第14話 姉と弟

「蛇……だな」

「蛇……ですね」


 困惑しながら、タイラとノゾムがその大蛇を舐めまわすように見る。造形は、完全に白蛇である。しかしその規格外の大きさ。その上神性持ちと来ている。

「! 見ろ、ユウキだ」

 木の陰に少年の姿を見つけ、タイラは急降下した。そのままユウキを抱え、また上昇する。ユウキは何が起こったかわかっていない様子で、呆然とタイラたちを見た。

「ユメノはどうした」

「……ユメノちゃん、ぼく、追いつけなくて」

「! いないのか」

 拳を握ったノゾムが「追いかけるべきでした、オレが。家に送るべきだった。あの時」と呟く。「落ち着け、とにかくカツトシを呼ぶぞ」とタイラがスピードを上げた。




 地鳴りで起きたらしいカツトシは、美雨と一緒にすでに家から出て来ていた。ノゾムを見た瞬間、記憶が視えたのだろう。指をさして「バカーッ」と顔を真っ赤にする。ウッと言葉を詰まらせたノゾムが「反省してますッ」と頭を下げた。

「カツトシ、まずはユメノを探してくれ」

「オッケイ、待って」

 カツトシは目隠しを外して周りを見渡す。そうして、ある一点を見つめながら動きを止めた。


「…………?」


 目を細め、眉をひそめる。首を傾げ、何度も見直していた。顎に手を当て、何か考えている様子でじっとしている。どうしたんだ、とタイラに問われて初めて「僕が言うことを疑ってほしいんだけど」と困惑の声を発した。

「あの蛇、」

「はい」

「あの蛇の中にユメノちゃんがいる」

「食われたのか!!?」

「違う違う。そういうんじゃない。あの蛇の本体とユメノちゃんがダブって視える。あの蛇が、ユメノちゃんみたい」

「は?」

「何?」

 真剣な顔をした美雨が「それはつまりどういうことなんですの?」と尋ねる。カツトシは眉根を上げ、「僕は視えてるものをそのまま言うだけで、それを考えるのはあんたたちの仕事なんじゃないの!?」と言い返した。美雨は「ひえ……仰る通りで……」とだけ言って黙る。

「そうは言っても、もう少しだけヒントをいただけないでしょうか」

「僕は出題者じゃないのよ。……まあ、そうね。もう少しよく視たい。これの頭の方に近づける?」

 ちらりとタイラの方を見る。タイラは顔をしかめて、カツトシの目を見返した。カツトシは「え? 何? ……いや、そんなの知らないわよ。大体、毒があったからって何なの。接触しないっていう選択肢があるわけ?」とぶつぶつ言う。「何を喋ってるんですか」とノゾムが呆れた声を出した。

「そこにいらっしゃる山神様は、この蛇に毒があるんじゃないかとビビッているのよ」

「! 言うなよ、お前」

 ノゾムとユウキが同時にタイラを見る。「こわいんですか?」とユウキは驚いたように尋ねた。「別に怖くはないです」とタイラは手を振る。苦手なだけです、と続けて言った。


「この男はかつて毒蛇に噛まれて散々な目にあったことがあるから」

「……まあ、確かに先輩の不死性と毒物は相性が最悪ではあります。有名なところでギリシャ神話に登場するケイローンという不死のケンタウロスが、ヒュドラの毒に耐えかねて不死性を手放したという話があります」

「手放せればいいのにな」


 そんなタイラの肩に、美雨がぽんと手を置く。「お気持ちお察しいたしますわ。実のところ私も蛇という生き物が生理的に無理ですの。怖いとかそういうんじゃなくて」と話した。「あんたもか」とノゾムが突っ込む。

「あなたには色々と借りがございますし、よろしくてよ。もしあなたが毒に侵されることがあれば、私が全身全霊の洗脳を以てしてあなたの苦痛を最上の快楽にしてさしあげますわ」

「その中間ってないの?」

「残念ながら、苦痛と同じだけの快楽にしかできません。私の能力を麻酔代わりに使われても困りますので」

「どちらにせよ廃人化不可避で草ですね」

 そんなことになったら責任を取れよな、とぶつぶつ言いながらタイラはカツトシを担いだ。事を進めようという気になったらしい。それから軽く飛び上がる。

 拳を握ったユウキが「ぼくも」と呟いた。「ぼくも行きたいです」と。

 顔を見合わせたタイラやカツトシが却下を出す一瞬前に、「じゃあユウキくんはオレが連れて行きますよ」とノゾムがその姿を狐に変える。背中に乗って、と何でもないように言った。タイラとカツトシも一瞬何か言いたそうにしたが黙り、「じゃあ行くかー」と頭をかく。

