オープニング

 閉館されたオルヤンケ美術館。

 わずかな警備の人員を除いて、人気のないはずのそこには今晩、選りすぐりの警官たちが潜んでいる。

 その数なんと2001人。

 文字通り桁違い、過剰とも思える警備は、《無欠》の怪盗アリエス・ギルからの犯罪予告状への対策であった。


『オルヤンケ美術館の【牡羊アリエスの涙】を頂戴いたします。

 可能性は常に100%!

           《無欠》の怪盗 アリエス・ギル』


 派手なやり口を好む怪盗らしからぬシンプル極まる予告状には、絶対の自信を感じさせる。

 それもそのはず、《無欠》の予告達成率は驚くべき100%。

 後手に回り続けた警察上層部は、ついに怪盗絶滅キャンペーンを銘打ち、2000人もの警官を配備させるに至ったのだった。



 その、オルヤンケ美術館第七展示室。

 奥まったその部屋は武装した警官によって厳重に警備されており、部屋も電子錠と南京錠で二重にロックされていた。

 電子音と共に施錠が解除され、カーキ色のトレンチコートを着た男が敬礼と共に入室する。

 無精髭を残しているのは男の気質故か、それとも剃り残したほうが警部っぽい見た目だからか。

 男は警部であることを表す階級章を誇り、見せびらかすように、周囲の警官に執拗に敬礼を繰り返すと、大理石の床に敷かれた毛並みの長い絨毯を踏みしめ、最奥の椅子に腰掛ける主任警部に向けて敬礼を行った。


「2000名の警官、全員所定の位置に配備完了しました!」

「ご苦労……引き続き警備に当たってくれ、イシモチ警部」

「ハッ! この警備網を抜けることはいかなる者にも不可能! ネズミ一匹でさえ入り込むことはできんでしょうなあ!」

「《懐疑》。本当にそうかな?」


 自信満々に答えたイシモチ警部をあざ笑うかのように、部屋の片隅から声が響く。

 室内に配備されていた警官全員の意識の外。

 わずかな死角からぬるりと現れた男は、人の顔ではなく、いぬの頭をしていた。

 頭にはハンチング帽がちょこんと乗っている。

 突然の不審者の登場に武器を構え、【牡羊アリエスの涙】を庇おうとする警官たちに先じて、いぬ頭の男はくすんだコートの懐から輝く探偵証を取り出す。

 白虹色に眩く輝く探偵証は、探偵協会所属の探偵――それもSSS級探偵の証。

 生ける伝説、七探偵ななたんていである証であった。


「汎次元探偵及び探偵能力保有者の相互互助を図るアカデミカルメルギルドあしなが協栄会、略して探偵協会所属、SSS級探偵。七探偵は《懐疑》の座。ソウカナ・クオリアだ」


 そして自分の口でもそう名乗った。

 探偵は警察の知能を信じていないので、探偵証を見たことがない田舎警官とのいらぬ問答を避けるため、名乗ることにしているのだった。


「探偵ぃ~? 民間人が、一体どうやってここに入り込んだんだっての!?」

「民間人ではない。SSS級探偵は汎世界国家間条約によって独立した捜査権を与えられている。無論、此度の【牡羊アリエスの涙】窃盗予告も、国から捜査依頼が来ていてね。どうやら警察諸君には荷が重いと国王はお考えだ」


 現れて早々に失礼な発言をする探偵に、部屋中の警官たちが眉をひそめる。

 額に縦じわを寄せ、小柄な探偵を見下ろすようにして、イシモチ警部は探偵ソウカナに詰め寄った。


「ネズミ一匹入り込めんとは言ったが……まさか戸締まり前に野良犬が紛れ込んでいるとは! とっとと帰れっての! この2000人の警官による警備網は堅牢無比! いぬ頭の怪しい探偵なんぞの力を借りずとも、【牡羊アリエスの涙】は我々がきっちり守りきれるっての!!」

