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 試合の一時間前、コトさんとスポンサーの男性が入ってきて今日の対戦相手を告げられた。こんなことは何試合かしてきて初めてのことだった。

「で、コイツをボコボコにしてほしいんだ。頼むぜ」

 スマホを渡されて見せられた写真はアズサだった。

「勝ったら今回はファイトマネーと同等額を上乗せしてカンパ。嘔吐、失禁でさらに倍出すよ」

「そうだなあ。おっしこ見れたら三倍でもいいなあ」

 完全に動揺していた。本当にアズサと殴り合わないといけないのか。さらに男性は続ける。

「コイツ、俺のお気に入りだったんだけど、最近彼氏ができたって情報が入って、試合の出場回数は減ったわ、試合に出ても面白くない試合ばかりしやがって、飽きたんだよ」

 飽きた? ふと、ごみ箱行きだよというコトさんの言葉が蘇る。

「じゃあな。頼むぜ」

 手を振って男性は去っていた。

「ヒカル。いつかはこうなるかもしれないと思ってけど、こんなに早くとはね」

 残ったコトさんが声をかけようとするが、声をかけずらそうにしていた。

 わかっている。ここ数週間でトレーニングを一緒にして仲良くしていることは彼女にも話していた。

「気にしてないですよ。試合は試合ですから。ベストを尽くすだけです」

「そうね。それしかないよね」

 この時は軽く考えていたかもしれない。知り合いになった人と試合をすることがどれだけのものか。

 試合が終わったら、どんな結果でもまた何事もなかったかのように仲良くトレーニングができる。そんな風に考えていた。


 リングで見る水着姿のアズサもやはり細いなという印象だった。

 細いけれども、ガリガリではなくてしっかり鍛えていて引き締まった身体で手ごわそうなのは雰囲気でわかった。

 ただ、その目は彼女であり、鋭いが殺気は感じず変わらない優しい眼差しで私の方を見つめていた。

 私と言えば、もう負けられないといつもの試合以上に気合が入り、相手がアズサであることは意識せずただ相手を倒すだけに集中させていた。

 ゴングが鳴る。

 相手の様子を見ようとまずは距離を取って展開しようとしたが、その考えを読んでいたように素早く懐に入り込んでくる。

 早い。

 想像以上の速さに対応しきれず、簡単に距離を縮められるとあっという間に鳩尾へボディアッパーがめり込んでいた。

 ウウウ

 お腹を抑えてうめき声をあげて後ろへ後退する。

 息ができない。

 急所を的確に狙う強いパンチ。

 続けざまに脇腹へ回蹴りを食らう。

 これは腕で何とかガードして致命傷は免れたが、蹴りも重くガードした腕が痺れている。ガードしないまま腹部へ食らってしまったら立つことができなくなったかもしれない。

 開始一分も経たないうちに劣勢になった私は、呼吸が回復せずにこのラウンドは攻撃と言う攻撃をできずにただ逃げ回りラウンドが終了する。

「何やっているんだ!! 逃げているんじゃねえよ!!」

「早く吐いて死にやがれ!!」

 インターバルの際に、ヤジが飛び交う。呼吸を整えながら、次のラウンドをしっかり戦えるようにダメージの回復を図る。

 きっともうお腹は何発も攻撃を耐えられない。体力も持たない。勝つにはとにかく打たれても前に出るしかない。

 ゴングが鳴る。

 その瞬間に、アズサとの距離を縮めて彼女に習った前蹴りを腹部めがけて繰り出す。

 ウッ!!

 つま先がアズサの胃のあたりにめり込む。不意打ちだったのかその腹部の感触は柔らかく奥までズブと押し込むことができて、彼女は後ろのフェンスに後退してお腹を抑えて顔を歪めた。

 蹴りやパンチは凄いが、お腹の打たれ強さはない。

 イケる。

 それを見て、連続で蹴りやパンチを繰り出す。

 しかし、それをうまく避けられて、さっきのラウンドで殴られたところとほぼ同じところを今度はボディストレートを食らってしまう。

 オエ

 気づいた時には吐いてしまっていた。

 胃の痙攣が止まらない。

 クの字になってその場に悶絶する私に、アズサは首を掴んで膝蹴りを食らわそうとする。

 負けちゃう。でも負けられないんだよ。

 力を振り絞って体を前に出して突進する。

 すると、彼女が片足になっていたこともありその場に仰向けで倒れてしまう。

 それを見て、とっさに足を倒れている彼女に向けて踏みつける。

 ゴハ!

 踵が彼女のへそのあたりに深々とめり込み、彼女も噴水のように吐しゃ物を吐いた。

 勝てる。勝たないといけない。

 その彼女に今度は同じ箇所に膝を落として責める。

 ウエ

 また嘔吐した。

 その顔はいつもと違い、苦痛に顔を歪めさせた酷い顔だった。でもそんなことは構っている暇ない。勝たないといけない。

 もう一度、腹部に踵を落とそうとすると、その足をがっしり止められ、そのまま後ろへ押し返された。

 その隙に彼女はゆっくり立ち上がり、私の方へ向かってくる。

 ウッ

 バランスを崩して体制を整えようとしたところへボディブローを食らい、私も二度目の嘔吐をした。

 意識が朦朧とする。ダメかもしれない。ガードもろくにできず立っているのがやっとだった。

 あと一発食らったら負ける。

 そう悟っていたが、そのトドメはアズサから繰り出されることはなく、彼女は立って私を見つめているだけだった。それは彼女も疲れているということもあったが、どこか遠慮しているようにも見えた。

 勝ちたい。

 そうしている隙に最後の力を振り絞って彼女にボディブローを何発も食らわす。殴るたびに華奢だが柔らかい腹部が凹んでは戻るを繰り返し、その度にもう吐くものもなくなったのか空嘔吐を繰り返していた。

 一方的な展開になっても一向に倒れる気配がなく、もう殴る体力も限界に近付いてきた私は弱っている彼女の後ろへ回り込みチョークスリーパーで首を絞める。

 絞めた数分で彼女は力をなくしその場へ倒れ込み、白目を剥いて身体を小刻みに痙攣させていた。

 勝った。

 珍しく、勝ったあと相手の顔をしばらくその場で見つめていた。

 お尻の部分が濡れてきて、その周りに水たまりを作っていた。

「失禁だ!!失禁だ!!」

 ヤジが聞こえてくる。

 笑えない。嬉しくない。

 何やっているんだろう。

 ふと自分に虚しさが襲ってきた。

 試合後、アズサがこの試合で胃にかなり損傷を負って手術をしたとコトさんから聞かされた。命は取り留めて後遺症はないとのことだが、彼女ははもう試合はしないのだとコトさんから聞かされた。

 この後、私は彼女と二度と会うことはなかった。

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