街でばったり……そして(カーライル編)

走ってもいないのに瞬く間に去っていく彼女の背を目で追い、小さくため息をついた。

 町で会ったのは、本当に偶然だった。柄にもなく運命を感じた。

 だが、女性を口説いた経験などない俺は、こんなとき何を言えばいいかさっぱり分からず、事務的で当たり障りのない話題しか振れないばかりか、それもあっという間に途切れさせて長々と沈黙を落としてしまった。

 自分の不甲斐なさを呪いつつも、彼女と並んで歩けるだけで惚けるような幸福感に包まれた。この時間が永遠に続けば――などと子供のように愚かなことを考えていたところに、マクレイン嬢が図ったかのように現れ、彼女は逃げるように去っていった。

「あら嫌だ。わたくしとしたことが、プリエラさんに誤解されてしまいましたわ。今度お会いした時にお詫びしなくては」

 マクレイン嬢は困った顔をしながら彼女を見送る。

 その表情の裏に「邪魔者を排除して清々した」という感情が透けていたが、それが垣間見えたのは一瞬。まばたき一つで恋する乙女に変身し、何気ない素振りで期待に満ちた紫色の瞳を向けてくる。

 うんざりする二面性だ。ますますこの令嬢に対する好感が下がっていく。

 男に女の外面は見破れないとよく言うが、軍人として王族として、女の武器を使った暗殺や間諜の対策訓練を受け、文字通り命がけで培った経験を持つ俺には、その理屈は当てはまらない。

 無論、すべてを看破できるわけではないし、俺が知る以上に高性能な外面の女がいないとはいわないが、マクレイン嬢程度なら大体の偽りは見抜ける。

 その反面、ホワイトリー嬢はそういう悪い意味での打算や外面が感じられない。いっそ清々しいほど好意が感じられないのは虚しいが、俺が彼女を喜ばせたり楽しませたりできないせいだから、責めるのは筋違いだ。

 どうして今隣にいるのが彼女ではなくこの令嬢なのか……湧き上がる苛立ちを隠し、マクレイン嬢の望みに応える言葉をかける。

「……マクレイン嬢。俺は詰め所に戻らねばならないのであまり時間は取れないが、せめて屋敷まで送って行こう」

「まあ、よろしいんですの? カーライル様はとても紳士的な方ですわね。ですが、あなたの優しさを誤解する令嬢が現れないか不安ですわ……誰もがみんなわたくしのようにわきまえている者ばかりではありませんので、お気をつけくださいませ」

「……そうなのか。気をつけよう」

 こちらの至福の時間を邪魔した挙句、あからさまな催促をしたにも関わらず“わきまえている”などと言えるとは。とんだ面の皮の厚さだ。

 しかも、差し出してもいない腕に自分の腕を絡めてくる。密着はせず軽く寄り添う程度なので、エスコートと呼べなくはない距離感だし、伏し目がちに頬を赤らめるその姿は純情可憐な乙女に見えるが、その瞳の奥にはギラギラとした眼光が宿っている。

 こういう恋愛に積極的な女性を“肉食系”と呼ぶらしいが、なるほど、確かにマクレイン嬢の目は獲物を狙う肉食獣によく似ている。

 そんな拷問のような道中、彼女は明らかに公爵邸への道のりではない道を歩き、訊いてもいないことをペラペラとしゃべり、ショーウィンドウに並ぶドレスや宝石を眺めてはチラチラこちらを伺って「プレゼントしてくれますわよね」と目で訴えてくる。

 ただでさえ鬱陶しい仕草なのに、彼女の瞳によって俺の不快感を増長させられ、さすがに自制心が焼ききれるかと思ったが、どうにか耐えた。

 制帽で視線を遮り、おしゃべりは適当に相槌を打ち、催促は分からないふりをして無視し、公爵邸の前についてなお「お茶でもどうですか」と引き留めようとするマクレイン嬢を引きはがし、どうにか五体満足で彼女と別れることができた。

 ホワイトリー子爵邸に寄り道したい気持ちを抑えて真っ直ぐ詰め所に戻り、自分の執務室へ入ると、腹心の部下ニコル・マーフィーが出迎えてくれた。

「お疲れ様です、隊長」

 部下といっても、俺と同じ二十五歳でしかも同期入隊。訓練生時代から続く腐れ縁で、国境警備隊に配属になった時は同僚だったが、今や小隊長とその部下だ。

 男爵家の三男坊で武術の才能もさほどない彼は、出世街道から大きく外れている。本人に出世欲が皆無、というのも理由の一つではあるが……地位に差ができてもお互い気の置けない友人のようなもので、軽口を叩き合うこともしばしばだ。

「……本当に疲れた。まあ、訓練生の時にやったサバイバル行軍よりはマシだがな」

「あー、あれはヤバかったですねぇ。装備はナイフ一本、携帯食料も水もなし。『とにかく何をしてでも生き延びろ! 生存者こそ勝者だ!』って。いやはや、あれは戦場の真理でしたねぇ……――って、昔の話はどうでもいいんですよ」