「紛れ込んだのではない。その『堅牢無比な警備網』とやらを正面から掻い潜ってここに来たのだよ。警察諸君の実力を確かめてみたくてね」


 イシモチ警部から顔をそらすようにして横を向くと、探偵は――いぬの頭がおおきなため息を吐いた。両手のひらを天に向け、大げさに肩をすくめて見せる。

 そして、椅子の上で黙り込んでいる主任警部に視線を向けた。


「結果、2001人の誰にも見つからず、こうして【牡羊アリエスの涙】までたどり着くことができた……警備網の網目が少々荒すぎる、と言わざるを得ませんな。ヒューレット主任警部」

「ホウ。七探偵ともあろうお方が私の名前を知っているとは光栄だ。どこかでお会いしましたかな」

「事件に関することは下調べしているというだけですよ、主任警部。我々探偵は全てを――たとえ警察の内部情報であっても、知るべきことの全てを知る必要があるものでね」


 俺を無視するなっての! と騒ぎ立てるイシモチ警部を完全に無視して会話を進める探偵と主任警部。

 両者の間にイシモチ警部が滑り込み、視線を遮るようにして探偵を睨めつける。


七探偵ななたんていだか花探偵はなたんていだか知らないが……こうしてドアを閉めて鍵をかけてしまえば、この第七展示室は完全なる密室! ネズミどころかアリの一匹入り込む隙間はないっての!」

「密室……『密室』ね」


 いぬ頭の探偵の口元が笑みのように歪んだ。

 探偵は突然その場でくるりと180°回転すると、部屋の中を歩き始めた。

 そして歌い上げるように高らかに声をあげる。


「『完全なる密室とは、未だ開けられていない密室のことを指す。事件が発生した時点で、中を改めた時点で、密室は解除されている。』かの《密室卿》の台詞だ……」


《密室卿》の台詞とやらを引用しながら、探偵は部屋の中を忙しなく歩き回る。

 酔っ払いの千鳥足のように、どこへ向かうでもない、しかし確かな足取りで。

乱歩ランダムウォーク』と呼ばれるその技術は、探偵たちが備える基本的なスキルの一つ。

 推理を口にしながら、その場を歩き回る探偵歩法。犯人を牽制し、真実に近づくための歩み。

 

 それはつまり、解くべき謎が、暴くべき犯人がすでにこの場に存在しているということを指していた。


「では、その台詞に照らし合わせて、この美術館はどうかな?」


 ぴたりと歩みを止めて、探偵はイシモチ警部を見据える。

 いぬ頭の両眼に正面から突然、問いを投げかけられて、しどろもどろになりながら、答えを紡ぎ出す。


「中には我々警官が詰めているから……密室ではないっての!? 言葉遊びだ! それなら密室よりもこっちのほうが数倍安全だっての!」

「《懐疑》。本当にそうかな?」


 探偵の目がすっと細められる。その目力に気圧されるような気がして、イシモチ警部はなにくそと睨み返す。

 すると探偵はすかさず目を逸し、また再び部屋の中を歩き回る。


「警官は魂なき警備人形ではない。一人一人が血の通った人間で、生活もある。そんな中、怪盗の脅しに屈し、あるいは誘惑に負け、『内通者』に成り下がるものがいてもおかしくはない。こうして密室が解除されていること自体がすでに、危機であるということなのですよ、イシモチ警部どの」

「警官の裏切りを疑う? バカバカしい! そんなことはありえない!」

「『ありえない』?」


 探偵は歩みを止め、ぐるりとイシモチ警部を振り返った。


「敵は伯爵級怪盗、ギル家史上最悪と呼ばれた《無欠》の怪盗アリエス・ギル。その程度のことなど、あまりにのですよ、警部」

「では、探偵どの。単刀直入に聞こう。一体誰が裏切っているというのかね」


 重々しい口調で、問答をイシモチ警部に任せていた主任警部が探偵に尋ねる。


「入り口を見張る彼らか? 二階から見下ろす狙撃班? 君が先程から目の敵のように扱うこのイシモチ警部? 誰も彼も、今回呼ばれたのは正義の心ゆるがぬ精鋭警官だ。そこまで言うからには当然、誰が裏切っているか確証があってのことなのでしょうな」


