第20話 狂信者
少しばかり妙なものが近づいた気配がして、タイラは山を歩いていた。とはいえ散歩と見回りの中間のようなものだ。山に妙な気配がするなどということは珍しくもなんともない。ノゾムの結界に引っかからなかったということは、そう悪いものでもないのだろう。
やがてタイラは、山の麓で這いつくばっているそれらしきものを見つけた。月も隠れるような夜闇のせいでよく見えなかったが、髪の長い――――それは少女のようだった。
「そこで何をしている?」
「! ああ、あなた様はこのお山の守り神さまでしょうか」
「そのようなものだが」
子どものように見える何かは顔を上げる。「どうぞわたくしを庇護下に置いてはいただけないでしょうか。行くあてがないのです」と言った。
またか、とタイラは思う。このような妖怪が山へ訪れては同じようなことを言う。様々な事情があろうが、正直に言えば『本当に他にないのか』と言いたくはなった。どうも駆け込み寺と化していて困る。
「――――まあ、この山にいたいならそうすればいい。ただし俺はお前の住む場所まで用意しないし、面倒を見てやるつもりもない。ここで好きに生きて好きに死ぬがいい。わかるな?」
すると少女は微笑み、「ありがとうございます」と涙ぐむ。それほどまでに追い詰められるようなことがあったのか、と思うと憐れみよりも先に『なぜ?』という疑問が立った。
「何があった? なぜ『どこにも行くあてがない』という状況に陥ったんだ?」
「追われているのです」
「何に追われているんだ」
少女は言いづらそうにした。「こんなところでは」と下を向く。聞かれてまずい話なら、聞かない方がいいかもしれないなとタイラは考えていた。知ることで火の粉を被ることもあるだろう。
「申し訳ありません……図々しいことは承知の上で、どうかお手をお借りできませんでしょうか。足に傷を負って立つことができないのです」
どちらにせよ一晩くらいは家に泊めてやろうかと思っていたところだ。抱えて移動してやるくらいは造作もない。
「あのぅ、こう暗いとダメでしょうが、どこかに鈴が落ちてはいませんでしょうか。母の形見なのです。落としてしまって」
「鈴……?」
抱き上げてやろうとした直前にそんなことを言われ、タイラは思わず地面を見る。
次の瞬間、頭に衝撃が走り、後ろにひっくり返りそうになった。
右手をつき、どうにか体勢を立て直そうとする。痛みを認識する前に左目の辺りを押さえた。温かい液体が手を濡らす。血だ。何が起こったかよくわからなかった。
少女が目の前で、銃口をこちらへ向けている。
また引き金がひかれた。左肩、胸、腹。この近距離で避けられるはずはない。タイラは舌打ちをして、少女の腕を掴んだ。
「この……っ、四発も撃ちやがって。痛ぇんだよ」
少女はくすくすと笑った。そこに、先ほどまでの涙の影はない。心底嬉しそうに笑っている。
それから少女は、タイラの頬を撫でて顔を近づけた。唇に柔らかな感触がある。
イカれている、と思ったが少女はにっこり笑ったまま「ずっとお会いできるのを楽しみにしていました」と言った。どこかで会ったことがあるか? そう考えてはみたものの、何も思い出せない。そもそも頭を撃たれたせいで思考がバラバラだ。考えはまとまらず、ただこの子どもをぶち殺すか否かの間で揺れているだけだった。
「いいんですよ、雀鈩さま。私のことを殺しても。ええ、でも私はあなたの望むものを知っています。一緒に遊びましょう、雀鈩さま。きっと私が、あなたのことを解放して差し上げる」
頭がぼんやりする。撃たれたせいだろうか。肉体などまやかしのようなものなのに、損傷するときっちり影響があるのがよくない。タイラは少女の腕を離していた。少女はタイラの首に腕を回している。
「たくさんたくさん、楽しいことをしましょうね」
それも悪くないかもな、とタイラは思った。
☮☮☮
思わず立ち上がり、ノゾムは眉をひそめる。腕組みし、「なんだ……?」と呟いた。
先ほどまで感じていた微妙な違和感とは比べ物にならない、脳内を走る警鐘。
(何か山に入ってきたとは思いましたけど、また何か……違う何かが……)
最初の違和感は、本当に微々たるものだった。人間か、あるいは力を持たない妖なんかが入ってきたのと同じような感覚だ。それだけであれば何も珍しいことではない。人間であれば保護する必要があるかもしれないとは思ったが、その場合大抵はこの神社にたどり着く。動き回るよりここで待っていた方がいいだろうと考えていた。
