第17話 こっくりさん
HRが終わると、ユウキがひょっこり顔を出してきて「ユメノちゃん帰ろう」と言った。ユウキは初等部のため、ユメノよりずっと早くに下校時間となる。それをずっと図書室で勉強などして待っていてくれているのだ。ユメノも「うん」と答えて帰り支度をした。
「あ、教室にお弁当箱忘れちゃいました……」とユウキが呟く。どうやらユメノの持ち物を見て思い出したらしい。「じゃあ一緒に取りに行こうか」と言って、ユメノたちは渡り廊下を歩いて初等部の教室を目指した。
途中で中等部の教室を通りかかると、とっくに下校時間を過ぎているはずの教室に人が見えた。
「あれ、何してんのかな」
「なんだか最近、流行ってるみたいです」
「何が?」
「なんか……こっくりさん」
「こっくりさん?? それって初等部でも??」
「そう。ぼくはやったことないけど、クラスでもやってます」
そんなもの流行ってるのか。建物が別だと全然そんな噂は届かない。てか現代でもやるんだ、こっくりさん。
「こっくりさんってなんだっけ? 妖怪?」
「ユメノちゃん、最近もう慣れすぎて何でもよくなってますね」
「ユウキは最初から動じてないけどね。何でそんなに心が強いのかお姉ちゃんわかんないよ」
そんなことを喋りながら無事お弁当箱を回収し、ユメノとユウキは外に出た。
ちょうどよく校門前に車を停めたタイラが、下りてこちらに手を振る。いつもそうだ。なぜかユメノたちが昇降口で靴を履き替えているくらいの時間に必ず現れる。一度訝しんでなぜなのか尋ねると、『まあそういう運とか縁の話だ』と言われた。そういうことだとユメノたちにはさっぱりわからない話になるのでもう言うのをやめた。
車に乗り込み、何となくその日あったことの報告をする。
「こっくりさん、か」とタイラは呟いた。
「あまり褒められたことじゃないな。お前たちは関わるなよ」
「こっくりさんってなんだっけ? 妖怪だっけ?」
「いや……どちらかといえば霊魂だろうな。あれは確か降霊術の一つだ」
「そうなんだ」
「俺よりはノゾムの方が詳しいだろう。聞いてみろ」
信号が赤になり、車は緩やかに停止する。「期末テストがあるとか言ってたが、どうだ?」と訊かれてユメノは言葉に詰まった。「手応え的には今までよりかはある」と答えれば、「上々だ」とタイラが喉を鳴らす。
「ぼくもたぶんできてると思います」
「ユウキは昔から勉強できるもんなー」
「それはいいな。勉強はできて困ることはない」
頑張りまぁす、とユメノは背もたれに身を預けた。
「今日は真っ直ぐ帰りますか? どこかに寄る?」
「寄りたいところがあるのか」
「ないです……」
「このまま帰りますよ、お嬢様も坊ちゃまもようございますね?」
「はーい」
「はーい」
別にどこか行きたいところがあるわけではないが、ユメノもユウキもこの行き帰りの時間が何となく好きだったのだ。帰りたくないわけでは決してないが、ちょっとでもこうして喋っていられないかなといつも思う。帰っても話ぐらいできるけれど、車の中やタイラの腕の中はなんだか特別だ。
じゃあ、朝もう少し余裕を持って起きればいいのではないかと思う。思うだけで、次の日の朝はいつも通りギリギリだ。明日こそ、と思わないでもないが最近は空を飛ぶのも好きなので妥協してしまう。こんなことをタイラに言ったら怒られるだろうか。呆れられるだろうな。言わないでおこう。
車で行けるところまで行くと、タイラは結局はユメノとユウキを抱いて山の上まで飛んでいく。そうして都たちの家までたどり着き、「明日はちゃんと起きろよ」と言って去っていった。
「ただいまー」
「おかえり、二人とも。ご飯先でいいかしら」
「ありがとうございます」
リビングの奥の方からノゾムが「お邪魔してます」と手を上げている。どうやら昨日言った通り、夕飯を食べに来たらしかった。実結とパズルで遊んでいる。
都の作ったスープを飲みながら、学校でのことを話した。ノゾムは「こっくりさん、ねえ」と少し面倒そうな顔をする。
「そんなもん、この現代日本で流行ります?」
「そう思うよね」
「どれぐらいの規模で流行ってんすか?」
「各クラスで何人かやってるぐらいです。ぼくたちが学校に復帰するちょっと前くらいから初等部と中等部で心理テストが流行っていたみたいで、その中にこっくりさんっていうのが心理テストとして取り入れられたって感じみたいです。そしたらそれがすごく流行ったってぼくは聞きました」
