5
指定されたのはアメ横を外れて秋葉原駅の方向へ向かう道筋にある古びた雑居ビルだった。
そのビルの前で女性は待ってくれていた。
「こんばんは」
女性が挨拶してくれたので私もこんばんはとあいさつを返す。夜に出会ったがやはり女性は綺麗だった。むしろ、昼間で会った時よりも化粧が濃く見えてでも、その濃さは顔に似合っていないわけではなくて、そのハッキリした顔のパーツをより引き立ている様でうまく表現できないが似合っていた。
「こちらへどうぞ」
ビルの中へ入るとすぐに右横に黒いドアがありそこを開けて中へ入っていく。
室内はクラブと女性が言っていた通り、普通のバーだった。と言ってもクラブバーなどは一度も入ったことがなかったからどれが基準か判断しかねたが、カウンターがあってそこに酒がいくつも並べられていて、そこに数人の客が座って静かにお酒を飲んでいる。あとは、カウンターの周りにボックス席があって四人ほど座れるようになっていた。
変わったところと言えば、そこにいるお客さんのメンツだろうか。どう見ても怖そうなどこか威圧感のある男性ばかりだった。きっと街でこの人たちが歩いていたら道を開けて目をそむけて歩くだろうなというような風貌の人ばかりだった。
その室内を通り過ぎて奥にある赤色のエレベーターに乗り地下へ降りる。
エレベーターが開くと上の店とはまた雰囲気が違い、薄暗い通路が広がる。
「ここで着替えてね」
六畳ほどの更衣室に案内されてそこで試合の時に着用するように指定された自前のビキニに着替える。
その部屋は鏡と洗面台、鍵の掛かっていないロッカーもあって民営プールのある様などこにでもある更衣室だったが、どこかあやしい雰囲気を醸し出していてこれから自分がすることに恐怖を増幅させた。
しばらくすると、ドアがノックされて女性が入ってくる。
「着替えてくれたね。寒いかもしれないから、試合まで来ていたシャツを上に来ていていいよ」
はいと言ってシャツを着ると、そこに座ってと近くにあった丸椅子に二人で向い合わせで座る。
「改めて。私はコトって言います。ここではみんな本名じゃなくてリングネームで呼び合うんだけど、あなたは確かヒカルと言うリングネームにしていたからヒカルって呼んでいい?」
リングネームというものを電話越しに聞かれ、自分の人生で対してひかるんくらいで大したあだ名で呼ばれたわけではないのでヒカルにしてもらった。
「試合は一ラウンド五分の一分インターバル。どちらかが失神したらそこで試合終了。首から下の攻撃のみで、それ以外の顔面などの打撃を加えた場合はペナルテイーです。それ以外は何でも攻撃は可能です」
「首から下の攻撃ってどういうのがありますか?」
「それはお腹を攻撃してもいいし、足を攻撃してもいいし、首を絞めてもいい」
「ペナルテイーってどういう感じなんですか?」
「執行人が行います。腹パン一発を犯した選手に目隠しをした状態でします」
「その加減というか強さは?」
「ペナルティーは上手く同じ個所に同じくらいの強さで行うので不平等さはないようにしています」
「あの失神するまでと言ってましたが、もしお互いに失神しなかったらどうなるんですか?」
「それは失神するまでやり合います」
「そうですか」
言葉を失う。失神したことなどないからもしか、もし失神したらと考えるとどうなるのか想像もつかない。
「ヒカル。緊張する?」
気持ちを察したのか、コトさんが笑顔になる。
「いえ、あ、はい」
そこは正直に緊張しているし怖いし、身体の震えを抑えるのが大変だった。
どうしてここにいるんだろう。連絡を取ってクラブという試合に参加すると決めたのは自分だが、自分が自分でわからなくなっていた。
「最初はみんなそうだよ。でも、一つ言えるのは気持ちで負けないようにしなよ。どんなに痛くて苦しくても気持ちで負けたらホントに負けだし、あとは地獄しかないから」
地獄。
その言葉に何とも言えない恐怖がまた伸し掛かった。もしかしてここで私は死ぬのだろうか。そんなことすら頭を過る。
「まあ、硬くならないでね。そろそろ試合だからこれを飲んで」
と、渡されたのは五百ミリペットボトルだった。中身は透明な水のようなものが入っている。
「これを全部飲んでください」
