街でばったり!

 舞踏会だというのに一曲も踊らず帰宅してから、早一週間。

 安静第一の私は読書などで暇をつぶす傍ら、前世の記憶……主にゲームの展開の子細を必死に思い出していた。

 前世を取り戻したのはもう三週間ほど前になるが、その頃は社交の拠点となる王都の屋敷――タウンハウスと呼ばれる邸宅に引っ越してきたばかりで、荷解きや清掃にてんてこまいだったため、落ち着いて記憶の整理ができなかったのだ。

 しかもこのタウンハウス、件の借金の抵当に入っていて四年以上不動産屋の預かりだったため、相当荒れていた。月に一度は業者による清掃が行われていたようだが、それも随分手抜きで、庭には背の高い雑草が生い茂り、邸宅内はハウスダストが舞い、ネズミやゴキブリが這い回る、まさに無法地帯だった。

 そこを整備するのは使用人たちだけでは全然手が足りず、私も父も駆り出された。

母は社交界デビュー前の弟と共に領地で留守番をしていたのは、きっと幸いだった。やんちゃ盛りの弟はともかく、箱入り娘だった母は確実に卒倒して面倒なことになっていただろう。

 そんなこんなで、今ようやく腰を落ち着けて物事を考える余裕が生まれた。

しかし、いくら脳内を漁ってもカーライル様に関する情報は先日以上には出てこないし、クラリッサが転生者である以上ゲームの展開は無意味だ。仕方なく強制的に突き落とされそうになっている殿下ルートを重点的に思い出しているのだが、なにぶん彼に興味が薄かったので、王道かつベタな展開だった、としか記憶していない。

 私、ショタ系が好みだったんだよな、乙女ゲームだと……いや、ガチのショタコンではなく、ロックスみたいなショタっぽい雰囲気の童顔イケメンという意味だ。

 ……まあ、現実のロックスはクソみたいな奴だったので、どうでもいいが。

 というわけで、なんの実りのない一週間をダラダラと過ごし、このまま登場人物たちと関わらず平穏に過ごしたいなぁ、などと間の抜けたことを考えていた私の元に、一通の手紙が届いた。

 それは、マクレイン公爵家で開催されるお茶会への招待状。

 まあ、社交辞令とはいえ“お友達”になった手前、一度か二度はこういう集まりに招待しなければ体裁が悪い、というのは分かるが……末尾に『フロリアン殿下もお呼びするので、おめかししてきてくださいね』と記されているあたり、波乱の予感しかしない。

 そこまでしてカーライル様と私を引きはがしたいのか。

 そんな策略を巡らさなくたって、相思相愛の二人を引き裂くなど絶対しないのに。

 単に私と殿下の『婚約破棄からの真実の愛』劇場をお望みなのか、あるいはいろいろフラグを立てまくり私を勘違いさせた上で、殿下の婚約者からザマァされることを望んでいるのか。

 いや、クラリッサの思惑はともかく、目下重要なのはお茶会に着ていくドレスだ。

こういう時我が国では、主催者のドレスの色が被らないようにするとか、身分が上の令嬢より派手な装いをしないとか、いろいろと暗黙のルールがあるのだが……我が家はそういう調査能力がない以前に、品ぞろえに難があった。

「どうしよう……」

 余所行きの衣装が入ったクローゼットの中には、三着のドレスしか入ってない。

 しかも一つは先日の舞踏会のために奮発して新調したもの。これは少々露出が多い夜会用でお茶会には向かない仕様だし、連続で同じドレスを着て参加するのは好ましくない……というか貧乏なのを宣伝して歩いているようなものなので、絶対に避けたいところだ。

 とはいえ、後の二着は社交界デビュー時にあつらえたものなので、多分今の私ではもう入らない。ゲーム中のヒロインは『侍女にサイズ直ししてもらった』ドレスでお茶会や夜会に参加するので、リメイクできるはずではあるが、流行遅れのドレスでは笑いものになるのは必至だ。

