35

 とりあえず朝起きる。

 とりあえず朝ごはんを食べる。

 とりあえずバイトへ行く。

 とりあえず生きている。

 慣れた廊下の掃除も別に普通にいつも通り適当にやっている。ADHDの薬を飲むことも止めた。

 雑と言われて叱られてもどうでもいい。

 というより、どうして掃除なんか一生懸命しないといけないのか。汚くたってみんな死にはしないじゃないか。

 前回の試合で死にそうになって死ねなかったからか、そういう変な皮肉れた考えをするようになった。

 死ぬのも大変なのだなと思い知らされた。

 あんな辛い思いをするならば、何となくだけど生きていたほうがマシかもしれない。だからこうして今モップを持っている。

 中途半端。

 そんないい加減に仕事をしても江沢さんからは仕事に何も言われなかった。言われなかったというより、あの電話応対からずっと避けられているというか話しかけられることもなくなっていた。

 事務所に戻ると、江沢さんと阿部さんが何やら集まって立ち話をしている。

「おお、ひかるちゃん。ひかるちゃん、田村君と仲が良かったよね?」

 いきなり、ひかるちゃんと江沢さんに呼ばれ違和感しかしなかった。今まで話しかけなかったのは何だったのか。気さくに話しかけられることが調子がいい気がして不愉快だった。

「いえ、別に」

 不愛想にボソッと返した。

「そう。連絡先とか知らない? 今日出勤だったんだけど何も連絡なくてさ。履歴書に書いてある携帯に電話をかけているんだけど繋がらないんだよ」

 無断欠勤か。彼はそういうことをする人間だったのか。

 どうでもいい。でもどうせ、そんなことをしても許される人間なのだろう。私がそんなことをしたら、どんな扱いされただろう。

「ねえ、連絡先とか知らない?」

 阿部さんが困ったような顔を向ける。

「いえ、知りません」

「ったく」

 江沢さんが舌打ちをしている。私を叱る時と同じ顔をしてる。

「ちょっとあの子、調子がいいというか、上手にサボるところがあったからね」

「俺はわかっていたよ。アイツ、上手く遅刻してきたり、仕事誤魔化してサボっていたりしていたもん」

「そうそう。私も気づいていたけど、ほら雰囲気的に注意しずらいっていうか」

 どういうことだ。あのタイセイさんが批判されている。あんなに仲良くしていた人たちが手のひらを返したように彼の悪口を言い合っている。

「扱いずらい子だよな。スタッフが足りないから我慢していたけど、もう、解雇だな」

 夢中だったアイドル。全盛期は可愛くて純粋で素敵な少女。今になって蓋を開けてみれば、デビュー当初からタバコを吸って、何人もの男と入れ替わり立ち代わり付き合って、整形までして、とんでもないクソ女だった。どうして好きだったのだろうと自問自答。

 前のバイトでのくだらない会話を思い出す。

 そういえば、この子が歌を歌っている動画が無料動画サイトでアップされているのを観た。

 本人はそんな人の評判など知ってか知らぬか、楽しそうに下手でも上手くもないカバー曲を楽しそうに熱唱していた。

  勝手にイメージをして勝手に恋して勝手に失望して、バカみたいだ。

「それに比べて、ひかるちゃんは最近頑張っているよね」

 江沢さんが急に優しい笑顔でこちらを向てくる。

「私はずっと頑張っているのは知っていたよ。ね」

 阿部さんも同意するように大きく頷く。

「これからも頑張ってね。期待しているから」

 期待している。

 そんな言葉を誰にもかけられたこともなかった。ただ、特別嬉しくなかった。

 目の前で表向きは仲良くしていたはずの人を一つ過ちを犯しただけでぼろクソに批判し、その傍らでそんな言葉をかけられても全く響くはずもなかった。

 というよりも、私を散々叱って仕事の雑さを指摘したくせに手のひらを返したような態度を取られて騙されるものか。

 クソか。この人たちもクソか。

 心の中で罵った。

 悪口を言っている二人の人間もクソ。容姿端麗。仕事もできて頭もよくて性格もいいと思われていたタイセイさんも実は人からこんな悪態を突かれるようなクソ。

 クラブの世界だけじゃない。この世の中全てクソだ。

 ひかるは笑わないよね。

 今度はコトさんの会話を思い出す。

 だって、つまらないものに笑うことはできないし、こんな世界で面白おかしく楽しく幸せにできるなんて私にはできない。

「ありがとうございます」

 でも、私は照れて少し笑みを見せる。

 クソだ。どこへ行っても私はクソだ。

 またアイドルの子を思い出す。

 あの子笑っていたな。いろんなことがあっても、笑っているんだ。それは作り笑顔ではなく、自然の笑顔ができている気がした。

 偽るのがうまいのか。それとも、本人は相当な明るい人間か。何も考えない人間か。

 よくよく考えてみれば、目の前の阿部さんだっていつも明るいし、怒ったり機嫌が悪そうなところを見たことがない。

 私だけか。

 私だけ何か卑屈でねじ曲がった性格ってことだけなのか。

 だって、この世の中どこでも同じようなものだろう。そのはずだろう。

 やっぱりこの世の中はわけがわからない。そしてそんな世の中に私は合わないようだ。そんな私はこの世の中に爪はじきにさていて、生きていく価値がないのはやはり間違いないようだ。

 それでも、もう死ぬ気力もなくなって、ただ日々を何となく生きると決めた自分のこれからの人生のクソぶりを自分で予測して、クソだなと呆れた。

 最近、クソだと心の中で何回唱えただろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る