第21話 劇

 そして、ついに開演の時を迎え、舞台の幕が開かれた。



 東京の片隅にある小さな公園の中で、三人の幼児がサッカーに興じていた。

 サッカーといっても、まだ幼い子供達がボールと戯れているだけのお遊戯のようなものであったが。

 そして、その様子を遠巻きに眺めている幼児が一人。

 川上ユウト、引っ込み思案な彼は、自分も混ぜてくれとその三人に言い出せずにいた。

 と、その羨ましげな視線に気が付いた少女、日向凛々奈が、彼の下に駆け寄り、手を差し伸べ、天使の笑みを浮かべてこう言った。


「君も一緒にやろう」


 ユウト少年の幼心に、大輪の向日葵が咲いたことは言うまでもない。

 彼は無我夢中でその手を取った。


 凛々奈に手を引かれて行った先で、木崎愛果が太陽さえも弾き返しそうな眩い笑顔で、桜井ハルトが陽だまりのような温かい微笑みで、彼のことを受け入れてくれた。


 これが、彼ら四人の出会い。緩やかな日差しが降り注ぐ、春の日のことであった。


 家が近所同士の彼らは、毎日のように一緒にサッカーをして遊ぶようになり、いわゆる幼馴染みと言える関係となっていった。



 また、ある日のこと、まだ補助輪付きでだが、自転車に乗れるようになり、それが嬉しかったユウトと凛々奈は、ついつい親の言い付けに背き、遠乗りをしてしまった。そして、事件は起こった。


「あ―――っ! 取れちゃった!」


 家から少々離れた場所にある公園の中を走り回っていたその時、ふいに凛々奈が乗る自転車の補助輪が片方外れてしまったのだ。母親が素人技で取り付けたものだったので、少々ネジの締めが甘かったようだ。


「どうしよう……」


 取れた補助芯を自転車のカゴに入れながら、凛々奈は途方に暮れてベソをかく。

 子供の足で歩いて帰るには、少々厳しい距離だ。かといって補助輪の無い自転車に乗れば、転倒のリスクがある。


「よし、凛々奈、俺の自転車に乗れ。俺がそっちの自転車に乗るから」


 その様子を見ると、ユウト、幼いながらに意を決し、彼女に自分の補助輪がしっかりと付いている自転車を差し出して、男らしくそう言った。


「えっ、で、でも……」

「俺の方が乗るの上手いから。ケガ人が出ないから、その方が面倒じゃなくていい」


 戸惑う凛々奈に気を遣わせないように振る舞いながら、話を押し進め自転車を交換するユウト。

 そうしてユウト、心配する凛々奈を尻目に、意気高く出発。後に続く凛々奈。目指すは無事にそれぞれの家へ。


「あっ!」

「きゃあっ! ユウト、大丈夫!?」


 しかし、幼児に運転はやはりまだ難しく、走り始めてすぐ、最初の曲がり角で、ユウト、バランスを崩し転倒。

 後ろに付いて走っていた凛々奈、それを見るや、慌てて自転車から降り、彼の下に駆け寄る。

 と、ユウト、そんな彼女を心配させまいと、必死に涙を堪えて言った。


「大丈夫。どうってことない」


 本当は痛かった。なんとか受け身は取ったものの、泣き喚きたいくらいに痛かった。

 だけど、男ユウトは泣かなかった。歯を食い縛り再び自転車に乗り、走り出した。


 それから、ユウトは何度も転んだ。しかし、何度転んでも音だけは上げなかった。

 そんな彼の様子を見て、凛々奈は子供心にも頼もしさを覚え、穏やかな眼差しを彼に送っていた。

 季節は少し肌寒い秋。幸い、長袖を着ていたおかげで、ユウトはケガを負わずに済んだ。

 無事に家まで送り届けてくれたユウトに、凛々奈は面映そうに視線を逸らしながら、「ありがとう」と蚊の鳴くような声を絞り出した。

 紅葉の中、辺りを染める夕焼けが、彼女の頬の朱色を包み隠していた。



 そんな彼ら四人も小学校へと上がり、揃って地元のサッカークラブに入団。試合に練習にと楽しい日々を送っていた。しかし、問題が一つ。ユウトがフォワードに選ばれたにも関わらずシュートを外してばかりいたのだ。

 そんな彼にチーム内からも不満の声が上がり始めていた中での試合でのことだった。

 ボールを持った凛々奈が、スピード豊かなドリブルでサイドを突破する。得意のプレーだ。彼女はそうして敵の守備陣を切り裂くと、ユウトへラストパスを送った。他のチームメイトがあまり彼にパスを出さなくなってきた中、彼女は変わらず、そうしてパスを送り続けてくれた。

