第9話 神様だって切実に盆休みが欲しい(参)

 山の全体が見渡せる頂上で、イマダも木の上でぼんやり空を見ていた。イマダは飛べるわけではないが、恐らく空にも結界が張ってあるのだろう。石を投げては何かに当たる感触がある。

 現時点で一等厄介なのは結界だ。これのせいで外へ出ることができない。

 神性を得た。強さも得た。正直、もうこの山にいるメリットはほとんどない。もちろん欲を言えばもう少し便利な力を得たいところではあるが、連中にイマダの正体がバレている以上ここらが打ち止めだろう。

 とは言っても。この結界である。


(恐らく防弾ガラスのようなものだ。強い衝撃を与え続ければいつかは突破できるだろう。しかしあの若造もそのたびに張り直すだろうから、随分と気の長い根くらべになるだろうな……。できるか? 相手は不死だぞ。不死……不死、か。厄介だな。さっきので結界云々の反転はかなり警戒されているだろうしな。そもそも一瞬結界を無効化したくらいでは時間が足りない。あいつの神性自体を引きはがしてやればあるいは……)


 空が翳る。怪鳥がガーガーと泣きながら低空飛行していった。自分で使役しておきながら何だが、正直あの化け物どもは気持ち悪い。


(神性の剥奪は……実のところあんまやりたくないんだよな。なんせあいつらの神性を何も解き明かせてないわけだ。最悪、俺にも手に負えない神のなれはてが生まれるかもしれねえ。取れる手段の一つとしておくのはいいが)


 ふと足音が聞こえ、視線を落とす。黒い長髪の美しい女――――いや、男だ。体格で間違いない、黒い長髪と褐色肌の美しい男だ。

 どうやら妖であるようだが、男はその場で周囲を見渡し始めた。何をしているのかと思えば、地面に何か図のようなものを描く。イマダは無言で降り立って、その図をじっと見た。配置図、のように見える。

「おい、お前……こんなとこで何してんの?」

 軽率に声をかければ、男はびくりと肩を震わせて「何よッ!?」と叫んだ。


(こいつ、俺のことが見えてないのか……? ああ、こいつが“アイちゃんさん”か。何者か推し量れなかったから、とりあえず反転させて俺を見ないようにしたんだった。……え、アイちゃん?)


 困惑して、カツトシはその男を見る。「え、お前が“アイちゃん”なの? てっきり女かと……」と呟いた。

「そうよ! 僕がアイちゃんよ、文句あるわけ!?」

「“文句あるわけ”……? え、何もわかんねえ。なんだお前。もしかして両性具有か?」

「違うけど」

「“違うけど”???」

「顔も見せずに失礼なこと聞いてんじゃないわよ。鬼にはデリカシーってもんがないわけ?」

 辟易としながらイマダはカツトシを見る。どうしてこちらがこんなにも戸惑わなければならないのか。一度空咳をして、「お前は何の妖なんだ」と尋ねてみる。「こっちの台詞よ、あんたこそ何者?」と返ってきた。

「無理に会話を引き延ばそうとしなくていいんだぜ。お前、あいつらの仲間なら俺が天邪鬼だって知ってんだろ」

「……。知ってるわよ。端的に言って迷惑極まりないから消えてほしいわね」

「消える消える。ところでこの結界ってさ、どうすればなくなると思う? それさえわかれば、俺もここから消えたいんだけど」

 カツトシは黙って、首を横に振る。『さすがに黙するか』とイマダはつまらない気持ちになり、ため息交じりに刀を構えた。こちらに与しない以上、能力の分からない妖を生かしておく理由がない。


 黙って、刀を振り下ろした。その瞬間、何者かが間に入ってくる。血が飛び散り、思わずイマダは間合いを取った。

「ユキエちゃん……!」


 右腕の辺りを赤く染めた女。イマダも知っている。都という女だ。

「あれー、激マブおねーちゃんじゃん。どしたの、俺に会いに来たの?」

「……もちろんよ。みんなあなたに会いたがっているもの」

「この局面じゃ、そりゃそうだわな」

 ほとんど右腕も使えない状態で、都は顔色一つ変えなかった。「カツトシ」と褐色の男に呼びかける。そのまま無言でじっと男を見つめると、男は何か言いたそうにしたがやがて「わかった」と頷き去って行った。

 “アイちゃん”なんだか“カツトシ”なんだか、と思いながらイマダはそれを見送る。追いかけようかとも思ったが、やめた。あの男は恐らく戦力を呼んで来る気だろう。ノゾムというガキか、あるいは美雨という名の神性持ち。それはそれで都合がいいとも思った。


「いやぁ、モテモテで嬉しいなぁ。でも安心しろよ、本命はあんただぜ?」

「光栄だわ」


 都は逃げる素振りを見せない。恐らく、カツトシが誰か呼んで来るまで時間を稼ぐつもりだろう。イマダはと言えば、この場をどのように動かすか決めかねていた。

 相手の思惑に乗りこのまま敵が増えるのを待つというのも、リスクはあるが悪くない。イマダとしては一刻も早く結界を何とかしたいわけで、現状それには迂闊な誰かの発言を狙わなければならないからだ。発言者が増えるというだけでイマダにはメリットがある。また、もちろんすぐにこの女を殺してしまって相手の戦力を減らしていくというのも考えとしてはある。

 しかしこんなひ弱そうな女、すぐに殺すのは逆に惜しい。殺すにしても、まずこの女から迂闊な発言を引き出せないか様子を見てみるべきだろう。


 方針を決め、イマダはにやっと笑った。身構える都に距離を詰め、彼女の足を撫でるように斬りつける。都は短く悲鳴を上げ、体勢を崩した。そんな都を抱きとめて、「ゆっくりお話でもしましょうよ、お姉さん」と囁く。都はどっと汗をかいて、自分の右足を押さえていた。少し深く斬りすぎたか。まあ、どうでもいいが。

「そういやお姉さんって何の妖だっけ?」

「……そんなことを知ったってあなたの得にならないわ。どうせ何の力もないもの。そんなことより、もっと生産性のある話をしましょう」

「生産性のある話?」

「“交渉”ということよ」

 へえ、とイマダは呟く。痛みは思考能力を鈍らせる。今、この女はじっとり冷や汗をかくほど痛みを意識しており、その状態でこうも積極的に会話を試みるとは。思っていたよりは賢くないのかもな、と考えた。


「私はあなたにお願いがあって、あなたのことを探していた」

「おう、美女のおねだりなら聞こうじゃねえか」

「ユメノちゃんとユウキくんが山から出られないようにしたのは、あなたね?」

「あ? ああ……そんなこともしたか……。俺かもな。てか、俺しかいねえだろうな」

「他のことはどうでもいいから、それだけはなかったことにしてほしいの。あの子たちが一生この山から出られないなんて不憫だわ」

「……。一応聞くけどさ、それをなかったことにしてやったら、あんたは俺に何してくれるわけ?」


 瞬きを一つした都が、「月並みだけれど、私もあなたのお願いを一つだけ聞くわ。何でもいい」と話す。イマダは軽薄な笑みを浮かべて、「俺の女になれって言ったら?」と聞いてみた。都は間髪入れず、「乗ったわ」と言い切った。

「そりゃあ、かなり魅力的な話だが……」

「何か不都合が?」

 イマダにしても、あの人間の子供らについてほとんど執着はない。最初のうちは相手にとっていい重荷になるだろうと思って縛り付けたが、今となってはもうそんなものも必要ない。見逃してやること自体はやぶさかではないが――――。

