第16話 それからの話、あたしたちの日常
大きな鍋を抱えて、ユメノとユウキは山のなかを歩いた。天気はいいけれど、季節柄やはり息は白い。それほど高い山ではないがここら辺はしょっちゅう雪が降る。
オモチャみたいな家のドアを叩いて、「こんにちはー」と声をかけた。ガチャリと開いて、出てきたのは美雨だ。
「あら、いらっしゃい。どうぞどうぞ」
「幸枝さんがハッシュドビーフ作りすぎたからどうぞって」
「随分大きなお鍋ですわね……。作りすぎたというより元々私たちの分を見込んで作ったというのが正しいのでは?」
「あたしもそう思う」
「ありがたくいただきましょう。こちらではチャーシューを作ったところです。持ってお行きなさい」
「ありがと」
美雨はユメノとユウキを中に案内し、暖かいリビングのソファに座らせた。
あれから――――つまり姦姦蛇螺の一件の後という意味だが――――ユメノとユウキは学校へ通うようになった。が、依然として都母娘の家で暮らしている。美雨たちとは“お隣さん”のような関係で、こうして料理をおすそ分けしたりしていた。こういうのが、何だかすごく楽しいのである。
「ココアをいれましょうか」
「ありがとー」
「ユウキくんもココアでよろしくて?」
「ありがとうございます」
しばらく待っていると、目の前に温かいココアが置かれる。息を吹きかけながら飲むと、じんわり甘さが沁み渡った。
「冬休みはいつからです?」
「クリスマスの日が終業式です」
「はぁ、クリスマス……」
あまりピンと来ていない様子で美雨が呟いた。「12月25日ですよ」とユウキは補足する。「存じておりますが、あまり馴染みがないもので」と美雨が肩をすくめた。
「お二人とも、同じ学校でしたかしら?」
「そう。田舎だからね。そもそも子どもの数が少なすぎて、小中高同じ校舎なんだよ」
ユメノとユウキが通う学校はここら三町に一つしかない校舎だ。初等部と中等部が東校舎で、高等部が渡り廊下で繋がれた西校舎となっている。それでも全体で生徒の数は150人いるかどうかだろう。もちろん1学年1クラスしかない、そんな小規模な学校だった。
その学校に、ユメノたちは毎日山から通っている。といっても毎日山を登り下りするのは半端じゃなく大変なので、大抵はタイラか美雨が送り迎えしてくれた。朝、寝ぼけ眼を擦りながら食パンを片手にタイラや美雨の腕に抱かれて運搬されている様子はどうやら人には見えていないらしいがちょっと恥ずかしいものがある。ノゾムなどはいつも『あんたたち過保護すぎるんですよ』とタイラたちに呆れていた。
一度、タイラから『家に帰らなくていいのか』と訊かれた。ユメノとユウキは顔を見合わせ、『ここにいていい?』と逆に尋ねた。タイラは苦笑して、『そう言われちゃかなわんな』とだけ言った。
「もう半年は経ちますか? あなた方がこの山に来てから」
「そうかも。てかまだ半年なんだ」
「色んなことがありました……」
「その“色んなこと”に美雨さまも入ってるけどね」
「この山に来た順で言うと、私よりあなた方の方が先輩ですものね」
「ちょっとだけどね」
美雨は蜂蜜入りのコーヒーを飲んでいる。「近頃はいかがです、こんなに寒い山の中ですが」と口を開いた。
「まあ寒いけどねー。家の中があったかいから助かる」
「ぼくたちの家は勝手に暖房をつけちゃいけなかったので」
「そろそろあなた方の家族とかいう人間たちに一言くらい物申したくなってきましたわね」
「まあ山はこれからどんどん寒くなるだろうけど、へっちゃらだよ。寒さには強い自信があるのだ」
「そうですか、たくましいですわね。私はもうダメです。言っちゃあ何ですが箱入りの神獣ですので。家から出られません」
「美雨さまは最近どうですか?」
「ええ、まあ。結構過ごしやすくさせていただいておりますわよ。そう……結構……何だかんだ……」
よかったね、とユメノは素直に言った。美雨は照れくさそうにちょっと顔を赤くして、「案外気が合うのです、彼ら」とどうやら同居人のことを話す。