しかし、今感じている危機感はまた別のものだ。
何かが突然現れた。それは本来ノゾムの結界に引っかかるような強い力を持ち、不浄ですらあるものだ。しかしそれは、結界の内側から現れた。冷静に分析するとそうなる。
ノゾムはちらりと時計を見た。こんな時間に出歩くのマジめんどくさいな、と思って懐から電子端末のようなものを出す。耳に当て、しばらく待った。
「……こんな時に繋がらないって、何なんだあのひと」
タイラは運転中なのだろうか。いつも連絡だけは取れるひとだと思っていたのだが。「あのひと、山神を副業かなんかだと思ってんじゃないだろうな」とぶつぶつ言いながら、ノゾムは仕方なく外に出る。
「ごめんください」
鳥居の下に誰かがいた。長い黒髪の、背丈はノゾムより少し小さいくらいだ。子どもだろうか。声は少しハスキーだが、少女らしい仕草で駆け寄ってくる。
「この神社の神さまでしょうか」
「……? ええ、まあ」
妙な娘だと思った。ベースは確かに人間でありながら、何かが混じっている。妖怪か、あるいは怨霊の類か。
「君はここに迷い込んだのかな?」
「いえ。雀鈩の神々に庇護を求めて参りました。匿ってくださいませ」
「匿う……? 何かに追われてるってことですかね」
「ええ、はい。さようでございます」
厄介ごとの匂いしかしない。あるいは、とノゾムは考える。この娘を追いかけて、何かが入ってきたとも考えられる。そうであればもう火の粉は降りかかっていると考えるべきで、何にせよこの少女の話は聞くしかないだろう。
「……わかりました。中に入って話をしましょう」
「どうもありがとう、お稲荷さま」
お社の中に入れ、座らせる。灯りの中で見ると、それは美しい娘だった。歳の頃は、人間で言えば十四か十五くらいだろう。どこかで会ったことがあるような気もしたが、思い出せなかった。
少女はじっとノゾムを見て、「お礼をさせてくださいませ」と言う。
「いやお礼とかじゃなく、まず話を聞かせてもらっていいっすか。君が何者なのかと、何に追われているのか」
ただ少女はじっとノゾムの目を見ている。気付かないうちに眩暈があった。不思議な感覚だ。「名は?」と尋ねると、少女は目を伏せる。
「あなた様は今まで、誰に褒められるでもなくこの土地の人々を守ってきた。そろそろよろしいでしょう、ご褒美くらい貰っても。少しばかり休みが欲しいと願ってもバチは当たりませんでしょう」
「一体……何を……」
くらくらする。ダメだ、と思った。この目を見続けていてはダメだ。今や少女は身を乗り出して、ノゾムと視線を合わせていた。
「あなた様の望みは何でしょうか。願いは? 許されるなら、一体どうなりたいのです?」
「オレは……個人の望みを持つようには作られていない……」
「いいえ。いいえ、あなたには“夢”がある。でなければなぜ、」
ふと少女は、戸棚を指さし笑った。
「訪れる人を待つかのように茶菓子など用意しているのです?」
思わずノゾムは顔を赤らめる。それは恥というより、何か悪いことを見咎められたようだった。
「あなたは神でありながら、人の心がわかるように作られた。その上で、あまりにも神から逸脱するような考えを排除するようなシステムに組み込まれている。それって、おかしいと思いませんか? あなたは勝手に人に近い心を持たされ、それでいて人に近づこうとする心をこれまた勝手に捨てられている。そんなのってないですよね。いくら効率の問題なのだといっても、それはあまりにもあなたの権利を無視しすぎていると私は思うのです」
「権利? 馬鹿馬鹿しいな。オレは、」
「馬鹿馬鹿しいとお言いですか? それはよくないですね」
少女はノゾムの頬に両手で触れる。「あなたの夢を守るのはあなたなのですよ」とゆっくり瞬きをした。
「そうだ、少しばかり体験してみるというのはいかがです? 私からのお土産でございます。どうぞお楽しみくださいませ」
次に目が合った時、ノゾムは自分の存在が揺らぐのを感じた。目の前が暗くなり、ふらつく。遠のいていく意識の中、「おやすみなさい、稲荷さま。よい夢であることを願っております」と声を聴いた。
☮☮☮
翌朝、飛び起きたノゾムはそのままタイラたちの家に駆けこんだ。
「せ、先輩は!?」
「あらごきげんよう、ロイナリ様」
「その呼び方については後で話があります。で、あのひとは?」
「鈩天お兄様は昨夜からお戻りになっておりませんわよ。またどっかで車中泊でもなさっているのでは」
「こんな時に……」
「どんな時です?」
