8
便器に覆いかぶさるようにしてから一時間ほど経つ。
もう吐くものなんてないのに、殴られて蹴られてグチャグチャに凹まされた胃袋の痙攣が止まらないで空嘔吐を繰り返している。
悔し涙か、苦し涙かわからないが、涙と嗚咽が止まらない。
また負けた。
今度は吐いてしまってからも意識がちゃんとあって、所謂地獄だった。
相手の容赦ない攻撃に嘔吐して倒れてからも、無理矢理立たされてフェンスに追いやられて膝蹴りを何発も食らわされた。
嘔吐もたくさんして、お腹に刺すような痛みも何度もあってそれでも止めてくれなくて、最後は呼吸ができなくなって意識が飛んだ。
「ヒカル。入るよ」
トイレのドアをノックされるとコトさんが入ってくる。
「大丈夫?」
コトさんがタオルを渡してくれる。
「今日もやられたねえ」
タオルで顔を拭きながら、痛みで声が出ず黙って頷く。
「お腹見せてみな。ああ、これは酷い。痣になるね」
コトさんが私のお腹を見るなり、顔を顰める。
「すみません」
声を振り絞って謝る。
「どうして謝る?」
「いや、その」
また吐き気が襲ってきて便器に顔を突っ込む。黄色い胃液を少し吐いた。
「どうするの?」
少し吐き気が落ち着いてコトさんの顔を見上げる。
「まだ試合後だから考えられないだろうけど、このままでいいの? 悔しくないの?」
「あの、正直、私の試合ってコトさんから観てどうだったんですか?」
「それは一方的だったよね」
「一方的。全く話にならない感じですか?」
「そうね。だって、ヒカルがほぼ殴られて蹴られて終わっていた感じだもんね」
言葉を失った。悔しい気持ちはないと言ったらウソだが、それが私で受け入れるしかないという気持ちもどこかあった。
「仕方ないですよ。弱いのが悪い」
「まあ、そうなるね」
慰めてくれると心のどこかで期待したのか、サバサバと突き放されて少し傷つく。相変わらず自分の嫌らしい性格に嫌気がさす。
「そうですよね。私なんかそれでいいんですよね」
「ヒカルってさ、気になったんだけど、私なんかって口癖?」
「いや、そんなことないですけど」
「いいけどさ、次出る気あるなら私、トレーニングしてあげてもいいよ」
「え? いいんですか?」
「やる気があるならだけどね。やる気がない人に教えるほど暇じゃないんで。っていうのもね、あんたの初戦にカンパをくれたお客さんがまた今回も見てくれていて、またカンパくれたのよ」
また負けたのに、応援してくれる人がいる。その事実だけで今の苦しみが少し和らいだ気がした。
「私なんかにいいんですか? ホント、貴重なコトさんの時間を」
「それはそうよ。私なんかっていう子には教えてくないね。次は絶対勝つって子じゃないと」
「そうですよね。でも、トレーニング頑張っても勝てるかどうかわからないし」
「そんなのやってみないとわからないじゃない。もうイライラするな」
人をイライラさせている。悪気があってそうしているわけではないので申し訳ない気持ち
になった。
「すみません」
「だから、どうして謝る?」
「いや、その」
「やるの? やらないの? どっち?」
「はい。やりたいです。やってみたいです。コトさんがいいなら」
「だから、私から誘っているんじゃん。全くもう」
「でもタダってわけじゃ」
「そうね。ヒカルが勝ったら、祝勝会の飲み屋代ヒカルに払ってもらうでどう?」
それを聞いてやっと笑顔になれた。コトさんはいい人かもしれない。少し信頼したいと久しぶりに人にそういう感情を抱いた。
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