あ、中身はただの水ねと付け足す。
「試合前は水を飲んでもらいます。それは相手も同じように飲んでいるから安心してね」
「どうしてこんなの飲むんですか?」
その質問にはコトさんは笑顔のまま何も答えなかった。
私は水を一気に飲み干すと、お腹が水で一杯になって身体が重くなった。
「飲んだわね。じゃあ会場へ案内するね」
私とコトさんが部屋を出ると、階段でさらに地下へ降りていく。
階段を降り終わった所にスーツを着た体格のいい男性が一人立っていてそこを軽く会釈して通り抜けたコトの後ろを歩いて中へ進んでいく。
奥の方へ進んでいくとそこに地下とは思えないほどに照明が明るく照らされた少し広くなった小ホールのような広々としたスペースが出現する。
そこの中心に周りを金網のフェンスで囲まれた六角形のテレビでボクサーが戦うようなリングがあり、周りにはパイプ椅子が並べられていて客が数人まばらに座っている。
リングの下まで行くと、フェンスの一区間がドアのようになっていてそこからリングに入るようにコトさんへ言われる。
「ここで服脱いで」
着ていたシャツを脱ぐとまたビキニ姿の私になる。にしても、人前で水着姿になるのは何年ぶりだろうか。色白であばら骨が少し浮いていて華奢な身体が恥ずかしい。
「ヒカルは顔も可愛いけど、スタイルも色白で細くて綺麗ね」
服預かるねと言ったコトさんに、お願いしますと服を渡すと唐突に言われた。
そんなこと言われたことなかったから、どう言えばいいのか迷った。
「頑張ってね」
肩を軽く叩かれてリングの中に足を進める。
リングの中に取り残された私は人の視線を感じながら立ち尽くす。そこへ私が入った同じ場所から茶髪の少し日に焼けたギャルっぽい女性が入ってくる。
女性は入ってきた瞬間、私を睨みつける。
「それでは本日の試合。ヒカルVSナツミの試合を行います」
ホールにアナウンスされと、入ってきたドアに何故か鍵がかけられる。周りのお客さんが何を言っているかまではわからなかったが怒鳴り声やヤジが飛び交う。
緊張が一気に高まる。
その緊張感で張り詰めた中で、コトさんに自分のことを褒められたついさっきのことを思い返していた。
嬉しかった。
客席に目をやるとコトさんが客席に座って私に向かって頷いていた。
わからないけど、勝ちたい。頑張らないとと気持ちが昂る。
「では、一ラウンド開始します。ファイト!!」
鐘の音が鳴り響くと相手が私に向かって速足で歩み寄ってくる。対する私はどうすればいいかわからず、その場で身体を縮こませて構えた。
相手が無造作に身体に向かってパンチを繰り出してくる。
ウッ!!
何もできずに受けるがままになっていると何発か私のお腹にパンチが突き刺さった。
内臓が一気に奥へ押し込まれる感触。苦しい。鈍い痛み。
いろんな初体験、初感覚が襲う。
息つく暇もなく、パンチが何度も殴られた箇所に繰り出される。
負ける。
とっさに悟った。このままではまずい。身体をエビのように丸まらせたまま後ろへ逃げる。それを相手が追いかけてまた腹部に狙いをすませて殴ってくる。
攻撃。攻撃。負けたくない。
殴られる中、殴り方も知らない私はがら空きになった相手の身体に向かって頭から突っ込んだ。
勢いで相手が後ろへよろけてフェンスまで追い詰めることができた。
そのまま無我夢中で頭を相手のお腹に向かって押し付ける。うめき声が少し聞こえた気がした。
これは少しいけるかもしれない。そう思った瞬間だった。
首のあたりを相手に捕まれたかと思うと、そのまま下から膝が上がってきてそれが私の腹部に突き刺さった。
ウッ!!
さっきのパンチとは比べ物にならないほどの激痛が腹部を襲う。そして、胃からさっき飲んだ水が逆流して口まで出てきているのを感じ取る。
そのまま、もう一度膝蹴りを食らうと、その場でせりあがってきたモノを吐いてしまった。
観客から歓声が聞こえた気がした。
その場に倒れ込んで動けなくなった。
気持ち悪くてもう一度その場に吐いてしまう。
今度はさっきよりも大量に吐いてしまって、目の前の床に小さな水たまりができてしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます