第32話 ドライヤーが使えない
「まぁ……食べられなくはない」
俺の作った晩ごはんを食べながら瑞樹は言う。
今日はカレーだ。
お嬢様の彼女に庶民的な味が合うかどうかは心配だったが、言葉とは裏腹にカレーをパクパクと食べる様子を見る限り問題なさそうだ。
「瑞樹ちゃんのお母さん、ここに住むことをよく許してくれたね」
瑞樹の動きが止まり、そのまま固まった。
お嬢様な彼女の母親となれば、厳格な人物に違いない。
「まさかお前、黙って出てきたのか」
「お前じゃない。瑞樹。黙って出てきた訳じゃないから。ちゃんと書置きを残した」
「いや、それは……」
くるみちゃんと目が合う。
互いに「お前がなんとかしろ」と目で訴えかけていた。
「書置きには何を書いたんだ?」
「……何でもいいでしょ」
言い辛そうにそっぽを向く。
「ちゃんと教えてよ瑞樹ちゃん」
「……魔法おっさんを探るために一緒に暮らすと書いた」
「へぇ~?」
こいつは面白い。俺は顎を触りながら笑った。
くるみちゃんと同棲することは理由として認められないと考えたのだろう。だが瑞樹の母も『魔女』の関係者で、魔法おっさんの俺のことを重要視しており、故に俺のことを理由に出せば、無理やり連れ帰されることはないと判断したといったところか。
「あれだけ俺と同棲するんじゃなくて、くるみちゃんと同棲するんだって言っておいて、本当の目的は俺と同棲することだったのかぁ」
「違う! これはただの方便だから」
「おじさんモテモテで困っちゃうなぁ」
生意気な少女が「ぐぬぬ」となっている姿を見るのは非常に良い気分だった。愉快愉快。
◆
瑞樹とくるみちゃんは2人でリビングのソファーに座ってテレビを見ていた。
いつもなら俺がくるみちゃんの隣にいたはずなのだが、すっかりその場所を奪われてしまって悲しい。
「お風呂沸いたぞ」
「一番風呂は瑞樹ちゃんね」
「私は別に後でも……」
「来たばかりなんだから、今日は瑞樹ちゃんが一番風呂だよ」
くるみちゃんに滅法弱い瑞樹は言い返すことができずに大人しく一番にお風呂に入った。
そしてしばらくした後、バスタオルで髪を拭きながらお風呂から出てくる。
「ほわぁ……」
風呂上りの瑞樹の姿を見て、くるみちゃんが感嘆の声を漏らす。
彼女は濃紺のルームウェアを着ていた。上下セットのキャミソールとショートパンツだ。
清楚さと色気をあわせもつルームウェアは、くるみちゃんの可愛らしいパジャマとは対照的だ。
「瑞樹ちゃん、色っぽい……」
「そ、そう?」
風呂上りの美少女は煽情的だ。
「ウラシマさんなんてほら、鼻の下伸びてるし」
瑞樹が慌ててガウンを羽織って身体を隠す。
うーむ。
どうして女性が自分の大事な場所を隠そうとする姿はこうもセクシーなのだろうか。
くるみちゃんは俺に随分と心を許している。指摘してやると恥じらいを見せることもあるが、普段はまるで親と一緒に住んでいるかのように大っぴらだ。
そういう点で言えば瑞樹の方が余程色っぽいだろう。彼女は男である俺のことを警戒している。良くも悪くも俺のことを異性として意識しているのは瑞樹の方だ。
「私を視線で孕ませるつもり? この変態」
自分自身を抱くように腕をまわして身体を震わせている。
彼女に見惚れていたのは確かだが、それで妊娠に直結するのは思考が飛躍しすぎている。
「次は私がお風呂に入ってくるねー」
くるみちゃんが着替えを持ってお風呂場へと向かう。
瑞樹がくるみちゃんを呼び止めた。
「その……ドライヤーをかけてもらえる?」
「それくらい自分でやりなよー」
くるみちゃんは割と瑞樹にドライだ。
困り顔の瑞樹を放置して脱衣所の扉をしめた。扉の向こうからはご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
「……」
瑞樹はドライヤーを持ちながら悲しそうに脱衣所の扉を見つめていた。
お嬢様の彼女はいつも使用人か誰かに髪を乾かしてもらっていたのだろう。普段は人にやってもらっていた彼女が、その長い髪の毛を自分ひとりで丁寧にケアするのは難しいのかもしれない。
――チラッ。
