素直な気持ちで向き合って
「――本当にご迷惑をおかけしました」
知恵熱で脳をオーバーヒートさせ昏倒した私だが、幸いにも数分で再起動を果たし、寝かせていたサロンのソファーの上で深々と頭を下げた。
お茶会の最中に客がぶっ倒れたなどと世間に知られれば、事実はどうあれ『セシリア様が毒を盛った』というあらぬ噂が瞬く間に駆け抜けるだろう。そうなれば彼女が被る損害は甚大だ。最悪婚約破棄にまで発展するかもしれない。
そう思うと医者が呼ばれる前に復活した私は実にファインプレーだったが、そもそも人様のお宅でぶっ倒れること自体が恥である。
しかも原因が知恵熱とか……笑うに笑えない。
でも、セシリア様はなんだか機嫌よさそうに笑っている。
「いえいえ。少々驚きましたが、予想以上の結果が出て私は満足です。ところでプリエラ様、お加減もうよろしいんですか?」
「え、ええ」
「では、外の空気を吸いがてら、カーライル様と庭を歩きに出てはいかがです? 一度邪魔者抜きで、しっかりお話されるとよろしいですわ」
庭を散歩しながらお話……お見合いか!
ひと月前なら、ザマァ回避のため意地でも戦線離脱しただろう。今も逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、怖いのはザマァではなく、自分の気持ちをはっきりとさせることだ。
だが、セシリア様の有無を言わさぬ笑みを前に、断るという選択肢はない。
もはや腹をくくるしかないようだ。
「そう、ですね……では、お言葉に甘えて……」
「ふふ、どうぞごゆっくり。私はこちらでのんびりお待ちしておりますので。カーライル様、今度こそきちんとエスコートしてくださいね」
「あ、ああ……ホワイトリー嬢、手を」
差し出された手に自分の手を重ねて、ソファーから立ち上がる。
軽く触れているだけなのに、そこから伝わる体温とか手指の形とかを過剰に意識してしまう。家族以外の男性にエスコートされたことはあるが、こんなに緊張したのは初めてだ。
ぎこちない足運びでサロンを退出し、庭へと出る。
モーリス邸の庭は、辺境伯領にある小さな野原を再現したものだと聞いた。
咲く花は楚々として飾り気はなく、茂る木も立派ではあるが無骨で、おおよそ貴族らしからぬ仕様だが、こういう自然に近く見えるよう手入れするのは難しい。人工的に見えないようあえて不揃いにするというのは、画一的に整備するよりも手間がかかるし、なにより庭師の美的センスが問われる。
そういう意味では、この庭は類を見ないほど巧みな技術が使われている。
ホワイトリー家の庭といえば、現在雑草を刈っただけの不毛の大地だ。当主の頭髪と同じである。そういえば、この世界のカツラっていくらぐらいするんだろう……などと脳内で現実逃避しながら緊張をごまかしていると、エスコートされていた手が離れ、カーライル様と向き合う形になる。
「ホワイトリー嬢」
「は、はい」
「その……モーリス嬢からどこまで聞いたんだ?」
「……カーライル様がクラリッサ様に恋情を抱いてないと。クラリッサ様がそう見えるよう振る舞っているだけだと」
私の回答に「そうか」とつぶやき、数拍の間なにやら考え込む様子で野の花に視線を落とし、ややあって口を開いた。
「この度、正式にマクレイン家と話をつけてきた。クラリッサ・マクレイン嬢との婚約する意志はないと。仲を誤認されるような接触は遠慮願うと」
「それは……大丈夫、なんですか?」
王族であるジード家が公爵であるマクレイン家より家格では上とはいえ、所詮は傍流でしかなく、実質的な権力や財力で言えば後者の方が圧倒的に勝る。
もしも私がジード家の当主であれば、クラリッサとカーライル様を政略的に結び付け、利益を得ようと考えただろう。クラリッサもその思惑を予想して、彼との婚約が断られることはない踏んでいたに違いない。
しかし、カーライル様ははっきりとノーを突き付けた。
であれば、マクレイン家だけでなく、ジード家からも反感を買ったのではないか。
私が不安を抱く横で、カーライル様はあっけらかんとした表情で言う。
「心配ない。ジード家の時もマクレイン家時も、フロリアンとモーリス嬢が俺側の席にいた。よほどのことがないかぎり、報復に出るということはないだろう」
未来の最高権力者夫婦を味方に、交渉を有利に進めたのだろう。策士だ。
「気持ちの上でも政略的にも、マクレイン嬢とはこれで縁が切れた。だから、というわけではないが……考えてほしい」
何を、と聞き返すまでもない。
カーライル様の告白を受け入れるかどうか。
普通に考えれば、迷わずうなずき返すべきところだ。クラリッサは盤上から消えたし、身分差についてもどうにかする自信があるから返事を求めているのだろう。カップルだらけの社交界の中では、適齢期かつフリーの男性から求婚されるなんて、こんなチャンスはきっと二度と訪れない。
しかも、相手は私を恋愛的な意味で好きだという。私の方も、自分の中にカーライル様に対する好意があるのは分かっている。愛のない結婚がザラの貴族社会において、好意を持つ者同士で結ばれるのは恵まれている方だ。
