第11話 体育祭②

  美鈴の出番は、すぐに訪れる。彼女は大舞台の中でも相変らず、気を乱さずに健脚を発揮してみせる。

 今日一番の歓声が、辺りに轟く。それは来賓席まで波状に伝播し、山彦を起こす。さながら麒麟が巻き起こした嵐のようであった。

 それをあおいは、傍観者、という立場で耳目にしていた。

 一応、応援という形でクラスの生徒達の集団の中に交じり、観客席よりはいくらか間近で、といった立ち位置で、ただ傍観していた。


 なんだこれは……。


 あおいは彼我の差に、ただただ呆然としていた。

 立ち尽くすあおいを置き去りにして、リレーは続いていく。

 勝負は終盤、美鈴の二度目の出番が近付いてきた。その時、そばにいたクラスメイト達が、はしゃぎながら口にした言葉が、とどめとなった。


「やった! またすずの番だ! これで追い抜ける!」

「よーし! 正直、すずが二回走れることになってよかったよね」

「ねっ!」


 それを耳にした瞬間、あおいの全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。


 こんなことがあっていいのか……


 あおいは、内心で呟いた。

 ショックだった。しかし、次にふつふつと湧き上がってきたのは、途方もない反骨心だった。


 たしかに、すずは凄いし、カッコイイよ。

 だけど、私は負けない。負けてなるものか。


 その瞬間、あおいの中で何かが弾け、そして、弾かれたように走り出していた。バトンを受けようと待機していた、美鈴の下へ。


「すず! どいて! 私が走る!」


 走りながら、あおいは美鈴に向かって声を張り上げた。

 その言葉を聞き振り向いた美鈴は、「はぁ!?」と驚愕し、思わず硬直する。

 あおいは、そんな美鈴を押しのけると、コースを走ってくるクラスの女子からバトンを受け取り、走り出す。


「速い!」


 突然の走者交代劇に面食らっていた生徒達だったが、走り出したあおいのスピードに、今度は別の意味で驚き、声を上げる。

 義足をきしませながら、あおいは疾駆した。彼女の義足は競技用のものなどではない。にもかかわらず、その速度は、美鈴にも決して劣らなかった。その光景は、まさか、と見る者の度肝を抜いた。しかし――


「あっ!?」


 所詮は学校の校庭。完璧に整備されてなどいない。地面の僅かな窪みに義足をとられ、あおいは勢いを付けて前のめりに転倒――


「秋二!」


 しそうになったところを、前方から駆け付けた秋二が、その体を受け止めた。



「あおい!? マジかよあいつ!」


 あおいが走り出す少し前のこと、アンカーとして美鈴からバトンを受け取るべく待機していた秋二は、走者交代というまさかの事態に全身を粟立てていた。

 見ていられなかった。そして、居ても立ってもいられず、彼女を迎えに行くべく走り出していたのだ。



「走るぞあおい!」

「うん!」


 あおいの両脇を抱えた秋二は、彼女を助け起こすと同時にそう促し、二人は共に走り出す。秋二は、すぐにまた支えられるように、あおいと併走する。


「あおい、頑張れ!」

「行け! あおい!」


 さらに、仲間達があおいのことを心配し、そこに駆け付ける。

 愛果が、ハルトが、そして涼と美鈴が、あおいの背後を囲むようにして、彼女を守る。


「うおおおおおお―――――――!」


 仲間の支えに胸打たれたあおいは奮起し、滲んだ視界の中、激走。

 二位でバトンを受けた彼女は、前を行く走者を猛追。距離を縮めて、縮めて……追い付――こうかというところで、楕円形のコースを半周。担当距離を走り終えてしまう。

 そこで、併走していた秋二が一歩前に出て振り向き、あおいに向かって手を伸ばす。


「秋二!」

「おう!」


 あおいは、アンカーの秋二へとバトンを託した。バトンを受けた秋二は、歯を食い縛り走りながら、決意していた。


 あおいが頑張って走って繋いだバトンを受け取ったんだ。俺は絶対に勝つ!

 

 全身に渾身の力を、気合を込め、秋二は走った。少しずつ、少しずつ、前を行くアンカーの走者との差を縮めていった。


 いったい何メートル余分に走ってんだよ俺! でも、それでも、この一走だけは、死んでも俺は勝つ!


 あおいの心情を察していた秋二は、彼女のためにと、裂帛の気を吐き、疲弊を押して走った。勝負は、最後の直線に入る。


「いけ――っ! 頑張れ秋二――――っ!」


 あおいは、そんな秋二に向かって、力の限り声を張り上げた。その声援に背を押されながら、秋二はゴールラインを駆け抜けた。


 胸で、テープを切りながら。


「やった――っ! 秋二―――――――っ!」


 それを見たあおいは歓喜し、体一つの差で最後に差し切った秋二の下に駆け出す。

 駆け寄った彼女は、弾けるような笑みで、彼に抱き付いた。

 そこまでの未来を予測していなかった秋二は、何が起きているのかわからず、思わず硬直する。目を白黒させて。


 燦燦と降り注ぐ陽光が、新緑の若葉のような二人の姿を眩しく照らし出し、熱い風を薫らせた。

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