「こっくりさんを心理テストとして? なるほど……そういう流行り方をしたわけですか」
話を聞いていた都が、「確かにオカルトと心理、人の内面に関することというのは似たところがあるわね」と言った。
「オカルトというのは広義で『目に見えない、触れられないもの』という意味がある。それは人の心理や内面も同じで、たとえば催眠術なんかは科学的根拠さえあれば心理療法として扱うけど、眉唾物であれば限りなくオカルトに近くなるわ」
「こっくりさんというのは完全にオカルト用語ですが、そこに本当に超常現象が発生しているかというと可能性は低いでしょう。素人のやる降霊術が成功したらそれはほとんど奇跡と言えますよ。そもそも、こっくりさんと呼ばれるテーブルターニングはすでにほとんど科学的説明ができる事象です」
ただし、とノゾムは厄介そうに目を細める。
「土地の力というものがあります。まあ……改めて説明するまでもないっすね。ここら一帯の土地は神性も霊力も妖力も強い。この土地に生まれ育った人間も、それらを一身に受け続けたために適性が高い。俗にいう“霊感が強い”というやつですね。であれば、そこら辺のただの子どもが『こっくりさん』という降霊術を成功させてしまっても驚きはしません。あれはかなりお手軽な術式ですしね」
こっくりさんというのはね、と都が紙に書きながら説明してくれた。『狐狗狸さん』と書いて見せる。
「こう書いて“こっくりさん”と読むの。きつね、いぬ、たぬき。基本的にはそういった動物の霊を呼び出す降霊術なのよ」
「だから手軽だというと語弊がありますが、条件さえ揃えば比較的簡単に呼び出せるかもしれません」
「呼び出したとしたら、影響はどんなもんなのかな」
「場合によりますね。鳥獣の霊魂というものは祟るにしても人間の霊魂よりはまだマシと言われています。人間のように持続的な恨みをそれほどは持たないからです。ですがその代わり本能に忠実であり、人をとって食おうとかそういうことが起こりえます。また人間の子どもくらいの知能を持つこともありますから、たちの悪いイタズラをしたりもしますよ。大規模な問題を起こすほどではないにしろ、なんかやらかすかもしれない。少なくとも児童数人の人生を狂わすくらいはできるだろう、というのが見立てです。本当に降霊術が成功しているなら、ですが」
そんなの困ります、とユウキが言った。本当に困ったような顔をする。
「この近くの学校はあそこだけなのに、狐だか犬だかの幽霊にめちゃくちゃにされたら困ります。ぼくは結構、あの学校が好きなんです」
「君は素晴らしいっすね。何より潔い。自分の大事なものや気に入っているものだけを守り抜くぞという強い覚悟を感じる。ただ、どんどんあのひとに似てきているように見えるのだけはいただけないな」
ユメノは頬杖をつき、「ちっちゃい子たちが危ない目にあったら嫌だしね。そこらへんちょっと深掘りして調査してみようかな」と呟く。「それで、できればこっくりさんはもうやめてもらおう。みんな他に面白いこと見つけてくれればいいんだけどね」と伸びをした。
「じゃあ、もし降霊が成功しているようだったらオレのこと呼んでください。それほど問題はないでしょうが、一応。出張しますんで」
「ありがと!」
「調べてみます」
危ないことはしないのよ、と都が釘を刺す。ユメノとユウキは「はーい」と返事をし、その話はそれで終わった。
次の日もいつも通りギリギリ起床すると、タイラがやはり呆れたような、しかしどこか可笑しそうな顔で笑っていた。「寝癖がついてるぞ、お前ら。同じところに」と指さす。ユメノもユウキもとっさに右耳の辺りを押さえる。「そっちじゃない、反対だ」とタイラは喉を鳴らした。
登校したユメノとユウキは、それぞれ情報収集に努めることにした。といっても高等部の方ではほとんど噂も何もなく、やはり初等部と中等部――――つまるところ東校舎どまりの流行らしい。
昼休みにユウキと話すと、弟は「やっぱり成功してる気がします、降霊」と言った。
「初等部のクラスではそれほど本気でやっている人はいないんですけど、中等部一年生のクラスは大変なことになってるみたいです」
「大変なこと?」
「うん。急に休みの生徒が増えたり、他のクラスとか先生たちと上手くいかなくなったり、性格が変わったみたいになった人もいるって」
「それは絶対やっちゃってますね……放課後そっち行くね。ヤバそうな中一のクラスを説得しよ」