「わたくしはご遠慮さしあげても?」

「あの蛇に洗脳が効くかどうか試したいのでダメです」


 上空から見下ろし、「あれが頭か」とタイラが呟いた。「デカいですね、やっぱり」とノゾムも隣でそれを見る。無意識だろうがユウキのノゾムを掴む手に力が入った。

「さーて、どこに下りようか」

「逆にあの頭の上に下りるのが一番安全だったりしませんかね」

「正気ですの?」

「一理ある」

「思うに正気で神なんかやってらんないんだと思うのよね」

 蛇の頭の上にふわりと降り立って、カツトシは静かに蛇の躰を見渡した。

 数秒、恐らく視覚情報を整理して口を開く。


「やっぱりそう。元は別々の魂が、編み込んだように混じってる。どちらかがユメノちゃんの魂で、どちらかがこの蛇の魂ってことでしょうね。たぶん、生まれたときにあまりに同質だったから憑いた。あるいは喚んでしまったと考えられる」

「……なるほど。それがここに来て発芽したと」

「それから記憶が視える。ユメノちゃんの記憶と入り混じっていて視えにくいけど、この蛇の記憶が。蛇……いや、違う。女の子? 巫女だわ。これは蛇の記憶じゃない。蛇の魂じゃない。彼女は大蛇に呑まれた巫女。かつて、こう呼ばれていたことがある。“姦姦蛇螺かんかんだら”と」

「! 姦姦蛇螺……」

「知ってるんですの?」

「いえ、お伽噺みたいなもんですよ。上半身は腕が6本の女の姿をして、下半身が蛇であるという化け物。実在しないフィクションです」

「ここに顕現しているのですがそれは」

「あるいはそのフィクションの元ネタは確かに存在して、そこに尾ひれがついてそんな化け物を生み出したのかもしれん」

「ああ、魚の骨に龍を見るというやつですわね」

「? 何すかそのことわざ。初めて聞いた」

「騙されちゃダメよ、あたかも慣用句のように言っているだけでその女の思い付きよ」

「この状況でボケないでもらえますか」

 蛇の頭の上で全員難しい顔をしながら言い合う。ユウキだけが真っ青な顔をして、ノゾムの首に腕を回していた。


「その姦姦蛇螺の逸話をお聞きしても?」

「簡単に言いますと、『人を喰う大蛇を退治しようとした巫女がいたが、あろうことか人間側の家族や村人が先に降参して巫女をそのまま大蛇に生贄として捧げた』みたいな」

「ひどい話ですわね。“やっぱり一番怖いのは人間”って話じゃありませんの」

「しかし話はそこで終わらず、その後巫女を生贄に捧げた人間たちはみんな呪い殺され、村はほとんど全滅したと言います」

「大蛇に食われながらもその意識を保った巫女が復讐を成し遂げたと?」

「さあ……。話としてはその化け物も封印されて終わったはずですが」

「記憶を視る限り、大筋はその通りみたいね。でも封印というよりは、蛇神として祀られたというのが正しいみたい」

「だから神性か……」


 うーん、と腕を組んだ美雨が「よくわかりません」と首を傾げる。

「つまりその大蛇に呑み込まれた復讐鬼たる巫女の生まれ変わりがユメノちゃんということでして?」

「は? 話聞いてました? 生まれ変わりとかじゃないって言ってんじゃないですか」

「ひえ……そんなに怒らなくても」

「どちらかといえば降霊に近いでしょうね。魂の質が似通っていたことと、恐らくユメノちゃんの元々の素質で無意識に喚んでしまった。それも赤ん坊だった頃に。そうして今までずっと憑いていた、ということじゃないかと」

「ということは除霊で対応できるんですの?」

「しかし厄介なことに神性持ちなので、オレの神罰では無理でしょうね」

「巫女が相手となると経を読んでも意味がないだろうな」

「ふーん、なるほど。じゃあどうなさいます?」

「それを今考えてるんでしょ。洗脳はどうなんですか」

「神性持ちに洗脳っていうのは……なかなか……。あなた方を洗脳しようとしてもかなり骨が折れるのと同じですわ。もちろん認識阻害やミスリードはできますが、そんなことをして意味があるのかは疑問ですわね」

 黙って、視線を交わす。誰か意見を出せ、という無言の圧力があった。空咳をしたタイラが「時にカツトシ」と口を開く。

「ユメノとその巫女が、精神面において深く結びついているということはわかった。それでユメノのからだはどこにあるんだ? この蛇と同化しているのか」

 瞬きをしたカツトシは、緩く頭を振った。「どこにもない。少なくとも、この世界にはない」と答える。このせかいにはない、と美雨が顔をしかめながらオウム返しした。「どういうことですか」とユウキが身を乗り出す。