「いずれ三人でお店でもやりましょうかと話したこともあるのですが」
「いいじゃん。どんなお店?」
「お食事処ですわね。あの方たちが料理を作り、そして私は世界一の看板娘というわけです」
「それは人間の世界でやるんですか?」
「そのつもりです。ええでも、私だけじゃホールの手が足りないと思ったのでロイナリ様(雀鈩山稲荷様の略)を誘ったのですが『うちは副業禁止なんで』と断られました。ユキぴょんさんとかいかがかしらね」
「幸枝さんは今図書館で働いてるよ」
「そうなのですか」
ちょっと考えて、ユメノは「てかユキぴょんって呼んでるの?」と尋ねてみる。美雨はあっけらかんと「今はじめて呼びました。可愛くありません?」と肩をすくめた。可愛いが、都の苦笑いが目に浮かぶようである。
「こんなことを言っていると鈩天お兄様(雀鈩天狗お兄様の略)に怒られてしまいますわね。あの方、幸枝さんのこととなると妙に厳しいですから」
「ロイナリ様とロテンお兄様についてはもうその呼称で確定してるんですか?」
「ええ。あれでも一応神なので神獣たる私としては“様”付けでお呼びするのが正しいのかと思いまして」
「そこじゃないです」
ふと足音が聞こえ、振り向くと二階からカツトシが降りてくるところだった。ユメノとユウキに「いらっしゃい」と軽く手を上げている。「お邪魔してます」と挨拶した。
「幸枝さんからハッシュドビーフいただきましたわよ」
「彼女も凝ったもの作るわね」
「こちらからも、我が家のお兄様が突然思い立って作り始めたチャーシューをおすそ分けしようと思うのですが」
「いいんじゃない? 食べきれないし」
カツトシは冷蔵庫から何やらタッパーを出して、シフォンケーキ作ったから食べてと言ってくれる。この家に来るといつも何かしらのおやつを出してくれるので、嬉しかったり困ったりした。困る。美味しいから困る。
「タイラも部屋にいるの?」
「いえ……あの方は恐らく外でしょう。お仕事がお好きな方で嫌になります」
「ふうん」
ちゃっかりシフォンケーキにありつきながら、美雨は「そんな顔なさらなくても、あの方には毎日会っているじゃありませんか」と大袈裟に嘆いた。「そうそう。いつだって会えるわよ」とカツトシも言う。
「アイちゃん、お店やるってほんと?」
「いや……それはこいつが勝手に言ってるだけだけど」
「いいじゃありませんか。一緒にやりましょう、お店。何だったらあなたと私で二大看板娘をやってもよろしくてよ」
「なんで人間界でそんなのやるのよ。百歩譲って妖の街ならまだしも」
「だって人間の方が騙しやすくていいじゃありませんか」
「はいダメ。もうダメ。あんたは大人しく山に籠ってなさい」
ムッとした美雨は「少々語弊がございました。人間の方がいい反応するし楽しいでしょうと言いたかったのです」と弁解した。「大して言ってること変わってないじゃないの」とカツトシが呆れる。
「妖の街ってどんなん?」
「騒々しいところですわね」
「毎日がお祭り騒ぎで」
「楽しそうじゃん」
「飲み食いと陽気な音楽と踊り。実のところ妖や人外というものは、それ以外に楽しいことを知らないのです。だから毎日そればかり欲している。たまに覗けば楽しいですが、向き不向きというのはありましょうね」
「僕は基本的に人混みが苦手だから、あそこで暮らすのは無理ね」
「ちょっと行ってみたいかも……」
「ユメノちゃんが行くならぼくも行きます」
「じゃあ今度行ってみましょう」
「簡単に言うんじゃないの。行くんなら最悪、タイラのことは連れて行きなさい。人間に手ぇ出したがる妖怪への牽制になる」
どうやら人間が妖の街へ行くのは少々危険なことらしい。余計なこと言っちゃったな、とユメノは反省した。
「今日は学校お休みなのよね?」
「そう。休みってめちゃくちゃ短い気がするよね。すぐ終わっちゃう」
「そうですか。私はいま毎日お休みですけど、毎日長い気がしますわ」
「ニートがなんか言ってるわね」
「やっぱりお店やりません?」
「考えとくわよ」
