新たな門出(カーライル編)
クラリッサ・マクレインが心を病み、表の世界から姿を消した。
その当初こそ、彼女の信者と目されていた者たちはこぞってマクレイン邸へと押しかけたり、彼女の悪評に対し真っ向から反論したりしていたが、日が経つごとにまるで悪い夢から覚めたような顔になり、潮が引くように彼女から心身ともに離れていった。
彼女がどのような手を使って信者を生み出し、いいように操っていたのかは未だに不明なのは気になるが……薬物等を使用した形跡はなく、みんな一様に生活にも支障はないようなので、人心掌握の術に長けていただけだろう。
疑問の残る結末ではあるが、今の俺にとっては些末なことだ。
なにしろ、今日は俺とプリエラの結婚式だ。
これで自重期間が終わるという解放感もあるが、楽しみにしていたプリエラのウエディングドレス姿を拝めるとあって、何日も前から落ち着かなかった。
指輪は一緒に見に行ったが、ドレスを選ぶ時は、店にも行く時も試着して調整してもらう時も、「自重の一環としておあずけ」と言われ、絶対に俺を立ち入らせなかったのだ。
だが、その間ずっと鬱屈したまま過ごしてきたわけではない。
ニコルの見立て通り、社交界では婚約破棄の嵐が吹き荒れ、結婚相手の争奪戦が繰り広げられた。
婚約が正式に決まってもなお、俺たちの元には配偶者探しのために開かれる夜会の誘いが次々と舞い込み辟易したが……ギラギラしながら獲物を探す単身者たちの前で、プリエラを守るという目的で触れ合ったり踊ったりできたので、いいガス抜きにはなった。
「……隊長、顔面崩壊してて気持ち悪いです。そんな顔、お嫁さんに見せたらドン引きされますよ。ちゃんと元に戻してください」
挙式会場である教会の、新婦の控室に通じる小部屋にて。
先に正装に着替え終わった俺に付き添っていたニコルが、不機嫌を隠さない渋面を作る。
参列者席に戻っていろと言ったのだが、「俺がいないと隊長の暴走を止める奴いないでしょ」と言って無理矢理居座っているのだ。
「うるさい。顔が壊れるわけがない」
「壊れてますって。俺の方が男前に見えるくらい、デレッデレに崩壊してますよ。いいから直してください」
直せと言われても、ここには鏡がないし、何がどう崩壊しているのかさっぱり分からない。しかし、ニコルが嘘を言っているようには見えないし、プリエラに嫌われるのは困る。浮かれている自覚はあるし、ひとまず深呼吸してみるかと思い立ち、幾度か繰り返していると、控室の方からノック音が聞こえた。
プリエラの着付けをしていたホワイトリー家の侍女がゾロゾロと出てきて、「お嬢様の支度が整いました」と恭しく頭を下げて退出する。
いよいよだ、と緊張しながら戸口を見守ることしばし。
純白の衣装をまとった美しい花嫁が現れた。
一見飾り気のないシンプルなドレスだが、銀糸で施された繊細な刺繍が光を反射して幻想的な雰囲気を醸し出す一方で、大きく開いた胸元とくびれを強調するようなタイトな腰のラインから煽情的な色気を感じる。
一瞬理性の箍が外れるほどの衝撃を受けたが、ニコルの存在を思い出してグッと心を強く持つ。あと半日我慢すれば自重しなくていいのだから、ここは耐えるところだ。
「……カーライル様?」
プリエラの不安そうな声で我に返る。
ああ、しまった。美しい姿に見惚れてしまった上に邪な感情に襲われ、意識があらぬ方向に飛んでいた。女性はとにかく褒めるのものだとモーリス嬢から指南を受け、いろいろな言い回しを教わったが、あまりの衝撃で全部抜け落ち「とても、きれいだ」としか言えなかった。
なんと間抜けなのか、と穴があったら入りたい気持ちになったが、プリエラはその一言だけでほっとした様子になり、白いベールの向こう側で恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとう、ございます。カーライル様も……うまく言葉にできないけど、とても素敵です」
普段よりも何倍も丁寧に化粧が施された顔は、はっきり見えなくても破壊力のある可愛さで、衝動的に抱きしめたくなるのを必死にこらえ、視線をわずかに下に向ける。
髪は丁寧に結い上げられ、品よく垂らされた後れ毛がかかる白くて細い首には、指輪と共に購入したアクアマリンのぶら下がるレースのチョーカーが巻かれていた。
アクアマリンは“幸せな結婚”を象徴する石であり、花嫁が身に着けることが多いが、特に俺の瞳の色に近いものをプリエラが選んだものだ。彼女の目には俺がこの透明な宝石のように映っているのかと思うと、光栄なようで気恥しい。
そういえば……あの拉致監禁事件で、いくつも小さな傷をつけられていたが、すっかり治ったようで安心した。跡が残ったとしても彼女への愛情が変わるわけではないが、それを見るたびあの女のことを思い出してしまうのは腹立たしい。
もしかしたら、治りかけの傷を見られたくなかったから、俺に思い出させたくないから、試着にも呼ばなかったのだろうか。
などと考えている俺の袖口を、プリエラが小さく引っ張る。いつの間にかニコルもいなくなっているし、急がないと来賓の面々を待たせることになりそうだ。
「では、行くか」
「……はい」
レースのロンググローブのはめられた腕を取り、控室をあとにした。
分厚い両開きの扉が開かれ、七色のステンドグラスが輝く礼拝堂への道が開かれる。参列者の拍手に祝福され、聖壇へと続く赤絨毯を一歩一歩踏みしめ歩く。
