断罪される悪役令嬢

「カーライル様!」

 叫んだのは私ではなくクラリッサ。園芸バサミを放り出し、瞬時にお嬢様令嬢の皮を被り直して、涙を流しながら彼に縋り付こうとしたが……無表情で足払いをかけられて転がされ、埃だらけの床に倒れ伏した。

 助かった、と思ったのも束の間。

 今の私の絵面が相当ヤバい。完全にポロリしてないから十五禁で済んでると思うけど、そこにクラリッサしかいなかったとしても、“何かあった”と誤解されてもおかしくない状態だ。

 しかし、両手が塞がっているので自分の醜態を隠す術はなく、カーライル様は私の姿を目の当たりにして硬直した。逆光の中でも耳まで真っ赤になった顔が見えた。

は、恥ずかしすぎる! 

 でもここは、貧乳でも自信を持っていいってポジティブに考えるべき!?

 などとやけくそ気味な思考を巡らせている間に、我に返ったらしいカーライル様は、もたつきながら上着を脱いで肩にかけ、私の露出部分を覆った。

続いてポケットから折り畳みナイフ出し、手足を縛っていたロープを手際よく切断して自由にしてくれた。

「す、すまない……その、み、見たことは見たが、怪我をしているようだったから心配で……だ、大丈夫か? 他に痛むところはないか?」

「はい……大丈夫、です。ありがとうございます……」

 まだ赤みの残る顔で覗き込まれ、激しい動悸に襲われた。

でも、全然嫌な感じはなく、心臓が脈打つたびにじわじわと幸福感が広がる。これが恋の魔力とかいうものだろうか。

「と、ところで、その、一体どうやってここに? ここはどこです?」

 場違いな甘い空気に酔いそうになるが、冷静になるべく質問を飛ばす。

「貴族街の裏にある緑地公園の中にある雑木林、その一番奥の管理小屋だ」

「雑木林って、ウサギとかキツネとかの狩猟大会の会場になるところですよね?」

「ああ。それ以外の時期は鳥獣の保護のため、立ち入り禁止にされているはずだが……まあ、門扉等で施錠されているわけではないから、入ろうと思えば誰でも入れるな」

 緑地公園という予想は当たっていたが、まさかそんな奥の方まで連れられていたとは。林の中は全然舗装されていないし、相当な悪路を走っていたということになる。どうりで体のあちこちが痛いわけだ。

「カーライル様、その毒婦に騙されてはいけませんわ!」

 転倒の衝撃から立ち直ったらしいクラリッサが、鋭く叫んだ。

 彼女は乙女座りで床に崩れたまま、ポロポロと涙をこぼしながら必死に訴えかける。

「誘拐も監禁も、すべてこの女が仕組んだ自作自演です! 外にいた男たちを誑かして利用し、わたくしが屋敷で休んでいたところにいきなり押しかけて拉致し……さも自分が被害者であるように工作する芝居を打てと脅したのです! そしてすべてわたくしの罪として告発し、わたくしとカーライル様を引き裂こうと――」

「引き裂くも何も、俺とお前はとっくに縁が切れているはずだ」

 クラリッサを拒絶したという意思表示なのか、これまでは敬意を払っていた呼び名も“お前”になり、口調もずっと冷たいものに変わっていた。

「だいたい、彼女はここに連れてこられるまで、モーリス邸に滞在していた。しかも、帰宅するプリエラを送るため、モーリス嬢が自ら馬車に同乗しており、彼女も御者も、目の前でプリエラが攫われる現場を目撃している」

「え……?」

 クラリッサが目を見開き、愕然としたつぶやきを発した。

 もしかして、私がセシリア様のお誘いを受けたことを知らなかった?

 いや、公爵家の情報網があれば、その程度のことを調べ損ねたなんてことはない。おそらく、セシリア様が同乗していたことが予想外だった、ということか。

「そっ……それこそ、その女の狡猾な企みですわ! 未来の王太子妃たるセシリアさんまで巻き込んで、なんと恥知らずで不敬な女なのでしょう! カーライル様、いい加減目を覚ましてください!」

「目を覚ますのはそちだだろう? 妄想話はもう懲り懲りだ」

「妄想だなんて、失礼しちゃいますわ。愛するカーライル様の戯言なら許して差し上げますが、そのためには、その女に抱く穢れた妄執を取り払わないと。カーライル様が愛するのはわたくしだけ……そうでしょう?」

