第13話 神隠し

 もやもやしたままベッドに入ったユメノとユウキは、布団の中で向かい合いながら話をしていた。

「……やっぱりあたし、おかしいと思う」

「ノンちゃんのことですか?」

「うん」

 神さまを続けるために大事なものを捨て続けるなんて、神さまにそれを奪われてるのと一緒だ。ノゾムならきっと、それをわかってくれると思った。理解を求めてどうということはないのだけれど。

「もう1回話に行こう」

「……今から?」

「うん、そう」

 日が落ちてから出歩かないようにとは言われていたが、居ても立っても居られなかった。ユウキもあっさりベッドを抜け出し、「わかりました」と服を着替え始める。


 夏の盛りが過ぎ、夜には風の心地よさを感じられるようになっていた。音を立てないように家を出て、神社へと急いだ。


 妙に月の明るい夜だったので、神社までは難なくたどり着いた。朱色の鳥居が輝いている。それを潜った瞬間に、ユメノたちは「……え?」と立ち止まってしまった。

 終わりの見えない長い長い石段と、数えきれない鳥居があった。そんなはずはない。そんなはずはないのだ。神社には何度も足を運んでいる。鳥居はひとつ、石段はせいぜい二十段といったところだ。しかし目の前には無限にも見える石段と鳥居がある。ユメノもユウキも目を擦ったが、その景色は変わらなかった。

 おかしいと思って後ずさりしたその時、上の方にノゾムの姿が見えた。ゆっくりと石段を下りてくる。


「今晩は。こんな夜にどうしたのかな」


 ユメノはほっとして、「鳥居増えてない?」と聞いてみた。ノゾムはユメノたちのいる一つ上の段まで近づいてきて「今夜は特別ですよ」と笑う。

「少し疲れるだろうけど、本殿までおいで。月が綺麗だ」

「こういうこと、よくあるんですか?」

「もちろん。君たちが知らないだけで、世界は大きくなったり小さくなったりを繰り返してるんだから。さあ」

 そう言ってノゾムは両手を差し出した。ユメノもユウキも、迷わずその手を取った。3人で手をつなぎながら、石段を上る。

 一段上るたび、両端の灯籠が点った。少しずつ辺りが明るくなっていく。お祭りの日みたいだな、とユメノは思った。


「こんな時間に何か用ですか」

「えっとね、今日話したこと覚えてる?」

「あれかぁ」

「ノンちゃんが“不要なもの”って言ったものが、本当はすごく大事なものかもしれないって話に来たの」


 ノゾムは笑って、「本当にそう思う?」と聞き返す。ユメノとユウキは大まじめな顔をして頷いた。

「それをオレに教えに来たの?」

「そう。じゃないと、簡単に捨てちゃいそうなんだもん、ノンちゃん」

「嬉しいな。だけどそんなことをしても、疲れるだけだよ。意味がないよ。そんなことを教えたって、次に死んだとき不要なことと判断されて忘れるだけなんだから」

「そしたらまた教えるよ。何度だって、教えるよ」

「それは無理だ。君たちはいつか死ぬ。神と違って決定的に死ぬ」

 パッとノゾムが手を離す。気付けば目の前に神社の本殿があった。もう一段というところだった。ノゾムだけが歩いて行って、目の前で振り向く。


 ノゾムは口を開かなかったけれど、声が聞こえた。おいで、と聴こえた。おいで、おいで、と。不思議だった。声は色んなところから聴こえてくる。おいで、おいで、こちらにおいで、永遠になろう、おいで、おいで、来ないで、おいで、来てはいけない、おいで、来ないで。


 どうして、とユメノは呟く。

「どうしてそんなに寂しそうな顔をするの?」


 瞬間、後ろから何者かに抱き上げられて足が宙に浮いた。身をよじって振り向くと、。慌てて、神社の前にいるノゾムを見る。同じだ。何かが化けているとは思えない。ノゾムがふたりいた。

「スクラップが、神の器を模すとは不敬。潔く消えなさい」と、ユメノたちを抱えているノゾムが言い捨てる。頭上に光が集まり、辺りは昼間のように明るくなった。

 思わずというようにユウキが「やめて! やめてください、まだあっちのノンちゃんと話をしたい」と縋る。


 ふと、ノゾムがユメノたちを抱きながら「君たちに言われて、オレも少し考えました」と呟いた。

「不要なものなどないと君たちは言った。確かに、オレは君たちから見て大事なものを捨てているのかもしれない。それでもオレは神だ。君たちとは違う。神だから出来ることがあるし、オレはそこに誇りを抱いてもいる。究極的に言えば神というシステムに自己など必要ない。判断能力さえあれば。オレは────少なくとも今ここに存在しているオレは、それが正しいと思う。過去の自分がどうだったか知らない。未来の自分が出す結論も知らない。それでも、。それを、自分なんかに否定させない」

