通じ合う想い

 馬車に乗せられるまで気を確かに持つためギュッと縮こまり、座席に降ろされてほっとしたのも束の間、続いて乗り込んだカーライル様の膝の上に乗せられた。

 馬車の天井が高いおかげで頭を打つ心配はないけど、これはさすがにおかしい。

「え、ちょ、なんでこの位置なんです!?」

「雑木林は悪路だから、俺が支えている方が安全だ。揺れると体に負担がかかるし、頭をぶつけるかもしれない」

 しれっと言い放つカーライル様だが、こちらと目を合わさないところが怪しい。

 ジットリと睨んでも無視され、そうこうしているうちに馬車が動き出し、スピードが上がるたびにガタガタ車体が揺れるので、必然的にカーライル様にしがみつく形になる。

「ほらな、言った通りだろう?」

 手を肩に軽く添えているだけなのにしっかり私をホールドしているカーライル様は、いたずらっぽく笑った。レア度高そうな表情に一瞬見とれ……でも、簡単にほだされるのも癪なので、体を預けたままそっぽを向いた。

 抗議をしないのは揺れのせいで舌を噛みそうだから、ではなく、この腕の中にいるとどうしようもなく幸せだからだ。暴れ出したいほど恥ずかしいのに、何故か同じくらい安心して依存したくなる。

 それに、密着した部分から聞こえる早鐘とか、少し汗ばんでいる手とか、平静を装った見た目よりもずっと緊張しているのが感じられ、失礼ながら可愛いと思ってしまった。

 ――私は、この人が好き。

 いつどこで恋が芽生えたのか分からない。

 恋は落ちるもの、という使い古された文句は実に言い得て妙だ。

 カーライル様と会うたびに、恋のときめきよりもザマァに怯える動悸に振り回されっぱなしだった。でも、それだけずっと彼のことを意識していたということであり、知らないうちに恋に変わったとしても不思議はない。

 ああ、そうだ。そういえば、あの返事がまだだった。

「あの、わた――っ!」

 思い立ったが吉日、と口を開いたが、車輪が大きな石に乗り上げたのか車内が大きく揺れ、勢いよく舌を噛んだ。

 神よ、どうして私が告白しようとすると、こうタイミングよく何かが起こるのでしょう? 前世でこれといった悪行はしていないですよ? まあ、前世の子供時代、よく唐揚げをつまみ食いしてお母さんに怒られましたが、まさかそれですか?

「大丈夫か?」

 コクコクとうなずくが、痛みよりも自分の間抜けっぷりに涙がにじむ。

 泣くほど痛かったのかと心配してくれているのか、頭を撫でてくれる。

 その心地よさに「まあいいか」と流されそうになるが、私の性格上、決めたことをズルズル引き延ばせば延ばすほど実行できなくなる傾向にあり、ここでスッパリ言ってしまわないと次がない気がする。

 二度とヘマはしまいと誓い、揺れに細心の注意を払って口を開いた。

「……私、あなたのことが好きで――んっ」

 最後まで言葉を紡ぐことなくカーライル様に唇を奪われ、それに驚く間もなくガタンと衝撃がきて再び揺れる。

 舌を噛まないようにという処置だったのかもしれないが、だからってなんでキスなんだ! お姫様抱っこより入念な心の準備が必要だというのに!

 羞恥と怒りでプルプル震えながらカーライル様を睨むが、切なさと色気の混じり合った表情に破壊力がありすぎて、言おうとした文句が片っ端から崩壊していく。これが惚れた弱みというものだろうか。

「プリエラ……」

 惚けた瞳で見つめられ、そろりと下唇をなぞられる。

 なんだか屈したら負けな気がしたが、官能的なキスの催促に抗い切れず、まぶたを下ろして恭順を示すと、再び唇を塞がれた。何度も角度を変えて重ねられ、その合間にうわ言のようにプリエラと繰り返しささやかれる。

 いつの間にか“ホワイトリー嬢”ではなく“プリエラ”と呼ばれているのはいいとして……ファーストキスからの流れで、舌を入れてくるというのはどういう了見だ!?

 さっき噛んじゃったところを慰められているだけならともかく、なんかこう、このまま情事に突入しそうな感じの深さなんですが! 初心者に何してくれてるんだ! てか、ヘタレ紳士って真っ赤な嘘じゃないですか、ニコルさん!