「……神隠し、ですか」とノゾムが呟いた。

「あんたの得意分野ね」とカツトシは肩をすくめる。まあそうですね、とノゾムがため息交じりに言った。


「ひとえに“神隠し”と言ってもその実態は様々です。たとえば美雨さんが子を攫ってくるのも広義では神隠しになります。“神隠し”とはいえ神の仕業には限りませんからね」

「人間から見ればわかりませんしね」

「その中のひとつに『異世界に誘われる』というものがあります。恐らく、“神隠し”と聞いて真っ先にイメージするのがこれなんじゃないかな。つまり神隠しという名の異界訪問譚。ユメノちゃんの実体はそれに巻き込まれているんじゃないかという話ですね」


 顎に手を当てた美雨が「だからこの世界にはない、と」と難しい顔をする。「ということはその異世界からユメノちゃんを取り戻さなければならないのでは?」と人差し指を立てた。

「この大蛇の処理だって大変なのに、どこにいるかわからないユメノちゃんを探さなきゃならないということになりますわよ」

「……しかしながら、この蛇も神性自体はオレたちと同じレベルと言えます。それほど大掛かりな異界を作り上げられるとは思えません。恐らく、自分の精神世界を異界として用意するのが関の山ではないでしょうか。……

 パッと顔を上げた美雨が「あなたも神隠しを?」と聞く。「恐らく同種です」とノゾムは軽く頷いた。「だからといってそれを攻略する方法は現時点でありませんが」と咳払いする。

「ただ、精神世界にさえ干渉できればそこに異界はあると思います」

「一考の余地はあるわね。こっちには精神干渉に長けたやつもいるし」

「わたくしのことですの……? うーん、ちょっともう一回試してもよろしくて……?」


 蛇の頭上で立ち上がり、美雨は目を閉じたまま「夢幻なりや極楽の入り――――」と呟いた。しかしふっと目を見開いた美雨が「やっぱり拒絶されましたわ」と途方に暮れたように言う。

 次の瞬間、蛇が激しく動き出した。


「怒らせてんじゃないですか」

「幸せな夢を見せて差し上げたかっただけなのに」

「うわ落ちる」


 ユウキとカツトシのことはタイラと美雨がそれぞれ抱え、ノゾムは自力で着地する。その隣にタイラたちも降り立ち、頭を揺らす蛇を見上げた。

「あのデカさとパワーじゃ、結界を破るかもしれませんね。ずっと張り続けるしかないか」

「何にせよ早いとこアレを無力化させたいところだが」

「攻撃してみるというのはありでは? あの蛇を攻撃してもユメノちゃんのダメージにはならないんでしょう?」

「まあ攻撃が通るならね」

 蛇がこちらを睨む。「ひっ」と息を呑んだ美雨が、思わずというようにタイラの背中をドンと押した。

 自分の腕を信じられない顔で見た美雨は「あっ」と呟く。ノゾムとカツトシも「あっ」と口を開いた。タイラだけが「お前……本気で……?」と振り向いて美雨を見る。


「ごめんなさい、あっ、ごめっ、ああっ、ごめんなさい!!!」


 口を開けた蛇がタイラを頭から飲み込もうとするのを見て、美雨が「ああ~~~!!! ごめんなさい、つい!!! そんなつもりじゃ!!!」と悲鳴を上げた。

「どんなつもりだったんですかねえ」とノゾムが白い目で見る。

 しばらくじたばたしていたタイラが動かなくなった。「死んでるかも」とカツトシが指をさす。「え、なんで」とノゾムは驚いて尋ね、「いや、わかんないけど半分ぐらい死んでるかも」とカツトシはうろたえた。

 あわあわしていた美雨が、意を決したように飛んで蛇の口からはみ出たタイラを懸命に引っ張る。

「起きてくださいまし……。こればっかりは私が悪かったので……」

「“こればっかりは”ってあんたが悪くなかったことがあるんですか」

「あんまり引っ張ると千切れるわよ」

「子どもがいるんでグロい話はしないでもらっていいすか」

 ふと、蛇がその口を開いた。呆然とする美雨ごと、吞み込んだ。うわー、とノゾムは感情のない声で言う。カツトシが「幸運にも美雨は噛まれてはいないみたいだから毒は大丈夫よ」と話し、ノゾムが「それはラッキーですね(棒)」と腕を組んだ。


 ふたり分を吞み込んだ蛇をじっと見て、『ガッツ系の不死性を持って捕食されると一体どうなるんだろう。延々と消化され続けるのかな、これが無間地獄かぁ』とノゾムは想像を膨らませる。カツトシはそんなノゾムの心を読んで静かに引いていた。