本当に美雨たちが店を始めたら面白いな、とユメノは思った。そうなったら素敵だな、と。案外タイラあたりをその気にさせたら簡単に実現しないだろうか。そんなことを考えて、ちょっとにやにやしてしまった。
「これからノンちゃんとこ行こうと思うんだ」
「じゃあこのシフォンケーキ持ってって。あと、たまには夕飯食べに来るよう言ってくれる?」
「わかりました」
ケーキを食べ終えたユメノたちはその辺でおいとますることにして、家を出る。都の編んでくれた手袋のおかげで寒さは幾分かマシだった。
神社の前で鐘を鳴らして手を叩くと、億劫そうにノゾムが出てきた。
「おや、この寒いなか参拝とは感心感心」
「こんにちは、ノンちゃん」
「元気ー?」
「っすね。寒くて参ります。神社だけに」
「なんて??」
ノゾムは引き戸を開けて、「どうぞ」と招く。もはや本殿がどうの神域がどうのとは言い出さなくなっていた。
「これ、アイちゃんからシフォンケーキ。あと幸枝さんからハッシュドビーフのおすそ分け」
「おお……お供えか施しかでいうと限りなく施しに近い気がしますが嬉しいっす」
「あと、アイちゃんが夕飯食べに来なって言ってたよ」
「ありがてえ~」
カップラーメンにも飽きたとこでした、とノゾムは言う。
「もうさぁ、タイラんちに住んじゃったら?」
「それはさすがにできないんですけどね。精神性の問題で。オレはこの神社そのものっすから」
「じゃあ週一ぐらいで泊まりに行ったら?」
「ウザがられないですかね……」
「大丈夫だと思いますよ」
「何ならこっちにも来てよ。幸枝さんに言っとくし」
頭を掻きながら、「何だか人間みたいになってきちゃったな」とノゾムは呟いた。
「その後、どうすか? 学校は」
「まあまあかな。普通に楽しいよ」
「タイラと幸枝さんが勉強教えてくれてたので、授業もちゃんと受けられてます」
「あの二人って現代の教育知識もあるんですか? なんで?」
実際、タイラなんかはユメノたちが持ち帰る教科書を面白そうに見ながらユメノたちよりもよく読み込んでは感心しているようだった。『一緒に勉強している』という感じだ。都は日頃から知識のアップデートに余念がないらしく、色んなことを教えてくれる。
タイラと都だけではなく、この山の人たちはみんな色んなことを教えてくれた。どうも妖や人外から好かれがちなユメノに、ノゾムは身の守り方を教えてくれたし、カツトシは嘘をつく人の特徴などをこっそり耳打ちしてくれたりした。
「君たちにはなぜか今も蛇神の加護がついているようではありますが、ユメノちゃんの被虐体質もそのままですし。気を付けて過ごすんですよ」
「でもだいぶマシになった感じするよ。前はマジでツイてなかったもん、あたし」
「ぼくもそう思います。ユメノちゃんは本当にツイてなかったので」
「君らってほんとに面白いっすよね」
ノゾムの言うとおり、ユメノとユウキにそれぞれ憑いていた巫女と退魔師はあの一件で仲良く去っていったらしい。が、ユメノの人外を引き寄せる体質というのは元からあったもので(巫女のせいで割増しになっていたとは言え)未だに妖などと遭遇する率が高い。と同時に蛇神の加護が残っているらしく一応それらに対抗する術はある、というのが現状だった。
ふと外を見て、「こう寒くては参拝者も来ませんけど、正月に備えて綺麗にしないとなぁ」とノゾムが呟く。
「初詣は結構人来るの?」
「来ますね。こんな山でもわざわざ登ってくるんですよ。一応それなりのパワースポットとして有名みたいですしね」
「そういやそうだったね」
すっかり忘れていたけれど、この雀鈩山という山には神が二柱いるということで妙に神性に溢れていて、妖たちがこぞって保護を求めてきたりしている特別な山なのだ。いわゆる“霊感”のようなものを持つ人間であればその神性を感じることもできるらしく、人間界でも多少名が知れている。らしい。ユメノたちはこの山に来るまで知らなかったが。
「ずっと気になってたんだけど、神さまってそんな簡単になれるもんなの?」