 正直、私個人は周りから笑われようとけなされようと構わないが、両親やいずれ跡を継ぐ弟までもが連動して悪く言われるとなると気が抜けない。

 お茶会の開催は二週間後。

 今から仕立て屋に注文していては間に合わない。

 運悪く、社交シーズンは始まったばかり。末端から上級まであらゆる貴族階級の人間が領地から出てきて王都の屋敷に滞在しており、流行最先端のドレスや盛装の注文が殺到しているだろう仕立て屋は、現在てんてこ舞いの忙しさのはず。

 お金を積めば仕上がるかもしれないが、お針子さんたちが過労死するかもしれない。私はブラック加担したくない。

 クラリッサに泣きついてお古のドレスを貸してもらう、という手も考えたが、「あの子が『友達でしょ』と言って無理矢理わたくしのお気に入りのドレスを奪ったの」とか濡れ衣を着せられてザマァ、なんてオチがちらつくので却下だ。

 やっぱりリメイクでお茶に濁すしかないか。

 萌黄色の立て襟ドレスを持ち、繕い物の得意な侍女の元に向かう。

 ゲーム中のクラリッサは深紅やゴールドなど、目がチカチカするような派手なドレスを着ていることが多かったが、先日の水色のドレスを思い出すとそれも参考にならない。

 だが、彼女がもし転生者なら、ヒロインが衣装持ちでないことも持っているドレスの色は知っているはず。きっと避けてくれるだろう。

「メアリー、このドレスのサイズ直しをお願いしたいんだけど」

「あらぁ、懐かしい。これは作ったものの一度も着なかったアレですねぇ」

 おっとりとした口調のメアリーだが、針を動かす手はミシンのように速く正確無比。ちなみに、この世界ではまだミシンは発明されていない。

「直せそう?」

「多分大丈夫ですよぉ。お嬢様のサイズを測らせていただきますねぇ」

 裁縫箱から布メジャーを出したメアリーは、手早く必要な丈を測りメモを取る。

「うーん……だいたいこのままお直しできそうですけどぉ、このあたりの刺繍が少しずれてしまいますねぇ。レースを被せてごまかしましょうかぁ」

「その辺のことはメアリーに任せるわ。二週間後にあるお茶会に着ていくから、そのつもりでお願い」

「はぁい、お任せください」

 メアリーに任せておけば安泰だ。

 さて、これでドレスの問題は片付いたが……クラリッサがどう出るか不安だ。

 私の前でカーライル様とイチャイチャしつつ、フロリアン殿下との仲を煽るとか――あ、でも確かカーライル様は国境警備隊の配属だから、そうそう王都の社交場に来ることはないはず。長期休暇であっても、さすがにもう辺境にお帰りになっているだろう。

 つまり、彼は不参加? ラッキー!

 なら、呑気にお茶会など開いている場合ではなく、素直に彼を追いかけた方がよほど建設的だと思う。友達以上恋人未満な関係なら、なおのこと急ぎ距離を縮めるべきタイミングである。

 しかし、それをせず悠長に構えているということは、何らかの理由でカーライル様は現在も王都に留まり、公爵家のお茶会に参加する可能性が高い。

 一瞬希望が見えた気がしたけど、本当に一瞬だった。

 うう、お茶会行きたくない。

 気持ちがどんより沈んでいくのに、外は呆れるくらいにいい天気だ。

「……ちょっと散歩にでも行こうかな」

 現実逃避……もとい気分転換のため、私は庭掃除していた侍女に外出の旨を告げると、その足で裏口に向かって屋敷を出た。王都にはくわしくないが、何度か出歩いているので近所の地理は把握している。

 貴族令嬢なら供の一人や二人連れ歩くものだが、我が家にはそんな人員は余っていない。

 そもそも、私は四年も庶民に混じって働いていたのに、一度も貴族令嬢だと疑われたことすらない。そんな私が町娘と変わらないエプロン付きのワンピース姿でうろついたところで、誰も私が子爵令嬢だとは思わないだろう。

 そう思っていたのだが。

「……ホワイトリー嬢?」

 貴族街から下町までのんびり歩き、小腹が減ったのでポケットに入っていた小銭でチュロス棒を買い、それをガブリとかじりついた背後から、出来れば二度と関わりたくなかった人物の呼びかけが聞こえた。

