第19話 学校の神さま
瞼に刺さる弱い光を感じ、目を開ける。目の前にはランドセルを背負った少女が手を合わせており、「こっくりさまこっくりさま」と一生懸命にたどたどしい言葉を紡いでいた。
「なくしたおまもりがもどってきますように」
そう言って、少女はパタパタと走っていく。
「……?」
オレはゆっくりと動き出し、状況を把握しようとする。
またこっくりさん、か。そう思ったりもしたが、何かがおかしい。先程の少女の動きを見ても、そこに『こっくりさん』という儀式めいたものを感じない。
場所は、学校。屋上前の踊り場のようだ。
(これは……神棚?)
木製の棚に、お供えのような饅頭などが置かれている。それから木の札には妙に達筆な『こっくりさま』の字。
また子どもがやってきて、その子は神棚に向かって「こっくりさまこっくりさま、今日は雨が降りませんように」と拝んでいった。
そして、オレは状況を正しく理解する。
(祀られている……“こっくりさん”が。そしてその中身に、オレが選ばれている……?)
「よお、元気か?」
そんな風に声をかけられ、オレは振り向く。その男のことを、オレは識っている。
「……今、どこから現れたんです?」
「屋上」
「不審者入り放題じゃないですか、この学校」
「まさか屋上から来るとは思ってないんだろう」
先輩、と言いかけてやめる。そうだこの男は
「あんたの入れ知恵ですね?」
「何のことだ」
「何のことだじゃないでしょう。これっすよ」
言って、オレは手作り感溢れる神棚を指さした。「何だよ、俺のDIYにケチつけんのか?」と眉をひそめるので「しかもあんたが作ったのかよ」とツッコんでしまう。
「山の神って随分暇なんですね、オレなんかにちょっかいかけて」
「山だろうが海だろうが神なんか暇に決まってるだろ。時間ばかり持て余しているからな」
「あんたのそういう、のらりくらりした受け答えが嫌いでしたよ」
昔から、と付け加えてやればそのひとはただ目を細めた。
「どういうつもりなんですか、これは」
「見ての通りだ。望月命とは別存在の“こっくりさん”としてお前の存在を固定させることにしたんだ」
「勝手に?」
「そうだな」
「なんて余計なことをしてくださったんでしょうか」
「子どもの守り神では役不足か?」
「…………オレは望月命から不要とされたものの掃き溜めですよ。本来存在してはならないゴミなのに、そんなものを祀りあげてどうするっていうんですか」
じっとオレを見つめて、彼は瞬きを一度だけした。
「ノゾムの別側面というからどんなやつかと思ったが、随分と卑屈なんだな。『本来存在してはならないゴミ』というものを俺はよく知っているが、お前がそれを語るのは些か気が早いように思える。お前はまだ、たった一つの価値観しか知らない。すなわち、“稲荷の神にふさわしいか否か”というだけの価値観だ」
彼は階段の手摺の辺りに軽く腰かけて、ちょっとため息をつく。それがどういう感情の発露なのか、オレにはわからない。こういう時、たとえば“アイちゃんさん”のような能力があれば彼の心が読めたろう。だけどオレには察することもできない。なぜ彼が、この瞬間ほんの少し寂しそうな顔をしたのかも、だ。
「――――どんな宝石も、時と場合によってはゴミだ。それを求めない者からすればゴミだ。鑑定を誤ればゴミだ。そも、磨かなければただの石と変わりはしない」
このひとは。
なぜこうも、欲しい言葉を簡単に投げかけてくるのか。
「お前はこれから、何だってできるだろう。ゴミになるか、それ以外の何かになるか。それはお前の矜持次第だ。少なくとも……」
ふと彼は言葉を詰まらせる。「少なくとも、俺にはゴミなんかには見えないよ、お前はさ。ユメノとユウキにしても、お前を不要物とは思っていないだろう。あいつらは、『お前とノゾムは違う』と言ったうえでお前に会いたいと言ったんだ」と言って目を細めた。オレは瞬きをして、ぐっと泣くのを堪える。
「ああ、そうだ……ユメノとユウキといえばだな。どうもお前の名前がないことを気にしていてな。不便だから何とかならないかとうるさいもんで、こっちで勝手に決めることにした」
「勝手に?」
「そうだな、勝手にだ。文句があるのか?」
「そういうのってパワハラになりませんか」
懐から何か巻物のようなものを出した彼が、それを目の前で開いて見せる。
『朔希』
妙に達筆な字で――――もしかしたら木の板に『こっくりさま』と書いたのもこのひとかもしれない――――巻物にはそう書いてあった。オレはそれを見て、首を傾げてしまった。彼は自分の頭を掻きながら、「
「真名を隠すのなら、そうだな。“朔”とでも名乗るがいい」
「……さく?」
ふっと笑ったそのひとは、不意に裾を整えてその場に正座をした。それから指先を綺麗に重ね、目を伏せる。
「
オレはぎょっとしてうろたえた。するとその人は苦笑しながら「ダメか? 雰囲気で押し切ろうと思ったんだが、もう一回考えて来た方がよさそうか?」とこちらを見上げてくる。もうなんだか力が抜けてしまって、「ひどい名前だなぁ」とオレは呟いた。
「あんたはなんでそんなことしてんですか、マジで。暇すぎじゃないですか」
「それもそうだが、お前だって俺の後輩なんだろうが。これくらいのことはするだろ」