 その時である。蛇が甲高い声で喚きだしたのは。大量の厚紙と壁を一緒に破ったような音がして、蛇の腹が裂ける。美雨を担いだタイラがその穴から這い出してきた。美雨は完全に目を回している。

「何なんだ、この女は!」

「一応あんたのこと助けようとはしてたから、許してやったらどうなの」

「よく出て来られましたね」

「食われたら消化される前に出ないと永久機関だぞ、俺は。枯渇しない栄養源として非常に優秀」

「やっぱそうなんだ……」

 ようやく意識を取り戻した美雨が「し、死ぬかと……死んだ? わたくし、死んだ?」とぶつぶつ言っていた。タイラは髪をかき上げ、「最悪の気分だ」とため息をつく。


 蛇はといえば金切り声を上げて身をくねらせている。木が何本か折られた。そして穴の開いた腹から頭の方まで、肌が一気に裂ける。

「あれは……」

「脱皮、か。中から新しい皮膚が出てくるな」

「そういえば蛇というのも不死の象徴でしたね。ノーダメかぁ」

 とりあえず、とタイラが視線を落とした。「シャワー浴びてきていいか」と頭をかく。

「このタイミングでですか」

「このタイミングしかないだろ、向こうも脱皮に手間取ってるみたいだし」

「はぁ……じゃあ、どうぞ」

 未だ混乱している様子の美雨をまた担いで、タイラは飛んで行ってしまった。自由だなあ、とノゾムは独り言ちる。それから盛大にため息をついて、脱皮する大蛇を眺めた。






 戻ってきたタイラの胸倉を掴んで、ノゾムが「あんたこの状況で何一服してんすか」と迫る。なぜバレた、とタイラはあっけらかんと言った。傍にいたカツトシが「ヒント、狐の嗅覚」と茶々を入れる。

「あ、美雨さんも復活したんすね」

「いきなり冷水をぶっかけられましたわ。さすがに恐れおののきましてよ」

 それから、タイラたちの後ろにいる都母娘に視線を移した。「えーっと、ユキエさんとミユちゃんも来たんですね」とノゾムは軽く会釈する。

「道すがら会ってな。さすがにこの異常事態で寝てはいられないだろう」

 都は真剣な顔で「話は聞かせてもらったわ」と言った。「私から提案があるのだけど」と続ける。


「蛇といえば、変温動物よね」

「一般的にはそうですね」

「試しに凍らせてみるというのはどうかしら」

「“試しに凍らせてみるというのはどうかしら”???」


 さっきからずっとそう仰っているんだ、とタイラが困惑の声を出した。「はえー……」とノゾムは宇宙に思いを馳せ「じゃあ、はい。やってみましょう(ヤケクソ)」と頷く。

 どうやら寝起きでご機嫌斜めらしい実結に頼み込み、雨を降らせてもらうことになった。実結も『ユメノを助けるためだ』と聞くとキリッとした顔になり、いつもより多めの雨を降らせてくれた。それを都が瞬時に凍らせる。

 蛇がか細く息を吐き、やがて大人しくなった。戸惑いながらカツトシが、「寝たみたい……」と言う。ノゾムは正直疑いながら「ね、寝ました? ほんとに? 成功?」と聞き返してしまった。

「確かに無意識に切り替わった。寝た……んだと思う……」

「予想外の成功で驚いています。マジか……。いやしかし、これはかなりチャンスですよ。ありがとうございます、幸枝さん」

「私もちょっとびっくりしているわ」

「君はびっくりするなよ」


 さて、と腕を組んだノゾムが口を開く。「千載一遇の好機というやつです」と力強く言った。

「美雨さん、あの蛇の……巫女の夢とオレたちの意識を繋げますか?」

「……当たり前のように無茶苦茶言いますわね、あなた。確かに私は人と人の夢を繋ぐことはできます。はじめましての時、ユメノちゃんとユウキくんに同じ夢を見せたようにね。しかしあなたが言うには、彼女の精神世界は異界化しているのでしょう? 夢に干渉するのと異界に干渉するのでは原理が全く異なりますわよ」

「同じですよ。そも、夢というのも人が内に持つ異界です。それをこじ開けることができるんだから、神の持つ異界だってこじ開けられるでしょ」

「それはあなたの認識でしょう。私の認識上、夢は異界ではありませんし」

「じゃあ認識を変えてください。できますよ、ね。できますよね?」

 ぐっと言葉に詰まった美雨が、「いつかパワハラで訴えてやる」とノゾムを睨む。「そこの安請け合いおじさんが甘やかすからよ」とカツトシが肩をすくめた。タイラが小首をかしげて「誰が安請け合いおじさんだ?」と心底不思議そうに言う。