 急いでチュロスを咀嚼して飲み込み、ギギギと音のしそうな動きで振り返ると、そこにはモスグリーンの軍服と制帽を身に着けたカーライル様がいた。相変わらず深く被った制帽で目元は影になっているが、そのおかげで先日の印象そのままに彼だと断じることができた。

「カ、カーライル様……」

「貴族令嬢が供も連れずに街歩きとは、随分不用心だな。もしや家出か?」

「まさか。見ての通り、散歩がてら買い食いしているだけです」

 チュロスを掲げながら答えると、カーライル様は呆れたようなため息をついた。

「王都は治安がいいとはいえ、いつどこで不埒な輩と遭遇するか分からない。詰め所に戻るついでに屋敷まで送ろう」

 ただでさえ街でばったり、なんてありがちなイベント発生させちゃってるのに、さらにフラグを立てる行為はお断りしたい。というか、カーライル様と一緒にいるのを父に見られたらまた暴走する。

 なのでここは「結構です」とはっきり断らねばならない場面だったが、気になる言葉が出て来たので思わず訊き返してしまった。

「詰め所、ですか?」

「以前は国境警備隊だったが、ひと月ほど前から王都警備隊に配属になった。一応小隊を預かる身だが……まあ、お飾りのようなものだ」

「そうですか……」

 王都警備隊はその名の通り王都の治安を守る組織だが、実際の庇護対象は貴族および王族。市民の安全は騎士団が担っている。

 王都警備隊はいくつかの小隊に別れており、王宮前にそれぞれ隊ごとに詰め所があるそうだ。そこへ戻るということは、王宮の敷地を囲むように存在する貴族街を通るということであり、私は彼と嫌でも同道せねばならないという意味でもある。

 まだ用があるからと逃げたところで、貴族の安全を守るのが職務でなおかつ見るからに真面目そうな彼が、はいそうですかと見逃してくれるとは思わない。散歩に付きまとわれるより、素直に送ってもらう方がまだ誤解されない率が低いはず。

 なので渋々……本当に渋々だが、そういう態度は可能な限り引っ込めてカーライル様と共に帰路についた。

 なにゆえに転属になったのかは知らないが、カーライル様がこれからも当面の間王都にいるのは間違いない。もしかして、クラリッサとの逢瀬を満喫するために転属希望を出した……というのは穿ちすぎかもしれないけど、二人はこれを機にババンと婚約まで一直線だろう。

 なのにどうして、クラリッサは私を巻き込もうとするのか。ヒロインという当て馬がいなくても恋は成就するというのに、まさか「立派な悪役令嬢になるためヒロインに嫌がらせをする!」と逆に意気込んでるタイプなの?

 なんにしたって、面倒臭いことこの上ない。

 カーライル様に近づきすぎたら、クラリッサにザマァ。

 フロリアン殿下に近づきすぎても、婚約者の辺境伯令嬢にザマァ。

 まさに“前門の虎後門の狼”の状態だ

 私にできるのは誰にも近づかず、知人レベルをキープすることだけ。しかし、身分も恋愛スキルも何枚も上手のクラリッサに対抗できるかどうか、まったく自信がない。この苦行に耐えられたら、きっと悟りが開けるだろうというくらいの無理難題だ。

「……そういえば、足はもう大丈夫なのか?」

 チュロスを頬張りながら苦悩していた私に、カーライル様がおもむろに声をかけた。沈黙が重かったのかもしれない。

「ええ。散歩する分には問題ありません。お医者様が言うには、応急処置が適切だったおかげだそうです。改めてお礼申し上げます」

「いや……大したことはしていない」

 個人的にちゃんとお礼が言えてすっきりしたが、カーライル様は固い声を発して視線を逸らした。

 おっと、失礼。ただの親切だから、誤解すんじゃねーよってことですよね。

 それくらいわきまえてますって。私もザマァが怖いですし。

 そんな会話が途切れたあとは、二人ともただ黙々と歩くのみ。向こうがこちらの歩幅に合わせてくれているとはいえ、ぱっと見には『近くにいた他人同士がたまたま同じような歩調で歩いているだけ』の状態。