 ああもう、いろいろいっぱいいっぱいだし、息継ぎをどこでしていいやら分からないし、目の前がグルグルして――あ、これ、さっきと同じパターンだ。

「きゅう……」

「プリエラ!?」

 焦ったカーライル様の叫びを最後に、私はあっけなく意識を手放した。


 その後、私が目を覚ましたのは翌日の昼過ぎ。

 キャパオーバーだけでなく、事件に巻き込まれた疲労もあって、ほぼ丸々一日眠り続けていたようだ。

 その後も数日はまともに動くこともできないくらい体がだるく、食事すら侍女の手を借りないとできないほど不自由だった。その間やったことといえば、聴取のため訪問してくるニコルさんの相手くらいで、あとは睡魔に襲われるまま眠りに就いた。

 カーライル様の言う通り、自覚はなくても体は悲鳴を上げていたらしい。

 ちなみに、カーライル様とはあれ以来会っていない。

 彼は人事不省の私を送り届けた際、父にちゃっかり婚約を打診し、あれよこれよという間に話はまとめて帰ったそうだ。正式な手続きはまだだが、私が床に臥せっている間に招かれた夜会で、浮かれた父が散々に言いふらしていたようだから、よっぽどのことがない限り破談にはならないだろう。

 それならそれで、お見舞いに来てくれればいいものをと思うのだが、先日の暴走を反省している……というか、自制できない可能性を懸念し、しばらく頭を冷やすと言っているらしい。

 代わりに、毎日花が送られて来る。リーゼの祝日に間に合わなかった負い目なのか、毎回赤い花だ。私はほとんど寝ていたのでじっくり鑑賞できなかったが、いい香りのおかげか夢見はずっと良かった気がする。


 それからしばらく経ち、睡魔から解放されベッドから抜け出すことができた。

 全快とはいわないが、安静にする必要はないと医者からもお墨付きをもらった。

 鈍った体を動かしがてら、メアリーに付き合ってもらって庭に花の苗を植えながら、頭の片隅でクラリッサのことを想う。

 ニコルさんの話では、彼女は著しい心神耗弱にあり、まともな会話ができないばかりか、ひどいときには錯乱状態に陥ることもあるとか。

 閣下はそんな娘を廃嫡にせず献身的に支え、精神科の医者を片っ端から呼んでは診てもらっているそうだが、回復の見込みは立たないばかりか壊れていく一方らしい。彼女の処遇は閣下の決めることだが、いずれ隔離の意味も込めて離島の修道院へと送られるのでは、というのがニコルさんは見解だ。

 娘を溺愛しているという噂は本当なんだな、と思う一方で、家族愛と男の下半身は別物なんだなという認識も新たにした。

 とまあ、クラリッサがそんな状態のおかげで、事情聴取はおろか査問にかけることもできず、あの一連の事件はうやむやのまま終わるだろう。セシリア様も襲われたことを公にはせず、公爵閣下に慰謝料を支払わせることで内々に処理したという。

 器物破損や傷害など被害は多発したが、王都警備隊の速やかな対応で事態は瞬く間に収束し、人命も失われなかったらしいから、そのうちに「そんなこともあったっけ」というような事件へ風化していくだろう。

 そういえば、クラリッサはループ説を頑なに信じていたようだが、もし彼女が過去へ戻ってやり直してカーライル様と結ばれたら、私はどうなるんだろう?

 異なる時間軸が生まれるのか、それとも現在が上書きされるのか。

 ただあの様子では、何度やり直したところで成功しない気はするけど……時を越えてザマァされるのだけは勘弁してほしい。

「……苗が埋まっている」

「え? あ、ごめんなさい」

 肩を揺さぶられ、目の前に土の山がこんもりと盛り上がっているのに気づいた。考え事に没頭していたせいで注意力散漫になっていたのだろう。

 慌てて掘り起こして緑の葉っぱを出し――ふと、さっき聞こえた声がメアリーのものではない気がして顔を上げると、すぐ横に軍服姿のカーライル様がいた。

「へ? ふわっ!?」

 あの事件からもう十日以上経っているのに、あの濃厚なキスの感触を思い出すと落ち着かなくなり、後ずさって距離を取ってしまう。

「……あ、あのことはちゃんと反省しているから、そう露骨に避けらないでくれ。頼む。式を挙げるまでは自重する。約束するから、その、もう少し近く来てくれ」

 式以降は自重しないのか、と突っ込みたいが、飼い主に叱られてしょぼくれた犬みたいなオーラが漂っており、可哀想かつ可愛いのでほだされてあげることにした。こうして直接会えたのは嬉しいのは事実だ。

 しかし、普段着で庭いじりしてる格好で再会するとは思わなかった。来るなら来るって前もって言ってくれ、と心の中で悪態をつきながら、「着替えてきます」と踵を返そうとしたが止められた。