「いや、なれないですよ。まあ最近あまりにも神性持ちばっか現れるもんだから感覚が麻痺してますけど、普通はなれないです」
「ノンちゃんはどうやって神さまになったんですか?」
「オレは生まれた時から神の一部でした。神にも色々ありますからね。ざっくりいうと、“神としてつくられたもの”と“その在り方から神と呼ばれたもの”と“無理やり神につくり変えられたもの”」
「ノンちゃんは、神としてつくられたものってこと?」
「そうなりますね。……“神”というのは制約の一つかもしれません。人間には御しきれない力を、せめて人間の理解が及ぶ範囲に繋ぎ止めておくために“神”という名をつける。神をつくるのはいつだって人間なのだと思います」
「人間が、神さまをつくる?」
「ええ。なので、『神とはそんなに簡単になれるのか』という問いにはこう答えられます。『神になるのは困難で、神をつくるのは案外簡単だ』と」
さて、とノゾムは膝を叩いて「お茶一つ出してなかったっすね。寒かったでしょ。炬燵へどうぞ」と招く。お言葉に甘えて、日が落ちるまで話をした。ノゾムは「もう暗くなるので」とユメノたちを家まで送ってくれた。
☮☮☮
「二人とも、おはよう」
そんな声でユメノは目が覚める。見れば、都がユメノたちの部屋のドアを開けるところだった。もう一度「おはよう」と声をかけながら入ってきた都が「!? まだ着替えてない」と言って口元に手を当てた。ようやく目が覚めてきたユメノも思わず目覚まし時計を見て「止まっとる!!」と叫ぶ。
「起きて起きて。あと三十分で学校が始まるわ」
「あわわわわ」
「ユウキも起きて。顔を洗って」
テキパキとユメノたちを起こして、都は洗面台まで引きずっていった。ふかふかのタオルで顔を拭かせ、すぐにユウキのパジャマを脱がせる。そのまま都がユウキに綺麗な服を着せている間に、ユメノも何とか制服に着替えた。
「朝食は下に用意してあるけれど」
「ごめん幸枝さん! 時間ない」
「パンだけでも持っていって。あとお弁当忘れないで」
「ありがと!」
「ありがと……ございま……」
「ユウキ、寝ないで。しっかり」
用意されていたトーストを引っ掴んで咥えると、朝食を食べていた実結が「おぎょうぎわるい」と少し眉をひそめた。それは本当にその通りなので「ごめぇん、お姉ちゃん」とご機嫌を伺う。実結は笑って「しょうがないなぁ」とすまし顔をする。
「きをつけていってきてね」
「うん。行ってきます」
「いってきます……」
ユウキを引きずって外に出ると、腕を組んだタイラが「お前たち……」と呆れた顔をしていた。
「また寝坊したのか?」
「違う! 今日は目覚まし時計が壊れてたの!」
「何も違わないじゃないか」
ユメノは両腕を広げる。ユウキも寝ぼけた様子ながら同じようにした。タイラはため息をつき、ユメノとユウキを腕に抱える。
「いつも言ってるだろ? もう少し時間に余裕さえあればもっと快適にタクシーで運んでやるって。この寒いなか空の旅は俺もキツい」
「よろしくお願いします!!」
「元気だけはいいな、毎日」
まったく、と言いながらタイラは地面を蹴った。「じゃあ飛ばすからな、下噛むなよ」といつも通りロケットのように真っ直ぐ飛んでいく。最初のうちは怖くて仕方なかったが、今はもう慣れたものだ。トーストを咀嚼する余裕まである。ユウキもすっかり目が覚めたようで、「おはようございますタイラ!」と元気よく挨拶していた。
ものの十分ほどで学校の屋上に降り立ったユメノたちは、急ぎタイラにお礼を言って駆け出す。自分たちの教室まで真っすぐ走り、何とか予鈴が鳴るまでには間に合った。
「おはよー中道。今日も元気そうじゃん」
「今日こそ……はぁ、はぁ……遅刻するかと思った……」
「いつも思うけど、どっから走ってきてん? どこでもドア持ってる?」
「どちらかっていうと……タケコプター持ってる……」
これはさすがにタイラにバレたら怒られるかもな、とユメノは思った。
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