 チュロスがすべて私の胃袋に入り切った後もこの状態は続き、できれば最後までそのままでいたかったのだが……下町と貴族街を隔てる門をくぐったところで、思わぬ伏兵に度肝を抜かれることとなった。

「ごきげんよう、プリエラさん。カーライル様とデートですか?」

 数人の侍女を引きつれた、完璧すぎる淑女の微笑みを浮かべたクラリッサだ。

 唇は優しげな弧を描いているように見えるが、目は全然笑っていない。怒ってないよ、と言いながら怒ってる人間の典型だ。

 ひっ、と引きつる声をどうにか飲み込み、ちっともご機嫌麗しそうに見えないのに「ご、ごきげんよう、クラリッサ様」と挨拶を返す。

 白いレースの日傘を差したクラリッサは、今日も水色のドレス着ていた。舞踏会の時よりずっと質素で露出は控えめだが、私なら普段使いするのは憚られるような高級品であるのは見ただけで分かる。さすが公爵令嬢。お金持ち。

 いやいや、今はファッションチェックの時間じゃない。

 お付きがいるとはいえ公爵令嬢がホイホイ出歩いていることに違和感はあるが、まずは誤解を解くことが先決だ。

「その、カーライル様とは下町で偶然会っただけですし、職務の一環で私を送ってくださっただけなのです。なので、決してデートなどというものではなく……」

 うわぁ……真実そのものを話しているはずなのに、ものすごく言い訳に聞こえる。

 墓穴を掘ったかも、と冷や汗を流す私の横で、カーライル様はそれに気づかないのかいつもと変わらない様子で私に同意した。

「ホワイトリー嬢の言う通りだ。下世話な詮索はやめてくれ」

 やっぱり言い訳っぽく聞こえるが、ここで「誤解しないでくれ、俺はクラリッサ一筋だ」とか言い出さなかったのは評価できる。それは浮気男のテンプレ発言だ。

「あら、そうなんですの? とても仲睦まじそうに歩いていらしたようですから、わたくしてっきり……ふふ、勘違いしてごめんなさいね」

 どこら辺が仲睦まじく見えたんだろう。ていうか、どこから見てたんだろう。

まあ、見られたところで正味事務的な会話しかしてないし、どちらかといえば沈黙の方が長かったし、取られる揚げ足もないわけだが……むしろ、ザマァフラグ立てにきてるとしか思えない発言でカチンとくるな。

 だが、ここで感情をあらわにしたらそれこそ向こうの思う壺だ。

「誤解を招くようなことをしでかしたようで、大変失礼しました。以後気をつけます。ところで、クラリッサ様はどうしてこのような場所に?」

 高位の貴族令嬢とて年がら年中屋敷に籠っているわけではなく、買い物や散策にでることもある。私のように下町まで出るのはレアだが、治安の保たれた貴族街の中を出歩くのは珍しくない。

 ただ、このあたりは貴族令嬢の好みそうな店も公園も何もない……それこそ簡易検問的な機能しかない場所だ。公爵令嬢がうろつくには不自然である。

 という旨をこっそり込めて問うと、クラリッサはほんのりと赤く染まった頬に手を当て、いじらしい感じで答える。

「……その、カーライル様にお会いしたくて詰め所にお伺いしたのですけど、下町に散策に出られたと聞きましたので……詰め所で待つよう隊員の方には言われたのですが、ここで待っていればいち早くお会いできるかと思い……」

 女神もかくやの美少女が甘酸っぱい恋に焦がれ、妖艶な光を宿した瞳で上目遣いに想い人をチラ見する様は、非常にあざと可愛い。

 どんな身持ちの堅い男でも一発で陥落するだろう。実際、カーライル様も悶絶をこらえるようにうつむき、制帽のツバを押さえて必死に顔を隠している。

 ああ、はいはい。ご馳走様でした。

 馬に蹴られて死にたくないので、ここは戦線離脱しようと思います。

「あら、ということはこれからデート、ということですね。お邪魔虫の私はこれにて失礼します。二週間後のお茶会、楽しみにしておりますね」

「あ――」

 カーライル様が物言いたげな顔を上げたのを視界の端に捉えつつも、私はきっちりスルーして風のように去った――淑女に許される最大限のスピードで。

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