でも、私は素直に首を縦に触れないでいる。
確固たる理由があって承諾しないのではない。そこに至るためのピースが足りないような気がしてならないのだ。それは、『好感度が足りているのに、フラグを回収できなかったため、ハッピーエンドにたどり着けなかった』という感覚によく似ている。
いくらここが乙女ゲームの世界だといっても、実際にフラグなるものが存在しているなんて荒唐無稽な話はありえないが……私が感じている欠落が、ただの勘だと一蹴してしまえるような違和感ではないのが不安なのだ。
「カーライル様、私……」
「……訊きたいことがあれば、なんでも訊いてくれ」
「え?」
きょとんとして問い返すと、カーライル様は明後日の方向に視線を泳がせながら、とうとつと答える。
「いや、その……俺のことを何も知らないのに好きになってくれとか、結婚してくれというのは、おこがましいというか理不尽だろう? かといって聞きたくもない話を延々聞かされるのは嫌だろうし、そもそも俺はあまり雑談の才能がない。だから、ホワイトリー嬢が知りたいと望むことに答えるのが一番だろうと」
なるほど。フラグが足りないと感じるのは、カーライル様について知っていることが少ないせいかもしれない。しかし、改まって質問するとなると逆に悩んでしまう。好感は抱いているが親しいわけではないので、どこまで突っ込んで訊いていいのか測りかねる。
ひとまず、当たり障りのなさそうな『好きなもの』や『趣味特技』を質問したが――好きな動物は雀だとか、趣味は写生だとか、酒が一滴も飲めない下戸だとか、おおよそ見た目からは判断できない回答がポンポン飛び出した。
可愛いな、この軍人。ギャップ萌え狙いか。
にやける頬を自制しつつ、次は何を訊こうかと思考を巡らせたが、
「そういえば、こちらから訊いてばかりでは不公平ですね。カーライル様は私に何かご質問はないのですか?」
「そうだな……ホワイトリー嬢の故郷の話、とか」
故郷、というと領地の話だろうか。
あそこは農業も商業も領民が困らない程度には栄えているが、これといった観光地もなければ特産品もない。その代わりなのか温厚な気質の領民が多く、大した事件も起きず年中無休で天下泰平。あのボンクラな父が領主に収まっていられるのは、十中八九領民のおかげだ。
あまり胸を張って言える事実ではないな、うん。
「……特に特徴のない、ただの田舎町ですよ。私が一人でフラフラ町中を歩いていても、誰も私が子爵令嬢だって分からないくらいに鈍感な人たちばかりで……いやまあ、王都でもそうだったので、私に貴族としての気品とか美貌とかが全然足りてないせいでしょうけど……」
「そういえば、供も連れずに下町を歩いていたな。随分慣れている様子だったが」
「借金返済時、家計の足しにするため商家でメイドをしていましたからね。庶民の暮らしに適応している自覚はあります」
「商家でメイド? 行儀見習いではなく?」
貴族令嬢が働くといえば、行儀見習いというのが定番……というかそれ一択だ。カーライル様が驚くのも無理はない。
「ホワイトリー家の伝手では、いい奉公先が見つけられなかったんですよ。なので、子爵家の遠縁と偽って、領地で一番大店の商家で働かせてもらってました。住み込みではなく通いですけどね。四年ほど勤めたんですが、一度も貴族令嬢だとは気づかれませんでした。きっと今でも私を平民だと思っているでしょうね」
多分このままの格好で彼らと会っても、コスプレか何かと勘違いされた挙句、似合わないと爆笑されるオチが見える。
でも、それが不快だとは思わない。ドレスよりエプロン付きワンピースの方が似合うのは事実だし、領主の娘だと分かって距離を置かれるより気楽でいい。
懐かしい面々を思い出して忍び笑いが漏れると、カーライル様が何故か声のトーンを落として問いかける。
「……なんだか楽しそうだな。領地に想い人がいるのか?」
「え、いませんよ? そもそも、あの頃の私は恋愛とは無縁でしかたら」
「そう、なのか?」
「ええ。一度も“リーゼの花”をもらったことないですし、渡そうと思った相手もいませんよ」
この国にはリーゼの祝日という日があり、その日は男女問わず意中の相手に赤い花を贈って告白するという、バレンタインのような風習がある。その時に贈る花を総称してリーゼの花と呼ぶ。祝日の間は、赤ければバラでもカーネーションでもガーベラでも、なんでもリーゼの花だが、やはり一番人気はバラだ。
しかし、実はすでに祝日は過ぎ去っている。
ちょうどその日、大き目の夜会に招かれていたのだが……クラリッサによって乱立したカップルたちが贈りあったバラを胸に差し、キャッキャウフフなリア充ぶりを炸裂していたのはまだ記憶に新しい。リア充爆発しろ。
「リーゼの祝日、か。本当はその日に間に合うように、諸々の片を付けるつもりだったんだが……」
それって……リーゼの花を贈ってくれるつもりだった、ということだろうか?