新郎側の席で真っ先に目につくのは、ジード家の養父。将軍職にいる彼は俺よりも体格がよく、四角く厳つい顔にひげを伸ばしているので、子供なら思わず泣き出すような威圧感がある。
しかし、怖いのは見かけだけで中身は好々爺のように優しい。仕事が忙しくあまり家にはいなかったが、厄介者の俺をいつも気にかけてくれたし、実利のまるでないプリエラとの結婚を渋るジード家の中で、真っ先に祝福し応援してくれた人でもある。
その他にはニコルなど非番の隊員数名、そしてフロリアン。兄の門出を祝うという名目で公務を放り出す、悪知恵の働く弟だ。
彼の婚約者であるモーリス嬢も参列しているが「私はプリエラ様の友人として参列しますので」と宣言したので、こちらにはいない。あの時、平静を装っていたフロリアンの顔に嫉妬が走ったのを、俺は見逃さなかった。
そのモーリス嬢がいる新婦側の席は、ホワイトリー子爵夫妻と年の離れた弟、それから以前勤めていた商家の主人とその妻が特別に招かれていた。
子爵夫人はおっとりがすぎる性格で、貴族らしからぬ無邪気な性格の子爵と組み合わせると、どこまでもペースを乱される。海千山千の古狸とは別次元で厄介だ。対する弟は両親を反面教師にしているのか、しっかり者の姉のおかげか、幼いのに利発で現実主義な考え方の持ち主で、いずれ立派な当主になるだろう。
かの商家の夫妻は、ずっと平民だと思っていた元メイドが貴族令嬢で、しかも末端とはいえ王族に嫁いだという事実に度肝を抜かれながらも、実の娘のように結婚を喜んでくれたそうだ。
そんな温かな人々の見守る中、たどり着いた聖壇の前で愛を誓い、結婚同意書にサインをし、指輪を交換し、ベールを上げてキスをする。
割れるような拍手と花びらの雨が降る中、行きと同じように連れ添って歩いて礼拝堂を出て、外で待機していた馬車に乗り込む。
これから場所を変えて祝宴が行われる。結婚するにあたり購入した新居だ。貴族街の外れにある小さな屋敷で、それほど規模は大きくないが、あれくらいの人数で宴会ができるくらいの広さはあるし、臨時で使用人も雇ってある。
「ふぁぁ……」
扉が閉まり、馬車が走り出したところで、プリエラは力の抜けたため息をついた。
「お疲れ様、と言いたいところだが、まだ折り返しにもきていないぞ」
「わ、分かってます……でもこのドレス、見た目よりずっと重いしコルセットきついし、早く脱ぎたいです……」
脱ぐ、と聞いてあらぬ妄想をしてしまった己を戒めつつ、彼女の被っていたベールを取って前の座席に投げ、子供をあやすように髪を撫でながら自分の方に引き寄せる。
至近距離で見つめ合い、紅の引かれた下唇をなぞると、頬を赤らめながらも黙って目を閉じた。
俺たちの間では、この仕草がキスを請うものとなっている。未だ彼女がしてくれたことはないが、これからずっと共にいるのだから気長に待つことにして、今は許しをもらった唇をいただくことにした。
艶を出すため塗られたハチミツの味か、いつもよりも甘い。
そのせいか触れるだけでやめようと思ったキスがどんどん深くなり、彼女の口内に割って入って舌を絡ませた。びっくりして離れようとするプリエラの肩を抱いて固定し、前回のように気絶されたら困るのでゆっくりと、だがじっくりと味わい尽くす。
「ん、ちょ……」
「もう少し」
息継ぎの合間に離れようとするが、それを制して唇を重ね直し、そろそろ自制が効かなくなると判断したところで止めた。
「はぁ……ん、もう、ちょっとは加減して、はぁ……」
「自重は式が終わるまでの約束だったからな」
荒い息をつきながら文句を言うプリエラに、整合性のあるようなないような言い訳をしながら頭を撫で、爆弾発言を落とす。
「それに、いつもキスのあと、物足りない顔をしているだろう?」
耳まで赤く染まった顔に、やっぱり図星だったかと内心ほくそ笑む。
婚約期間という名の自重期間中、プリエラは節度を保った触れ合いにほっとしつつも、どこか満たされない顔をしていた。初めから飛ばし過ぎたことを反省はしたが、彼女も俺を深く求めているのだと気づいて安心した。
しかし、自重する約束を反故するわけにもいかない……というのは建前で、不満気味なプリエラの顔が可愛くて仕方なかっただけだったりする。
好きな子をいじめたくなる心境は長年謎だったが、この時初めて理解に至った。笑顔も可愛いが、不機嫌な顔もまた可愛い。そういう屈折した男心の現れらしい。
なので、ふくれっ面で睨まれてもひたすら可愛いだけなんだが、と思いながら、湧き上がる嗜虐心に押されてもう一度唇を重ねようとしたが、馬車のスピードが落ちてきたので渋々体を離した。
馬車が停まり、新居の前に降り立つ。
プリエラを横抱きにして。
ドレスの長いトレーンが汚れないように、というのは建前で、さっきの深いキスで足腰が不安定らしい彼女を運ぶのが目的だ。運ぶ先が着替えるための衣裳部屋であって、夫婦の寝室ではないところが不満だが。
「……続きは、今夜」
外の空気を吸い、安堵した吐息をつくプリエラの耳元でささやくと、全力でそっぽを向かれた。それもまた可愛いが、これ以上やると本当に機嫌を損ねそうだ。初夜から別のベッドで眠るなど、どんな拷問よりひどい仕打ちである。
おとなしく紳士の皮を被り直し、祝宴の支度が整っているだろう新居の門をくぐった。
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