瑞樹がこちらを見る。そしてため息をついた。
男に下に見られることを嫌っている彼女のことだ。そのプライドが邪魔をして俺に頼むことはできない。
「仕方がないな」
無理やりドライヤーを奪い取る。
「なんのつもり?」
「お前の髪は美しいからな。傷むのは勿体ない」
艶のある黒い長髪だ。
その長さに反して驚くほどに傷みがない。彼女の使用人がこの髪を懇切丁寧に手入れしていたことが分かる。
「……お前じゃない。瑞樹」
「乾かすから座ってくれ」
ソファーに座るように促す。
「あなたからの施しを受ける気はない」
「これは施しじゃない。俺がそうしたいからだ」
「女子高生の髪に触りたいなんて……変態ね」
「良いから座れ」
「ちょ、ちょっと! 触らないで!」
背中を押して無理やりソファーまで導く。
瑞樹は喚きながら、しぶしぶソファーに座った。
「瑞樹の髪は綺麗だ。でもこのまま放っておいたら傷んでしまう。それには俺が耐えられない」
「……」
「だから頼むよ。俺のために瑞樹の髪の手入れをさせてくれないか?」
「じゃあ……私の勝ち?」
「もちろんだ。俺の負けだよ」
瑞樹はソファーに座ったまま、クッションを抱えて黙り込む。
オッケーということだろうか。それとも拒否しているのだろうか。
とりあえずドライヤーをコンセントにつないでスイッチを入れてみる。拒否しているのであれば、何らかの反応を見せるはずだ。
だが瑞樹は何の反応も示さない。一応、俺が髪を乾かすことを了承しているようだ。
「触るぞ」
返事はなかったが、そのかわりにクッションを抱く腕に力が入っている。
その様子を見ているとこっちまで緊張してしまいそうだ。
俺はソファーの後ろに立つ。そして恐る恐る彼女の頭に、しっとりと濡れた髪に手を置いた。
「んッ」
変な声を出すんじゃない。
男嫌いで面倒くさい17歳の女子高生だ。思い込みが激しくポンコツな一面もある。非常に残念な少女だ。
しかしどうにも色気があった。まだ17歳であるにもかかわらず、大人の男を魅了する。
「熱かったら言ってくれ」
髪を手ですくいながら、小刻みにドライヤーを動かして乾かしていく。
「別に熱くない」
女の子にドライヤーをかけるのは久しぶりだったが反応は悪くなさそうだ。
妹に「もっと丁寧にやって」とか「ガシガシしすぎ」とか叱られながらドライヤーをかけた経験が思わぬところで活きている。
「案外手慣れているようね」
「昔、妹によくやっていたからな。気持ちいいか?」
「……気持ち悪い」
瑞樹はそう否定しているが、彼女の身体からは徐々に力みがなくなっていた。
クッションを力強く抱きしめていた両腕は、少しずつ力が抜けてソファーにだらんと下ろされている。
素直じゃない彼女の反応に、思わず笑みがこぼれた。
「何がおかしいの?」
瑞樹はソファーの背もたれに身体を預け、斜め右上に顔をあげる。背後にいる俺を不思議そうに見ていた。
お風呂上りで顔が火照っている。うっすらと赤みがかった頬は、まるで男を誘っているかのようだ。
髪を乾かしてもらうことが気持ち良かったのか、目がトローンとしている。冷たい印象もある普段の切れ長の目とはまた違う感じだ。それは、男を寄せ付けない彼女が見せてくれた隙だと思った。
ガウンとキャミソールだけでは首元を隠せない。華奢な鎖骨がよく見える。シワ一つなく、それでいて繊細さを感じる鎖骨を見るだけで、彼女の裸体はきっと美しいに違いないと想像を掻き立てる。
「参ったな……これは完全に俺の負けだ」
乾き始めて、サラサラになった長髪を触りながら苦笑した。
「? 当然よ」
◆
髪の手入れは終わった。
その出来栄えに満足がいったのか、瑞樹は髪を触りながらご機嫌な様子だ。
「あっ! やっぱり自分で出来てる」
くるみちゃんがお風呂から上がってきた。
瑞樹が自分ひとりで髪を手入れしたと思ったようだ。
まぁ、そりゃそう思うよな。
男が嫌いだと公言している瑞樹が、男に髪を任せるような真似をするとは思わないだろう。
バツの悪そうな瑞樹と目が合った。彼女の目が「秘密にしてほしい」と訴えかけている。
「私の家では自分でできることは自分でやるべし! だよ」
