第18話 おまじない

 彼はゆっくりとこちらに近づいてくる。その瞬間、周りの生徒たちが一斉にひっくり返った。驚いたが、どうやら気絶しているだけのようである。

「君たちは本当にこういうのに縁がありますね」

「ノンちゃん……だよね? いつものノンちゃんじゃない方の」

「いやぁ、君たちが気づかないようなら望月命もちづきのみことを騙ってもよかったんですけど、残念です」

 ユメノとユウキはもうすっかり思い出していた。そうだ、あの長い長い石段と、いくつもの鳥居の先にいた彼を。そして思わず抱き着いた。「ひさしぶりっ」と叫ぶ。見れば、ユウキも彼に飛びついていた。

「……こうも熱烈な歓迎を受けると困りましたね。オレは別に君たちの味方ではないんですが」

「違うの!?」

「違うでしょ。今の状況わかります?」

「わかんない……なんで来たの?」

 呆れた様子の彼はため息をついて、「何はともあれまずやることがあります」と手を叩く。一瞬、目の前に真っ赤な鳥居が現れた。瞬きをすると消えている。幻だったのだろうかと目を擦っていると、その代わりに別の異常事態が発生していた。外が暗い。この時間、少なくとも沈んでいく夕日が見えるはずだ。しかし夜中より暗い。街灯すら見えない。

「何したんですか!?」

「神隠しです。この箱庭からは誰も出られなくなりました」

「どちて??」

「話を戻しましょう。君たちが何に巻き込まれているか、です」

「ありがたいんだけど立場が違う気がするね」

「まったくっすわ。普通こういうのは君たちの方が事情をわかっていそうなもんですけどね」

 その前に、と彼はため息をつきながら近くにあった机に腰かけた。なぜか、みるみるうちにその姿が縮んでいく。呆気に取られているユメノたちに、「神隠しは結構疲れるんすよ。こんなデカい建物ごとだと尚更です」と本当に疲れた顔をして見せた。その姿はすっかり七歳くらいの少年に見える。

「なんで子どもになったの?」

「省エネです。オレはもうすでにだいぶキてます。本物の望月命と違って稲荷明神と繋がっていないオレは、リソースが限られていますからね」

「子どもの姿でその口調、だいぶ可愛げないね」

「はあ。すいません」

 じゃあ続きですけど、と言いかけた彼にユメノは手を上げて「その前にあたしたちもいい?」と発言の許可を求めた。

「あのさぁ、あなたのことはなんて呼べばいいのかな」

「は?」

「だってノンちゃんって呼ぶのって違うじゃん? このままだと不便だから」

「ノンちゃんはこのノンちゃんのこと、『月の裏側』って呼んでたので、ノンちゃんが“望月”なら“裏望月”様とかでいいんじゃないですか?」

「ちょっと待ってもらっていいですか。てかややこしくて何言ってんのかわかんないんすけど」

「じゃあ裏ノンちゃんでいい?」

「なんすかその投げやりなネーミング」

「うーん、やっぱひねりがない気がする。もっとなんかないかな」

「だから、オレみたいなのに名前なんかつけちゃダメですって。存在が確定したらどうするんですか」

 何が悪いの? とユメノは首を傾げる。彼は長い長いため息をついて「本当に困るなぁ、この子たちは」と呟いた。

 安易に名前をつけられた稲荷明神の子機の影法師は、諦めた様子でまたため息をつく。「やりたい放題だな、君たち。まあいいでしょう。それほど時間に余裕があるわけでもないですし」と話した。


「ねえ、この気絶しちゃってる子たち、大丈夫かな」

「ええ、今のところ寝てるだけですね。曲がりなりにもオレは稲荷明神の子機の別側面ですし、オレを呼んだ時点でちょっと疲れたんでしょう。しばらく寝れば勝手に起きるはずです」

「それならいいんですが……でも、みんなちょっとおかしかったですよね?」

 濡れ衣をかけられたような困った顔で“こっくりさん”は「それはオレのせいではないですね」とため息をつく。

「というか、この子たちは少々勘違いしていますね」

「勘違い?」

「ええ。どうやらこの子らは、『こっくりさん』というものをそういう名前の一体の妖怪か何かだと思っていたようです」

「わからないでもない。あたしもノンちゃんの解説聞くまではそうだと思ってたし」

「ああ、もう望月命からある程度解説を受けているわけですか。ならオレからの説明なんて必要ないとは思いますが」


 説明してよぉ、と頬を膨らませれば彼は肩をすくめてみせる。

「『こっくりさん』というのはその実、化生の名ではなく儀式の名です。有象無象の小さな霊魂を呼ぶ降霊術、それをこっくりさんと呼びます。つまりここの生徒たちは『こっくりさん』という一体の怪物を呼び寄せたつもりでいて、実際は有象無象の霊魂を儀式のたびにいくつも呼んでいたということです。霊魂が溢れれば、尚のこと確かな土壌となりますからね。ついにはオレのようなものを呼び出すに至ったんでしょう」