 光は大きくなっていく。ふと、ノゾムは呟く。望月、と。ユメノとユウキは何もわからないままノゾムの顔を見上げる。


望月命もちづきのみこと。それがオレの名であり、アレの名前でもある。ありがとう、君たちのおかげで会えた。オレはきっとまた、忘れるのだろうけど」


 それからノゾムはひどく穏やかな声で「祓い給え、清め給え――――。さようなら……つくられた望月の、誰にも見えない裏側」と言った。神社が燃えていく。ユメノたちの前にいたノゾムが、微かに笑って踵を返した。そのまま燃え盛る神社の本殿へと歩いていく。ユメノは手を伸ばした。「要らなくなんてないっ。要らなくなんて、なかったんだよ」と叫ぶ。


 気づけば、辺りはいつもの神社だった。燃える本殿もなければ、長い長い石段も数えきれない鳥居もない。

 ハッとした様子のノゾムがユメノとユウキを下ろし、「気は確かですか? ここがどこで、今が何時だかわかりますか」と顔を覗き込んでいる。ユメノたちは緩く頭を振って、ノゾムに抱き着いた。


「どんなノンちゃんも大好きだけど、もう何も失くしてほしくない」


 息を呑むような時間があって、ノゾムはゆっくりとユメノたちを引き離す。それから凛とした声で、「オレは神です。君たちの基準で憐れまれても困る」とだけ言った。

 ユメノは涙を拭いながら、後ろを向いて駆けだす。逃げるように走った。そんなユメノとノゾムを交互に見て、ユウキは迷いながら「大好きなのは……変わらないです……でも、だけど、神さまじゃなければよかったのに」と呟く。それからぐっと拳を握って、ユメノを追いかけた。






 石段に腰かけたノゾムの隣に、後ろから歩いてきたタイラが座る。「おいおい若君、こんなとこで何をなさっているんだ」と尋ねた。

「……別に。あんたに関係ないでしょ。あんたこそ何してんすか」

「仕事終わりの一服をする場所を探していた。今宵は随分、月が大きいな」

 タイラが煙草を咥え、火をつける。飽きるほど見た仕草だった。ノゾムはぽつりと「ユメノちゃんとユウキくんと喧嘩してしまった」と呟く。「喧嘩? そりゃあ大事だな」とタイラは笑った。


「時々、自分が神でなくなったら何になるのかと考えることがあります。その答えを、あの子たちが持っているような気がしていました。だけどそれを聞いたら、もう二度と戻っては来れないだろうなとも思っていました」

「思春期か?」

「馬鹿にしてるでしょ」


 深いため息をついたノゾムが「“神さまじゃなければよかった”と言われましたよ、ユウキくんに」と話す。煙を吐き出しながらタイラは「俺もユメノに言われたよ、神さまなんかじゃなければいいのにって」と肩をすくめる。

「なんて返しました?」

「“それなら俺は神だ”と」

「本当に意地が悪いなぁ、あんた」

 くつくつ喉を鳴らしたタイラは「お前が真面目すぎるだけだろう」と言った。「あんたが適当すぎるんだ」とノゾムは眉をひそめる。

「大したことじゃない。お前がその時そうありたいと思った姿でいるがいい。ずっとそうしてきただろう?」

「……ずっとそうしてきたということを、オレは覚えてないんですよ」


 重症だな、とタイラが呟いたその時だ。

 地鳴りが聞こえた。地面が揺れる。「地震、」と呟いた瞬間にはっきりとわかった。タイラとノゾムは同時に顔を上げて、同じ方向を見る。


「――――神性!? また神が顕現したんですか!?」

「いやまさか。何か手違いだろう」

「手違いなら手違いでまずいでしょ」

「違いない。空から見るぞ」


 タイラがノゾムを担いで飛んだ。そうして、絶句する。


 何か太くて長いもの――――大人が両腕を広げても抱えきれないほどの幅の、途轍もなく長いものが山にとぐろを巻いている。そう、蛇である。

「…………」

「…………」

「あの……、」

「いや、うん。そうだな。言いたいことはわかるよ」

 タイラとノゾムは声を揃えて「なんだこれは」と叫んだ。

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