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「ヒカル。お疲れ様」
そう労って、コトさんが自分のビールジョッキとウーロン茶が入った私のグラスを合わせて乾杯してくれる。
「今日は、お疲れさまってことでここは私が払うから、どんどん飲んで。って言ってもヒカルは飲めないのか。じゃあ食べてよ」
そう言って、豪快にコトさんがビールを一気飲みする。
「そんな。悪いですよ。私、試合負けたんですし」
「それは関係ないよ。私がスカウトした新人の選手には一緒に飲むって決めているの」
こんな、大衆飲み屋で申し訳ないけどね。と付け足す。クラブでの初戦が終わり、一週間後、コトさんから連絡が来て、上野で飲まないかと誘われ今こうして二人で飲んでいる。
「そんなことないです。こんな私のために嬉しいです」
「こんな私? どういう意味?」
答えを待たずにコトさんがビールのおかわりを注文する。
「まあいいや。どんどん注文してよ。しなかったら私が頼むよ?」
焼き鳥セットでいい? と頼んだビールが来たと同時に店員に頼む。
「そうだ、調子はどう?」
「調子って、身体のですか?」
「そう。三日間くらいは殆ど食べ物食べれなかったんじゃない?」
「そうですね。はい」
三日どころか、まともに食べれるようになったのが昨日くらいからだった。それまでは食欲は湧かないし、息を吸うだけでお腹は痛むし、寝る時寝返りを打つ時は辛いありさまだった。
「だろうね。見事なやらってぷりだったもんね」
と、コトさんが微笑んだが正直、吐いた後の記憶が曖昧だった。コトさんの話によると吐いた後も無理やり立たされて殴る蹴るをお腹に食らい、最後はスリーパーホールドで失神したそうだ。
「ホント、すみません」
気づいた時は更衣室で、コトさんがいてくれた。それから、うまく動けない私に肩を貸してシャワー室へ連れて行ってくれたり、近くのホテルへ泊まる手配をしてくれたりと色々面倒を見てくれた。
「最初はそんなもんだよ。あ、これ」
彼女がバックからATMに置いてある封筒を取り出すと私にそれを渡してくれる。封筒は極めてどこにでもある普通のモノだったが、渡された瞬間の入っているであろう札束の厚みと重さは今までに体験したことのないモノだった。
「え? こんなに。どうして」
恐る恐る中身を見ると、そこには言われた額よりも明らかに多い額が入っていた。
「見に来ていたお客さんがあなたを気に入ってね。カンパしてくれたの」
「え? そんなことってあるんですか?」
「言い方悪いけど負けた子にはあまりないかな? ヒカルが良かったからだってよ。良かったね」
私が良かった。何が良かったかわからないが嬉しかった。
「また見たいってさ」
「あの、それはどういう意味でしょうか。私が楽しませるというか、役に立ったということでしょうか?」
「ええ? 逆にどういう意味? 当たり前じゃない。そんな。じゃなかったらそんなお金なんて貰えるわけないじゃない」
今までお金というのは、人よりものろまでミスが多くてお金に見合う働きには届いていないが、私が一生懸命働いているから情けでもらっている感覚でしかなかった。
でも、この今自分の手の中にあるお金は違うのか。最近は初体験ばかりが続く。
「ねえ。次もあるの?」
「え?」
「ヒカル的に、次もやる気あるの? 試合」
返答に迷った。
ここに来るまではもうあんな思いしたくない。コトさんとも今日で会うのは終わりで試合も出るつもりはなかった。ただ、気持ちは変わっていた。
「いいよ。すぐに答えださなくても。気が向いたらまた電話してよ。やる気なら、すぐに試合は組んであげるから」
コトさんがまた一気にビールを飲みほしてまたおかわりを頼んでいた。
負けたのにこんな思いをしていいのだろうか。
他の人から褒められて、また気が向いたらすぐに出られるように組んでくれる。
必要としてくれている。期待してくれている。
明らかにそう伝わった。
伝わったというよりそういうことだろうと確信に近いものがあった。
不思議な世界。
今までに体験したことのない世界。こういう変わった世界もあるんだ。
初体験がまた一つ増えた。
それにしても、お金を稼ぐとはどういうことだろう。不意に突き付けられた疑問に答えを出すことはできなかった。
そんな私を他所に、そんなに悩んでばかりいないで今日はパッと飲もうよと言わんばかりに、四杯目のビールを飲み干したコトはまたビールのおかわりを注文している。
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