第一部
序幕
宇宙へと進出した人類が、やがて互いに争い始めて数世紀。長きにわたった戦乱は時の二大勢力であったヨーク主権国とフランソワ自治民主国が国家統合に合意して銀河連邦共和国を成立させたことで急速に終息へと向かう。
統合の年を基点として統一銀河暦が用いられ、そして用いられて十年が経過する頃には人類は強大で安定した単一の統治機構の元で復興と再建のレールを走り始める。
長引く戦乱がもたらした傷は深いものだったが、ようやく訪れた平和の中で人々は社会秩序を瞬く間に再生させた。人口やそれに伴う経済力は急拡大し、統一銀河暦が用いられて百年する頃には三八の居住可能惑星に三百億の民が住まう巨大な星間国家へと成長していた。
時の連邦大統領フランソワ・ダルランが「人類史上最大の黄金時代」と言ったのも無理はない。この頃から新たな植民地や資源を求めて人類は星の大海へと続々と漕ぎ出していった。
連邦の人々にとって自分たちが地球を発祥とする人類と言う種族の唯一の統一政体であり、中心であった。しかしそれが誤りであることをすぐに気付かされることとなる。
統一銀河暦一二一年、連邦外宇宙探査局の探査船が所属不明の艦隊と遭遇した。当初はエイリアンとの遭遇かとも思われたが、正体を問う通信への応答は人類が使っているものと同じ言語だった。正体不明の艦船は武装を探査船に向けて言い放った。
「我々はエリウス立憲王国モラヴィア方面警備艦隊である。貴船の所属を告げよ」
彼らはかつて地球から宇宙へと植民すべく旅立ち、航路を見失って難破し、遭難した探査船の人々が居住可能惑星にたどり着いて作り上げられた国家、エリウス立憲王国の艦隊であった。そして彼らは銀河帝国、ルーシア人民国と言う同じように宇宙植民時代初期に遭難した人々が作り上げた国家と互いに戦争状態にあったのである。
連邦の人々は自分たちが井の中の蛙にしか過ぎないことを思い知らされた。自分たち以外にも三つの国が宇宙には存在したのである。そして否応なしに連邦も新たな「国際秩序」の枠の中に組み込まれることとなった。
四つの「主権国家」同士の国力はほぼ同等である。仮に一か国が他の国よりも強大な力を得た場合、周辺各国が共同して脅威に対抗して勢力の均衡を維持する。そのようにして覇権国の出現を阻止する外交情勢が形成された。その新たな国際秩序の元において幾度と無く戦争や、戦争の間の平和が繰り返されて二世紀近くが経過した。
統一銀河暦三〇二年、エリウス立憲王国の名家カニンガム家に一人の男児が誕生した。その名前をジェフリー・カニンガムと言う。実父アーサー・カニンガムがこの時エリウス外務大臣を務めていたようにこの一家は代々政治家を輩出してきた家であった。しかし三人兄弟の末子であったジェフリーは他の兄弟が家の伝統に従ったのに対して政治の世界に足を踏み入れようとはしなかった。
王立宇宙海軍士官学校に入校し、軍人としてのキャリアを選んだ彼は瞬く間にその才能を開花させ、統一銀河暦三二八年(エリウスで用いられている西暦では二七一五年)から始まったテーダー戦争では最前線での数々の武功で三十歳にして少将にまで昇進することとなる。
一方このテーダー戦争において争った銀河連邦共和国においても歴史を動かすキーパーソンが生を授かっていた。統一銀河暦三〇八年、代々自由党の上院議員を輩出してきた名家パタークレー家の長女として生まれたマーガレット・パタークレーはその天性の才を発揮して連邦最高峰の大学ジョン・マクラカン大学を飛び級で首席卒業、国務省へと入省し、外交官としてのキャリアを歩み始める。
神に愛された時代の変革者はエリウスや連邦と言った民主主義国家だけの専売物ではない。その対極に立つ専制主義国家銀河帝国においても新たな英雄が誕生していた。統一暦三一〇年、武門の家であるリヒテンシュタイン伯爵家に生まれたエルヴィン・フォン・リヒテンシュタインは家の伝統によって生まれてすぐに下級貴族の家へ養子に出された。親の威光で才能もなく出世するような者を一族から出さないためと言う理由で子供は例外なく養子に出され、そして一〇歳にして帝国幼年士官学校へと入学させられるのである。
