30
コトさんにも私から飲みに誘ったのは珍しいとからかわれた。
彼女と出会ってから、誘われることはあっても、自分から誘うことはなかった。というよりも、自分から人と会いたいという積極性を見せることは殆どないかもしれない。
「で、どうしたの?」
案の上、コトさんに問われる。それにしても、相変わらず彼女の飲むペースは速い。席について三十分でもう二杯目のビールジョッキを空にしている。
「え、いやその、ただ話がしたいなと」
嘘をついた。
本当は聞いてほしいことがあるが迷った。このまま打ち明けられないまま終わってしまうかもしれない。
「そう。で、試合はどう?」
「試合はそうですね。前回はちょっとキツかったですね」
「ああ、そうね。派手に二人ともゲボってたしね」
嘔吐することをコトさんは時々ゲボると使う。そう言われると嘔吐することが何故か深刻で汚いものなのに、軽く大したことのないようなものに聞こえる。実際、クラブの試合では日常茶飯事で大したことではないのかもしれない。
「私も他の仕事で全部試合を観れていないけど、ぶっちゃけ、あんた、手加減しているでしょ?」
「え?」
「そんなことしていると、怪我するし、下手したら死ぬよ」
コトさんは目を逸らして、追加で頼んだビールを一気に飲み干した。冷たく突き放すような言い方に、叱られた時のようにお腹がキュッと締め付けられる感覚に襲われる。
「ひかるってさあ、どうしてあそこで選手しているの? 前に同じことを聞いた時にお金のためだって言っていたけど」
座っている私を上から下までマジマジと観つめる。きっと、化粧っ気のないほぼスッピンの顔やオシャレを一向にしようとしない服装だと思われているのだなとその視線で感じ取る。
「メイとは結構話している?」
「あ、はい」
「あの子も高校生の癖に男に貢いでいて、特殊な子だけね。というより、クラブの選手を続けられる子って、ちょっと特殊な子かもしれないけどさ」
良い意味の特殊じゃないよと付け足される。さらに話を続ける。
「基本、自分を大事にしない子っていうかさ。じゃないと、あんな危険な試合に何度も出ようとしないというかさ。それでも、それなりに理由はあるものなのよ。みんな。それなりだけどね」
彼女が何が言いたいのかはわかる。ただ、何と打ち明ければいいか言葉選びに困る。今日、誘ったのもあのことを言おうとしたからに他ならない。
「別に、言いたくなければいいんだよ。私は試合にさえ出てくれればいいんだし。それ以上のことは干渉しないけど」
話が途切れる。せっかく、せっかくこうして飲みに誘ったのに、これでは何も話せず終わってしまう。
「褒められたいんです」
「ん?」
「私、褒められたいんです。恥ずかしいんですけど、私、自分に自信がなくて、こんなんだから、仕事でも恋愛でもダメで、ずっとダメで」
「それで試合に出るとお金をたさんもらえて、人には喜ばれるし、生きている感じがするんだね」
私の気持ちを見透かされたように小さく頷いてくれる。
「はい」
「ひかるって親との関係ってどうなの?」
ここから会話は思いもよらない方向へ向かっていく。
「親ですか? 父親は離婚していて会っていなくて、母は四年前に死にました」
「ああ、ごめん。変なこと聞いちゃったね」
「いいえ。そうですね。正直言うと、あまりいい関係ではないかもしれないです。特に母とは、最期まで上手く行かなくて」
「やっぱりね。私も両親のことは嫌いだから、同じ臭いがするなと感じていたんだ。一つ違うのは、ひかるがいい子だってこと」
私がいい子? 何を言っているんんだ。
「ひかるって、いい子だから、両親と関係が悪くても良くしようと頑張っていたんじゃない?」
その言葉は、自分でも気づかない何かを掘り起こさている気がして、泣きそうになる自分がいた。
「それでも親と上手く行かなくて、そのままでどうしようもないまま別れちゃって、今、どうやったら、親と仲直りできるか、褒めてもらえる自分になれるか探していて、でもそれがわからないままもがいている」
もう言わないで。泣いてしまう。涙をこらえるので必死だった。
「って感じかな。わからないけど。何? 泣いているの?」
慌ててコトさんがバックからハンカチを取り出して渡す。
「何かごめんね。辛いことを思い出させちゃった? だってさ、こうやって飲みに誘ったのも私に何か聞いてほしいからでしょ?」
涙が止まらなくなり、嗚咽しながら必死で何度も頷く。
そもそも、クラブの選手になりたくてなったわけじゃない。
わかっていた。そんなの。クラブで試合に出場し始める前からわかっていた。それでも、私にはどうしようもできなくて、今も選手を続けて、でも、選手としていつまでも続けられるわけじゃない、続けたくないと感じていたからこうして清掃のバイトも我慢して続けているしクリニックにも行ってみたんだ。
「ひかるって可愛いよね」
私が可愛い。またそんなことを言ってくる。どういう意味で可愛いと言っているのだろうか。
「可愛いけど、可哀想」
私が可哀想。どうしてそんなことを言うんだ。ただ、それ以上コトさんは何も言わなかった。
結局、完全に調子を崩されて、障害のことを打ち明けるタイミグを逃してしまった。
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