セシリア様の助言
マクレイン邸のお茶会からひと月近い時間が流れた。
私は父の付き添いでいくつかの夜会やお茶会に出席し、社交界でホワイトリー家の顔を繋ぎつつ婚約者探しをした。
売れ残りは何人か見つかったが、いずれも父と差のない四十路を過ぎた中年。外見はイケおじと呼べるレベルではあったが、自己中心的で男尊女卑な思考回路を持ち、使用人には尊大な態度で威張り散らし、身分が上の相手には気持ち悪いほど媚びへつらうという、男性としてどうこうより人間としてクズばかり。
こんな相手に嫁ぐぐらいなら、行かず後家として後ろ指を指される方が何倍もマシだ。貴族にあるまじき能天気な性格の父でも、娘を嫁がせるわけにはいかないという危機感を抱かせるのだから、もう救いようのない男たちである。
さすがに行かず後家は外聞が悪いから、どこかそれなりの商家に嫁ぐのが妥当な落としどころだろうか……平民に苦なく紛れ込めるような凡庸な貴族令嬢を欲しがるとも思えない。おまけに、借金はなくなったとはいえ莫大な資産も社交界のコネもないので、商家側としてのメリットは正直ない。
現在私の売りは、ぶっちゃけ“若さ”だけだ。
今期の社交シーズンを無為に過ごし来年を迎えれば、その価値はガクンと下がる。女の一年は大きい。女子高生と女子大生のブランドの違い、といえば分かりやすいか。
……そういえば、まだクラリッサがカーライル様と婚約したという話を聞かない。
カーライル様とは完璧に距離を取っているので、ヒロインマジックはそろそろ解除されている頃だとは思うのだが、こうなるとますますヘタレ疑惑がもたげてくる。
まあ、彼らがどうなろうと私の人生に関わらなければどうでもいい……そう、どうでもいいのだ。
なのに、ふとした弾みに、最後に見たカーライル様の顔がちらつく。
深い悲しみや絶望が浮かんでいた。まるで親に捨てられた子供のようだった。
あんな風に傷つけるつもりはなかった。勘違いだとはっきりさせれば目が覚めるだろう、くらいにしか思ってなかった。でも、あの時私が行ったことは正しかった、と胸を張って言えないところが心苦しい。
謝罪の手紙くらい書くべきか、と思って何度かペンを手に取ったが、何を書いても言い訳で薄っぺらな中身にしかならなかったので、全部丸めてゴミ箱に消えた。
「お嬢様、最近お元気がないですね」
「季節の変わり目で体調を崩されたのでは?」
社交がない日は暇なので、厨房の隅っこに陣取って黙々と野菜の皮をむいていたところ、通りがかった侍女たちにそう声をかけられた。
私が使用人の仕事に精を出すのは今に始まったことではないし、実際人が足りない状態なので誰も何も言わない。
「そう? ロクでもない男ばかり紹介されて辟易はしてるけど、具合は全然悪くないわ」
「そうなのですか? ですが、なんとなく覇気が感じられないような気が」
「ええ。少しぼんやりされているようにも見えますね」
うーん。そう言われても、これといった自覚症状もない。
二人とも長年仕えてくれてるベテラン侍女で、私にとっては姉や母に近い存在だ。彼女たちが以前と違うと感じているなら、きっと何か体調変化が起きているのだろうが……婚活鬱か? そんなのあるかは知らないけど。
「……なんだかこうして口にしてみると、恋煩いのようにも聞こえますね」
クスリと侍女の片割れが笑う。
覇気がなくぼんやりしているといえば、確かに話に聞く恋煩いの症状とよく似ているが、前世も含めて生まれてこの方恋愛など未経験なので、実際にそうなるのか私には分からない。
「恋、ね……」
「あら、違うのですか?」
「私は恋をしたことがないから、そうだとも違うとも言えないわ」
「お嬢様、昔っから恋愛小説は愛読されているのに、実際の情緒面はすこぶる現実的ですよね……」
前世の記憶を取り戻した前後で、私の性格はこれといって変化しなかった。
元々ゲームのヒロインが無個性タイプだったせいだろう。名前とビジュアルこそ公式設定があったが、シナリオ内でモノローグの一つもなく、選択肢でも口調や性格が反映されるようなものはなかった。
だから前世から引き継いだ“私”がそのまま適応された、と推測される。
恋愛小説好きだったのは、無意識のうちに乙女ゲームやライトノベルの代替品にしていたのだろう。
「ああ、そうそう。今しがたお嬢様宛てにお手紙が来ておりました」
「そう、ありがとう。どちら様から?」
「セシリア・モーリス様、という方です」
セシリア様、か。
殿下とのフラグは折ってるはずだし、変な因縁をつけられることはないと思うけど、いったい私に何の用だろう?