「ところで幸枝さん、この氷はどれぐらい保ちますか」

 ピシピシという細かな氷の割れる音を聴きながら、「それほどは」と都が答えた。「了解です」とノゾムは瞬きをする。

「美雨さん、オレと先輩を連れて行ってください」

「まだやれるとは一言もいっておりませんが」

「! ぼくも行きます」

「……ユウキくんも連れて行きます」

「あの、やるのは私なので私に許可を取っていただいても?」

「すみませんがアイちゃんさんとユキエさんとミユちゃんは、こっちで蛇の様子を見ていていただいて」

「本当に後で覚えておきなさいね、青二才」

 上等ですわ、と美雨が吐き捨てた。「いいこと? 彼女の夢と繋げて差し上げます。ですが、ですわよ。向こうは彼女のテリトリー。さすがに神の異界を塗り替えるほどのことはできません。どうなっても知りませんわよ」と苦言を呈した。狐面の下でニヤッと笑ったノゾムが、「最高っす。さすがは美雨さま。その先は何とかしますんで、お願いします」と言う。


 調子のいいこと、と言いながら美雨は目を閉じた。

「……夢を繋ごうとすると上手くいかない。そこに精神世界があることは確かにわかるけれど、それだけでは意識を飛ばすことしかできない。“異界に入る”のであれば、意識だけを繋ごうとするべきではない。アプローチを変えなければ。門を開ける? ……どちらかとえば、人と神を繋ぐ……神と人の仲立ち。こんな弱小の土地神なんかにへりくだるだなんて、まったく屈辱ですわね」

 それから目を見開き、「――――夢幻こそが極楽の入り。我が名は美雨。仕える主は違えど神と人を繋ぐ責を負う者。私こそが神の声を聴く。私こそが門。人よ、神を受け入れなさい。神よ、人に道をお示しなさいませ」と言い放つ。


 パッと輝く光の扉が出現し、開いた。抗う間もなく美雨たちを呑み込む。

 目を開けたとき、そこは見たことのない田舎道だった。







 一番に目につくのは、田の真ん中や道の端に倒れている人たちだ。ユウキは戸惑いながらも、助け起こそうと近づいてみる。それをノゾムが引き止めて、「これが彼女の心象風景なら、あれは恐らく彼女が呪い殺したという村人たちでしょう」と言った。

 どこからか声が聞こえる。わらべ歌だ。


“かごめかごめ” “籠の中の鳥は” “いついつ出やる”

“夜明けの晩に” “鶴と亀がすべった” “かごめかごめ”

 そう、延々と繰り返している。


 振り向くと美雨が宙に浮きながら胡乱な目でこちらを見ていた。「私はどうやら動けないようなので、放っておいてくださいまし」と諦めたように言う。どうやら空間に固定されているようだ。「恐らくこの世界で“門番”として認識されたのでしょう」とため息をつく。

「じゃあ……ご無事で」

「“ご無事で”じゃありませんわよ。もし私が死んだら、あなたたちも帰れませんからね」

「とりあえず結界張っときますね」


 文句を言う美雨を置いて、ノゾムたちは歩き出した。「さすがになんだ、後であいつを労ってやった方がよさそうだな」とタイラが呟く。気にせずノゾムは口を開いた。

「恐らく、ここが彼女の世界である限りユメノちゃんは見つからないでしょうね」

「まあ、向こうの領域内だからな。何が起きてもおかしくはないし、意識的に何かを隠そうと思えばこちらとしてはお手上げだろう」


 立ち止まり、ノゾムが瞬きをする。ユウキは思わず目を擦った。真昼のはずだったのに、少しずつ薄暗くなっていく。電気が消えたように暗くなって、ユウキは「え……?」と目を見開いた。変わらず、見知らぬ田舎道だ。見間違えたのかと思い、タイラの顔を見る。タイラは何も言わずにノゾムを見ていた。


 視界の端の違和感に捕まって、きょろきょろと辺りを見る。どこがおかしいのかわからない。本格的に、ここがどこだかわからなくなっていた。

 気づけば辺りは夕闇で、いつからかそこには真っ赤な鳥居が立っている。長い長い石段。ちょうど、今日見たものと同じだ。「これ……」と呟けば、ノゾムが気まずそうに笑いながら「これが神隠し」と言った。


「さて、突撃隣の異界訪問のお時間です。やりましょうよ神隠しかくれんぼ。オレも結構得意ですよ」


 それからタイラとユウキの方を向き、「先輩はユメノちゃんを探してください。オレはユウキくんと一緒に本体を探します」と頭をかく。タイラは「了解した。お互い早いとこ見つけ出して美雨を解放してやろうな」と笑った。それからタイラが飛んでいくのを見送り、ノゾムはユウキの手を引く。