 ヒューレット主任警部の淡々とした口調は、徐々に熱気を帯びていく。


「それとも君が疑っているのは……この私か? くだらない……何を疑っているのかはっきりおっしゃっていただきたい!」

「……くく、はっは……はーっはっはっは!」


 もはや隠すつもりのない怒りをぶつけられた探偵は、小さく息を漏らすように笑った。

 笑いは段々と大きくなっていき、ついには呵々大笑とばかりに、探偵は大口を開けて笑い始めた。


「何がおかしい」

「いや、失敬」


 笑いすぎて涙目のいぬ頭は、袖で目を拭いながら怒れる主任警部に向けて答えた。


「《懐疑》の探偵相手にを疑っているかを聞く者がいるとはね。森羅万象、全てを疑う――それが私、《懐疑》の探偵のやり方だ」

「貴様……! もう許さないっての!」

「ここにいるイシモチ警部。彼だけが異質だった」


 探偵に掴みかかろうとしたイシモチ警部の機先を制するように、探偵は静かに推理を口にした。

 疑いを向けられたイシモチ警部は、ぎょっとして殴りかかろうとしたその身を硬直させる。


「2000人の警官、その全てが精鋭。名簿を確認したが、勤務態度も実績も抜群に良い。そんな中、彼だけが、田舎のうっかり警部だったのだ」


 田舎のうっかり警部ってなんだっての!!?!?! と叫ぶイシモチ警部を無視しながら、探偵はなめらかに言葉を継ぐ。


「だから数えてみたのだよ。正面から警備を突破して、今晩このオルヤンケ美術館に集った警官の数をね。結果、この場の警官は2001人いる。イシモチ警部を含めると、2000人ではなく、2001人だったのだ。そこで私は思い至る。イシモチ警部は、今回派遣されるべき2000人の警官には含まれていないんじゃないかな? とね」

「確かに俺は自分から志願したんだっての……だが、それがなんだっての?」

「つまり私はこう疑っている。使2000?とね」


 鉛のような沈黙が、夜の美術館に訪れた。


「は、はっはっは……」


 それを破ったのは、主任警部の乾いた笑い声だった。


「いやはや、今代の七探偵は小説家の才能がお有りのようですな」


 しかしその目は既に笑っていない。

 己の職務を侮辱され、憤る警察のものでもない。

 感情的な演技を止め、冷徹に、目の前の『障害』を値踏みし、排除することを考える犯罪者のものだった。

 主任警部――否、『元』主任警部の声に応えるように、周囲の警官たちが懐の拳銃を構える。

 狙いは、ふざけた見た目の、探偵を名乗るいぬ頭の男。


「ヒューレット主任警部どの……? これは、何かの冗談だっての……?」


 呆然とするこの場唯一の警官、イシモチ警部。

 しかし、彼のことなど眼中にないとばかりに、ヒューレットは爛々と輝く瞳を歪んだ笑みの上にたたえ、探偵に問いかける。


「それでは素敵なフィクション作家探偵にもう一つ質問が。仮に探偵どのの言う通り、2000人の警官全てが怪盗の手先だったとして。武装した2000人もの怪盗に囲まれ、銃を向けられた探偵は――どうすればこの状況を脱することができるのですかな?」


 椅子から立ち上がり、拳銃を構えたまま探偵に近づくヒューレット。

 無手で佇む愚かな探偵を見下ろすようにしながら、最後の問いを投げかける。


「謎を解くのが我々探偵の職務。それ以上は私の預かり知る所ではないが……」


 突如、探偵ソウカナの周囲に、濃密な気配が巻き起こる。

 高位の探偵のみが纏い、その推理によってこの世の理を捻じ曲げる『探偵能力』の根源たるシュレディンガー・フィールドと呼ばれる力場。

 しかし、《懐疑》の探偵はこの絶望的な状況にあって、何を疑うというのか?