「残念だが、反転した事柄について一つだけ選んで無効にすることはできねえ。理を元に戻すんなら、全部一気に戻すしかねえんだ。案外不便な能力なんだなー、これが」

 都は目を細めて、何か考えている様子だった。それを見たイマダはできるだけ優しい声色で、「そんなことはどうでもいいだろ? なあ、もっといい願いはないのか。俺は神なんかよりずっと即物的に、あんたの願いをかなえてやるぞ」と提案してみる。


 そうね、と都は呟いた。そうしてイマダの頬に手を添えて、静かに顔を近づける。深く息を吸い込み、イマダの目に吹きかけた。


 瞬間、イマダは都を突き飛ばす。何が起きたかわからなかった。前が見えない。咄嗟に両手で顔を覆うと、指先に冷たいものが当たった。

「な……!?」

「私が雪女だと気づかなかった?」

 反転――――しない。断言の形でないからか。あの女の力を奪えない。

「大丈夫かしら。目が潰れてしまわなくて本当に良かった」

「この……女……!」

 すぐに突き飛ばしたからか、氷はそれほどの強度ではない。すぐに溶けては流れてゆく。見れば都は何とか立ち上がろうと、悪戦苦闘していた。


「私の大切なひとたちを、傷つけてくれてありがとう。お話できてとっても楽しかったわ。せいぜい地獄の沙汰までお元気で。また会いましょう」


 一瞬で頭に血が上る。殺してやる、と踏み出した。あの女の能力はたかだか冷却。水分がなければ氷を作ることもできないだろう。

 都は立つことさえままならないようで、何も言わずイマダを睨んでいる。もう一歩踏み出した時、イマダと都の間に炎の壁のようなものが出来た。

「……あ?」

 都の体が浮く。美雨という女が、都を抱き上げていた。


 後ろから「幸枝ちゃん、無事!? 生きてるわね!!」という声とともにカツトシも走ってくる。

「美雨も来てくれたのね」

「そりゃあ、まあ。あなたに死なれては色々と困りますから。子どもたちが悲しむでしょう?」

「遅くなってごめんなさいね、幸枝ちゃん」

「いいの。おかげでたくさん話せたから」

「あなたもしかして、歩けないのでは」

「……部分的にそう」

「間違いなくそうでしょう。意味の分からない意地の張り方、やめてくださいます?」

 その様子を見ながらイマダは顎に手を当てる。3人。立つこともできない都とイマダを視ることができないカツトシを引けば、実質美雨ひとりだが。


 美雨――――。この女は何なのか。神性を持つこと、洗脳能力があることはわかっている。そこに加えて火を操るとなると、不死鳥あるいは鳳凰か。否、そんなものがこんな田舎の山にいるはずもないが。

 軽いジャブのつもりで「メイユイサマ……だっけ? あんたは一体何者なんだ。自己紹介ぐらいしてくれよ。俺の素性だって割れてんだからさ」と肩をすくめて見る。美雨はぴくりと眉根を上げてこちらを睨んだ。


「はあ? そんなことあなたに教えるわけないでしょう! 私の名は美雨! 鳳凰の力を持つ姑獲鳥ですわよ!!」


 都とカツトシの目が点になる。言った美雨本人も呆然としていた。イマダはわざと難しい顔を作り、「堂々とした名乗りをありがとうな。俺が言うのもなんだがあんた、もうちょっと考えてものを言った方がいいぜ」と言ってやる。ようやく思考が追いついて来たらしい美雨が悲鳴を上げた。

「まずいわ。早く行きましょう」

「ひどい……ひどいですわ! なんて卑劣な男!」

「もうこれ以上喋らない方がいいわよ、あんた」


 今なら3人ともやれそうだが、さて。

 考えながらイマダはゆっくりと距離を詰める。都という女は殺してやっていい。アイちゃんだかカツトシだか、あいつも底が知れないから殺そう。美雨、あの女を生かしてちょっと甚振れば不用意に結界のことを話すかもしれない。そうすればこの山を出ていけるかもしれないな。


 まずは美雨を殺さない程度に無力化する。その後でゆっくり都とカツトシを殺し――――と考えたその時だった。視界の端でカツトシが動いた。大きく腕を広げ、猛然と向かってくる。正直相手方の戦力としてカツトシを除外していたため、イマダは反応が少し遅れた。

 それは見事なラリアットだった。


 衝撃で後ろにひっくり返ったイマダは、「……え?」と呟く。都と美雨も「え?」という顔でカツトシを見ていたし、カツトシ自身も自分の腕の感触を疑っている様子だった。不意に都が「行きましょう!」と声を発し、ハッとした美雨とカツトシが走り出す。

 追いかけようと立ち上がったが、都とカツトシを引っ掴んだ美雨が飛んでいくのを見る。「どいつもこいつも飛びやがって」と独り言ちた。


 ふと、また空を見上げる。

「……なんであの女、飛べるんだ?」






 美雨のしもべであるところの鳥たちが、美雨の翼を何とか引っ張り上げて飛んでいる。それに対して美雨は「頑張って! 後でたくさんなでなでしますからね。頑張ってくださいまし。ここで落ちたら死ぬ……」と激励していた。

「最後、カツトシはどうして彼の場所がわかったの? 見えないはずだけれど」

「別に。ふたりとも同じとこ見てたから、そこにいるんだろうなって思っただけ」

「それで向かっていくの、怖いもの知らずすぎでは?」

 そんなことを言っているうちに、並走していた1羽の鳥がギャアギャアと騒ぎ始める。美雨は「えっ、そんな」と目を見開いた。


「そんなこと言わずに! もうちょっと。もうちょっとですわよ。せ、せめて地面に下ろしてちょうだ――――」


 不意に空中に放り出される。バランスを崩し、視界が回る。空が青かった。

 妖の身であるため人よりは丈夫だが、この高さでどうなるかわからない。せめて柔らかい土の上に不時着しますように、と都は祈ることにした。美雨とカツトシの悲鳴が聞こえる。


 ほんの数秒後、都は体が何かに当たる気配を感じてさすがに目を閉じた。それは都を受け止め、深く沈んでから止まる。それからゆっくりと上昇して元に戻った。

 思ったよりずっとドキドキしている胸を押さえながら、都は目を開ける。体感としてはバネのような動きだったが、一体何の上に落ちたのか。


「君、どうして上から降ってきた? というかどこから降ってきた?」


 タイラの腕の中だった。


 都は思わず「!? タイラ、骨が」と叫ぶ。「大丈夫だよ。君、そんなデカい声出たんだな。びっくりした」とタイラが困惑の入り混じった声を出した。

 タイラの後ろから顔を出したノゾムが、「大丈夫すか」と声をかける。どうやらカツトシと美雨はノゾムの結界に拾われたようだ。ほっとしながらも、都は現状タイラの腕の中で縮こまっている羞恥に耐えられなくなっていた。

「た……助けてくれてありがとう。もう大丈夫なので、下ろしてもらっても……」

「君、足を怪我していないか?」

「それは……でも、あなただって負荷をかけてはいけないと思うの。カツトシ、ねえカツトシ」

 思わずカツトシを呼び、必死に救難信号を送る。しかしカツトシは「僕も足挫いちゃったわぁ」なんて嘆くふりをした。その上で都にウインクなどしてみせる。何だというのか。

「め、めいゆい」

「わたくしはちょっとそれどころじゃないので……」

「そうだ美雨さん、亡者の皆さんがいきなり暴れ出したんですがそれは」

「ウッ……あの……説明いたしますので……」

 ノゾムの隣にいたユメノたちも近づいてきて、「大丈夫?」「あのイマダってひとにやられたんですか? サイテーです」と気づかわしげに見る。ずっと黙っていた実結が泣きそうに「ママ」と呟いた。いたたまれなくなり、都はタイラの胸を叩いて「降ります。自分で歩けるところを見せないと」と訴える。