「つまるところ、これはオレの心象風景です」

「じゃあ、やっぱりあれはノンちゃんだったんだ」

「……。不要とされた自分の影が同じ心象風景を持っているというのは、結構くるものがありますね」


 石段を上る。灯籠に光が点った。あの時と同じだ。


「今は一応、蛇神の異界をオレの異界で上書きしているところです。これである程度イニシアティブを取ることができれば儲けですね。ただのかくれんぼに持ち込める」

「かくれんぼ?」

「そうっす。オレたちは見つけなきゃいけない、彼女のことを。そしてそれは、君じゃなきゃいけないとも思う」


 どういう意味だかわからず、ユウキはぽかんとする。ノゾムはただ前を向いて、「それにしても長い石段だな。本当にオレの心象風景かよ」と呟いた。






 屍の上を這いずるようにしてユメノは歩く。そうすることを望んでいたような、それでいて何もかもが望み通りではないような、興奮と絶望の中だった。

 そうして、何かを探している。否、誰かが自分を探し出すことを待っている。それが何だったか、誰だったか、思い出せない。

 許さない、と声が聴こえた。興奮したような少女の声だ。“そうでしょう。ねえ、みんなあたしよりひどい目に合えばいい”と囁く。そうだろうか、とユメノは思う。そうかもしれないな、とユメノは思う。


 実のところユメノはそれほどの絶望を知らなかった。実のところユメノは、それほどの――――

“知ってるよ、あたしは。そうでしょう、あたしたちは知っているの”

 そうだろうか。そうかもしれない。


 だけどここが一体どこなのか――――。


 ふっと、いきなり視界が塞がれたように暗くなる。顔を上げると、そこは夜だった。冷たい夜に憎しみが凍る。赤い紅い鳥居が見えた。

「神社、だ」と呟く。間違いない、ノゾムの神社だ。神社がある、ここはどこ?


「帰りたい」

“違う、帰れない”

「帰りたい」

“帰れない。あなたとあたしはふたつでひとつ”

「ふたつでひとつ?」


 そんなのおかしいよ、とユメノはやんわり口に出す。「二つは二つだよ。一つになんか、なりっこない」と言った次の瞬間、ユメノは地面に転がっていた。少女が――――ユメノとよく似た巫女の服の少女がこちらを見下ろしている。

「だ、だれ?」

「あなただよ。あたしは、あなただよ」

「ごめん。あたしはあたしだから。あなたは誰?」

 ぎゅっと眉間に皴を寄せた少女が首を横に振って「誰でもないよ、名前なんかあったかどうかも忘れた」と言った。

「あたし、帰りたいんだけど」

「どうして?」

「ここ、何にも楽しくないし」

 一瞬、少女は怒った顔をしてユメノに顔を寄せる。目が合って、色んな感情が流れ込んでくる。感情は糸を織って布になるように記憶になった。


 幼い頃から怪異に好かれる体質だったこと、その体質を利用されて巫女に仕立て上げられたこと、それを助けてくれたのは退魔師となった弟だけだったこと、ある日村人に騙されて大蛇に捧げられたこと、大蛇に呑まれる時の恐怖、大蛇と意識を共有する化け物になったこと、そして助けに来た弟のことをも喰ってしまったこと。

 それら全てが、痛みとして流れ込む。


「あなたは」と言って少女がユメノの腕を掴んだ。「なんて幸せなんだろう、こんなに……爪の先まで綺麗にして。あたしだって」と力を込める。

「あたしだって、時代が違っていればこうだったのに」


 呆然として、ユメノはしかしその手を振りほどいた。立ち上がり、「そうだよ」ときっぱり言う。

「あたしはきっと幸せだ。。それの何が悪いの?」

 今度は少女の方が呆然として、ユメノを見た。ユメノは掴まれていた腕をさすりながら、「あなたと一緒に不幸になれないよ。ごめんね、泣きたければそこでひとりで泣いてて」と吐き捨てる。


「あなたが一番悲しかったのは、弟を食べちゃったことでしょ? 殺しちゃったことでしょ? 今、ハッキリ伝わってきた。あたしにも弟がいるよ。でも、あたしはユウキを死なせない。絶対死なせない。あたしも死なない。一緒に生きるって約束したもん。邪魔しないで」


 踵を返し、歩き出した。後ろから「待って。待って、ひとりにしないで」と声が聞こえる。足音が迫ってきて、ユメノは走った。


“かごめかごめ” “籠の中の鳥は”


 頭の中をわらべ歌が響く。振り切るようにして走った。とにかく、今は遠くに見えるノゾムの神社だけが頼りだ。あそこに行くしかない。

 歌は近づいてくる。なぜか途中で終わって、また最初から繰り返していた。全力で走ってもなぜか引き離しているように感じられない。「もうこんなんばっか!」とユメノは悲鳴を上げた。