言葉に詰まったノゾムは、「あの……にわかには信じられない話なんですが」と言い出す。「まあ、千年近く生きていればにわかには信じられない話なんて数えきれないほどございますわね。自分の存在とか」と美雨は茶化した。
「結界が張れません」
「なんと」
「姿を変えることもできず、恐らく神罰もダメ、何の……何の力もないというか」
「へえ、それじゃあ……あなたまるで、ただの人間みたいじゃありませんか」
美雨はけらけら笑った後でノゾムの顔を見て、「……えっ(ドン引き)」と真顔になる。
「何です、そのバグ。思い当たる節は?」
「バリバリにあるというか、つい昨夜の話なんすけどね」
そう言いかけたところで、二階からカツトシが下りてきた。「あら、あんた来てたの」と言ってノゾムを見たカツトシは、呆気にとられたように動きを止める。
「何? イメチェン?」
「違います」
しげしげとノゾムを見て、「はぁ~~~そりゃ大変ね」と言ってカツトシはソファに座った。「いいわよ、あんたから話しなさいよ」と続きを促す。
「ええっとですね、昨晩うちのお社に変な子どもが来まして。困っていると言うので話を聞こうと中へ入れたんですが……妙な呪いでもかけられたのかこの通りです」
「何です、その子どもというのは。稲荷明神の子機たるあなたに呪いをかけるくらいですから、かなりのやり手ということかしら?」
「それがですね……そうとは思えなかったんですよね。むしろ人間に近かったと思います。アイちゃんさんには見えますか? オレの記憶から、その子どものこと」
「見えるわよ。まあ……でも、直接見たいわね。記憶からじゃ、その子どもの内面までは見えないし」
「まだこの山にいるのでしょうか」
「それも確認済み。まあ手っ取り早く会いに行きましょうよ」
仕方ありませんわね、と言いながら美雨が腰に手を当てた。
「というか、なんでこんな時に限って鈩天お兄様はおられないのです?」
「そうねえ……」
なぜか言葉を濁しながらカツトシはノゾムたちの背中をぐいぐい押す。「とにかくその子と話をしましょう、今すぐ」と言って、家を出た。
☮☮☮
山の中腹、タイラの祠がある辺りにその子どもはいた。と、その前に。
「あの……あれ……先輩?」
祠の前にタイラが眠っている。眠らされているという雰囲気ではない。この上なく心地よさそうに眠っている。ノゾムはちょっとイラっとした。
娘はそんなタイラに膝枕などして「こんにちは、皆さん」と挨拶をする。
「……なーに寝てんすかね、あのひと」
「お兄さまー、朝ですわよー」
するとカツトシが「やめなさい」とそれを咎めた。「あいつのことは今回起こさない方が正解よ。運よく最後まで眠っててくれたら助かる」と言うので、「え……なぜ……?」とノゾムは顔をしかめてしまう。
「さて、あなたは……とりあえず何て呼べばいいのかしら?」
「お優しい方ですね。ええ、では私のことはヂァンとお呼びください」
「ヂァンくん、ね。で、要求は?」
「要求も何もございません。私は皆さんの幸福を願っております」
「僕には心が読めるって知ってる?」
「あはは。存じております。もう少しおままごとに付き合っていただけるかと思いましたが、やはりダメですか?」
「ダメよ。特にそいつのことは返してもらうわ」
「それは出来かねます。私の一番の目当てはこの方ですので」
ため息をついたカツトシが、「また随分と厄介なのに惚れこまれたわね」と呟いた。ノゾムは頭を掻き、「そのひとが欲しいって言うならそれはそれで構わないんですけど」と肩をすくめる。
「しかしこの山には神が必要ではあります。そのひとを連れて行くのなら代わりになるものを置いてってもらわないと」
「? 誰がこの方を連れて行くと申しましたか。そんなことは致しませんよ。私もこの方からこの山を取り上げるのは怖いのです」
「じゃあ何がしたいんすか」
「ええ、ですので――――この山は私たちにください」
はぁ? と思わず眉をひそめてしまった。少女はにこにことただこちらを見ている。「なーに言っちゃってんですかマジで」とノゾムは睨む。
「ですからこの山は私たちにください。拠点にいたします。皆さんの居住権はございません。というか、わらわらと弱い者が増えすぎてさすがに気持ち悪くありませんか? 神も一柱おられれば十分ですし。なぜ神社など建てているんです?」
「いやそれは正直オレも訊きたいんすけど……」
「じゃあよろしいではないですか。この山はください」
「……嫌だと言ったら?」