「……確認してくるから、あとのことは任せていい?」
「かしこまりました。お手紙はお部屋に届けてありますので」
「ありがとう。お願いね」
厨房を出て部屋に戻り、書き物机の上に置かれた一通の手紙の封を切る。
そこに綴られていたことをまとめると、『そちらの都合のいい日でいいので、私的にモーリス邸に遊びに来てほしい』という内容だった。
モーリス辺境伯と繋がりが持てるのはありがたいが、私的なお誘いを受けるほど親しくなったつもりはないし、そもそも初対面のお茶会から随分間が開いているのは気になる。しかし、断る理由はないので空いている日を伝える返事を書いて出した。
数日後。
私が伝えた通りの日時にモーリス邸へと赴くと、庭園を望むガラス張りのサロンへと通された。
「ようこそ、プリエラ様。堅苦しい挨拶は抜きにして、どうぞこちらに」
「……お邪魔します」
出迎えてくれたセシリア様は、ドレスではなくスーツのような服を着ていた。
デコルテのラインをあえて見せるデザインのジャケットとインナーに、スカラップ裾のボトムス、それに男物の革靴を履いている。メリハリの効いたモノクロカラーで、実にスタイリッシュだ。
女性にしては背が高く、前世でたとえるなら某女性劇団の男役を思わせる風貌だ。
対する私は、シンプルなデザインのクリーム色のドレス。冒険など一切しない、ザ・無難の仕様である。
「……ふふ、女がズボンを穿くのは邪道かしら?」
「いえ、そのようなことは。とてもよくお似合いです」
お世辞ではなく本心だ。ドレス姿も美しいが、こういうマニッシュスタイルの方がしっくりくる気もする。
「ありがとう。お世辞抜きで褒められたのは、女性ではあなたが初めてよ」
「あら。では、初めて褒めてくださったのは殿下、ということでしょうか?」
私の返しにセシリア様はちょっと驚いた顔をして、はにかむように小さく微笑んだ。
お、乙女チックスマイル!
クラリッサの恋する乙女顔は見ててげんなりするんだけど、セシリア様の場合は胸キュンモノだ。何が違うんだろう、ピュア度かな?
思わぬ眼福にホクホクしながら、美味しいお茶とお菓子に舌鼓を打ち、セシリア様と他愛ないおしゃべりをしながら庭園の眺めを楽しんだ。
彼女からは洗練された気品は感じるが、竹を割ったようなさっぱりした性格で、悪い意味での貴族的なアレコレを感じない。そのためか、あっという間に打ち解けてしまった。
こんなに気楽なお茶会、転生してから初めてかもしれない。さながら前世の女子会のようで浮かれてしまっていた。
まさかとんでもない変化球が飛んでくるなんて、思いもしなかったのだ。
「――ねぇ、プリエラ様。一つお聞きしても?」
「何でしょう?」
「カーライル様を袖にしたって本当かしら?」
え、ちょ、どこでその話を!?
動揺のためティーカップを持つ手に力が入らなくなり、慌ててソーサーの上に戻した。お茶をこぼさなくて、いや、カップを割らなくてよかった。多分私のお小遣いでは弁償できない高価な茶器だ。
そんな私の滑稽な姿を見て、セシリア様は薄く笑った。
「あらあら、図星のようね」
「……じ、事実を端的に述べればそうかもしれませんが、言い方に語弊があります。私はただ、カーライル様が勘違いされているようなので、それを正そうとしただけ、と言いますか……」
「勘違い? 具体的に何がどう勘違いなのです?」
女子会が一転、査問会みたいになってしまった。
どうしてこうなった、と内心頭を抱えつつ、こちらを見つめるセシリア様は有無を言わさぬ視線を向けてくるし、渋々白状するしかなかった。
「ええっと……カーライル様はクラリッサ様をお慕いしていたはずなのに、ちょっとしたはずみで私と恋愛小説みたいな出来事を体験し、お心がぶれてしまったご様子で……」
「やっぱり、そんなことだろうと思いました」
セシリア様は嘆息をつき、優雅にティーカップを傾ける。
「プリエラ様。単刀直入に申し上げますが、カーライル様がクラリッサ様に懸想しているというのは、まったくの事実無根です。クラリッサ様が一方的にあの方に好意を抱き、付きまとっているのはまごうことなき事実ですが」
「え? 私の目から見ても、お二人は随分親密だと思いましたが……」
「そう見えるように、クラリッサ様が印象操作されているのですよ。はっきり拒絶しないカーライル様にも非はありますが、殿下との関係を修復してくださった恩人を無下にできない義理堅さもまた、彼の美徳ですから責めにくいところです」
ま、まさか相思相愛説まで私の思い違いだったのか……いやでも、それもまたセシリア様の思い違いかもしれない。
それと、私にとってもよくしてくれる人を疑うなんてしたくないんだけど、実はクラリッサと裏で繋がっていたとしたら厄介だ。私を油断させ、唆し、カーライル様に近づけてザマァ地獄へご招待、なんてオチじゃ洒落にならない。
そんな疑心暗鬼な気持ちが漏れていたのか、セシリア様はクスリと笑って言う。
「あなたは大変慎重で思慮深い方ね。あらゆる可能性を模索することも、最悪の事態を想定することも、確かに重要なことではあるわ。でも、時にはシンプルな思考も大事よ。そうね、たとえば――あなた個人がカーライル様をどう思っているのか、とか」
どうって言われても、すぐには何も思い浮かばない。
乙女ゲーム的なイベントもいくつか体験したというのに、全然ときめいた記憶がない。胸がドキドキするのは嫌な動悸がする時だけ。
私にとって彼はザマァのスイッチでしかなく、絶対に回避すべき存在だった。個人的な感情を抱く余地などなかった。好きの反対は無関心、とはよく言ったもので、告白されたところで一ミリも心が動かなかったのがその証左だ。
ただ、あの時見たカーライル様の傷ついた顔を思い出すと、今でも心が痛む。
――クラリッサがいなければ、こんな思いをせずに済んだのに。
「え……?」
ふと脳裏に浮かんだ言葉に驚き、惚けた声が出た。
えっと……それって、ザマァを仕掛けてきそうなクラリッサがいなかったら、平和に暮らせたのにってことよね?