「お前が言うな」
「私はできないからやらないだけだもーん」
そんなことはない。
瑞樹は多分本当に家事全般を苦手としている。でもくるみちゃんは単純にやりたくないだけだ。
やろうと思えばできるはずなのだが、ズボラな性格をしているというか、甘えているというか、困った子だと思う。
「ハッ! 私、ドライヤー使えないからウラシマさんやって」
「いつも自分でやってるだろ?」
「だって面倒くさ……できないから! やり方忘れちゃった」
堂々と嘘を主張している。
大きな胸を張り、自信満々なその姿に呆れてしまう。
「……仕方ないな」
「やった!」
「駄目よ」
瑞樹が待ったをかけた。
「何で?」
「男にくるみの髪を触らせるなんてあり得ない」
「ウラシマさんなら大丈夫だよ」
「それは……そうかもしれないけど駄目なものは駄目」
「じゃあ瑞樹ちゃんがやって」
くるみちゃんがドライヤーを差し出してくるが、瑞樹は受け取ることができない。瑞樹にはやり方が分からないからだ。大事に思っているくるみちゃんに対して適当なことをする訳にもいかないのだろう。
「折角だし俺にやらせてくれ」
「わーい!」
こちらを恨みがましい目で見てくる瑞樹は無視しながら、くるみちゃんにドライヤーをかけていく。
「あー、気持ちいいー」
くるみちゃんは思ったことを素直に口にしてくれるから、こっちもやりやすい。
「ウラシマさんの手はゴッドハンドだねぇ」
「なんだそりゃ」
瑞樹の髪とくるみちゃんの髪では、触った感触も微妙に異なっている。どちらもサラサラしているが、手入れが甘いのか、くるみちゃんの髪の方が少しパサついているように思う。
「ぐぬぬ」
瑞樹が歯を食いしばりながら俺をにらんでいる。
視線だけで人を殺してしまいそうだ。
「瑞樹もやってみるか?」
「えっ? それは……」
「くるみちゃんもいいよな?」
「いいよー」
ドライヤーのスイッチを切って手渡すと、すぐに困った顔で涙目になる。
くるみちゃんには自分で髪を乾かしたと思わせた手前、できないと言うこともできないのだろう。
瑞樹の背後に立って、後ろから腕を回して、彼女のドライヤーを持つ手に手を添える。
「きゃっ」
「どうしたの?」
「な、なんでもない! くるみは前を向いていて」
顔を横に向けて、後ろにいる俺をキッと睨んでくる。
彼女の無言の訴えを無視しながら、上から添えた手で瑞樹の手を動かして、ドライヤーのスイッチを入れた。
「やり方が分からないってバレたくないんだろう?」
彼女の耳元でささやく。
ドライヤーの音でかき消されてくるみちゃんには聞こえていないだろう。
「そうだけど……」
「じゃあ止めるか?」
瑞樹は黙ったまま首を振った。
「こうやって髪をすくいながらドライヤーを動かして乾かしていく。近づけすぎず遠すぎずだ。一か所に当て続けると熱くなるから、小刻みに動かして」
彼女の腕を掴んで誘導する。
「顔が赤いぞ? 大丈夫か?」
いつの間にか瑞樹の顔が真っ赤になっていた。
「く、くるみの髪を乾かすことに興奮しているだけだから」
……ガチ百合だ。
やはり彼女はくるみちゃんに対して性的な好意を向けているのだろうか。危険な同居人である。
「気持ちいい?」
「うん、気持ちいいよー」
しばらくやっている内にコツを掴んだらしく、補助なしでもある程度できるようになったので、俺は少し離れて様子を見ていた。
「ぐふふ」
瑞樹はだらしのない顔を浮かべている。美人が台無しだ。
くるみちゃんの反応に気を良くしたのか、瑞樹が尋ねる。
「私とウラシマ、どっちの方が気持ちいい?」
「ウラシマさんの方が気持ちいいかなー」
ガーンという感じで瑞樹が崩れ落ちた。
やり方を覚えたばかりで、どうして俺に勝っていると思えるのだろうか。勉強はできるらしいが、結構抜けている子だと思う。
「瑞樹ちゃん……?」
「私は負けない!」
ムクッと立ち上がり、俺に向かって宣言しながら再びドライヤーをかけ始める。
「乱暴だよ瑞樹ちゃん! ガシガシしないで!」
「ご、ごめん……」
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