「いっ……いてえよ、幸枝ちゃん。そんなこと言って歩けないんだろ。安い見栄を張るな」

「せめて、ほっ……他のひとがいい」

「えっ…………俺じゃダメなの?」

 都は苦渋の決断というように唸りながら「あなた以外がいい」と両手で顔を覆った。大変にショックを受けた様子のタイラが、しかし黙って美雨に都を任せる。


「……あなたねえ」

「言わないで。何も。何も言わないで」


 ユメノたちにジトッとした目で見られながら、タイラが「幸枝ちゃんに嫌われた……あのクソ天邪鬼のせいで」と呟いた。「それはさすがにとばっちりすぎなんじゃないですかねえ」とノゾムは呆れる。


「それはさておき、色々あったみたいですし第n回目の臨時会議を始めますか」

「事ここに至って緊張感の欠片もありませんわね……」


 例の如く円になって腰かけつつ、都は自分の傷を凍らせた。出血を止める程度の効果しかない。だからといって医者にかかるわけにもいかないので、後で簡単に処置をして終わりだ。しばらく不自由だが、この傷で死ぬようなことはないだろう。妖は不死ではないにしろ人よりもずっと自然治癒力が優れている。

「話をする前に、ユキエさんは本当に大丈夫なんですか? 休みます?」

「大丈夫。ただ、もう力がないかも。誰かが怪我をしてもカバーできるかどうか」

「了解です。今回だいぶ頼りましたからね、先輩が」

「悪かったな」

「ということはそろそろ決着をつけた方がよろしくてね。この方、氷が溶けたら使い物にならなくなるんでしょう?」

「反論したいところだが、そうだろうな。たぶんもう1回ぐらい死ぬ」

「普通の氷じゃないからしばらく保つでしょうけど、一晩は越せないかも……」

「どちらにせよ今夜中に先輩が1回は死ぬことになってて草」

「逆に焼きましょうか、私が」

「死因が火傷になるだけでは?」

「そもそもあんたはその力を今しがた失った気がするんだけど」

「ハッ……(絶望)」


 言いたい放題言い始めたメンバーを、「とにかく話を聞かせろよ、お前ら。何があったんだ?」とタイラが宥めた。

「ちなみにオレの方は何もなかったっす。いきなり亡者の方々が暴れ出したので、情報を共有するために先輩と合流したぐらい。で、全員の無事を確認するためにアイちゃんさんのとこに行くところでした。主に……美雨さんに何かあったんだろうなと思って」

「まあそうでしょうね……」

 そう呟いた美雨は、うなだれた後にそのままうつ伏せになる。そうしてしばらく落ち込んでいた。

 見かねたカツトシが口を開く。


「僕は山の頂上に行って全体を見渡していたわけなんだけど、」

「そうお願いしましたもんね、オレが」

「そこに、どうやら例の天邪鬼が来たみたいなの。僕には見えなかったけど、声は聴こえたから」

「なるほど……それは……ヤバいですね。そうか、アイちゃんさんを孤立させるべきじゃなかったか……」


 顎に手を当てたノゾムが、「失敗したな」と呟いた。「まあ僕もちょっと危機感が足りなかったわね。なんせ“視えない”なんて初めてだから」とカツトシが肩をすくめる。

「そこに幸枝ちゃんが助けに来てくれたってわけ」

「助けに行ったというか、私は私で彼と話がしてみたかったから。カツトシには『誰か呼んできて』とお願いしたの」

「交渉ですか。どうでした?」

「いえ、交渉というより」

「いうより?」

「煽ってきたわ」

「“煽ってきたわ”???」

「腹が立っていたので煽ってきたわ」

「“腹が立っていたので煽ってきたわ”???」

 全員一斉になぜかタイラの方を見た。タイラは肩をすくめ、「そういうところあるぜ、幸枝ちゃんは」と言う。

「もちろん交渉の体で話はしたけれど。新しい発見もいくつかある」

「是非お聞かせいただいて……」

 都自身話を整理するような沈黙の後で、静かに口を開いた。


「まず私の方から、『ユメノちゃんとユウキくんが山から出られないという事象があなたのせいなら、反転を解いてほしい』と頼んだ」

「交渉内容として妥当性がありながら相手にとって負担にならない、いいネタかと」

「ちなみに対価として君は何を提示したんだ」

「“何でも言うことを聞く”」

「君なぁ…………」

「それについては大したことじゃないわ、結局のところいくらでも反故にできる口約束だし。否定さえしなければ」

「……否定をすると、逆にそれが絶対になってしまうということですわね」

「彼が“自分は全能だ”と言い張っていたのもそうね。第三者が否定することによって、逆にそれが真実となってしまう。彼に対しては、どちらかというと肯定で当たった方がいい。もちろん彼がそれを学習して、肯定を狙ってくることも考えられるけど」

「なるほど」

「それで、向こうはそれを呑んだんですか?」

「いいえ。それは“できない”と言っていたわ。反転の状態を元に戻すときには、全て一斉に戻す必要がある。どれか一つを選んで、それだけを元に戻すことはできない……と」

「まあ、そういう制約もあり得ますね」

「ただし、ブラフの可能性も捨てられない」

「私個人の感覚ではあるけれど、今回この条件で、彼が断わる理由がないと思うの。私から提示した対価は確かに信頼性に欠けるとは思うけれど、ユメノちゃんとユウキくんを山に縛り付けておくメリットもそれほどないはずだし、とりあえず話を呑んでおけば交渉に優位性が生まれるわけだから。それでも断ったということは、やっぱりそれが“できない”んじゃないかと思うの」


 腕を組んだタイラが、「情報が不確かなのはお互い様だしな」と言う。「その中でもまだ裏付けがある方でしょうね、これは」とノゾムが首の後ろを搔いた。

「それから軽めに煽って、目の辺りに息を吹きかけたりしてみたの」

「割とマジでキレてたんすか、ユキエさん」

「そうだ。“私が雪女だと気づかなかった?”と言ってみたけど、反転しなかったみたいね。私の力は奪われていないから」

「軽はずみにそういうの試すのやめたらどうだ……?」

「やっぱり断言の形じゃないとダメなのかしら。確かに疑問形の反転というのはおかしいものね」

「実のところクレイジーですわね、この方」

「それと、これについては当たり前かもしれないのだけど。彼はあくまで言葉通りに汲み取ってしか反転できないのでしょうね。私が『お元気で』と言ったらとても怒ってた」

「“とても怒ってた”じゃないんですよ……」

 カツトシが美雨に、「いい? これが本当の“怖いもの知らず”よ」と話している。美雨は「いえ、全員同じ穴の狢ですわ」と首を横に振った。


「それと、」

「まだあるんですか!?」

「君は何だってそんな一気に成果を得ようとするんだ。性急だぞ」

「これは完全に思ってもみないお土産なんだけれど……。カツトシが駆けつけてくれた時に、『幸枝ちゃん、無事? 生きてるわね』と言ったの」


 一瞬後、発言者であるカツトシを含めて全員が『ひゅっ』と息を呑んだ。「ぼ、僕……その……」とカツトシが慌て出す。

「私もちょっと死ぬかもしれないと思ったけど」

「軽率に死を覚悟しないでいただけます? もうちょっと生にしがみついていただいて」

「だけど結論から言えば無事だったわけだから、それがなぜなのかずっと考えていたの」

「何言っても無駄でしてね、この方」

 人差し指を立て、都は「さっき“認識”の話が出たのを覚えているかしら」と話す。「ああ、“盗み聞きは反転できないんじゃないか”って話ですね」とノゾムがうなづいた。

「それ自体が仮定の話ではあるのだけど、それを踏まえて更に今回のことで『彼のことが視えないカツトシの発言は、認識外つまり常時盗み聞きの状態なのではないか』と」

「待て。待て待て、それは……なんだ。どういうことだ。そもそも“認識”の定義が視認に限られるというのか。じゃあ何か、目隠しして喋ってるやつの言うことは反転させられないという話か」