ジークムントの姓を与えられたエルヴィンは敷かれたレールを走り抜けて本来卒業までに五年かかる幼年士官学校の教育課程を僅か三年で終え、弱冠十三歳で最前線に出た。天才としか呼びようのないその才覚で戦功と昇進を重ね、二二歳の若さにして大将、帝国宇宙軍第五軍団の指揮官に就任する。
ジェフリー・カニンガム、マーガレット・パタークレー、エルヴィン・フォン・ジークムント。この三人が銀河史に鮮やかな一ページを描き出すこととなる。彼らの血と栄光で舗装された長い旅路は、まだ始まったばかりであった。
どこを見渡しても目に映る、無限に広がる星の海。古来人類が地球と言う星の地表に暮らしていた時から、夜空を見上げた彼らはその雄大さに圧倒されたことだろう。
統一銀河暦三三二年三月五日、エリウス立憲王国領スタル星系。
恒星スタルが発する光を浴びて反射光を放つ数万の鋼鉄の群れがあった。
特有の優美な曲線を帯びた滑らかな造形の銀に輝く船体は銀河帝国宇宙軍の艦艇独特のデザインである。全長一キロを優に超える巨大な主力艦が何千隻も列を成し、その周囲を護衛艦が取り囲む。
銀河帝国軍第五軍団の一等戦列艦一万四千隻を中核とする合計二万五千五百隻の艦隊は第九、第十二両師団から構成され、その総兵員数は三百二十万三千人に上る。これらの大兵力を統率するのは軍団長エルヴィン・フォン・ジークムント大将であり、彼の旗艦ザイドリッツは直衛艦に囲まれて漆黒の宇宙空間に佇立していた。
この時銀河帝国軍はエリウス立憲王国との戦争状態にあった。モーデル、フルンゼ、ジークムントの三大将が率いる三つの軍団がエリウスに侵攻し、ジークムント軍団はその最右翼を進んでいる。
ザイドリッツの側面ハンガーの防護扉が重々しく開き、保護シールドによって真空と遮断された格納庫が姿を現した。そこに二隻の小型シャトルが滑り込むように着艦する。
二隻のシャトルのハッチが開き、現れたのは第九師団長ハンス・フォン・リューデマン中将と第十二師団長アルプレヒト・フォン・フリッチュ中将、そして両師団の参謀長である。彼らはターボリフトへと乗り込み、艦体上部にある艦橋へと向かった。
「急に我々を呼び出して、旗艦まで出向けとは。軍団長閣下も人使いが荒い」
ターボリフトの中でフリッチュはリューデマンに語り掛けた。
「情報によれば敵の総数は我々の一・五倍は展開しているらしい。この状況下でどう対応するのか、そのために呼ばれたのだろう」
「なるほど。二二歳の若さで大将となられた天才司令官閣下の作戦を拝聴できると言うわけだ」
フリッチュが自分の上司に対して何ら好感を抱いていないことはリューデマンも分かっている。彼は同意ともたしなめともつかない視線を向けるだけで、口に出して応答はしなかった。
ターボリフトのドアが開き、彼らが艦橋へと足を踏み入れると、全天のモニターに無数の星々やそれらを覆い隠す艦艇の姿が映し出されていた。数人の士官が歩き回り、操舵士や通信オペレーターらは自分の持ち場で仕事に当たっている。二人の中将の来訪に、艦橋の士官たちは一斉に敬礼した。
艦橋の最上段中央には一つの席が置かれ、そこから二段式になっている艦橋の下段を見下ろすことができる。艦橋の後ろから入った二人の中将からは椅子の背とそこに座る者の滑らかな銀髪だけがうかがえた。その隣に立つ長い赤毛の若い女性将校が来訪者の存在を席に座る者に告げ、椅子そのものが回転して若い軍団長がその姿を見せた。
おさまりの悪い銀髪の髪、群青色の輝く瞳。二二歳と言う実際の年齢以上に若く見える青年に、黒い開襟型のジャケットにズボンと言う帝国軍将校の略式制服の袖の大将の階級章はどう見ても不釣りあいだった。
二人の中将は同時に敬礼した。共に五〇代の軍人であり、ざっと三〇歳は年下の上官に対して敬礼する図は違和感を感じさせる。
二二歳の若い大将は立ち上がって答礼した。その手を下ろすと、二人の師団長も手を下ろす。
「如何なるご用件で我々をこちらへ?」
急に呼び出された不満の微粒子を込めてフリッチュが切り出した。その心情を知ってか知らずか、青年提督は無表情で話し出した。