間違っても嫉妬してるなんてことはない、はず。だって、私はカーライル様に対して、これっぽっちも好感を持ってない。それこそ無関心レベルで。
でも、ついありもしない『もしも』を想像してしまう。
もしもクラリッサがいなかったら――いや、せめて彼女が転生者でなければ、ザマァなんて考えずにヒロイン人生を歩めていたはず。
舞踏会のあの日、カーライル様と目が合って、ロックスから助けてもらって、手当てまでしてもらったら、恋とまでは言わなくてもしっかりとした好感を抱いていただろう。帰る時も馬車までお姫様抱っことかされてたも……っていうのはさすがに痛いな。だけど、あんな可愛げのない退出はきっとしなかったと思う。
街中で会った時もそう。ひょっとしなくても運命かも、などと脳内お花畑思考になり、デートを楽しんだかもしれない。間違っても重苦しい沈黙が支配する道中は選ばなかった。
そして、件のお茶会であんな風に告白されたら……家格を気にして受け入れることはできなかったかもしれないが、心の中では狂喜乱舞しただろう。少なくとも勘違いだと一蹴することはなかったはずだ。
おいおい、どんだけカーライル様のことが好きなんだよって話だ。
いやでも、あくまでたとえ話であって、実際は無関心レベルでまったくなんとも思ってない、はず……だけど、だったらなんでこんな妄想が頭を巡るのか説明がつかない。
「……百面相をしていらっしゃるプリエラ様は見ていて飽きませんが、そろそろ私のことを思い出していた出ると嬉しいですね」
「え、あ、申し訳ありませんっ」
他人様のお宅で考え事など無礼千万だ。
焦って机に手をついて謝るという淑女らしからぬ謝罪をしても、セシリア様は咎めることなくクスクス笑って流してくれた。未来の王太子妃が心の広い人物で助かった。
「それで、何か答えは見つかりましたか?」
「答え、といいますか……別の可能性を見出したといいますか……」
「では、その可能性とやらを、もう少し突き詰めてみてはいかがです?」
そう言ってセシリア様はサロンの出入り口に目をやる。
帰ってゆっくり考えろということか――と思いながら立ち上がろうとして、中腰のまま固まった。
私服姿のカーライル様が、戸口に立っていたからだ。
見る時はいつも几帳面に軍服を着こなしているのに、今日は開襟シャツとジレベストというラフな格好だ。帽子を着用していないので精悍な顔が前面に押し出され、いつもなら隠れている咽仏やら鎖骨のあたりから、名状しがたい色気を感じる。
これだからイケメンは……!
目が合った瞬間、さっき思い描いていたご都合主義満載の妄想がフラッシュバックし、恥ずかしいやらいたたまれないやらでプルプル震え、その場にずるずるとへたりこみ縮こまってしまった。
「ホワイトリー嬢、大丈夫か?」
カーライル様が駆け寄り手を差し出してくれるが、熱が出てるみたいに火照った顔を上げられなくて、小さくうなずき返すことしかできない。
あんなの、所詮は妄想だ。
女子なら誰でも一度は夢想する、イケメンとのめくるめく恋物語だ。
きっと婚活がうまくいかないせいで、脳が現実逃避に走っただけ。今まで一度だって彼をそんな風に見たことはなかったんだから、ただの気の迷いだ。あるいはイケメンの色気にあてられただけ。
そう必死に言い聞かせているのに、熱が引かないどころか動悸もしてきた。
それどころか、なんだか目の前がグルグルと回っているような――
「プリエラ様……!?」
「ホワイトリー嬢!?」
セシリア様とカーライル様のひっくり返った声を聞きながら、視界が暗転した。
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