「ふむふむ」

「ここの生徒たちが何十回儀式を行ったか定かではありませんが、まあざっと見ただけでもかなりの数です。さすがは雀鈩山のお膝元にある学び舎といったところでしょうか、それともかなり人外に好かれる特殊体質の子でもいるのかな?」

「それってあたしのこと言ってる?」

「いえいえ。君は今回、儀式には一切携わっていないんでしょう。ちょっと言ってみただけっすよ」

「裏ノンちゃんって意地悪だなー」

「妙ちくりんな名前を付けられましたしね」

「いいじゃんか」

 妙ちくりんだなんて心外だ、とユメノは眉をひそめた。空咳をした“こっくりさん”は、「とにかくですね、たくさんの霊魂が呼び出されています」と話を続けた。

「そして恐らく、そのいくつかが生徒にとり憑いたんでしょう。生徒たちの様子がおかしかったのはそのせいです」

「なるほど」

 じゃあどうする? とユメノは尋ねる。“こっくりさん”は面倒そうに瞬きをして、「君ら、オレのこと信用しすぎじゃないですか」と苦言を呈した。

「そうだ、裏望月様はどうして神隠しをしたんですか? 何の意味があるんですか?」

「え、君はそっちの呼び方を通すの? ……それはまあ、霊魂があちこち飛んでいって被害を広げても困るかなと思って閉じ込めただけっすよ。これで望月命でもあの天狗のひとでも呼んで対処してもらえばいいんじゃないですかね」

 ユメノとユウキはじっと彼のことを見つめてしまう。“こっくりさん”はたじろぎ、「なんすか」と眉をひそめた。

「こんなこと言ったら怒るかもだけどさ、」

「また何か失礼なこと言うつもりですか」

「裏ノンちゃんもやっぱり優しいよね」

「あのですね……」

 馬鹿なことを言っていないで早く誰か呼んでくださいよ、と少年の姿の“こっくりさん”は言う。ユメノたちはきょとんとして、「どうやって?」と逆に尋ねてみた。

「どうやってって……君たちはいつもどうやってあのひとらと連絡を取っているんです?」

「……別に取ってないけど」

「えっ」

「学校に携帯とか、持ってきちゃダメなんですよ?」

「嘘でしょ」

 驚いたように瞬きをした“こっくりさん”は、「じゃあ何です? あのひとらは何の連絡手段も持たずに君たちを自由にさせているんですか? 当てが外れたな。あのひとらはもっと過保護かと思ってた」とぶつぶつ言う。「これ以上守られたら逆に困るよ」とユメノは口ごもってしまった。

「困ったな。神隠しを発動している間は中から出られないし、一旦解くしかないか」

「ぼくたちで何とかするっていうのはどうですか?」

「……どうですかと言われましても。正直オレは使い物になんないっすよ。神隠しの維持でいっぱいいっぱいですし。オレは君たちの知っている“ノンちゃん”とは違うんだ」

「裏ちがノンちゃんと違うのはわかってるけど、でもそれだけで“できない”って決めなくてもよくない? やれるだけやってみようよ。オバケの数を減らすとかさ。やっぱダメだったらその時は、あたしとユウキで山にひとっ走りするし」

「裏ち????」

 うーん、と顎に手を当てた“こっくりさん”が「そうは言っても、どう対処するつもりなんですか」と尋ねてくる。ユメノとユウキはポケットに手を突っ込んで、紙の束を出した。

「じゃーん!」

「タイラとノンちゃんお手製、『とにかくこのお札全部持っていれば大体のことはなんとかなるやつ』です!」

「……やっぱ思った通り過保護なのかもな」

 お札を一枚一枚並べながら、「確かこれが幽霊を成仏させるやつです」とユウキが言う。「これを貼り付ければ何とかなるかも」と話した。「あのひとはこれ一枚作るのにどれぐらい時間かけてんですかね」と“こっくりさん”は頭を掻く。

「というわけで、除霊ツアーin校舎行ってみよう!」

「ワクワクしますね」

「なんでこんなことになったんすかねえ……」

 ユウキは教室の清掃用具入れを開けて、勝手に箒を出してきた。「ぼくはこれで」といそいそとユメノたちに並ぶ。

 満を持して教室の戸を開けて廊下を覗き、そしてまた戸を閉めた。


「想像の3倍いる」

「さっきまで何もなかったはずなのに」

「ここは今、神隠しで異界と化しているので……ああいうのが見えやすくなったんでしょう」

「つまり見えなかっただけで普通にいたってこと?」

「そういうことです」

「やっぱひとっ走りしちゃおっかなー山まで」




☮☮☮




 ユウキが箒で殴りつけ、ユメノが結界を張る。その繰り返しで、動物の霊たちをどんどん除霊していった。

「あの……お二方」

「なんですか?」

「普通に戦えてるの、何なんすかね」

「これはノンちゃん直伝の結界。さすがにあたしの力じゃ無理なんだけど、このノンちゃんのお札を使うとできる。あとはめちゃくちゃしごかれた」

「これはタイラ直伝の物理特攻です。『お前には退魔の力がある。そこらの棒きれでも振り回していれば効果があるだろう』と言いながらめちゃくちゃしごかれました」

「それぞれ師匠がスパルタで何よりっすね。大天狗様におかれましてはその口ぶりじゃあスパルタのつもりもないんだろうな……」

 とりあえず学校中を歩き回り、あらかた除霊し終えたように思える。もっとたくさんいたように思うが、どこかに隠れているんじゃないといいなと考えながら中等部一年の教室に戻ってきた。