「今朝偵察隊が敵艦隊の主力と後方の補給艦隊を発見した。敵の主力は凡そ三万隻弱、だが他に一万四千隻に上る増援艦隊が向かってきている」
「合計して四万隻以上、我々よりも圧倒的多数ですな」
リューデマンの言葉に銀髪碧眼の提督は頷いた。「その通り。だがここで我々が撤退すれば中央を進む第三軍団が側面から攻撃されかねない。最低でも足止め、可能なら撃破する必要がある」
「しかしどうなさるのですか?大将閣下がおっしゃった通り数においては敵は我々より多数。集まれば我々は太刀打ちできません」
フリッチュの指摘は間違っていない。いかに知略の限りを尽くそうと、同時に一・五倍の敵を相手にして勝ち得ると自信を持てる者はまずいないだろう。
「当然だ。だが敵を分断して戦えば勝機はある」
若い提督は斜め後ろに立つ赤毛の女士官に手で合図した。中佐の階級章を付けた彼女が手元のスイッチを押すと、彼女らと二人の師団長の間に立体地図が映し出された。
「敵の補給部隊は敵主力の後方に無防備に配置されている。これを攻撃する姿勢を見せれば敵は嫌でも兵力を割らざるを得ない。全軍を返せば我々に背後を見せることになるからな」
数万隻の艦艇、数百万の将兵が相対するこの時代の戦争での物資の消費量は膨大なものであり、艦隊は常に補給を必要とする。兵站は戦う上で外すことのできない重要な要素であり、補給部隊は戦艦同様に貴重な存在であった。
「機動力のある一個連隊規模の兵力を敵後方の補給部隊に向かわせる。これはダミーを用いて一個師団規模に偽装する。敵にしてみれば補給部隊を襲われれば継戦能力を奪われかねないから阻止のために一個師団分の兵力を割らざるを得ない。我々の総戦力の数は敵も偵察で分かっている。我々が敵より少ない兵力をさらに分散したと思い込んでくれれば言うことなしだ」
青年の言葉に合わせるように傍らの女士官はスイッチを操作し、立体地図上に映し出された両軍の艦隊が動いていく。
「敵が兵力を割って反転すれば、まずわが軍団の総力を挙げて反転せず我々に相対する敵軍を撃破し、さらに進んで陽動に釣られて反転した敵艦隊を背後から叩く。しかる後に来援した敵増援部隊を撃破する。敵を各個撃破することさえ叶えば数の差を恐れることは無い」
ずいぶんな大言壮語だ。リューデマンは思った。これが確かな自信に裏付けされたものなのか、それとも単なる虚勢なのかはこの後の戦いで明らかになるだろう。
「フリッチュ中将。貴官の師団の方がリューデマン中将の第九師団より数が多い。貴官の第十二師団から一個連隊を抽出して陽動部隊とし、敵後方に迂回させろ」
「はっ!」
フリッチュは内心ほくそ笑んだ。この親の七光りだけで出征した若造に痛い目を見せてやる良い機会だ。かつてはこの若造の戦術概論の教官だった俺が何故こいつの下に立って命令を聞いてやらねばならんのだ。こいつの作戦は陽動の成否に戦闘全体の勝敗がかかっている。なら陽動部隊の指揮官を飛び切り使えない奴にすれば良いのではないか。この若造が負けても、俺が負けなければよいだけだ。気に入らん奴らが揃って敗北するのはとても心地が良い。
話が終わり、二人の中将が退出すると、赤毛の女士官は青年提督に話しかけた。
「あれでよかったの?」
青年はおさまりの悪い銀髪をかき回した。それが返答に迷った時の彼の癖であることを彼の幼年士官学校同期の女士官は知っている。
「抗命ができるわけじゃない。誤解が出ないようには言ってやったはずだ」
「向こうはあんたのこと分かろうとするつもりは無さそうだけど」
第五軍団長エルヴィン・フォン・ジークムント大将は真顔なのか不機嫌なのか分かりかねる表情で司令官用シートに腰を下ろした。
「分かって貰わずとも、勝てさえすればいい」
「本当変わってないわね」
どういう思いで口にしたのか判別しがたい第五軍団参謀長ディートリンデ・フォン・マンハイム中佐の言葉に、エルヴィンは答えなかった。
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