混乱の陰に“信者”あり(カーライル編)
着替えている時間もないので、モーリス邸をあとにしながら今の服の上から軍服の上着に袖を通す。身分を示す徽章は常に持ち歩いており、これだけあれば軍人としての職務をまっとうできるが、やはり一瞥で軍人と分かる方が鎮圧も避難誘導もスムーズに済む。
「状況は?」
現場へと走りながら報告を聞く。
モーリス嬢から馬を貸すと申し出があったが、必ず返す約束もできないので丁重にお断りした。
「主な事件は乱闘騒ぎですが、ところによってはボヤや窃盗も発生しています。今のところ死者はゼロで被害報告があるのは商業エリアのみですが、収拾がつかなければいずれ邸宅地にまで及ぶでしょうね」
「誰か先導している奴がいるのか?」
「そこまではまだ。何しろあちこちで小規模な事件が乱発しているので、混乱を収めるだけで手一杯ですからね」
「……とにかく、目の前のことから片付けるしかないってことか」
「そういうことです――っと、そろそろ現場ですよ」
建ち並ぶ建物が貴族の邸宅ではなく商店に切り替わると、遠くから言い争うような声が聞こえてきた。
続いて鈍い打撃音。野次馬の悲鳴や煽り文句。
乱闘が起きているのは一目瞭然だ。
「隊長! ニコル!」
野次馬の整理をしていたらしい隊員たちの一人が、俺たちを見つけて駆け寄る。
「お前は一旦その場で待機、俺たちが捕獲した奴を詰め所に連行しろ」
「了解しました」
「ニコル、一発頼む」
「はいはい。皆さーん、おとなしくしましょうねー」
ニコルは俺の命じるまま腰のホルスターから下げた小銃を手に取り、引き金を引く。
入っているのは実弾ではなく、威嚇のための爆竹弾だ。
パァンッ、と乾いた音が響き、あたりが一瞬静まり返る。その隙を突いて野次馬の壁を突破し、掴み合ったまま地面に転がる二人の男を見つけた。こいつらが騒動の種のようだ。
片方はひょろりとした体型をしており、散々殴られたのか顔中が腫れ上がって鼻や口から血を出している。もう片方はがっしりとした体格で、ほとんど無傷だ。
どちらが喧嘩を吹っかけたのかは定かではないが、これではほとんど一方的な暴力行為だったと思われる。
「王都警備隊だ。騒乱罪でお前たちを連行する」
「はぁ? 貴族のボンボンが粋がってんじゃねぇよ!」
男の片割れ――無傷な方が立ち上がり俺に殴りかかってきた。
喧嘩慣れしていそうなフォームだったが、所詮は訓練を受けていない素人。半歩引いてそれを避け、空振った腕を掴んで捻り上げて組み伏せる。
「い、痛だだだだっ……!」
「これ以上暴れるなら、体中の関節を外すぞ」
「わ、分かった、分かったから、放せ!」
降参だとでも言いたげに地面をダンダン叩く男の拘束を解くと、痛む腕をさすりながら立ち上がる。
「一体何が原因で起きた喧嘩なんだ?」
「原因? そっちの奴がいきなり俺に詰め寄って、訳の分からねぇことまくし立ててくるから、黙らせるために一発殴ったらやり返されて――そこからなしくずしに殴り合いだ」
実にくだらない理由だが、まさか発端があちらにあるとは思わなかった。
ボロボロになっている方の男は、ニコルが肩を貸して立ち上がらせていた。俺と同じように事情聴取をしているらしいが、殴られた反動で呂律が回っていないのか、容量の得ないことをブツブツつぶやいているようにしか聞こえない。
ニコルは俺をチラッと見て、空いている方の肩をすくめた。そちらからは何も得るものがなさそうだ。
先ほどの隊員に二人を預けていると、ニコルが悩むように眉根を寄せていた。
「どうした、ニコル」
「いやね……さっきの男、どこかで見た気がするんですよねぇ。でも、派手に顔面の形状が変わってたから、なかなか思い出せなくて」
確かに、あれだけ腫れていれば知り合いだとしてもピンとこないだろうし、家族でも本人かどうか疑うレベルで変形していた。
「そいつは指名手配犯か?」
「いや、そういうのじゃないです。知り合いにいたなぁっていうくらいで――あっ!」
ニコルがパンと手を叩き、「信者!」と叫んだ。
「……信者? 邪教徒か?」
「違いますよ。マクレイン嬢の信者です。情報収集の過程で、あの屋敷に出入りしてる商人にも聞き込みをしたって言いましたよね? あいつはそのうちの一人で、仕立て屋の倅です。色恋の線は薄そうですが、相当彼女に傾倒してるみたいで、そういう連中を俺はまとめて“信者”と呼んでます」