「もちろん仮定の域を出ない。それだけでなく、もっとたくさんの条件があって反転させられなかったのかもしれない。そもそも反転するかどうかの決定権が向こうにある以上、“気まぐれで反転させなかった”あるいは“聞き逃した”という可能性も大いにある」

 深く息を吐いたタイラが、「しかしここまで来て仮定でない話がいくつあったか」と呟く。「全て仮定です、先輩」となぜかノゾムが楽しそうに言った。


「で、亡者たちがまた暴れだしたのは?」

「美雨が鳳凰と姑獲鳥の力を失ったわ」

「なんで???」

「“自己紹介してくれ”っていう向こうの安い煽りに対して『そんなことするわけない』と啖呵を切って全部言う羽目になった」

「それは……なんというか……」

「見事、だな……」


 寝転がった美雨が「いっそ殺せばよろしくてよ」と投げやりに呟く。「まあまあ」とノゾムが苦笑まじりに宥めた。


「共有できる情報としてはこれくらいかしら」

「十分っすよ。だいぶ材料が揃ってきました」


 あくまで淡々と、ノゾムは言う。

「この数時間で、山の生態系はめちゃくちゃです。動物はもちろん、比較的善良な妖連中も割を食っています。被害の全貌についての把握もしたくないほどです。到底許されることじゃない。そろそろ、勝ちに行く計画を立てましょう」

 静かにその場の空気が引き締まったような気がした。

 次の瞬間には熱を帯び、全員がああでもないこうでもないと言い始める。だいぶ前からついていけていないユメノとユウキは、タイラに手招きされて彼の膝に乗っていた。

 何度か実結を抱き直した都が「明日には天上から役人が来ることを加味しても、今決着を?」と尋ねる。「全員それまで霊力が保つかどうかわかりませんよ」とノゾムが言った。

「大体明日来る天上の方というのがどれほど役に立つか怪しいところでしてよ。ただの事務員が来る可能性も大いにありますわ」

「天上の役人をただの事務員呼ばわりするのはやめてもらって……」

 なぜかユメノとユウキの手を握ったり開いたりしているタイラに、ノゾムが「先輩聞いてますか」と声をかける。「ああ、そうだな」とタイラはどこか上の空の返事をした。

「……先輩もこの通りなので早いとこやっちゃいましょう」

「了解」


 タイラの大きな手に遊ばれながら、ユメノとユウキはみんなの話を聞く。タイラも時々口を挟んでいたので、恐らく話自体は聞いているのだろう。やがて美雨が「あの方のこと、寝かせて差し上げたら?」と提案したが、ノゾムが「ダメです」と短く却下した。





 ノゾムが「じゃあこれで行きましょう」と言った時、まず美雨が「正気でして?」と問うた。「オレが正気じゃないわけないじゃないですか。先輩じゃあるまいし」とノゾムは言う。タイラはと言えば、「いつ俺が正気じゃなかったと言うんだ」と不服そうにした。

 都が、これは質問というよりは確認の声色で「総じて、かなり危ない橋であると言わざるを得ないけど……本当にやるの?」とノゾムを見た。

「まあ、そうですね。リスクが高くて馬鹿げた作戦と言えますが……馬鹿げてる方がモチベーションって上がるでしょ」

「そうは思わないけれど……」

 呆れた様子のカツトシが、「今そいつ“これが上手くいったら面白いだろうな”って考えてるわよ。何言っても無駄ね」と肩をすくめる。「まあ」とノゾムは空咳をした。「まあまあ、オレだってちゃんと考えてますよ」と微かに笑いまじりの声で言う。


「なんせここまでめちゃくちゃにされるなんてないですよ。あんまりです。こんなに面白いことが今後あるかどうか」

「ああ……そうだな……。考えてみればなかなか楽しませてくれたな、あいつは。百年に一度くらいはこういうことがあってもいい」

「そうでしょ? それなら自分たちの存在ぐらいは賭けて、相手に向き合うのが礼儀ってもんでしょう」


 すかさずカツトシが「なんか色々言って正当化させようとしてるけど結局のところ“オレこれやってみたいです”と仰っているわよ」と説明する。全員何となく納得してうなづいた。「え、ノンちゃんもそんな感じなん?」とユメノが眉をひそめると、「ノンちゃん“も”とは何ですか。誰と一緒にしたんすか」とノゾムがムッとする。

「もし……失敗したら? そこまでやってあの天邪鬼が反転させたものを元に戻さなかったら?」と都が口に出した。ノゾムは少し考えて、言う。


「誠意を持って殺しましょう。それが責任というものです」


 話を聞いていたタイラが「やっちまおうぜ、うちの若君は敵の首をご所望であらせられる」と軽やかに笑った。

「そうなった場合、ユメノちゃんとユウキくんがこの山からずっと出られなくなる可能性もありますが……」

「あたしたち、自分からこの山に来たんだし。それは、いいよ」

「ぼくもいいです。逆にお世話になります」

「え……わたくしの力……」

「お前はそのままでいいだろ。力なんかあったってろくなことにならねえし」

「暴論でしてよ」

「そうと決まれば相手の居場所ですが……」

「そうと決まったのですか、今。私、まだ納得しておりませんが」

「やらないんすか」

「やりますわよ……。ワンチャン、あの男を倒せばそれだけで全て元に戻る可能性もありますし……」

 空咳をした美雨が「ちなみに今思ったのですが、あの男を見つけたいのなら山中の鳥たちから情報収集すればすぐでしたわね」と片目を瞑る。

「ああ、鳥…………いやでも美雨さんって今、鳳凰の力も姑獲鳥の力もなくないですか?」

「羽根あるものと想いを通づるのは鳳凰の力でも姑獲鳥の力でもなく私の固有のスキルですわよ。以前にそう申し上げませんでした?」

「なるほどそれで……。能力だけなら便利なんだよな、このひと」

「なんです、その言い方は」

「ちょうどいいですね。あの天邪鬼をおちょくるネタができました」

「あなたもしかして、場外でめちゃくちゃ煽るタイプのプレイヤーでして?」

 美雨の憎まれ口をほとんど無視して、ノゾムはメンバーと最終調整をし始める。美雨も諦めたように話を聞いていた。




 話し合いが終わり全員散らばったあとで、ユメノとユウキはノゾムとその場に残った。

「ノンちゃん」

「はい」

「大丈夫?」

「まあ、大丈夫でしょう。オレ自身幸運値ガン上げしましたし。いつもはしっぺ返しが怖いのでやらないんですけどね」

 不安そうなユメノたちの頭を撫でながら、「君たちが神社を守ってくれたと聞きました。ありがとう」とノゾムは囁く。

「君たちのこともかなり危険に晒しますが、最後までお付き合いいただけますか?」

 そう言われれば、ユメノもユウキも顔を見合わせて頷くより他にない。ノゾムは伸びをして、「上手くいったら焼肉でも食いながら打ち上げしたいなぁ」と呟いた。





 何とはなしに角を触りながら、イマダは「めんどくせえなぁ」と独りごちる。結界を突破する方法を未だ思いつかないでいるのだ。

 確か明日になれば天上の役人が亡者たちを迎えに来る。それ自体は大して問題ではない。そもそも亡者などの発言では言霊がほとんど籠らず反転させるのに適さないし、天上の役人が敵になるリスクと発言者が増えるメリットを天秤にかければ拮抗する。