「……呆れたな」
何がだよ、とそのひとは――――“先輩”は心底不思議そうな顔をした。また、子どもの声がする。それを聞いた先輩が「まあそういうことだ。また来るわ」と片手を上げた。「いやもう来なくていいんですけどね」と憎まれ口を叩けば、彼はくつくつと喉を鳴らす。屋上へ出るドアが開き、眩しすぎる光が射した。
☮☮☮
腕組みをしたノゾムが、「なんてことをしてくださっているんでしょうか」とタイラを見る。それは非難しているというよりは、呆れ果てているという表情だった。
「何のことだ」
「何のことだじゃないでしょう」
頬杖をつき、ノゾムは学校の中を覗く。自分から生まれた影が、全くの別存在として存在しているさまを見た。
「あれはあんたには関係ないでしょう。勝手に介入してややこしいことにしないでくださいよ」
「俺に関係ないかどうかは俺が決めることだろ。あいつは俺の後輩だ。お前こそ、俺とあいつのやり取りに口を出してくるな」
「はぁ~~~??? ふざけないでください、あれの管理だってオレの責任ですよ??? どーすんですか、あれが問題起こしたら」
「その時は手伝うよ」
「いや何を??? 無責任だなあんた???」
軽く肩をすくめたタイラが、「別にいいだろ。ユメノとユウキも喜ぶし」と何でもないことのように言う。「それに」と続けたタイラは目を細めていた。
「そう心配しなくても、どうせお前たちは善良だよ」
何すかそれ、と言ったが答えはなかった。その代わり「さて、あいつらの迎えの時間まで小遣い稼ぎでもしようかな」とタイラは言う。「それが神の言うことですか」とノゾムは眉をひそめた。
ふと、タイラが校舎の方を見て「あの在り方が、羨ましいか?」と尋ねてくる。虚を突かれたノゾムは、じっと例の影法師を見つめてしまった。それから目をそらし、「いいえ、まさか」と答える。
「ただ……」
瞬きをし、頭を掻く。
「随分不器用な弟が出来てしまったなぁと嘆いているだけですよ」
それを聞いて、タイラがひどく可笑しそうに笑った。
☮☮☮
「わああ! いるじゃん裏もち様!」
「よかった! です!」
「あ、呼び方それで統一されたんだ」
放課後に現れたユメノとユウキが、嬉しそうに「やっほ!」「こんにちは」と挨拶をしてくる。朔はちょっとムッとして「『やっほ』じゃないんですよ」と文句を言った。
「誰がこんなことしてほしいって頼みました?」
「誰も頼んでない。強いて言えばあたしたちがタイラに頼んだ」
「また会いたかったので。すぐ会えないかなーって思ったので」
朔が呆れた顔をする。そういう顔をすると本当にノゾムにしか見えないが、「まったくしょうがないな」とちょっと赤くなったりは、あんまりノゾムはしないかなとユメノは思った。
「これからは毎日会えるね」
「学校は勉強するところでしょう、オレなんかに構ってないでやることやってください」
「勉強もするし、友達と遊んだりもするところですよ」
「……はいはい」
言いながら朔はどこかへ歩いて行こうとする。「どこ行くの?」と尋ねれば、「関係ないでしょ」と返答があった。
「子どもたちも帰るころだし、ちょっと校内をぶらつこうと思っただけっすよ」
「おっ、じゃあ一緒に行こ」
「いや来なくていいです」
空咳をした朔が「失せもの探しもしなきゃいけないので」と話す。
「失せもの?」
「ええ。今日ここに来た子供が、“お守り”を失くしたと言ってましたから。校内にあるなら探してあげようかなと思っただけです。外で失くしたならお手上げですけどね」
ユメノとユウキは顔を見合わせて、にんまり笑った。「よし、手伝ったげよう!」「何歳ぐらいの子ですか? 案外、教室とかにあるかもしれません」と朔を追いかける。朔は「いいっすよ、オレ一人で」と言っていたが、ユメノたちを追い返したりはしなかった。
どうやら朔は人間以外のものと話ができるようで、結局は女子トイレに落ちていたそれらしいお守りを見つけることができた。ちなみに我が校にも『トイレの花子さん』というのがいるようで、お願いしたら「しょうがないわね……。てかあんたたち、何? どういう存在?」と訝しげながら協力してくれた。オバケに訝しげな顔をされるのはさすがに初めてだったが、彼女とも仲良くなれそうだった。
見つけたお守りを“こっくりさま”の神棚の前に置き、朔は腰に手を当てる。「これがあの子のお守りだといいんすけどね」と呟いて、ちょっと笑った。
「どうも、手伝っていただいて」
「いえいえ」
「これからもこうやって学校の子たちの悩みを解決してあげたり、したいね」
「まあ……気が向いたら、それもいいっすね」
ユメノとユウキはにやにやしてしまう。朔は嫌そうに「何すかその顔」と言った。
「何でもないって」
「そろそろタイラが来ちゃうので、帰りますね」
そうして、二人で手を振る。「またね、こっくりさま!」「また明日です」と。朔は仕方なさそうにひらひらと手を振り返した。
「“また明日”か……」
一人、そう呟く。「長いなぁ、一晩って」と、輝き始めた月を見ながら頬杖をついた。
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