ゲームでヒロインが攻略対象から告白されるのは、どのルートでも共通してリーゼの花を贈られるイベントの時だ。まさか私の欠落感はこのイベントが発生しなかったから――って、そんなわけないか。カーライル様は攻略対象じゃないんだし。
それに、イベントに関係なく、とっくの昔に告白はされているのだ。ザマァが怖いからそれをなかったことにして、自分の気持ちからも完全に目を背けて、今もグズグズ結論を出すのを渋っている。
そういえば、セシリア様はシンプルに考えろと助言をくれた。
もしもカーライル様からリーゼの花をもらったら……いや、それでは自分の感情を明確化できない。私は花をもらって不快になるタイプではないし、ザマァの前提がなければ普通に喜ぶと思う。
では、私がカーライル様にリーゼの花を贈るとしたら、どんな気持ちになるだろう。
……いかん、恥ずかしすぎる。想像だけで憤死する。
つまりはそういうことか。シンプルに考えれば、答えとはあっけなく出るものだ。
さっきみたいに無様にぶっ倒れる前に思考を切り替えたが、ふらつきは抑えられなかったようで、カーライル様に肩を支えられる。
「……ホワイトリー嬢、大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫っ……です」
近い近い! 自覚直後のこの距離感は心臓に悪すぎる!
ソーシャルディスタンスにご協力お願いします、カーライル様!
「だが、また倒れそうな感じになっているぞ。そこのベンチで休むか」
私の心の叫びも虚しく、肩を抱かれたまま木陰に設置されたベンチに連れられる。
腰を下ろして彼が離れると、少しだけ落ち着いた。
一日に何回も倒れそうになるなんて、どうかしている。恋愛とはこんなに精神にクルものなのか、それとも自分の経験値が低すぎてキャパオーバーしているだけなのか。恋する乙女って勇者だ。
「すまない。病み上がりに長く立ち話をしたせいだな」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
どうしよう。告白の返事をするなら早い方がいいはず。
後日改めて、でもいいかもしれないが、この悶々とした気持ちを抱えたまま何日も過ごすなど御免こうむりたい。
「あの、私――」
「カーライル様!」
意を決して私が口を開いた直後、切羽詰まったセシリア様の声が庭園に響いた。
出鼻をくじかれて一瞬ガックリとなったが、いつになく真剣で強張った表情のセシリア様と、その後ろに控える軍服姿の青年を見て、ただならぬ事態が起きているのだと察した。
カーライル様も瞬時に小隊長の顔になり、部下と思われる軍人に問いかける。
「ニコル、何があった」
「現在、貴族街で同時多発的な事件が起きております。速やかな鎮圧のため、王都警備隊全小隊に出撃命令が出ています。至急お戻りください」
「分かった。モーリス嬢、事態が収拾するまで、ホワイトリー嬢はこちらで保護してもらっていて構わないだろうか?」
「かしこまりました。ご武運を」
セシリア様は力強くうなずき、私に目配せした。
え、私にコメントを出せと?
えっと、帰ってきたら伝えたいことがあります――って、これ死亡フラグあるある! 言っちゃダメな典型!
「あ、その……お気をつけて」
必死に無難な語彙を引っ張り出し、死亡フラグを回避したつもりだったが、カーライル様からはにかんだ笑みが返ってきて、私がキュン死にすることなった。
繰り返しで悪いが叫ばせてくれ。これだからイケメンは!
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