 なぜか山の連中は天上と頻繁に連絡が取れないらしいし、もしかしたら明日来る役人というのはイマダの正体を知らないかもしれない。そうだとすれば儲けものだ。そいつらを軽く騙して優位に事を反転させられるかもしれない。

 が、それまで大人しく待っているというのも何だし、もう少しこの状況でできることはないか考えてみるべきだろう。

 たとえば、あの稲荷の若い神をいたぶって結界を解かせるというのはどうか。死なないように気をつけながら痛めつけるというのは些か骨が折れるが、やってみる価値はある。あるいは、やつらが庇護している子どもを人質に取るというのはどうだろう。案外簡単に言うことを聞くようになるかもしれない。


(山の連中は────正直何人いるか知らないが、山神らしい天狗面は潰してやったし、鳳凰崩れの何ちゃらいう女だって今はもう何の力もないし、雪女だって歩けもしないはずだし、あとは雨乞いの娘と、何の妖だか知らんが俺のことが見えない男か。警戒すべきっつったら、本当にもう稲荷のガキぐらいしかいねえな)


 煙草でも吸うか、と懐を探るが何もない。舌打ちをして、ぼんやりと『あの山神ともう一度エンカウントして煙草パクりてえなぁ』などと考えた。まあ、あの男はもう顔を出さないだろうが。


 ふと茂みから声が聞こえて、イマダはハッとする。視線を移せば、例の褐色肌の妖がきょろきょろと辺りを見渡していた。

「あれは……アイチャン(カツトシ)……」と呟く。カツトシの方も「ここ? ほんとにここにいるの? 僕の独り言みたいにならない?」と何かしきりに気にしていた。それから覚悟を決めたようで、真っすぐ前を見ながら「天邪鬼さーん」と呼びかけてくる。

 返事をするべきか、とイマダは腕を組んだ。否、黙って殺すべきだろう。


「うちの神様から伝言があるんだけどー」


 動きを止め、イマダは首を傾げる。この局面で、交渉か? 向こうのカードによるが、悪くはないな。

 黙って聞いていると、カツトシは言った。


「“お前の履いてるジーパンどこで買ったの? クソだせえな。膝のとこめっちゃ穴開いてんの気づいてる?”」

「――――あ゛?」


 思わず、声が出た。


「“つうか全体的に野暮ったくてダサいっすよね。いつ思春期卒業するつもりなんですかねえ(笑)”」


 あまりにストレートな悪口に、イマダもさすがに言葉を失う。カツトシは表情も変えずに続けた。

「“やることなすこと小物” “にじみ出る性根のダサさ” “一般人を盾にするところ必死すぎて笑った” “その便利な能力でこの山の攻略にここまで手こずるか?(呆れ)” “言動の全てが『ハイハイ強い強い』という感じ” “まずファッション雑誌を読んでから実家を出ろ”」

「おい待てコラァ」

「“所詮贋作が、あまりはしゃぐな。そろそろ耳障りだ” “またオレから会いに行きますんで、よろしく” “必ず、ここで殺す”」

 イマダは頭に血が上るのを感じながらも黙った。不可解極まりなかった。ハッタリか、本当に何か切り札があるのか。探ろうと口を開いたその時だ。


「激昂するものと思っていましたが、偉い偉い。下等な鬼にも理性というものがおありだったのですね」


 しっとりとした長い髪がイマダの頬をくすぐる。甘い女の香りがその場に満ちた。イマダは思わず拳を突き出しながら後ろを振り向く。くすくす笑った美雨が、ふわりと飛んだ。

「ごきげんよう。私でしてよ」と手を振っている。


 美雨の格好は、先ほど見たときよりはずっと小綺麗になっていた。透明感のある美しい布は、彼女を何か絵画のように魅せている。美雨は舞うように飛んだ。目を細めたイマダは、「お前、なんで飛べるんだ」と疑問を口にする。美雨はといえば、子どものように無垢な表情で「はて」と呟いた。

「私が飛ぶべきでない理由がありまして?」

「……反転させたはずだ。お前に飛行能力はない」

「あらあら。そうだったかしら。ごめんあそばせ、忘れておりましたわ」

「“忘れていた”だぁ?」

 よろしければ最初からやり直しましょうか、と美雨は言う。それがあまりにも自然な声だったので、イマダはそれがどういった意味なのかを考えなければならなかった。こらえきれず、「どういう意味だ」と怒鳴ってしまう。


「なんです、そのように声を荒げて。私たち、こんなにあなたと遊んで差し上げたのに」

「何を言っていやがる」

「まだ気づいていらっしゃらないの? あなたに楽しい夢を見せて差し上げたのよ」

 

 何だと、とイマダは眉根を寄せた。美雨が鼻にかかるような声で笑って、「どうです? 楽しかったでしょう」と言う。

「ここまで夢を操作するのも大変でしたのよ。あまり上手くいきすぎても白けてしまうでしょう。ワクワクしましたか?」

「……馬鹿馬鹿しい。全て夢だと?」

「ええ。あなたがこの山を訪れてから、同族を召し上がった時から……あるいはもっとずっと前から」

 ハッタリだ。間違いない。そも、天邪鬼というのは『故意に相手の言葉に逆らう』『決まったルールを守らない』者の象徴であり、それ故に精神汚染や洗脳は効かないのだ。夢や幻もそうだ。イマダはそれを他者に強制されることはない。


「何をどう理屈で考えても無駄でしてよ。これが夢なら、何だってそれだけで理由がつく。全てのことが有り得るのですから」


 イマダは舌打ちをする。確かに美雨の言う通り、これが夢だとすれば全ての前提が崩れることになる。そして現状イマダにそれを否定する材料はない。『これが夢などであるわけがない』という意思だけだ。

「ここまで、私も面白く思って見ておりましたわ」と美雨は手元で唇を隠す。

「掌の上の猿が、神に勝てるだなんて思い上がっている様子は。なんてお可愛らしいのでしょ」

 パッと明るい顔をして腕を広げた美雨が、「まだまだたくさん楽しんでいってくださいましね。ここからもずーっと、あなたの思いどおり」と言って低空を飛び、カツトシを連れて飛んでいってしまった。


 イマダは考える。美雨の言っていることは9割9分ハッタリで間違いない。『これが夢であれば全てに理由がつく』というのは確かだが、それを今言うべき理由はない。

 だが、反転させて奪ったはずの美雨の飛行能力が未だ残っているというのは見逃せない問題ではあった。どんな種や仕掛けがあるものか。なぜか反転させられなかったのか、あるいは鳳凰でも姑獲鳥でもないあの女固有の能力で飛んでいるように見せかけているのか。


 もう一つ。なぜここであいつらが強気に出てきたか、である。

 本当に何か切り札があるのか? 恐らくそうだろう。向こうにはまだ何か手があるのだ。そしてイマダを揺さぶり、何かをしようとしている。

 待て。そうとは限らない。“何もない”からこそ、ヤケクソ気味にイマダを揺さぶってミスを誘っているという可能性もある。


 ここは、一旦引くか? 恐らく誘われている。罠だと考えていいだろう。


(────引く? 俺がか。なんで? この場で一番強いのは俺だ。脅威となるものは何もない)


 小物だと? 所詮贋作だと? 掌の上の猿だと?