 フラフラと立ち上がり、恍惚とした表情を浮かべてにじりよりながら、光る邪眼でカーライル様を見つめるクラリッサ。洗脳されかけたあのおぞましい感覚がよみがえり、注意を引くためとっさにカーライル様の腕を掴んだ。

 彼の視線がクラリッサから私に向くと、小さく舌打ちの音がした。

「……その汚い手を放しなさい、プリエラ・ホワイトリー。その方はあなた風情が触れていい存在ではないのですよ」

「汚いのはそちらだろう。一連の事件……貴族街周辺で起きていた複数の騒動は、お前が首謀者だという調べがついている。主犯と思われる男女十五名が、お前に指示されたやったことだとそろって証言した。王都警備隊の注意をそちらに引きつけ、プリエラの拉致をスムーズに行うためだったのだろう?」

 え……何それ。私をこうするって、前々から計画してたってこと?

 もしモーリス邸に行かず家にいたら、メアリーたちが傷つけられたかもしれないし、みんな仕事に忙しくて私が拉致されたことに気づかなかった可能性もある。

 私は暇さえあればしょっちゅう出歩いていたし、屋敷にいなくてもさほど気に留めないから、日が暮れてようやく私の不在を知るところとなっただろう。仮に誰かの前で攫われたとしても、王都警備隊の詰め所は空だったら、あるいは残っている隊員がクラリッサに魅了されていたとしたら、きっと助けは望めなかった。

 いずれにしても詰んでた。

 想像するだけでゾクリと悪寒が走る。

「い、一体なんの話ですの?」

「軍が所有する自白剤を使って得られた証言であり、俺以外の隊員が聴取をした結果だ。あくまで教練用に調整されているものとはいえ、訓練されていない人間が嘘を突き通すのは困難だ」

 一般人に自白剤飲ますとか物騒すぎませんか、カーライル様。

 ていうか、邪眼は自白剤で無効化できるのか……ありがたみがないチートだな。

「それに、一人二人ではなく全員から同じ証言が得られている。それだけでお前を糾弾する材料になるが、“指示書”をもらったという者の証言もあるから、物的な証拠もいずれ出てくるだろう。お前の筆跡でなくとも、代筆した人物を探し出し、お前に脅迫されたかどうかを確かめれば終わりだ。おとなしく罪を認めたらどうだ?」

 なんだかカーライル様が軍人じゃなく名探偵に見えてきた。推理要素はなかったはずなんですが、このゲーム。

 口を挟めない私がうっかり横道に逸れた思考に走る中、追い詰められたクラリッサは憎々しげに舌打ちをしてこの場から逃げ出そうとしたが、入り口に立ち塞がった人物――モーリス邸で見たニコルという軍人に阻まれてしまう。

彼はクラリッサの手首を軽くひねり、後ろに回して関節を固める。

「いたたた……! ちょっと、何するのよ! アタシは公爵令嬢よ! 男爵の三男坊程度が気安く触らないで!」

「すみませんねぇ、これも仕事なんで。おとなしくしててくださいよ、っと」

 トスン、と首筋に手刀が入ると、クラリッサは呻きながら床に崩れた。

 気絶はしていないようだが、全身に力が入らないのかぐったりしている。憎々しげにニコルさんを睨んで抗議したが、涼しい顔でスルーされた。

「隊長。モーリス辺境伯が今回の件を徹底捜査する所存だそうです。フロリアン殿下も婚約者が襲われた事件を野放しにはしないでしょうから、きっと大量の近衛騎士が動員されるでしょう。王都が荒れそうですねぇ。まあ、まだ正式に決定したことではないので、首謀者が名乗り出れば丸く収まると思いますが」

「アタシは何もしてないわ。調べたければ、好きなだけ調べればいいじゃない。その女が何を企んでたとしても、パパが守ってくれるもの」

 すっかり化けの皮を脱いでしまった上、なおもシラを切り通すクラリッサに、ニコルさんはほんのりと黒さのにじんだ笑みを浮かべた。

「……お父上が女である君を、何を犠牲にしても守ってくれると思ってるの?」

「引っかかる物言いだけど、パパはアタシを愛してくれているし、そもそも一人っ子のアタシを死ぬ気で守ってくれるのは当然の義務だわ」

 クラリッサは公爵家の一人娘だから、悪役令嬢であっても殿下の婚約者ではなかった、ということか。ゲームではその背景が描かれてなかったし、貴族名鑑を読んでいる暇もなかったとはいえ、今さらすぎる認識だ。反省しよう。