「神社を燃やすことも辞さない考えです」
「なんだこの危険思想の子どもは」
燃やせませんよ、とノゾムは白い目で見た。「あの周りには最高強度の結界が張ってあります。すでに君のことは敵と見なしました。もう侵入すらできません」と首を横に振る。それは、と少女は言って眠っているタイラに視線を落とした。
「この方でも、ですか?」
「……」
「“強度”と表現する以上、恐らく物理的ダメージに限界があるのでしょう。それはたとえば、この方の全力をもってしても破れないものなのでしょうか」
「……そのひとのことを操れると思ってんですか?」
「実のところそれは私にもわからないのです。ですが、可能性としていかがかと思いまして。この方に結界を破られたことは? 本気でやり合って、あなた様が上回るとお思いですか?」
「馬鹿にしてんすか」
舌打ちしたノゾムに、「まあまあ。そうお怒りにならなくても」と言って少女がタイラの髪を撫でる。
「そろそろ起こしてみましょうか」
「えー、起こすの??」
「なんでアイちゃんさんはそんなにあのひとのこと起こしたくないんです??」
「いや別に……じゃあ起こせばいいけど、僕は知らないからね……」
表情を変えないままヂァンは「真っ先に私が殺されるかもしれませんが、その時は皆さんで頑張ってください」なんてことをさらっと言った。それからタイラの耳元で「お早うございます、雀鈩様。お目覚めくださいませ」と優しく囁く。
身じろぎをし、タイラは薄く目を開けた。しばらくぼうっと視線を彷徨わせていたが「……あ?」と言って眉をひそめる。
「俺を――――起こしたか?」
「ええ、はい。起こしました。改めまして、お早うございます。ご気分はいかがですか」
しかめ面のまま、タイラは寝返りを打ち、ヂァンの腰を抱くようにして「気分じゃない」とだけ言った。
ヂァンはにこにこしたまま、ノゾムたちを見る。
「いやこっち見られましても」
「愛染さま、これはどういうことでしょうか」
「気分じゃないのよ。よかったわね」
「うーん……」
ヂァンはタイラの肩を軽くぺしぺしと叩き、「起きてくださぁい。遊びましょうよぉ、雀鈩さま」と声かけをした。しかしタイラは動かない。
「……なんだか上手くいってないようなのでもうちょっと話をしてもいいすか」
「そうしていただけると私も助かります」
「結局、君の願いは何なんすか? 最終目標ってやつですが」
「そうですね。人類の滅亡でしょうか」
咄嗟に、ノゾムは右手を上げる。そのまま「不浄たる者よ、不敬なるものよ」と口を開いた。それからハッとする。神罰など使えないのである。今のノゾムに、その力はない。「あなた様はお気づきになられていないかもしれませんが」とヂァンは目を細めた。
「一度も、『自分の力を戻してほしい』と言いませんね。お土産、気に入っていただけましたか?」
「……その交渉は後でしようと思ってましたよ」
「はっきり申し上げますと、その必要などないのです。まあそれは愛染さまにお聞きなればよいでしょう。一つお約束いたしますが、私は私の希望が通る限り皆さんのことはどうでもよいのです。このお山をくださるのなら、追いかけていってあなた方を害するようなことはいたしません。ご一考のほどお願いいたします」
それからヂァンは指を鳴らす。「雀鈩様がこの通りですので、私もこれ以上は何とも。また興が乗ったころお会いしましょう」と言った瞬間――――ノゾムたちはその場を弾かれた。強い力に押されたようにその場を退かされたのである。ヂァンは少し遠いところで微笑みながら手を振っている。
「結界……?」
「あんたこれ破れないの? って、そういえば今のあんたには対応できないんだっけ」
「自分の得意分野でやられると地味に傷つきますねこれ……」
仕方ありません、とノゾムは立ち上がった。
「アイちゃんさんに解説をお願いしながら、作戦でも立てましょう」
ふとノゾムはずっとその場にへたり込んだままの美雨を見る。「どうしたんです?」と声をかけたが美雨はしきりに首を傾げるだけだった。
「……何でもありません。ではどちらに?」
「ひとまず幸枝さんちに行って情報共有するべきじゃないすかね」
「それはそうねー。今日は休日だからユメノちゃんたちもいるだろうし」
三人でぞろぞろ歩いて行く。「いやー困りましたねー」「そうねー困ったわねー」とほとんど棒読みで言いながら、都宅へ赴いた。
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