 やつらを全員殺す必要はない。この山から出ていけばそれだけでイマダの勝ちだ。難しく考える必要があるか? 奴らが何をしようと、この期に及んでイマダが負けるとは考えづらい。とにかく誰をいたぶるにしても、誰を人質にとるにしても、奴らの元へ出向かなければ始まらないのだ。


 行ってやるか、と呟きながらイマダは指を鳴らす。数分とかからず、怪物たちがイマダの元に集まってくるだろう。

「乗ってやろうぜ、オイ。そろそろこの山の景観にゃ、飽き飽きしてた頃だ」





 飛んでいる美雨とカツトシを、イマダは遠目に見ながら追いかける。なぜか美雨たちは「無理かも。無理かもしれません」などと騒いでいた。何だあれ、と訝しく思いながらもイマダは足を動かす。


 走りながら、イマダは尚も考えていた。この段階であり得る負けルートについてだ。相手方の戦力はほとんどない。あと手の内がはっきりしていないといえばカツトシという妖がいるが、実のところあの男については都とのやり取りで見当はついていた。恐らく、人の心を読む程度の力を持った妖だろう。確かに厄介だが、あの男はイマダを視ることができない。警戒する必要はない。

 となれば、やはりあのノゾムとかいう稲荷の影法師。あいつにまだ明かされていない手の内があると考えるべきだろう。まあ、そんなことは考えても無駄か。なんせ神性を完全に解き明かすということは、その神自身にも困難なことだ。人々の伝承に左右されている限りは。


 邪魔な木の枝を叩き斬る。この際全て伐採して山を丸裸にするのもアリだな、と考えた。その時だ。

 少し拓けた場所で、ノゾムと人の子ふたりがラジオ体操をしていた。


 ユメノとユウキが「あっ」と言ってこちらを指さす。背中を向けていたノゾムが振り向いて、やはり「あっ」と呟いた。


「…………。こっちから“行く”つったら待ってろよ!!!!!」

「ええ……」


 どういうことかとイマダは顎に手を置いて考える。誘われているのではなかったのか。イマダの元に現れたカツトシと美雨は罠でも何でもなく、ただ喧嘩を売りに来ただけか?

(いや……そんなことあるぅ? あるいは、切り札自体は確かにあるものの、時間稼ぎが足りなかったとかいうオチか? ちゃんと準備を整えてから来いよ……)


 とりあえず、怪物どもで総攻撃を仕掛けることにした。ユメノとユウキが真っ青な顔でぎゃあぎゃあ騒いでいる。さすがにノゾムが結界を張って防いだ。

 さて、とイマダはその場で腕を組む。ここからどうするか。

 このまま物量で押し切れば、ノゾムを殺すことは容易い。あの神はその不死性ゆえに、自分を守る結界については重点を置いていない。だがイマダの目的はあの神を殺すことではなく、この山を出ることだ。ここにはおあつらえ向きに求めていた鍵がいくつか落ちていると来た。

 気がかりな点と言えば、そう。こいつらの用意しようとしていた切り札だ。何か時間経過が必要なものなのか、それとも仕掛けに手順があるのかわからないが。


 ここは確実に迅速に、こいつらを無力化させて山を出て行くべきだろう。


「なあ、お嬢ちゃんにお坊ちゃん。俺は何も、君たちをいじめたいわけじゃない。もうこの山から出て行きたいだけなんだ。わかるだろ、君らも俺が出て行った方が嬉しいだろ、なあ」

 ユメノとユウキは青い顔をしながらも、沈黙を貫いている。なかなか強情な子どもだ。思えばなぜ人間がこんなところにいるのかわからないが、稲荷神社の関係者だろうか。特にユメノという少女は霊力が桁外れている。神主や巫女の家系だとしても驚きはしない。否、そうでなくともこの少女にはイマダも欲しがるほどの価値があったのだが。もう今となってはどうでもいい。

「神様を説得してくれよ、俺をここから出すようにさ。そうじゃなかったら、君らが一言いってくれればいいんだぜ。『この山には結界が張ってある』と」

 無言だ。恐らく神から何も言わないよう躾けられているのだろう。屈んで目線を合わせながら「神様が好きか」とイマダは問う。ユメノとユウキは困ったように顔を見合わせた。俺は大嫌いだ、とイマダは続ける。


 怪物に襲われているノゾムは、結界を割られては張り直すというのを繰り返していた。質よりもスピード、と決めた様子だ。

 イマダは瞬きをして、それをぼんやり眺める。


「神ってのはどんなにチンケで矮小なやつでも一級品のプライドを持っていやがる。自分より弱いもんを踏みつけて構わないし、それが当たり前だという考えをみんな持ってんだ。だから俺は、神や神に連なる全てが嫌いだ」


 ふと、ユウキが口を開いた。


「だけどあなたも神さまになろうとした。羨ましかったからでしょう?」


 それは、呼吸と同じくらい自然に発せられた言葉のようだった。イマダはぽかんとその少年の顔を見て、「は……?」と呟く。


 いつか神を踏みつけてやろうと思った。果たしてそれは、『俺も神になりたい』という願いだったのか。

(そうじゃねえだろ。俺の願いは、自由になることだった)

 あわよくば、自由な立場で不自由な神どもを嘲笑いたかったというのが本音だ。そんなのはまるで人間のようだ。ここまで来て、まさか『人間になってみたかった』などと冗談でも言えまい。

「……どちらかっていえばお前らの方が羨ましいぜ。何も知らねえ下等生物がよ。鬼より無力なお前らが、何にも踏みつけられず生きられるのはどうしてなんだろうな」

 今度はユウキの方がぽかんとする。子羊のようだ。人間というのはどいつもこいつも、子羊のように何も知らず守られている。時折それを狩る者を、こいつらは鬼とか悪魔とか呼ぶ。そんなのは自分たちがどれだけ無防備で美味そうか自覚してからにしろ。


「見てみろ」とイマダはノゾムを指さす。「そろそろ一回ぐらい死ぬ頃だ」と。

「たとえリスポーンしたとて、お前たちがここにいる限りあの神は俺の元へ来ることになるだろう。お前たちを助けにな。何度殺してやってもいいんだぜ。そうだ、お前たちはお荷物だよ。でもあいつを助けられるのもお前たちだけなんだぞ。結界さえ突破できれば俺は出て行く。お前たちのことは解放してやる。な、別にいいじゃねえか。俺がどこで何をしようと。お前たちに関係ないじゃないか。お前たちはお前たちの日常を大事に噛みしめながら生きていけよ。今なら何も失わずに済む。なんせ、俺は誰のことも殺していないんだからなァ。そして誰も殺さず、このまま出て行くと約束しよう。お前たちが俺の味方をしてくれるんなら、な。だが事が長引けば話は変わってくる。俺はこの山から出て行くために、見せしめとして何人か殺さなきゃいけなくなるだろう。わかるだろ、な? いい子だ、一言『この山には結界が張ってある』と言え」