 しかし、そこからさらに認識を覆すことがニコルさんの口から暴露された。

「生々しい話で恐縮だけど、閣下には愛人が腐るほどいてねぇ。おかげさまで、息子一人と娘四人がいるらしいよ。つまり、スペアはいくらでもいる。庶子というのは体裁が悪いけど、犯罪者の実の娘よりかは断然マシだよね?」

「はぁ!? そんなの嘘よ!」

「嘘かどうかは、君が身を持って体験すると思うよ。お父上がいくら君を溺愛していても、家名と君を天秤にかけて果たして君の方が重いのかどうか……試してみればいい」

 うわ……ニコルさんが完全に悪役の顔をしている。

 その悪人面に引いているのか、パパの隠し子疑惑に動揺しているのか、クラリッサは青ざめた顔で全身をフルフルと振るわせてたのち、ポニーテールの黒髪を振り乱して喚き出した。

「ど、どうして? アタシはヒロインよ? なんでこんな目に遭うの? アタシが何したっていうのよ? こんなのおかしい、おかしすぎるわ!」

「……あなたは自分の好意を一方的に押し付けるだけで、相手の気持ちを考えなかった。私一人に喧嘩を売るだけだったらまだしも、無関係な人を巻き込んで余計な事件も起こした。それで愛されたいなんて、ちょっとおこがましいんじゃないの?」

「なんで? だって私は神に選ばれし者よ? こんな結末、認められないわ! あ、そうか、ここからループが始まるのね! アタシが幸せをつかむまで何度でも! カーライル様、待っていてくださいね! 必ずアタシのものにしてみせます!」

 馬鹿に付ける薬はないの同じく、中二に正論は通じないらしい。

 ループの可能性を見出したクラリッサは、一転してキラキラ……いや、ギラギラした表情を浮かべ、今まで以上に一方的で重たい思いの丈をぶつける。

 カーライル様は不快感をあらわにしてドン引きだ。ニコルさんはそんな上官の顔を見てニヤけていたが、さりげなくクラリッサから距離を取っていた。ヤンデレ女子はウケが悪いみたいだぞ、クラリッサ。

 それからもブツブツとつぶやきながらループ後の計画を練るクラリッサの腕を取り、ニコルさんが引きずるように小屋の外へ引きずり出す。

「……さて、マクレイン嬢。たとえ罪人であったとしても、王都警備隊に貴族令嬢を拘束する権利はありませんから、今日のところはおうちにお帰しますよ」

「帰る? そうね、過去に帰ってやり直さないとね……うふふふ……」

ニコルさんは「ダメだこりゃ」と言わんばかりに半眼でため息をつきつつ、私たちの方に目をやった。

「マクレイン嬢は俺が送っていきますので、隊長はホワイトリー嬢を送ってあげてくださいね。別の馬車を用意してありますから。あ、ホワイトリー嬢。うちの隊長はヘタレ紳士なので、どうぞ安心してエスコートされてやってください」

「ニコル!」

「あはは! では、失礼しまーす」

 上官を上官とも思わない発言を飛ばし、叱責されてもどこ吹く風と流し、小柄な体躯に似合わない力でクラリッサを引っ張って連れ出した。かなりの大物だ、あの人は。

 一方、部下にヘタレ紳士の烙印を押されたカーライル様は、大層バツ悪そうな顔をしつつも、私に手を差し出してくれた。その手を借りて立ち上がろうとしたのだが……うまく足に力が入らず滑り、「ひゃっ」と間抜けな悲鳴を上げて尻もちをつきそうになった。

 カーライル様が支えてくれたので転倒は回避できたが、生まれたての小鹿みたいに足がブルブル震えていて、まともに歩けそうにない。

「あれ、なんで……」

「……緊張状態から解放された反動、俗に言う腰が抜けた状態だな。自覚はなくても心身に負荷がかかっていたんだろう。無理に動かない方がいい」

カーライル様は冷静に分析し、私をひょいと抱き上げて歩き出した。

 ちょ、これ、お姫様抱っこ!

 ドレス込みの体重を苦なく支える筋肉質な腕とか、服越しでも分かる分厚い胸板とか、至近距離で見下ろす端正な顔とか、そんなものを逐一意識するたびキャパオーバーしそうになり、人生初のお姫様抱っこは卒倒するかしないかのせめぎ合いだった。

 自力で歩けないから仕方ないことだけど、心の準備が欲しかった!

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