「『探偵能力』を使わせるな! 撃て!」

「探偵能力……『幻想現実懐疑主義』」


 いくつもの銃声が重なった。

 しかし、その場に探偵の姿はない。

 蜂の巣になって倒れた死体どころか、帽子やコートの端くれさえ。

 まるでさっきまでその場所に存在していたことさえ疑わしい、といったように、影も形もなく消え去ってしまった。


 ヒューレット以下、怪盗警官たちはしばらく周囲を警戒する。たっぷり一分間ほどの緊迫した時間。

 探偵からの反撃は行われなかった。


「まさか……」


 ヒューレットは誰に向けるでもなく、言葉を零す。


「あれだけ大層な口を叩いておいて……まさか、あの七探偵は、逃げたのか……?」


 偉そうにSSS級などと名乗っておきながら、『級』を持たぬ怪盗である自分たち相手に、かの七探偵が尻尾を巻いて逃げ出したという事実。

 まるで実感のないそれを認識し、その場の誰からともなく小さな笑いが漏れ出た。

 さざなみのような笑いは、やがて美術館を揺らすような爆笑の渦へと変わる。


「はっはっは! なーにが七探偵だ! 能無し探偵!」

「無能はどっちなんですかな! お呼びじゃないのよカス探偵!」

「尻尾を巻いて逃げ出すがいい! 犬顔探偵!」


 緊張から開放された怪盗たちは、探偵を罵倒しながら大いに勝利の味を楽しんだ。


「さて、では【牡羊アリエスの涙】を…………ッ!?」


 そしてそこでようやく気づく。

 先程たしかにあったはずの宝石【牡羊アリエスの涙】が探偵と共に消え去っていることに。

 力尽くでガラスケースを外すも、宝石をたたえるための重厚な台座が残るばかり。

 ケースが破られたことで、遠くから警報が鳴り響く。

 まるで怪盗たちに向けられた探偵の嘲笑であるかのように。


 永遠とも思える沈黙の後、ヒューレットが叫んだ。


「罠だ! すぐに離脱しろ! そして……探せ! あの探偵を!」


 怪盗たちは統制の取れた警官そのものの動きで素早く美術館から駆け出していく。

 さながら怪盗を追う警官のように。

 ヘリのサーチライトとパトカーのランプが夜闇を千々に切り裂き静寂を破壊する。

 一際豪華なパトカーの中で、ヒューレットは一人歯噛みする。


「クソッ……あり得るか、こんなことが! あの探偵! あろうことか……

 !」











 誰もいなくなったオルヤンケ美術館、パトカーのサイレン遠ざかるそこに、

 ごくごく薄い影が2つ、宝石の収められていたガラスケースの横に残っている。

 影は段々とその濃さを増していき、探偵の姿を形取る。


「探偵能力『幻想現実懐疑主義』。『私と宝石の存在』を《懐疑》した……」


 これもか。

 とこぼしながら、探偵は抱えていたイシモチ警部を乱暴にその場に捨てた。

 探偵ソウカナの恐るべき探偵能力『幻想現実懐疑主義』は、その存在すらを疑い、不確実なものへと変じる。

 先程まで、探偵は自らと【牡羊アリエスの涙】の存在を疑い、その存在自体を希薄化させ、誰にも認識できないものへと変えていたのだ。

 あと探偵当て身で気絶させたイシモチ警部も。


「小手調べは私の勝ち、ということかな。しかし……まさか私がアリエス・ギルとやり合うことになるとはね」


 そうして小さくため息を吐くと、探偵ソウカナはこの場にいない上司、探偵王の張りついたような笑顔を脳裏に浮かべながら、虚空を睨みつけた。


「探偵王……これも貴様の描いた絵図か?」

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劇場版探偵ソウカナ vs《無欠》の怪盗アリエス・ギル 遠野 小路 @piyorat

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