第17話 凛々奈の物語

 凛々奈は幽霊じゃない。生き霊だったのだ。

 その事実を知った涼と美鈴の胸に、驚愕、憐憫、安堵といった、複雑な感情が去来する。

 堪え切れず、美鈴は瞳を潤ませて駆け寄り、床上の凛々奈に抱き付いた。


「凛々奈……あなた、そんな顔をしていたのね。会えてよかった。ここでずっと、友達のことを案じ続けていたのね。凄いわ、あなたは。そんなあなたが、ここで眠り続けることなんてない。いくらでも私の所に居ていいんだからね」


 初めて見る、目を閉じて眠る凛々奈の姿は、思い描いていた快活な少女の面立ちとは違い、まるで深窓の令嬢。あるいは眠り姫のようであった。

 そんな彼女に、美鈴は涙ながらに、全身で慈しむような抱擁と、言葉を寄せた。それを、涼もまた感慨深く思い、思わず貰い泣きしそうになる。


〝ありがとう、すず〟


 そんな美鈴に、彼女の中に宿る凛々奈が返した言葉は、あえてその一言だけだった。実は凛々奈は、この先も美鈴のもとに居続けるつもりはなかった。迷惑になってしまうから。だから、これ以上言葉を付け足せば嘘になってしまう。それは、そんな優しさからだった。

 それを察した美鈴は、さらにひしと凛々奈にしがみ付いて泣いた。


 それからしばらくして、美鈴が少し落ち着いたところで、ハルトは改めて切り出した。


「ここで言うべきことじゃないかもしれないけど、オレは愛果とユウトが付き合えばいいと思ってる。昔から二人のことを見てきたオレにはわかる。二人は特別なんだ。仲が良いとか相性が良いとか、そんな言葉じゃ現し切れないくらいに。なのに、凛々奈がこうなった後、愛果とユウトは互いに会うのをやめた。凛々奈がユウトに想いを寄せていたからだ。そして、愛果は足しげくここに通った。高校に入ってからも、月に一度は必ずここに来ていた。俺がやめさせるまでな。そんなことしてたら、永遠に凛々奈への想いを吹っ切れないだろ。ユウトと付き合えないだろ。それなのにさ」


 ハルトが語る過去は、胸に迫るものがあった。愛果がそこまで愛情深い女性だったなんて。自分達は友人のことをどれだけ正しく理解できているのだろう、と二人は反省の念すら抱いた。

 そんな二人に、ハルトはなおも続けた。


「知らなかっただろ? 愛果ってのは、そういう女なんだ。だから…………オレは、そんな愛果のことを愛しているんだ」


 愛している。きっぱりとそう言い切ったハルトの顔が凛々しすぎて直視することができず、二人は思わず目を逸らした。

 知らなかった。ハルト、愛果、そして凛々奈。寮で最も明るかった三人が、そんな過酷な運命と戦っていたなんて。

 知らなかった。一見軽そうな身なりをしているハルトが、実る見込みのない想いを膨らませながら、それを隠し、愛果のことを支え続けていたなんて。

 衝撃を受ける涼と美鈴。しかし、感銘もまた受け、知ったからには、と二人は決意した。これからは、自分達も彼女達のために頑張らねば、と。

 明るい彼女達のおかげで、今まで楽しい日々を過ごせた。ここからは、自分達の出幕だ。結び付きが強すぎるあまりに、少々複雑に絡まり合いすぎてしまった彼女達幼馴染み四人組の絆の糸を、誰かがほどいてやらねばならない、と。