「そうですね。みんな、高校生の言うことなら聞くかもです」
「うっ……そう言われると中学生に圧力かける先輩みたいで何というか……」
そんなやり取りをして、ユメノたちは一旦自分の教室へ戻った。
そして放課後、約束通りユメノはユウキを迎えに行ってから中等部一年の教室へ向かった。
恐る恐る戸を開けると、まだ教室に残っていた生徒がこちらを見る。目を見開いて、「ナカミチセンパイ……と、弟くん」と言ってきた。ユウキは憤慨した様子で「失礼ですね、ユウキですよ!」と自己紹介している。
「あー……ごめん、いきなり。ちょっと話聞きたくて」とユメノは中学生たちを怖がらせないよう、無意識に両手を上げた。中学生らは困惑した様子で顔を見合わせる。
「こっくりさん、って知ってるかな?」
瞬間、空気が変わった。生徒たちは全員身構えた様子で、「最近流行ってますよね」と淡々と述べる。後ろの方にいた生徒たちもどこか姿勢を正し、こちらを伺い見ていた。
「このクラスでもやってる?」
「まあ。やってる人もいます。ちょっとしたおまじないみたいな」
「それで困ったことはない?」
「え? 別にないです」
すぐ見てわかるような嘘ではあった。彼らは怯えていた。だが、それが何に対する怯えなのかわからなかった。こっくりさんという超常現象に怯えているのなら助けを求めてもよいものだが、彼らは頑なにユメノたちの介入を拒んでいた。
「余計なお世話だけど、こっくりさんはオバケを呼ぶ儀式だから、やめた方がいいよ。危ないからね」
あまり追い詰めるのも得策でない気がしたので、ユメノたちは一旦引こうかと彼らに背中を向けた。事を急くよりノゾムに相談しようと思ったのである。
「あの……」
「? どうしたの」
「こっくりさんって、オバケっていうか……幽霊なんですか?」
一人の生徒がそう尋ねてくる。その近くの男子生徒が、「おいやめろよ!」と少し怒ったような声を出した。ユメノは頷き、「そうだよ」と答える。
「こっくりさん、やってるとなんかまずいですか? タタリとか、あると思いますか?」
「場合によっては、あるよ」
するとその生徒は口を閉ざした。「何か困ってるなら助けてあげる」とユメノは話す。「えーっと、お姉さんは結構そういうの強いのだ」と付け加えた。
すると教室内にいた生徒たちが揉め始める。「今更そんなのダメに決まってんじゃん」だとか、「秘密にするって決めたんだから」とか、「でもやっぱこわいよ。なんかヤバいの呼んだのかも」とか。
「ねえ、じゃあ――――こっくりさんに相談してみようよ」
一人の生徒の言葉で、その場はしんとなった。いやそれはおかしいでしょ、とユメノは思ったが、しかし予想外にクラスには肯定的な空気が流れる。「そうだ、こっくりさんに訊こう」といそいそ準備し始めた。
「おーい、『こっくりさんは危ないからやめなさい』って言ったその目の前でこっくりさん始めるの正気?」
「ユメノちゃん、たぶん……」
正気じゃないのかもしれません、とユウキが言う。
『こっくりさん、こっくりさん、おいでください』
『こっくりさん、こっくりさん、おいでください』
『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください』
また、空気の質感が変わった。中央にある机の辺りが光る。あるいはユメノとユウキにそのように見えていただけかもしれないが、確かに何かが起こりつつあった。
「ちょっ、やめやめ! 君たち!」
「何か出ます!」
風が吹いた。光が薄れていき、その姿が見える。
短い黒髪がなびき、白い装束が揺れた。物憂げに細められた目は辺りを見渡し、「あーあ」と気だるそうに“それ”は言った。
「オレみたいな産業廃棄物が呼ばれるなんてどうしたことかと思いましたが、なるほど狐狗狸さん……ね。それならまあ、オレが適任ってやつでしょうねえ」
その姿を見て、ユメノとユウキはぽかんと口を開ける。
「え……ノンちゃん……?」
言ってから、ユメノは『違う』と強く感じていた。ユウキも隣で戸惑いながら「どなたですか?」と尋ねている。否、そんな疑問すらもすぐに吹き飛んでいた。その青年は――――彼は、ユメノたちを見て「ああ」と小さく呟く。
「お久しぶりですね、君たち。こんなところでまた会えるなんて――――最高に素敵で最悪な気分です」と。
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