 ユメノとユウキは考え込むような表情で押し黙った。イマダはせせら笑いながら、ノゾムのことを顎で指す。

「よーく考えろよ。お前たちだけでちゃんと考えるんだ。なんせお前らの頼みの綱は、あんなにも弱い」

 カッとなった様子のユメノが「そんなことないっ」と叫んだ。


「今に見てろ。ノンちゃんもタイラも、美雨さまだって、あたしたちの神さまだ」


 ふう、と息を吐きながらイマダは膝を伸ばす。

「本当のことを言ってくれてありがとう」と手を伸ばし、ユメノとユウキの頭を撫でる。結界が消えた証拠だ。

 ぐっと目をつむったユメノたちの間から、光が飛び出す。子狐の形になって、イマダの手に嚙みついた。「んだよ、式神か?」とノゾムの方を見る。神性を失くしたノゾムは結界を張ることもできずに化け物どもに押しつぶされていた。


 手を叩いて化け物を下がらせ、イマダはノゾムの元へ歩いていく。

「まだ消えてねえのか。即死じゃないってのは、運がいいのか悪いのか」と呟いて、見下ろした。ノゾムは立ち上がろうとしていたが、派手に血を吐いて狐面の隙間から溢れさせている。「もう無理すんなよ。いま楽にさせてやるからな」とイマダは小刀を構えた。神性を失ったということは、恐らくこいつは同時に不死性も失っているだろう。

 その前に顔を見てやろうと狐面に手をかけた。ゆっくりと剝がしてやる。


(……こいつ、笑ってやがるな)


 何かあるのか。この期に及んで。イマダは一瞬、この若い神の首を獲ることを躊躇った。


「ひと、つだけ……げほっ、言っとき……ますけ、ど……」

 そう、ノゾムが口を開く。


「あんた……っ、ふ……踏みつけられてる方が、お似合いだよ」


 真意を探ろうとイマダは動きを止めた。「お前……」と言いかけたその時である。

 何かが風を切る音が聞こえた。振り返る数瞬前に、イマダの背中からそれが突き刺さり貫通する。


「ッ……!?」


 なんだ、これは。槍? こんなもの、どこから飛んできた? 否、

 軽い金属同士がぶつかるような音が聞こえる。どこかで聞いたことがある音だ。これは――――錫杖か。


「無間の果てより其の罪を問わん。汝、咎人なりや?」


 口の端から血が流れるのにも構わず、イマダは自分の身体を貫通した槍を無理やり引き抜く。そして素早く体勢を整え、何とかそれで重い打撃を防いだ。そうしてイマダは驚愕する。天狗面をしていないが、確かにタイラとかいう男だ。あの山神が、錫杖で殴りかかってきている。記憶より幾分か早い。幾分か、強い。対処しきれない。


(そうだ、こいつは信仰を枷とする神だ。神性を失って、信仰から解き放たれた? だから何だというんだ。確かにこいつは、神である己の存在に自己を置いていなかった。それ以外の何かが核であるということはわかっていた。それで? だからといって、この男は。俺の見当違いじゃなけりゃ、こいつは)


 そこにいたのは、ただの亡霊にんげんだった。


(ただの人間が、ただの人間としてのアイデンティティを保ったまま神なんぞになったというのか)


 激しく打ち合って、やがて弾かれたイマダの手から槍が離れていく。小刀で応戦しようとしたが、一瞬早くタイラが間合いを詰めていた。頭を掴まれる。抗う暇もなく、そのまま叩きつけられた。


(そもそもこの男のことは……! 何度潰してやったと思っていやがるッ。オメーは賽の河原か!? そういうのが一番萎えんだよッ)


 熱湯を被ったような感触がある。恐らく額を割られている。鼻血も出ている。考えがまとまらない。

 ここまで来て、負けるのか? 死ぬのか、ここで。

 口を開くと、血が入ってきて鉄臭かった。


「お前なんで……こんな山で制約に縛られながら神なんざやってやがる。お前の強さじゃあ、それこそ鬼神として暴れまわることもできるだろう」


 死ななければ。生きてさえいれば、いくらでも反撃のチャンスはある。ここで殺されなければあるいは。


「取引をしよう……神様。あんたにその気さえあれば、俺はあんたを誰より自由な鬼神にしてやる。興味はないか? じゃあ、これならどうだ。俺ならあんたの不死性を奪ってやれる。あんたは一言、『俺は不死だ』と言えばいい。永遠なんてクソくらえだ。なあ、そうだろ?」


 タイラは目を細めてイマダを見ながら、「それは魅力的な誘いだが」と言って顔を近づける。耳元で、囁いた。

「今は、お前をぶっ殺すのが楽しい」と。


 反転を――――しても意味がないか。この男の“楽しい”という感情が僅かに変化するくらいだろう。

「お前はよくやったよ」とタイラは言った。「俺たちも、ここまで追いつめられるとは夢にも思わなかった。それでもお前の敗因は、詰めが甘いの一言に尽きらァな」

 また、頭を打ちつけられた。もう何も考えられない。イマダの能力において思考の停止は致命的な敗北だ。どちらにせよ、このままでは死ぬ。


「全ての理を――――神仏の御許にお返し致す」


 そう、呟いた。能力を全て解いたのだ。実質の完全降伏宣言だった。






 自分の手をグーパーしながらタイラが「神性が戻ってきたか」と呟いた。ユメノたちの傍で美雨と守りを固めていたカツトシが近づいてきて、「視えた視えた。“来人”ね、こいつの名前」と肩をすくめる。

「クルヒト、か。これまたいい名前じゃないか。もう何も反転させるんじゃないぞ」

「……反応がございませんわね。死んだんじゃ?」

「え、マジで?」

 少し焦った様子のタイラがイマダの肩を揺さぶったり顔の前で手を振ったりした。いつの間にか近くにいた都が脈を確認し、「生きてはいるわ。鬼だし、身体は丈夫なはず」と話す。


 神社の方から走ってきたノゾムが大きく手を振りながら「先輩、首尾はどうです」と言ってきた。

「勝ち申した」

「さすがでごわす」

「お前はメモリ破損してない?」

「今回は大丈夫だと思います。だいぶ意識がハッキリしてるんで」

 ちらりとイマダを見たノゾムは「うわ、えぐいなぁ」と呟く。「あんたのやられ方も結構えぐかったけどね」とカツトシが指摘した。


 ふっとその場の全員が顔を見合わせ、長々とため息をつく。ユメノなどはその場でへたり込んで「……漏らすかと思った」と独り言ちた。「人としての尊厳の危機だったとは」と美雨が口元に手を当てる。

「やっと制圧できましたね……長かった」

「まったくだ。鬼一匹にここまでやられるとはな……」

 疲労を滲ませながらも、タイラとノゾムがお互いの健闘と称え合う。空咳をしたカツトシが「なんか終わった感出してるけど、やばいわよ、被害が」と言った。ハッとした様子のノゾムがその場で山の結界を張り直す。


「今から結界張ったって遅いわよ。もう怪物もみんな消えたし、亡者はみんな正気に戻ってんだから」

「えええ……被害はどんなもんすか」

「僕から伝えるより、自分で里に下りて確かめた方がいいわよ。今回キーパーがいなかったから、怪物も亡者も里に下り放題だった」

「やっぱり? まあ想定はしていましたけど」

「あんたの想定よりひどい」

「うわ、一回寝ていいすか?」

「現実から逃げるんじゃないわよ。今起きたばっかりでしょ、あんた」


 頭を抱えているノゾムをよそに、都が「あとは彼をどうするか、だけれど」とイマダを指さした。

「今は真名で縛っているから何もできないでしょうけど、それにもかなりこちらの霊力を使いますからね。神性持ちの中で霊力が余っている方はいらっしゃいます? 私はもうカツカツ」