 どうやら目が覚めた様子の生徒たちが、呆然と外を見ている。外は依然暗闇のままだ。“こっくりさん”が神隠しを解いていないからである。

 君たち、とユメノが声をかけた。生徒たちが一斉にこちらを振り向く。


「こんなにたくさん霊を呼ぶほど、どうしてこっくりさんをやったの?」

「……最初は、本当に勝手に動くのが不思議で何度もやってた。動くってだけで面白かった。でも、一回『次の数学の授業をなくしてくれる?』って冗談で聞いたら、『はい』って。そしたら先生がちょっとした怪我をして、本当に自習になった。私たち、『すごい』ってなって。色々お願いしてみた。こっくりさんはなんでも『はい』って答えてくれた。特に、『嫌いな人を呪ってください』っていうお願いはすぐに効果が出て……でもそのうち……」

「なんだかそれって、私たちのせいみたいだなって思うようになった。やってるのはこっくりさんだけど、それをお願いした私たちも悪いんじゃないかなって。こんなのバレたら怒られるかも、もしかしたら捕まるかも、って思ったら誰にも言えなくなって、でもこっくりさんはすごく便利でやめられなかったし。とにかくみんなで、このことは誰にも話さないようにしようってことにしたんです」

「そしたら、クラスのみんな、なんとなく体調が悪くなってきて……もしかしたらこっくりさんのタタリかもって思ったんだけど……こわくてもなんでだかやめられなかった。ちょっとしたことでもこっくりさんに訊かないと不安だったし、こっくりさんにお願いすれば何でも大丈夫な気がした」


 深く息を吐いて、ユメノは生徒たちに順番にお札を押し付けた。「君たちのそれは、呪いだよ」と話す。

「君たちは人を呪ってたんだよ。それでね、呪いっていうのは必ず自分に返ってくるんだって。人を呪ってみんなで不幸になろうとか考えちゃダメだよ。そりゃあもうヤケになっちゃいそうなこともあるけどさ」

「呼ばれたこっくりさんも困ってたし、ぼくたちはとても疲れたし、みんなも幸せになったように見えないし、もうやめましょう」

「うーん……このお札で、とり憑いてるやつ除霊できたかな。心配だったら雀鈩山の神社においで。話しとくから。それと今学校休んでる子たちのこともちゃんと連れてくるんだよ」

 タイラに頼めばタクシーに乗せて山に連れて行ってくれるかもしれないな、と思ったが今日はもう遅い。“こっくりさん”も「そこまでしてやる義理はないでしょう。それにああいうのは、自分から出向くことにも意味がありますし」というのでしっかり言い含めるだけに留めた。


「裏もち様はこれからどうするんですか?」

「その、どんどん簡略化するのやめてもらっていいですか? どうするも何も、今まで通りっすよ。今まで通り、存在と非存在の狭間をたゆたいながら……運よく表に出られた時は、また運よく君たちに会えるといいっすね」

「…………」


 ああでも、と彼は呟く。

「名前」

「名前?」

「君たちが気まぐれにつけたふざけた名前は、大事に持っていきますよ、しょうがないのでね」

 神隠しはすでに解けている。望月命の影法師は「いずれまたお会いしましょう」と笑い、月の光みたいに柔らかくぼやけて消えていった。ユメノとユウキは顔を見合わせ、「またね」と叫ぶ。


 校舎を出るとタイラがいた。

「ごめん……待たせちゃって」

「いや、今来たところだ。こっちも仕事が長引いてな」

 車に乗り込み、シートベルトをする。タイラは車を発進させながら「お前たちはこんな時間まで何をしていたんだ」と尋ねてきた。なのでユメノたちは代わる代わる今日の顛末を話すことにする。

「そうか……よく頑張ったな、それだけの数を除霊するとは」

「疲れました」

「まあでも裏ちもいたしね」

「裏望月命、ねえ……」

 車のシートに思い切り沈んで、「また会いたいな」とユメノは呟く。しばらく黙っていたタイラが「お前たちは」と口を開いた。

「山にいればいつだってノゾムと会える。それでも、その裏望月というやつに会いたいのか?」

「? 裏もち様とノンちゃんは違いますよ」

「……裏ちの代わりはいないし、ノンちゃんの代わりもいないよ」

 そうか、とだけ考えてタイラはどこか思案顔をする。

「お前たちが本当にそう思うのなら、俺に考えがある」

 タイラはそう言って、大きな悪戯の決行前夜みたいな顔で笑った。

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