「ユメノちゃん! こんなところにいたんですね!」

 ユメノは立ち止まる。ユウキの声だ。そしてゆっくりと、振り向く。


“うしろのしょうめん、だあれ”


「馬鹿、振り向くな」


 同時に声がした。そして同時に、右腕と左腕を掴まれる。右腕を掴んでいるのは、小さな女の子の影だ。顔のない、ただの影。そして左腕を掴んでいるのはタイラだ。ユメノはぽかんとして、「ユウキは?」と尋ねる。「お前ほんとこういうの全部引っかかるよな……」とタイラが呆れた声を出した。

「え、騙されたの?」

「そうだよ」

「マジ……? タイラは本物?」

「そうだ、そうやって全てを疑っていけ」

「本物っぽい」

 言いながらユメノは女の子の手を振り払おうとする。「全然離してくれないんだけど、この子。あれ、おかしいな」と汗をかいた。そのうち少女が力を込め始め、悲鳴を上げる。骨が軋んだ。


「はないちもんめ」


 いきなり、タイラがそう声を発する。ユメノは信じられないものを見るようにタイラを見た。タイラはもう一度「はないちもんめ」と宣言する。

「この子が欲しい」

 子どもの方も表情はわからないが戸惑っている様子で、「“この子”じゃわからん」と言い返した。「ユメノちゃんが欲しい」とタイラはすぐさま答える。ユメノは少し呆れてそのやり取りを聴いていた。

「相談しましょ」

「ユメノちゃんが欲しい」

「相談しましょ」

「ユメノちゃんが欲しい」

 押し問答に、少女の方が閉口する。それからタイラが、拳を出して見せた。怯えた様子の子どもも拳を出す。


「さーいしょはグー。じゃんけん……ポン」


 子どもはチョキ。タイラはグー。ふっと、少女はユメノの手を離した。そうして泣き真似をし、「負けぇて悔しいはないちもんめ」と歌う。タイラはユメノを抱き上げて翼を広げ、「勝って嬉しい、はないちもんめ」と飛び立った。


「いやぁ、子ども相手にイカサマをしてしまった。神の名折れだな」

「……運命操作?」

「そうだ。あの子どもがグーとパーを出す未来をキャンセルした。俺は同じような運命干渉力を持つやつ以外には、じゃんけんで負けたことがない」

「確かにそれは強すぎ」


 タイラの腕の中で縮こまりながら、「また助けてもらっちゃって、ごめん」とユメノは言う。タイラは少し黙って「お前が謝るようなことか」と首を傾げた。

「俺が覚えている限り、お前のせいで被害を被ったようなことはないんだが」

「えーそうかな」

「そうだよ。お前がそう思っているんならそれは思い違いだ。思い上がりと言ってもいい」

 思い上がり、と呟いてユメノは視線を落とす。真っ直ぐ前を向いたままでタイラが「ノゾムと何かあったのか」と尋ねた。ユメノは小さく首を横に振る。

「何もなかったんだぁ。ただやっぱちょっと、あたしが思い上がっただけだと思う」

「聞かせてみろよ。思い上がりで神にまでなったこのタイラさんに」

 見上げると、こちらを見ていたタイラと目が合った。「タイラのそういうとこ、直した方がいいよ」とユメノは膨れ面をする。タイラは不思議そうに「どういうとこ?」と聞き返してきた。


「……あの神社」とユメノは指さす。「見たの、今日。鳥居もたくさんあった」

「ああ、ノゾムの“神隠し”か。ノゾムがお前たちを隠そうとしたのか?」

「ノンちゃんじゃない、ノンちゃん。要らないから捨てられちゃったノンちゃんなんだって」


 顎に手を当てて何かを考えていた様子のタイラが「まあそういうこともあるか」と独り言ちる。ユメノは瞬きをして、「あたしそれがなんか嫌で、そんなのおかしいって思って、子どもみたいに駄々こねてノンちゃんから逃げてきちゃった」と話した。

 ああ、とタイラは呟いて微かに笑う。

「お前はあいつのことを“可哀想”だと?」

「……それってすごい思い上がりだよね。ノンちゃんは神さまだもん。だからあたし、わかりたかったの。ノンちゃんのことも、タイラのことだって、わかりたかったの」

「それもまた思い上がりだ」

「難しいよ」

 静かに息を吐いたタイラが、「それほど難しい話でもない」と呟いた。


「そもそも“死ねば大切なものを失う”というのは当たり前のことだ。お前は、生まれ変わりというものがあると思うか?」

「ある……かなぁ……」

「大抵の者は転生の際、全ての記憶を失くしてまったく異なる存在として生まれ変わる。己の業だけを後生大事に抱えてな。そういうものだ。ノゾムのあれを生まれ変わりとするのは無理があるし、そうであるとも思わんが、『死ねば何か大切なものを失くす』ということを殊更に特別なことだと俺は思わない。それがたまたまお前たちの目の前で可視化されたというだけで、何も難しい話ではないよ」


