第25話

 あおいは寮の中を探し、リビングでコーヒーを淹れていた涼を見付けた。


「あ、涼」

「お~、あおい」


 あおいは偶然を装ってそう声を掛け、彼の脇を抜け奥の冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してみせた。


「あおいもコーヒー飲む?」

「いや、いい。そういえばクリパ中止になったけどさ、涼はクリスマス、すずと過ごすの?」


 緊張で話の切り出しが少々唐突、不自然になるあおいだったが、その違和感には特に気付かず、涼は答えた。


「いや~、実はそうなんだよ~でへへ。根性出してこっちからお誘いしなきゃと思ってたんだけどさ、先日思いがけず、すずの方からお声掛けいただけまして……」


 すずの方から!?


 それを聞いた瞬間、衝撃のあまり、あおいは膝から崩れ落ちそうになった。

 涼のすずへの想いは疑いようのないものだったが、すずの気持ちはまだそこまで熱してはいないものと思っていた。ゆえに、それを聞いた衝撃は大きかった。

 あおいは、もはや二人の間に自分が入り込む余地などないことを悟った。


「へえ~、やったじゃん、このこの」

「へへへ~どうも~」

「じゃ、お幸せに」

「うん、どうもな」


 が、あおいは友人として平静を装い、肘で涼の腕を小突いて二人の仲を祝福しながら、彼の脇をすり抜けた。


 角を曲がり、彼から自分の姿が見えなくなった瞬間、あおいは視界を滲ませながら走り出した。走り、そして秋二の部屋に駆け込んだ。


「あおい、どうだっ……あおい?」


 部屋に戻ってきたあおいは、扉を後ろ手に閉めた後、俯いたまま身じろぎ一つしなかった。だらりと伸ばしていた腕の先から、力なくペットボトルが地に落ちた。

 その様子を見て、秋二は彼女の恋が終焉を迎えたことを悟った。

 名前を呼ばれ、あおいは顔を上げた。普段は鋭い目付きなはずの秋二。心配そうに自分の顔を覗き込む、彼の優しい瞳が、そこにあった。

 ハルトの姿はなかった。こうなった時のことを仮定して、自分に気を遣って外してくれたのだと悟った。

 ここにいるのは、こんな奴らばっかだな。

 そう思った瞬間、あおいは自分の奥から溢れてくるものを堪えられなくなった。


「ダメだった……」


 それは、消え入りそうな呟きだった。


「……そうか」


 そんな言葉に答える言葉など、この世に存在しない。だから、秋二はやっと、その一言だけを振り絞った。一言だけ。だが、その声色には、全てを包み込むような温かさがあった。

 それを聞いたあおいは、頬を濡らしたまま秋二の胸に飛び込んだ。秋二はその小さな体をそっと抱き締めた。


「うああああ―――――!」


 あおいの慟哭が秋二の体の奥を震わせていた。だが、それはほんの一時。あおいはふいに顔を上げると、涙を流したまま秋二の目を見て言った。


「やっぱり、私じゃダメなのかな……」


 あおいのこの手の弱音を聞くと、秋二はたまらないほどに胸を締め付けられる。だから、こう答えた。


「おい、もうそういうこと言うのやめようって約束しただろ? そんなわけがないだろ。自信持てって」


 秋二がそう諭すのを聞くと、あおいの心は反発を覚えた。そして、彼を責めるような目で見て、声を荒げた。


「自信なんて持てないよ! 自信なんて持てるわけがないよ! 秋二なんかにわかるわけがないんだよ! 私の気持ちなんて!」


 その悲鳴にも似た叫びを聞いて、秋二は確かに自分の認識が浅かったのかもしれないと、はっと思い直した。

 女の子が自分の体に傷を持っている。その事実が、どれだけ彼女の心に影を落としていたか。彼女から自信を奪っていたか。男の自分には斟酌し切れていなかったのかもしれない、と。

 反省の意志はあった。しかし、納得は微塵もできていなかった。その理由は、自分の中に確固として存在していた。反駁の用意は、できている。秋二は自分を抑え切れないほど、激高していた。その理由は、よく自覚していた。秋二は、あおいの目を真っ直ぐに見据えて言った。


「それでも、自信を持ってほしい。だって……俺は、お前のことが好きなんだから。だから、もう二度と自分のことをそんな風に言うな! いくらあおいでも、俺が好きな子のことを悪く言うのは許さねえぞ!」


 秋二は刺し違える覚悟で、自分の気持ちを吐露した。ここで彼女に振られても、自分の想いを伝えることで、彼女を励ませれば、それでいいと。

 それを聞いたあおいは、衝撃のあまり目を見開き、言葉を失う。

 驚きのあまり涙は止まったが、同時に体と思考もまた硬直する。そうして、見詰め合ったまま数拍の時が経つと、あおいはハッと我に返り、秋二に抱き付き、抱き止められたままの形となっている今の状況が急に恥ずかしくなってきて、慌てて身を離そうとする。が――


「ちょ、ちょっと、離して、離して……」

「ダメだ。もう離さない」


 と、あおい、顔を真っ赤にして身をよじらせ、彼の腕の中から逃れようとするが、彼はそれを許さない。


「くそ……」


 秋二が話すつもりがないことを知ったあおい、諦めて彼の胸に顔を埋めて、紅潮した面差しを隠す。


「いつから?」


 そして、問う。彼の気持ちの丈を。


「……最初から、一年の時から、可愛いって思ってた。あと、相談してきてくれた時から、自分に自信がないのに頑張ってる姿見て、もっと良いなって思うようになった」


 素直に答えた彼の言葉を聞き、あおいは彼がしっかりと自分のことを見ていてくれたことを知った。そして、噛み締めるように振り返った。

 思えば、はじめに相談を寄せた時、彼が叱ってくれたから動き出せた。遊園地でも、夏祭りでお面を被せてくれた時も、体育祭でも、いつでも彼が自分のことを気遣い、支えてくれていたのだ。そして、自分も彼のことを頼りにし、親愛していたのだ。

 彼が自分にとって、どれほど大きな存在であったか気付いた時、あおいは自分の奥にじんわりと熱いものが込み上げてくる感覚を覚えていた。


「だから、今年のクリスマスは、俺のために空けておいてほしい」


 加えて熱っぽく告げられた彼の言葉。あおいの羞恥はもはや限界だった。


「……わかった。わかった。わかったから、もう離して」

「よし」


 ゆえに白旗を掲げて解放を懇願すると、秋二はそれに満足し、彼女から腕を離す。

 解放されるや、彼女は瞬く間に踵を返して走り出し、一目散に部屋から逃げ出した。


「あ……」


 脱兎のごとく逃げていったあおいの背中を見て、秋二はそこでやっと我に返った。 

 激情に突き動かされて暴走してしまった。やり過ぎた。羞恥と後悔に後から襲われ、秋二は頭を抱えて身悶えした。

 しかし、一方で安堵の思いもあった。フラれなかった。いや、それどころか……。

 次いで、秋二の胸に甘美な思いが湧き上がってきた。あおいの返事を反芻して再確認。間違いはない。フラれなかったどころか、クリスマスの約束を取り付けることに成功した。

 想定していなかった、まさかの展開だった。青天の霹靂。


「うおおお―――! やった―――――っ!」


 爆発する喜び。ガッツポーズで歓喜の雄叫びを上げる秋二なのであった。


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