 荷物を横にどけるような動作をしながら、ニコルは真顔で告げる。

「以前から頼まれていたマクレイン嬢の身辺調査ですが……」

 ニコルは腕っぷしは劣るが諜報能力に秀でており、特に相手から巧みに情報を聞き出す話術はさながら百戦錬磨の詐欺師だ。彼の口車に乗せられ、自分でも気づかないうちに秘密を暴露させられた犠牲者は多数に上る。

 俺もそのうちの一人だが……そんな苦い過去はともかく、かの令嬢と縁を切る材料を探すのにニコルは適任だった。職務外の頼み事なので個人的に対価は払っている。

「何か掴んだのか?」

「隊長が欲しがる情報は手に入りませんでした。使用人や出入りの商家に聞き込みをしたんですけど、みんな口をそろえて『お嬢様は素晴らしい』とか『淑女の鑑だ』とかしか言わないんですよね」

「……洗脳でもされているのか?」

「いえ、その様子はありません。教練や実戦でトチ狂った同期を何人も見て来た俺の目から見ても、至極正常な人間ですよ。なのに、心の底から賞賛してるというか崇拝してる感じがして、心底気持ち悪いです。権力者って悪く言われてナンボですよ。たとえそれが事実でなくてもね。叩いても埃が出ないどころか聖なるオーラしか出てこないなんて、正直ありえません」

 平民からすれば、権力者とは自分たちの血税で贅沢をする忌むべき存在だ。ニコルの言い方はオーバーだが、真実であれ嘘であれ、一つの瑕疵も出てこないというのは確かにおかしい……むしろ、あの瞳の持ち主を聖人君子と呼ぶ人間の気が知れない。

「そいつらは公爵家から金を握らされているのか?」

「うーん、俺もそれを疑って揺さぶりをかけてみたんですけど、違うみたいですよ。公爵閣下は現職の財務大臣ですから、特に金銭関係のトラブルには気をつけてるみたいですし、賄賂の線は薄いですね。ただまあ、財布の紐は固くても、ズボンのベルトは大分緩いみたいですけどね……」

 お嬢さん絡みではシロです、と付け足しながらも、公爵の弱みをサラッと暴露していくニコル。閣下の女性関係が乱れているくらいでは縁切りは難しいが、材料の一端にはなるだろう。

「そうか……手間をかけさせたな」

「いやいや、報酬に見合う働きができなくて、逆にすみません」

 ニコルは後頭部をかきながら苦笑し……はたと手を打った。

「あ、そうだ。マクレイン嬢といえば、次のお茶会に隊長は招待されたんですか?」

「いや、呼ばれていないが……」

「あー、だとしたら、こっちの報告の方が先だったな。実は、そのお茶会にホワイトリー嬢が参加するみたいなんです。使用人が持ってた招待客リストをチラ見した時、偶然名前を見つけて驚きましたよ」

 そういえば、ホワイトリー嬢が二週間後のお茶会がどうとか、去り際に言っていたが、このことだったのか。マクレイン嬢とはできるだけ関わってほしくはないが、そうも言っていられないのが貴族のしがらみだ。

 そう割り切る俺とは裏腹に、ニコルは複雑な表情をしている。

「何か不都合でも?」

「いえね、貴族令嬢の間では『マクレイン邸のお茶会に参加したら運命の人に会える』ともっぱらの評判ですよ。諸々の理由で結婚は無理だとご両親すら匙を投げるご令嬢が、かのお茶会に参加したら素敵な令息に見初められ、その日のうちに婚約同意書にサインしたって話が、そりゃあもうゴロゴロ聞こえてくるんですよ。オージュ侯爵令息とバルテス伯爵令嬢のカップルが、その最たる例ですね」

 オージュといえば、先日ホワイトリー嬢に手を上げそうになった男だ。

 確かに彼は大変ふくよかな令嬢を伴っていたが、あれは婚約者だったのか。

 いや、それよりも、そのような茶会にホワイトリー嬢が参加するということは、結婚相手を探しているということだろうか。

 年齢を考えれば結婚を急がねばならないのは分かるし、彼女に想い人や婚約者がいないと確信が持てたのは幸運だったが、まともなアプローチ一つできないまま他の男にとられるなど、想像しただけで目の前が真っ暗になりそうだ。

「た、隊長……生きてます?」

「大丈夫だ。貴重な情報、感謝する」

 一体今どんな顔をしているのか自分では見えないが、ニコルの引きつった表情を見るだけで死に体なのは察しが付く。あまり見られたくないので手の動きで退出を促すと、「お大事にー」と言いながらそそくさと出ていった。

 一人になった執務室で大きなため息をつき、どうすれば茶会に参加できるかと考える。

 正攻法はマクレイン嬢に頼んで招待状を用意してもらうことだが、不必要に借りを作りたくない。巡回のついでを装って屋敷に顔を出す、くらいが自然だろうか。

 しかし、運よく茶会に潜り込めたとして、ホワイトリー嬢の婚約を阻止できるのか……二週間のうちにいい策が思いつくことを願うしかなかった。

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