 それは絶妙なボール。あとはただゴールに流し込むだけだった。

 ゴール。チームは歓喜に沸いた。ユウトは駆け寄る仲間達と高らかにハイタッチを交わした。

 こうして、凛々奈がパスを送ってくれるおかげで、彼はヒーローになれた。

 サッカーの、そして、みんなで何かをする、成し遂げることの良さを、教えてもらえた。嬉しかった。楽しかった。

 そんな風に、ユウトと凛々奈、二人は時に助け合い、時に笑い合い、共に育っていった。



 中学に上がっても、そんな四人の関係性は相変らず……とも言い切れず。


「ハルトってさ、どのプレーに一番自信持ってんの?」


 ある日の練習中のこと、愛果が、ふと気になったように、ハルトに切り出した。


「あー、そうだな、俺といえばやはり、ダイレクトボレーだな」


 と、ハルトは浅慮の末に格好を付けてそう見栄を張る。

 と、普通ならば「またまた」と聞き流すところなのだが、単純だった愛果はそれを真に受けて感心顔になる。


「ほーっ、それはそれは~。よ~し、じゃあちょっとやって見せてよ。……それじゃあいくよー!」


 そして、愛果はそう言うと、ハルトの返事も待たずにコーナーにボールを運んでいった。そして合図を送ると、ゴール前にいるハルトに向かってボールを蹴り上げた。ボールは正確にコントロールされ、ピタリとハルトの元へと届く。

 と、それまであたふたとしていたハルトだったが、打ち頃の球が来るのを見ると一転、もらったとばかりに勇んで、神経を集中させ右足を振り上げた。

 ムチのようにしなった右足が、凄まじい勢いで風を切っていく。そして、足が振り抜かれるとボールはハルトの後ろに転々と転がっていった。

 躍動感に溢れる空振りであった。

『あはははははははは!!!』


 そのスーパープレイに、幼馴染み三人は、腹を抱えて大爆笑。


『だっさー! だっさー!』


 特に、ユウトと凛々奈は、人様を指差して爆笑。その様を見てベソをかくハルト。


「まったくも~、いつになったら上手くなるやらあんたは。……いい加減、一回くらいカッコ良く決めるところ見せてよね」

「……はい」


 そんな彼に苦笑しながらも、発破をかけるように、そう声を掛ける愛果。言葉面は厳しいようだが、裏に込められた少しの優しさに、いつも救われているハルトだった。


「ね、ユウトはあんな失敗しないよね?」

「おう、もちろん」

「じゃ、次ユウト。はい、ほら、早く」

「おうおう」


 だが、すぐに愛果の興味は次に移り、ユウトをゴール前に立たせる。


「いくよ~?」

「オッケー」


 そして、愛果はコーナーからユウト目掛けてボールを蹴り込む。と、彼は軽々と、鮮やかにそのボールをゴールに叩き込む。


「お―――っ! ユウトすごいすご――――い! いえ~い!」


 見事なゴールが決まると、愛果はユウトの下に駆け寄り、彼を讃えるハイタッチ。


「じゃ、こうた~い! 次は私が決める!」

「当然、一発でだな?」

「あたぼうよっ!」


 さらに、二人はポジションチェンジ。今度はユウトがクロスを上げる。

 と、愛果はその球を見事にボレーで決め、二人はまたハイタッチを交わす。


「……四人でいる時に、急に二人の世界に入るのはいかがなものか」

「まったくだな」


 いつの間にか蚊帳の外に置かれてボヤく凛々奈とハルト。


 四人はまだまだ大人ではないが、もう子供でもない。いつしか、互いを異性として意識し始め、それぞれがそれぞれの関係性の中に、微妙な感情を介在させるようになってきていた。


 しかし、そんな中、悲劇は突然に訪れた。

 ある日、凛々奈が暴走してきた車に跳ねられ、意識を覚まさなくなってしまったのだ。

 親友であった三人が受けた衝撃は、相当なものであった。

 愛果とユウトは、互いを想う互いの心に蓋をした。凛々奈がユウトに想いを寄せていたことに、気付いていたからだ。彼女の気持ちを考えたら、自分達が交際を始めることなどできない、と。

 ハルトは二人のそんな振る舞いをもどかしく思っていたが、どうすることもできなかった。

 卒業し高校に入学しても、二人は距離を置き続けた。愛果は近所に住むユウトと会わないようにするために、寮にまで入った。と、ハルトも入寮し、そんな彼女を見守り続けた。

 そして、寮に入った者が、もう一人。凛々奈だ。彼女もまた、そんな愛果とユウトのことを心配し、生き霊となって病院を抜け出し、寮の一員であり愛果の友人、高瀬美鈴に取り憑き、近くから愛果のことを見守っていた。


 寮の友人達のおかげで、愛果は本来の明るさを取り戻していった。が、凛々奈のためにユウトとは付き合わないという、その一線は守り続けた。

 二人が意志を曲げないことを知って、凛々奈は動き、美鈴と涼に協力を求めた。自分の気持ちを伝えるために。


「そうして、今、涼ちゃんとすず、そして私、日向凛々奈は、この舞台に立っている」


 ここから、舞台は佳境へと入る。ここからは、凛々奈役の美鈴じゃなく、凛々奈自身の言葉で、観衆、そして愛果とユウトに訴えかける。

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