「いや、少し話したいことがあって、巡回の途中で寄っただけだ」

「お話、ですか?」

「ニコルが仕入れてきた情報なんだが、何故かクラリッサ・マクレインがお膳立てしたカップルが、水面下で次々と仲違いしているらしい。そのうち婚約破棄ラッシュがくるとあいつは予想している」

「え、ということは殿下とセシリア様は……」

「あの二人は大丈夫だ。愛情も信頼も深いが、それよりこう、武人として互いに尊敬し合っている節がある。フロリアンもああ見えてかなり剣を嗜むし、モーリス嬢は異民族も恐れる女将軍だ。似たもの夫婦というわけだな」

 ロイヤルカップルは、意外と体育会系カップルだったらしい。いつか二人の馴れ初めを聞いてみたいものだ。

「……話を戻すが、中には純潔を失ったとか身ごもったとかいう令嬢もいるようで、そちらはかなり泥沼の争いになるだろうな」

「う、うわぁ……」

 クラリッサはカーライル様の出現条件を整えるために、邪眼を使って魅了した相手を操りカップルを作った、といった。ということは、なんらかの理由で魅了の効果が切れ、令息令嬢が我に返った時、好きでもなければ利益もない相手と婚約が決まっていたとしたら……想像を絶するパニックだろう。

 しかも、貴族令嬢にとって婚約破棄は大きな瑕疵だ。それに処女喪失や妊娠が加われば、二度とまともな結婚はできないと言われているし、実家でも腫れもの扱いされて修道院送り、なんてことにもなりかねない。

 チートに頼って好き勝手やった結果、愛する人に拒絶され、無関係の人を巻き込んで、暴走して人格崩壊して、その上社交界をしっちゃかめっちゃかにしたクラリッサは、一周回って本物の悪役令嬢になってしまったようだ。

 でも、私も決してまともなヒロインだったとは言えないだろう。

 クラリッサの言う通り、彼女のお膳立てを横から掻っ攫っていったようなもので、正規の恋の道筋を辿ったわけではない。それでも、あんな人にカーライル様を奪われなくてよかったと思ってしまう私は、きっとヒロイン失格だ。

 結局、私たちは正しい意味での“ヒロイン”にはなれなかった。

 現実はライトノベルのようにはいかないものだな、とつくづく思う。

「プリエラ?」

「あ、すみません。皆さん大変だなと思って。ところで、どうしてそのような話を? カーライル様がゴシップ好きとは思えませんけど」

 考え事をごまかし、質問を投げる。

「婚約破棄がそこかしこで起これば、新しい相手を探す奴らで社交界が溢れかえる。令嬢は大っぴらに相手を探せないだろうから俺はともかく、なんの瑕疵もない適齢期のプリエラは令息共の餌食になる」

 そ、それってまさかの逆ハーレム!

 乙女ゲームのエンディングとしてはアリでも、実現させたくはないな。しかも、攻略対象だけじゃなく、有象無象もわんさかいるようでは心が休まらない。いや、今の私にはカーライル様がいるので、まったく興味はないけど。

「まあ、そういうわけで、できるだけ早く籍を入れてしまいたいのだが……」

「なんなら今すぐ結婚同意書にサインしますが?」

「い、いや、そこまで急がなくていい。というか、式は飛ばさないでくれ。プリエラのウエディングドレス姿を楽しみにして……いるだろう、お父上は。費用は俺が持つから、好きなドレスを買ってくれ」

 妙な間があったが、それはカーライル様の願望と捉えていいのだろうか?

 結婚式とか面倒なだけだし、ウエディングドレスにも特別な思い入れはないが、好きな人が着てほしいというならやぶさかではない。自腹じゃないというのも嬉しい。無駄遣いはしないけどね。

「分かりました。父にはそう伝えておきます」

「快諾してくれて助かった。細かな打ち合わせは後日に。では、そろそろ戻らないといけないが……」

 チラッと、どこか期待の含んだ視線で私を見下ろすカーライル様。

 こ、この人、自重すると言った端から……!

 無視して送り出そうかと思ったが、いたいけない子犬みたいな目で見つめられては、断るに断れない。

「……自重するなら、どうぞ」

 そう言って目を閉じると、唇が触れ合うだけのキスが落ちてきて、すっと体が離れた。

 確かに自重はしてくれたけど……物足りないと感じる自分を殴りたい。前回のは異常で、今回のが正常なのだ。流されてはいけないのだ、こういうのは。自分で言っててよく分からないけど。

 私の葛藤を見透かしたみたいに意地悪くカーライル様を見送り、悶々とした気持ちを抱えながら残りの苗を植えた。

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