29
変わったことと言えば、言われた通り副反応で食欲不振があったくらいだろうか。
一応、処方された薬を飲んでみたが、まだ飲み始めということもあってか何も変わらない。
バイトでも変わらず気まずい雰囲気は続いていた。
「ちょっと来て」
作業中、また江沢さんに呼び止められる。
まただ。
ファーストフード店と同じように、後ろへ着いていくのが憂鬱になっている。
「ほらこれ」
指摘されたのは廊下の隅のゴミが掃ききれていない部分がある箇所だった。
「雑だよ。やっぱり」
自分ではきちんと掃除したつもりだった。だが、結果はつもっりだった。色々考えながらやっていていたのは否めず、集中力がなかったのは否めない。
否めないが、最近は特にそのような仕事に対する指摘や注意が明らかに増加してきている。
「すみません」
謝るしかない。
「いい加減にしてよ」
江沢さんは冷たくつけ離すように去っていった。
お腹が痛い。
変わらないじゃないか。
そもそも私は何のためにクリニックなんかに行ったのか。
自分の行動が自分でわからなかった。
変わりたかったのか。
変わりたかったというよりも、普通の人になりたかった。
普通に働いて、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に家庭を持てるようなそんな普通の女性になりたかった。
素敵な女性になりたいわけでも、立派な人間になりたいわけでもない。
ただ普通になりたかっただけだった。みんなと一緒でみんなと同じようにみんなと同じ扱いをされる人間になりたかった。
そうだ。今の自分の気持ちがわかる。
わかったところで何もできない。
変われない。
一つだけ、クリニックに行って良かったと思うことは、自分のせいではなかったということがわかったことだった。
ミスが多いのも、人から嫌われてきたのも障害があったからなんだと言われてどこか安心した自分がいた。
今まで頑張ってもどうしようもなかった原因が解明させれただけでも気持ちが軽くなった。
ただ、その気持ちは今すぐに打ち消された。
こんな世界生きていたって仕方ない。いつ死んだっていい。
私だって、こんなふうに考えたくて考えているわけじゃない。みんなと同じように笑っていたいし楽しくいたいし、幸せになりたい。
静かに指摘された廊下をモップで掃き直しながら、心は叫び張り裂けそうだった。
「大丈夫?」
そこへ清掃スタッフの阿部さんが声をかけてくる。
「え? はい」
どうして声をかけて来たのだろうか。どういう意味でそういう声をかけて来たのだろうか。彼女の顔を観ながら様々な憶測を立てる。
「頑張れ」
考えているうちに肩を叩いて阿部さんは行ってしまった。
打ち明けるべきだろうか。
私が障害があるという事実を誰かに言うべきだろうか。
受け入れられるはずがない。
クリニックの医師の態度。最初は、親身になって共感してくれて何でも話せそうな雰囲気を醸し出していたが、私が焦れって時間がかかると見るなり急に流れ作業になって話方が雑になった。
他人なんて私なんかのことを気に掛けるわけないし、そんな他人を頼りにしてはいけない。
いつもそう言い聞かせているのに、優しい言葉をかける私に好意的な態度を示す人には心を許したくなる自分がいる。
職場の人にだって言い訳に聞こえるに決まっている。こんな掃除が雑なんて、サボれば誰だって雑になるし、集中力がないのもやぱっり仕事へ真剣になっていないということだと言われても仕方ない。
私は私でしかない。
やっぱり生きる価値がないけど、何となく生きなきゃいけないというどうしようもないダメな人間。
他人に自分を受け入れてもらう前に、いい加減そっちを自分で受け入れないといけないのかもしれない。
集中しなきゃ。頑張らなきゃ。
こんな世の中で、私が今よりまだマシに生きるためには、やはり他人から褒められて認められないといけない。他人が私に合わせてくれるなんて考えてはいけない。
とりあえず今は、目の前の掃除をしっかり行おう。
ふとコトさんの顔が思い浮かんだ。
コトさんなら、打ち明けてみてもいいかもしれない。もしかしたら親身になって話を聞いてくれるかもしれない。
性懲りもなく、また人のことを信頼し始めようとしている。
いつもそうだ。結局、私は人に甘えている。他人に期待とかしてはいけないのにいつの間にか何かを期待している。
また他のことを考えて集中力が途切れている。
その繰り返し繰り返しで人生が終わるのか。思わず、大きくため息を吐く。
幸いにも、そのため息は今いる廊下には誰も通っておらず、誰にも聞かれずに済んだ。
こんな仕事中にため息を吐くなんて最低だ。
そんな自分にまた今度は周りを気にして小さくため息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます