第22話 友情

「そうして、今、涼ちゃんとすず、そして私、日向凛々奈は、この舞台に立っている」


 ここから、舞台は佳境へと入る。ここからは、凛々奈役の美鈴じゃなく、凛々奈自身の言葉で、観衆、そして愛果とユウトに訴えかける。


「凛々奈? 凛々奈!? あなた、本当にそこにいるの!?」


 今までの舞台を見てきた愛果が、そのセリフを聞いて思わず立ち上がり、悲鳴にも近い声で、凛々奈に問い掛けた。


「いるよ、愛果。ずっとそばにいたよ。愛果のこと、ずっと近くで見てたよ」


 それに、凛々奈は慈しむように優しく、そう答えた。その答えを聞くと、愛果は驚きのあまり言葉を失う。そんな彼女に、凛々奈は微笑みかけて、言葉を続けた。


「愛果、長い間、私のためにありがとう。愛果みたいな良い友達はいないよ。私の、自慢の友達だ。だから、もう心にフタをしなくていいんだよ。愛果には笑っていてほしい。だから私は、愛果にユウトと付き合ってほしいと思ってる。もう私に気を遣う必要なんてない」


 その言葉に、愛果の表情がくしゃっと歪む。涙腺が緩む。しかし、それでも愛果は涙ながらに、かぶりを振る。

 と、なおも自分を思いやってくれる気持ちを嬉しく思いながらも、凛々奈は強い意志を込めた瞳で、彼女をじっと見据えて言った。


「だけどね、それは、愛果達のために、自分の心を殺して、そう言ってるわけじゃないの。だってね――」


 そこで一度言葉を止め、目を閉じ、大きく深呼吸。そして再び、するどく目を見開くと、力強く声を張り上げた。


「よく聞け! 愛果! ユウト! 勘違いすんな! 私はもうユウトのことなんてちっとも好きじゃない! 私はここにいる――」


 また一度言葉を切り、隣に立つ者のことを指差し――


「平沢涼のことが好きだぁぁぁあああああ――――――!」


 天地まで震わさんばかりに、渾身の叫びを上げた。

 それは全てを圧倒し、聞く者全ての胸に共鳴した。だが、凛々奈はなおも深く息を吸い込むと、シンと静まり返る場内に、再び凛とした一喝を響かせた。


「愛果、ユウト! 私はもう、新しい人生を歩き出してる! だからもう、私に遠慮なんかするんじゃねえ――――――――!」


 愛果の想いやりを、凛々奈の想いやりが打ち砕いた。動けないはずの凛々奈が、愛果の前を歩いてみせるという、思いもがけぬやり方で。

 うずくまる愛果。決壊した心の中から溢れてくるものが瞳の奥から溢れ出す。

 それを見ると、凛々奈は舞台を降りて愛果の下へ駆け寄り、そんな彼女を抱き締めて、震える声で言った。


「私だって、すずと、愛果達と、楽しく高校生活を過ごしてたんだから。その中で、涼ちゃんに恋もしたの。バカにしないでよ愛果。この私が大人しく寝たきりになんてなってるわけがないじゃない」


 と、愛果は凛々奈の体をひしと抱き締め返し、慟哭を上げるように言った。


「ううう……そうだった。凛々奈、あんたはそういうヤツだった……」


 変わらず純粋な親友の様子を愛おしみ、凛々奈はくすっと微笑い、いたわるようにそんな愛果の頭を撫でると、最後に、万感の想いを込めて、彼女に囁いた。

 

「私のことは心配いらない。だからお幸せに、愛果。私の、大親友」

「うん…………」


 愛果は、凛々奈の胸に顔をうずめたまま、それに力強い頷きを返す。

 そうして、親友とのしばしの別れを済ますと、凛々奈は舞台に駆け戻り、


「みなさま、本日はご観賞、誠にありがとうございました―――!」


 と叫んで頭を下げ、劇の終わりを告げた。

 彼女達の劇は、大いなる拍手と共に、幕が下ろされた。


 拍手が止むまで、内幕で凛々奈は頭を下げ続けた。そして、やがて拍手が止むと頭を上げ、すずから離れた。ふいに、彼女の霊魂がすずの体から離脱したのだ。


「すず、涼ちゃん、この幽体も、最後の時が来たようだ」


 その凛々奈の霊体――少女の輪郭をした発光体――は、すずと涼の前に立つや、二人にそう告げた。確かに、その体の光は、以前見た時より弱く、儚げに見えた。

 凛々奈は、愛果とユウトに、自分への憐憫の情を吹っ切って一緒になってほしいと願う情念によって、生き霊となっていた。その本懐を遂げたがために、魂が穏やかに肉体に戻ろうとしているのだ。


「すず、長居したね。本当にお世話になった」

「そんな、いつまでも一緒にいていいのよ」

「ふふっ……大親友が二人も居て、幸せ者だよ私は。本当は、もっと早く目的を果たすべきだったんだけど、すずやみんなと一緒にいるのが楽しくて、つい甘えてしまったよ」


 と、美鈴は、掛け替えのないパートナーのように思っていた相手への愛惜の涙をこぼす。


「泣くなすず。涼ちゃんがゴールを決められるのは、すずのためにだけだ。私はすずを羨ましいと思ってんだから」


 その涙に、凛々奈は優しい叱咤の言葉で応え、次に、涼に別れを告げた。


「涼ちゃん、私のために一生懸命になって、こんなに素敵な舞台を用意してくれてありがとう。最高だったよ。あなたのおかげで、誰にも知られることがなかった私の高校生活は、最後の最後に輝いた。ありがとう」


 いいや、君の人生は、ずっと輝いている。そう答えたかった涼だが、胸に去来する温かな嬉々と寂寞、そして溢れる涙で声にならず、両手で顔を塞いで膝を折る。


「私は一足先に卒業するよ。またね。すず、涼ちゃん、ありがとう。最高の高校生活だった」


 そうして、彼女は去っていった。

 凛々奈の姿が消えた後も、美鈴と涼は、地にうずくまってすすり泣き、しばらくの間、動くことができずにいた。


 そうして、凛々奈との一旦の別れを終えた涼と美鈴が体育館の外に出ると、そこには愛果とユウトの姿があった。二人のことを待っていたのだ。顔を合わせるや、愛果は二人にじっと熱い眼差しを向けた後、はにかんで言った。


「私達、付き合うことにしたから。ありがとう。二人のおかげだよ」


 凛々奈の頑張りが報われた瞬間であった。それを聞いた二人は、込み上げてきた喜びを噛み締めて笑い合い、会心のハイタッチを交わした。


 その後、彼らは四人で凛々奈の下を訪れた。凛々奈はベッドの上で、薄っすらと嬉しそうな笑みを浮かべて眠っていた。今までには見られなかった変化だ、と愛果とユウトは語った。成し遂げた者の笑みであった。

 四人は一人ずつ、そんな彼女の手を握り、彼女に全霊の感謝と敬愛の熱を送った。

 最後に凛々奈の手を取った涼は、気持ちが昂ぶるあまり、


「凛々奈……これで終わりじゃないよな?」


 思わず、彼女にそう問いかける。と、それを聞いた美鈴が、むっとして言った。


「凛々奈は必ずまた目を覚ますわよ!」


 美鈴が凛々奈へ対する思いを一層強めたことを改めて知った涼は、ふっと微笑い、「そうか。そうだな」と彼女に答えた。


 そこで二人は振り返る。涼と凛々奈のデートのことを。思えばその時は、劇が成功し目的を果たしたら、生き霊としての凛々奈は消える。その予感があったから、美鈴は自分の体を貸して涼とデートすることを許し、涼もそれに応じたのだ。彼女にとって、もしかして、人生最初で最後のデートとなるかもしれない。そう思ったから。

 だが、それが邪推であったことを、二人は知った。劇での彼女を、その活力を見た今、凛々奈は必ず目を覚ます。そう確信していたから。

 デートの後、最後のシュートは決めてあげたかったな、と悔やんでいた涼であったが、今はそれで良かったのだと思っていた。きっとこの先、彼女の前に、誰かが現れる。その時まで、その誰かと一緒に喜べる時まで、その瞬間は取っておいた方がいい。そう思っていた。


 帰り際に、美鈴と涼はベッド脇のサイドテーブルに、三本足の鳥のモチーフが付いたストラップを置いた。凛々奈が涼と文化祭で買ったものだ。

 彼女が帰ってこれるように、人々を正しい道に先導してくれるという、ヤタガラスに願いを込めて。

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