戦闘配置。ダミー艦は針路そのままで前進。連隊全艦はこれから指示する座標に急行しろ」
「前衛艦隊より入電!前方距離七百に敵艦隊見ゆ!」
「数は?」
通信士官の報告にカーターは聞き返した。
「敵の総数…」
通信士官はスクリーンに視線を戻し、次の瞬間目を見開いた。
「二万隻以上!」
「二万隻だと!?」
カーターの表情が通信士官のそれと一致した。第二エルジア艦隊と分かれた第三本国艦隊の倍近い数である。
カーターの不安は現実のものとなって現出した。事前の偵察で敵の総数が二万五千隻程度であることは明らかになっている。敵は恐らくはダミーを用いて我々を分散させ、総力を挙げて第三本国艦隊を撃破し、他の各部隊も各個に撃破するつもりだ。
こうなるなら最初から補給部隊を後方に留置せず、支援可能な距離で随伴させるべきだった——零れたミルクを嘆いても戻ってはこない。
状況がこう推移した以上、カーターはこの危機を脱する責任がある。無論倍の敵を相手にして勝利することは不可能に近いが、防御に徹して援軍到着まで時間を稼ぐことはできるだろう。
「全艦隊戦闘隊形に移行。第一種戦闘配置!C及びD分艦隊は両側面を防御、A及びB分艦隊は戦艦を前に展開させて防御させろ!航空隊も発艦可能な全機を出撃用意!」
第三本国艦隊の末端の駆逐艦に至るまで全ての艦艇の中に警報が鳴り響いた。クルーが一斉に廊下を駆けて自分の持ち場へと向かう。カーターの指示を参謀たちが具体的な指示に起こし、士官たちが走り回って各部隊へ伝達して艦隊が動き始めた。
「陣形変更が完了次第全艦最大速力で後退!第二エルジア艦隊と第七本国艦隊に救援要請!友軍の到着まで時間を稼ぐぞ!」
「敵艦隊の総数約一万二千隻。陣形を左右に展開中」
「敵との距離六百六十。間もなく光学照準距離に入ります」
暗い艦橋の中で電子機器や立体映像の光だけが存在感を主張している。混乱と狂騒に包まれるエリウス軍旗艦ロイヤル・ソヴリン艦橋と対照的に帝国軍旗艦ザイドリッツの艦橋は静寂の中に緊張が走っていた。
「釣り出しは無事成功したみたいね」
「そのまま足止めしてくれれば言うことは無い。敵の増援が駆けつける前に敵艦隊を戦闘不能に追い込むぞ」
ディートリンデの言葉にエルヴィンは頷いて答えた。言葉にこもった熱を感じて幼年士官学校の同期は小声で話しかけた。
「楽しんでる?」
「遊びじゃない」
エルヴィンが窘めるような視線を向けた。ディートリンデは意地の悪い微笑を浮かべている。
「提督になりたい、艦隊を指揮して戦いたいってずっと言ってたじゃん。図星だからって不機嫌になるんじゃないわよ」
エルヴィンはむずかゆいような表情を見せた。だが一瞬後には元の表情へと戻る。
大艦隊を率い、星の海を征き難敵をレーザーの嵐の前に薙ぎ倒すことは宇宙軍の士官であれば誰であっても望む夢であろう。エルヴィンもその例に漏れない戦士の炎を心の核として燃やす男であることをディートリンデは知っていた。
「距離六百五十。光学照準距離に入りました」
「全艦、砲撃用意」
第九、第十二両師団の各艦艇の主砲が旋回し、数十万キロ先の敵向けて狙いを定める。最大望遠でも敵の姿は豆粒のように小さい。両者が秒速数十キロから数百キロで動く戦闘においてはほとんどの弾は悉く虚空に吸い込まれて消えることとなる。
「砲撃用意、完了しました」
エルヴィンは席から立ち上がった。その表情は今までの不機嫌にも見える無表情さからは一変している。瞳には光が満ち、挙げた右手の動きはエネルギーそのものであった。彼が武に生きる人間であることを証明するのには、この姿を見るだけで十分であろう。
挙げた右手を彼は勢い良く振り下ろし、戦闘の始まりを告げた。別に誰かが見る動作でもないのでわざわざそのような行動をする彼は滑稽にも見えるかもしれない。だが後の人々は彼のその動作を軍神の号令として崇め奉ることとなる。
「撃ち方始め!」
通信回路を命令と復唱が駆け抜け、五秒としない内に第五軍団の一万隻以上の一等戦列艦群が緑色の光の束を吐き出した。収束されたビームの群れは光の速度で漆黒の真空間を駆け抜け、数秒でエリウス軍の戦列へと襲い掛かる。光の牙がエリウス軍艦のエネルギー・シールドへと噛みつき、攻撃力が相殺されたときの青白い閃光が戦列の各所で瞬いた。
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