そういえば、マクレイン嬢を崇拝している人間は社交界にもいる。信者という名称は言い得て妙だ。
「でも、俺が話を聞いた時は、いかにも小心者って感じだったんですけどね……間違っても、あんないかにも強そうな奴に喧嘩売るタイプには全然見えなくて」
「……気にはなるが、そのあたりの判断は両者に聴取してからだな。他に手が必要な現場はあるか?」
残って野次馬の整理をしていた隊員に話を振る。
「そうですね。ボヤ騒ぎの跡、でしょうか。すでに鎮火してますが、周辺住民が揉めていると報告がありました」
「分かった。ニコル、行くぞ」
「はいはい」
まだ信者のことが引っかかっているのか、生返事をするニコルを引っ張るように連れ出し、それからいくつかの現場を巡った。
少々手荒な介入も必要だったが、いずれもすぐに場は収まり、当事者たちの連行やくわしい聴取は別の隊員に任せてきたが――その現場には必ず信者がいて、諍いの発端、あるいは火に油を注いでいる形だということが判明した。
ここは貴族街で、マクレイン家と懇意にしている商家が多いのは理解できる。だが、偶然と片づけるには遭遇確率が高すぎる。
「……こう立て続けに信者が出てくると、嫌でも勘繰りしちゃいますよねぇ……」
「マクレイン嬢が騒ぎを先導していると? だが、こんなことをしたところで、彼女に益はないだろう?」
「そりゃあそうですけど、無関係だって言い切るのも難しくありません?」
俺も正直、マクレイン嬢が何らかの形で関与しているのでは、と疑っている。
だが、貴族令嬢を聴取する権限は王都警備隊にはない。貴族の罪は貴族連盟という特殊な裁く決まりになっている。
しかも、貴族は特殊な法で守られており、犯罪や不正のラインが平民に比べて極めて緩いので、少々市中の混乱を誘発させたくらいでは明確な量刑を与えるのは難しい。
無論、何か少しでも不祥事が発覚すれば社交界から爪弾きにされ、貴族にとって命取りになる。それが罰といえば罰に相当するが……公爵家の力があればもみ消すのは容易だし、下手に突けば逆にこちらが陥れられる可能性が高い。
「……ひとまず、マクレイン嬢のことは後回しだ。粗方片付いたようだが、念のため一通り巡回してから詰め所に――」
「カーライル様!」
呼びかけに振り返ると、駆け寄ってくる従僕姿の少年が見えた。あの顔には見覚えがある。モーリス邸で働いている少年だ。
俺たちをずっと探し回っていたのか、汗だくで息も絶え絶えだったが、ニコルが背をさすって落ち着かせると、干からびた喉から声を絞り出した。
「あの、あ……お、お客、様、が……」
「ホワイトリー嬢に何かあったのか!?」
「お、落ち着いて隊長!」
一瞬我を忘れて従僕の少年に掴みかかろうとした俺の手を払い、ニコルは優しげな口調で彼に問いかける。
「何があったか、ゆっくりでいいから話して」
「……先ほど、王都、警備隊の方が、お見え、になって……事態が収拾したことを、伝えてくださって……セシリア様が、お客様を、ご自宅まで、お送りすることに、なったのですが……その馬車が何者かに襲われ、お客様を連れ去ったと……」
――ホワイトリー嬢が拉致された?
ガンッと心臓に杭が撃ち込まれたような痛みを覚え、息が止まりそうになる。
頭には怒りや憤りで沸騰しそうなくらい血が上っているのに、手足の末端は氷のように冷たく固まって力は入らない。激情にかられて少年を殴らずに済んだのはよかったが、自分では制御できないくらい心が乱れていた。
「拉致されたのはお客人だけ? モーリス嬢は無事?」
冷静さを失い佇む俺をよそに、ニコルは淡々と聴取を続ける。
「お嬢様はご無事ですが……御者は、少々怪我を負い、馬は、もう……」
「そう、話してくれてありがとう」
子供をあやすように少年の髪を撫でたあと、ニコルは俺を見やる。
「この子のことは俺に任せて、隊長は先にモーリス邸へ」
「あ、ああ……」
まだ動揺の抜けきらない体を叱咤して、モーリス邸へと走る。
ただひたすらに、彼女の無事を祈りながら。
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