 それから、涼と美鈴は、クラスの面々にこれまでの経緯を説明し、凛々奈の物語をクラスの演目にしてくれないかと頼んだ。

 みな、快く了承してくれた。いや、中には渋る者もいたが、涼が根気強く説得し、最後には笑顔で納得させた。

 言い出しっぺの責任もあり、主演は涼と美鈴の二人。脚本も涼が担当することになった。

 涼は、ハルトと凛々奈に改めて愛果達の歴史について話してもらい、助言してもらいながらシナリオを書いていったのだが、なかなか上手くいかなかった。

 あまり考えたくないが、凛々奈はもう目覚めないかもしれないのだ。そうしてひっそりとこの世を去るのは、きっとイヤだろう。爪跡の一つも残したいと、彼女だって思っているだろう。

 ならばこの劇で、日向凛々奈という、とびきり素敵で可愛い女の子が、この世にいたのだ、ということを、みんなに知らしめなくてはならない。彼女を、眩いくらいに輝かせてあげなければならない。彼女達の人生を、素敵な物語として綴らなければならない。

 その重責が、涼の筆を鈍らせていた。


「やあやあ、頑張っているかね少年」


 そんな中のある日のこと、ノックもなしに、扉がいきなり開き、一人の少女が涼の部屋に入ってきた。


「凛々奈か」


 現れた姿は美鈴だったのだが、こういうことをするのは凛々奈なのだ。涼は一瞬で見抜いた。


「そのと~り。なぜわかるのだね? さてはエスパーだな、お主」


 まったく悪びれず、あっけらかんと笑う凛々奈。普段、美鈴が見せない表情なので違和感がとんでもない。一瞬ぞわっとする涼。


「で? なんの用だ? 今、遊びに付き合ってる余裕はないぞ?」

「え~そんな~涼ちゃんつまんな~い。じゃなくてね……」


 そして、また何やらちょけたことを言い始める凛々奈。


「私のためにそんなに一生懸命頑張ってくれてる涼ちゃん好き!」


 ――かと思いきや、不意打ちで突然、涼に駆け寄り抱き付く凛々奈。予想だにせぬ事態に頬を沸騰させ硬直する涼と、人の体を使ってなにをしてんのよー! と、体の奥で怒号を上げる美鈴。が、凛々奈は飄々と笑いながら、


「ふふふ、それだけ言いたくて。じゃ、お邪魔しました~」


 やりたいだけやって去っていった。

 置き去りにされた涼は、オーバーヒートで固まったまま、何がやりたかったんだよ! と今の凛々奈の行動に憤まんを募らすが、しかし一呼吸置き頭を冷やすと、彼女なりに願いを聞いてくれたことへの感謝の気持ちを表現したかったのかな、と、しんみりと彼女の心情を推測していた。


 書こう。


 そうして、涼は決意を新たにした。

 翌日、涼は劇の脚本を書き上げた。


 それからは、その脚本を元に、クラスのみんなで劇の練習に励んだ。繰り返しやっていく内に、少しずつ形になっていった。


 そして、時は流れ、いよいよ文化祭当日。劇に向けて緊張感こそ高まっていたものの、前日にリハーサルは済み、劇の上演は午後。涼や美鈴を始め、生徒達はいつも通りの時刻に登校しており、まだまだ時間には余裕があった。


「涼ちゃん、一緒に文化祭回ろ――――っ!」


 さて、それまでの時間どう過ごすか、となった段で、突然、涼の腕にしがみ付き、そうせがんでくる者が。美鈴、いや、凛々奈であった。

 突然のボディータッチに、口から心臓が飛び出しそうになり硬直する涼。


〝ちょ、ちょっと! だから人の体でいきなり抱き付いたりしないでよ!〟


 それに美鈴がおかんむりになる中、涼はしどろもどろに、なんとかそのお誘いに答える。


「え、え~と……その、ボクとしてはですね、やっぱりすず――」

「え~、だって、すずとは海デートに行ったじゃ~ん。すずばっかりずるい~。私も涼ちゃんとデートしたい~」


 甘えた声で駄々をこねる凛々奈にドギマギし、返事に窮する涼。


「それに、すずにはオッケーもらってるんだよ? だから大丈夫! 行こう!」

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