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 メイとの会話で何気なく流れたかに見えた話題が頭をこびりついてここにいる。

 秋葉原にあるその精神科専門クリニックは、ネットで検索しヒットした中で大きそうなクリニックですぐに診療してくれそうだったのでそこに行くことにした。

 クリニックなんて、インフルエンザや風邪など幼い頃になった時だけで大人になってからは殆ど通った記憶がなかったが、クリニックの待合室にはたくさんの人がいた。

 偏見だが、精神科と聞くともっと心の病んだ特殊な人が通くような、閑散としている、静かなイメージが勝手にあった。

 だが実際は、患者で込み合っており、その患者一人一人が病んでいるというよりは、極めて普通のその辺に歩いているような人たちばかりだった。あえて違いを言えば、その患者の年代層が若干若いことくらいか。

 名前が呼ばれて案内されたのは一番診察室という部屋だった。

 八畳ほどの部屋に入ると、白衣を着た女性が二人座っており、その一人の女性にお座りくださいと丸椅子に座るように促される。

「今日はどなさいましたか?」

 声をかけられた同じ女性に、どこのクリニックでも聞くお決まり文句で会話が始まる。

「えっと、仕事でうまく行かないことが多くて」

「どういうことでですか?」

 こんなことでやはり来るなんておかしい。身体はどこも悪くないのに、お悩み相談のようなことでクリニックに来たことを後悔したが、今更もういいですとは引き下がれない。

「ミスが多いんです」

「なるほど」

 話を聞いてくれているのはずっと同じ女性で、もう一人の人はひたすらパソコンに何か作業をしている。どうやら、話を聞いてくれている人が先生で、もう一人は書記をしている人の様だった。

 風邪でクリニックへ通った時は、パーテンションで区切られたブースに先生が一人いて、先生が問診しながらカルテを書いていた。その点で完全個室。書記がいて先生は聞くだけのスタイルというのは普通のクリニックではないのだなとわかった。

「何度も同じミスをしていたり、ああ、私の怠慢で集中力がないのが悪いんですけど、でもそれが人よりも多くて、直したいんですけど直らなくて。何か人から精神科に通って治ったと聞いて来てみたんです」

 上手く話せなかった。自分で話していてできないことの言い訳をしているように見えた。人よりできないのは努力が足りないから、真剣にしていないから。目の前の先生にもそう言われても仕方ないと心の中では思った。

「それは大変でしたね」

「え?」

 意外な返答に拍子抜けする。

「ADHDって知っていますか?」

「いいえ」

「注意欠如・多動性障害と言います。もしかしたら、それの可能性もありますが検査してみますか?」

「は、はい」

 何だそれは。私は何かの障害の可能性があるのか。人よりも劣っていることがあるのは知っていたが、テレビなどでよく見る障害のある人とは思いもよらず、自分を普通の健全な人間だとばかり信じていた。

 用紙とペンを渡されてそこに書かれている質問事項に「はい」か「いいえ」で記入するように指示される。

 その質問事項は、人との会話が聞けなくなることがある。とか、遅刻をした、しそうになったことがあるとか。単純作業でミスを繰り返すことがある。とか該当することがいくつもあった。

「終わりました」

「ありがとうございます。これはあくまで簡単な検査なんで、詳しくADHDであると診断されたいと思えば、専門の大学病院を紹介いたします」

 そんな深刻な病気、障害なのか。動揺が隠せなかった。少し気になって来てみたが、自分の見ている世界がすべて変わってきている感覚になる。

「そうですね。多動性はないですが注意欠如がある傾向にあると出てますね」

「そ、そうなんですか」

「簡単に説明すると、注意欠如の傾向がある人は、あなたがおしゃっていたように仕事でミスが多かったり、人との会話が上手くできなくてトラブルになる人が多いですね」

 私じゃないか。私は障害者だったのか。

「どうしますか? 薬出しておきますか?」

 薬? 急に病人扱いをされて動揺がさらに増す。

「薬って、それで治るんですか?」

「それは人それぞれですね。少しその症状を抑える薬になります」

 ふと、精神科で薬ずけでずっと薬に依存した人のドラマを思い出す。

「ずっと薬を飲み続けないといけないんですか?」

「いえ、この障害は障害と言っても、あくまでもこれはあなたが日常生活で困っている困っていないというものなので、困らなくなれば飲まなくても大丈夫ですよ。ADHDとわかっても何も治療しないで暮らしている人はたくさんいますし」

 困っているかいないか。そんなの困っているから来ている。

「良くならない人もいるんですか? このままずっとこんなの嫌です」

 それに今、障害がある可能性があるかもしれないと診断されたということは、普通の人と違うということ。いくら頑張ってもどうしようもないのではないか。ということは一生こんな私で困らなくならないわけがないじゃないか。

「それは個人差がありますね。行動療法というのもありますが、とりあえず、薬飲んでみましょうか」

 とりあえずってそんなノリで治るか治らないかわからないのに薬を勧めるのか。疑心暗鬼にならざるおえない。

「薬って、なんかおかしくなったりしないんですか? 副反応? というか」

「食欲不振、眠気が襲ってきたリすることもあります。でも、最初は弱い薬から試して様子を見ながら徐々に強さを上げていくので大丈夫ですよ」

「そんな、大丈夫ですか? 正直不安です」

「じゃあ、今日は出さないで様子見しておきますか」

「え? じゃあ治らないじゃないですか。これからどうしたらいいんですか」

 先生。次の方がと書記をしていた方が囁くのが聞こえる。

「そしたら薬を出し置きましょうね」

「あの、じゃああと一つだけ。今バイトをしているんですが、職場に打ち明けた方がいいでしょうか」

「それはあなた次第ですね」

 最後は少し乱暴に強引に突き放されたように言われ、半ば強制的に診察が終わった。

 その後、薬と何か変なADHDがわかるという漫画を一冊貰いその日はそのクリニックを後にした。

 

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