「オレはこれから使い果たす予定なのでそいつを見張っている余力はないです」

「……霊力自体は有り余っているが、俺は今晩中に一度は死ぬ予定だからその時にこいつはノーマークになる」

「スケジュールに“死”が入ってるの草」

「笑ってる場合じゃないですわよ」

 じゃあどうする、と無言で話し合う。息を吐いたタイラが「俺が起きているうちにこいつを天に送り届けるしかあるまい」と頭をかいた。


「迎えを待たずに、すか。そんなことできます?」

「いるだろう、ここに。かつて『神と人の仲立ちをし、この世と天上を繋げる鳥』と言われた神獣が」

「嫌な予感がいたしますわね……まさか私に天上とのパスを繋げと? 私、もう引退した鳳凰なのですが」

「でもガバガバセキュリティで鳳凰の力を使えるんだろ」

「ええ……」


 顔をひきつらせた美雨が、しかし現状でそれ以上の対案が出てこない様子で渋々「できるかわかりませんわよ」と腕を広げる。

 ごうっと音を立てて美雨の周りが燃え始めた。星のように燃える。

「神よ、あなた様の鳳凰はここにおります。あなた様の、愛玩はここに」と高らかに宣言した。


「夢幻こそが極楽の入り。我が名は美雨。ここに鳳凰としての責務を全ういたします。人よ、神を受け入れなさい。神よ、人に道をお示しくださいませ」


 夜空に光の線が浮かび、歪な扉の形となる。

 何者か、と問いがあった。美雨が大きな声で「美雨でございますわぁ。今は一線を退いておりますが、鳳凰の身でございます」と叫ぶ。便乗して、タイラが「我が名は雀鈩。雀鈩大山を管理する土地神として、亡者たちの先導を仕る」と言った。

 許す、と声が聞こえ扉が開いた。


「……最初からこれでいけたのでは?」

「相変わらず警備がガバだな。関係者名簿も持ってねえのか」

「行きたくないですわぁ。わたくし、また鳳凰をやれと圧力をかけられるに決まってますもの」

「最悪の場合はこの天邪鬼だけ置いて逃げて来ればいいだろ」


 軽々とイマダを担ぎながら、「と、いうわけで行ってくるわ」とタイラは笑う。それに続いた美雨が、まるでツアーガイドのように「亡者の皆様、こちらでしてよ」と旗を振った。


 いっちゃった、と実結が寂しそうにそれを目で追う。ため息をついたノゾムが、「こっちはこっちでやるべきことをやらなきゃな」と呟いた。





 里に下りたノゾムが、唖然としてその様子を指さす。

「も、燃えてる〜〜〜〜!!!」

 それからカツトシの肩を激しく揺さぶり、「どうして燃えてるって教えてくれなかったんすか!? どうして!? 今も被害が広がり続けていることを言ってくれなかったんすか!?」と訴えた。カツトシは「ごめんってば」と軽く謝る。

「大体誰だ火なんかつけたのは! 古来より火というのは清浄の象徴であり火炎崇拝の」

「ノンちゃん、落ち着いて、ノンちゃん」


 ふっと肩を落としたノゾムが「じゃあ、やりますか」と小声で言う。どうやら覚悟を決めたようだ。

「まず、この火をなんとかしなきゃな……。ユキエさん、実結ちゃんはまだ力使えそうですか」

 うなづいて、都は実結に「やれる?」と尋ねた。実結はしかめ面をして「がんばるっ」と拳を握る。


 おいで、と手招きしたノゾムが実結を自分の前に立たせた。「オレも力を貸します」と言った瞬間に、蛍のような光がその場に湧き上がった。ノゾムは後ろから実結の右手を取る。


「五穀豊穣の神たる稲荷の加護を受け、君は今この瞬間────雨乞いの巫女だ」


 途端に実結は美しい巫女装束を身にまとった。実結は最初ぼうっと空を見ていたが、やがて両手を合わせて祈りの姿勢となる。

 ぽつぽつと、地面に染みが増えていったと思えば、ザアっと音を立てて雨が降る。不思議な景色だ。集落を越えた先では確かに晴れた夜空が広がっているのに、ここら一帯は土砂降りなのだから。


 ────どうして。

「どうして泣いてるんだろう、ミユちゃん」と、ユメノは口を滑らせる。あの消え入りそうなほど輝く少女は確かに泣いていた。


 瞬きをした都が「かつて」と口を開く。

「雨というのは神の恵みだった。人々はその恩恵を得るために何だってした。そのために犠牲になった多くの子供たちがいる。いわゆる人身御供が横行した時代があり、それは雨を降らせる妖や龍神の伝承には切っても切り離せない。あの子の出自がそうでないことは私が一番よく知っているけれど、時々それらと通じている気がするの」

 あるいは、とノゾムが呟く。「あの子には元々巫女の才能があって、喚び寄せているのかもしれないですね……神に捧げられた子供たちを」と。

 ふっと力を抜いた実結が倒れ込むのを支えたノゾムが、「お疲れ様です」と言いながら少女を都の腕に抱かせる。


「さて……火は消えましたか。じゃあオレの出番かぁ。どこまでやれるかな」


 いつの間にかノゾムの右手には大幣が出現していた。辺りを見渡しながら「まあこれぐらいの被害なら“修復”できるかな」と呟く。

「時に……ユメノちゃんにユウキくん。稲荷ほどの名前を掲げていると、何かあった時には人への補償義務が生じます」

「なんて???」

「神の存在を証明するものといえば、人による信仰です。人がそこに存在することにより神も存在できると言えます。その代わり、神は人の営みの連続性を保証する。それこそが、神と人の健全な契りというものです」

 さっぱりわからない顔のユメノとユウキに「たとえ話をするっすね」とノゾムは人差し指を立てる。

「君たちが林檎の生った樹を見て、『あれを食べたい』と思ったとします。君たちがその樹の管理者にそう伝えたところ、『この分じゃ明日までに林檎が落ちてしまうということはないだろう。明日取りにおいで』と言われました。しかしながら林檎はその日のうちに、管理者が目を離した隙に盗まれてしまう。そうした時、それでも管理者は君たちがまた訪れたときに『あると言ってしまったものだから、何とか林檎を用意しておいたよ』と林檎を渡さなければならない。質が落ちても、林檎そのものを用意できなかったとしても、最善を尽くして補償しなければならない。そういうことが、神の中でも決まっているってことです」

「りんご……(食べたい)」

「りんご……(のどかわいた)」

「そこで君たちにお願いがあります」

「なにすればいいの!?」

「ちょっと応援しててもらっていいですか、オレのこと」


 めちゃくちゃ応援した。


 ノゾムはじっと前を見据えながら手に持った大幣を下ろし、それから空気を切るように横へ動かす。

「無限なりや、現世うつしよの営み。五穀豊穣・商売繁昌・産業興隆・家内安全・芸能上達。我の名の下に稲生る也。我、ここに契約を履行する。一つ、甲がその営みの連続性を欠く時、それが乙の落ち度である場合に限り、乙は自身の全身全霊を以てしてその補償をしなければならない」

 まばゆいほどの光が、辺りを包んだ。まるで蛍が一斉に飛び立ったようだ。荒れ果てた景色が、その規則性を取り戻してゆく。


 美しい光の中で、ノゾムはくるりと後ろを振り向き、言った。


「これにて閉幕。皆様、お疲れさまでした」

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