 眉間に皴を寄せて、ユメノは考える。タイラはその様子をしばらく眺めてから、「だからこそお前のその想いは普遍的で貴い」と続けた。

「大好きだから死んでほしくなかったんだろ。それを伝えるのはお前の自由だ。それを受け取るかどうかはあいつの自由だ。わかるな?」

 翼を羽ばたかせながら、タイラは「お前たちは真面目すぎる。何でもかんでも助けてあげようだとか、わかってあげようだとか、そんなことを考える必要なんてないんだ」とユメノの髪を撫でる。

「あの巫女を見たろう。祈っても願っても、救われなかった。神も仏も、あの娘のことを救わなかった。神ですら全てを救えはしないし、そうしようとはしないのだということを覚えておけ」

 ユメノはすんすん鼻を鳴らしながら、「でもあたし、知ってるよ」と言い返してやった。

「タイラだってほんとはすごく真面目で優しいこと。だから、神さまになっちゃったんでしょ?」

 タイラは神社の方を見ながら、「お前たちの言うほど、俺はいい人間じゃなかったよ」と呟いた。






 石段を上る。灯りが点る。


「この石段を上りきった時、そこに彼女がいればオレの勝ち。いなければ振り出しです」

「“カノジョ”って、ユメノちゃんですか?」

「いえ。巫女でありながらその奇跡を目にすることなく蛇に喰われた少女のことです」


 絶えず聴こえるわらべ歌は、どんどん大きくなっていく。近づいているのだとわかった。「怖いかな」とノゾムに聞かれ、ユウキは首を横に振った。

 石段に終わりが見えてくる。

 早くいかないと、と口が勝手に動いた。駆け足で上りきった。


 そこに、はいた。


“かごめかごめ” “籠の中の鳥は” “いついつ出やる”


 彼女は神社の柱に寄り掛かりながら両手で顔を隠し、こちらに背を向けている。ユウキはそれを呆然と見た。それから不意に、たとえようのない喜びがこみあげてくる。

 ふと、後ろにいたノゾムがユウキの手を取った。「はこの日のためにここまで来たんだね?」と言って、その手に立派な刀を握らせる。ユウキは頷いた。否、体が勝手に動くのだから、それはユウキが頷いたのではないのかもしれない。


“夜明けの晩に” “鶴と亀がすべった”

“かごめかごめ” “籠の中の鳥は” “いついつ出やる”

“夜明けの晩に” “鶴と亀がすべった”


「後ろの正面、だあれ」


 ユウキの口からやはり勝手に声が発せられる。ハッとした様子で、巫女はこちらを恐る恐る振り向いた。


「今度こそ────お迎えに上がりました、姉上」


 ユウキは刀を構える。目を見開いた巫女が「ああ、ああ」と言いながら駆け寄ってくる。彼女は泣いていたし、恐らくユウキも泣いていた。わからない。わからないけれど、自分はとてもこの人のことが大事だったのだということを思い出した。

 踏み込んで、彼女の胸に刀を突き立てる。


「向こうで、また一緒に遊ぼうね」と言いながら、姉の背中に手を回した。姉はしゃくり上げ、咳き込み、血を吐きながら「見つけてくれてありがとう」と呟く。


 待っていた。ずっと待っていた。ぼくもあなたも、ずっとこのときを待っていたんだね。永かったね、きっとそれだけでよかったんだね。


 薄れゆく意識の中、ユウキはぼろきれのような布を纏った少女と少年が手を繋いで駆けて行くところを見たような気がした。









「危うく世界が崩壊して帰れなくなるところでしたわよ」と門を閉じたらしい美雨がため息をつく。それからよく眠るユメノとユウキの寝顔を見下ろして、「よかったですわね、無事で」と微笑んだ。


 不意にノゾムが「奇跡を起こすのは人間の専売特許で、そこに神の出る幕なんてないのかもしれませんね」と呟く。そうかもしれないな、とタイラが言って頭をかいた。

「神が奇跡を起こすのではなく、人が起こした奇跡の一つが神なのだと胸を張れるか?」

「……なるほど、それじゃあちゃんと仕事をしなくちゃな」

「程々にしておけ。ユメノが心配していたぞ」

「人の子に心配されるような神でありたくはないですね」

 タイラは何か言いたそうにして、ただ肩をすくめる。「こいつらを幸枝ちゃんちに運ぶんだから、手伝えよ」と片手をひらひらと振って見せた。

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