第12話 神であるということ、神でいるということ

 実結に掴まって傘でふわふわ飛んでいると、怪我の治ったらしい都が走ってきて「危ないから」と止めに来た。

 それを見ていた美雨がケラケラ笑って「空を飛びたいなら飛ばせて差し上げましょ」とユメノたちを腕に抱く。実結はいいと言って家に帰っていった。「どうやらあの子、まだ私のことを警戒しているようなのですよねえ」と美雨は実結の後ろ姿を見送る。

「あるいは、私が山神様とカツトシと一緒に住むようになって遊び相手を取られたと思っているのかしら」

「今度言っといてあげよっか、美雨様は悪いお姉さんじゃないよって」

「あら、嬉しいことを言ってくださる。だけどあなたたちって本当に騙されやすくてね」

 ふわりと飛び上がった美雨は、一等高い木の上で羽根を休めた。ユメノもユウキも少し不安に思って、美雨の服を強く掴んだ。


「子を攫うのは姑獲鳥の本能。神も妖も、理性はどうあれ貼られたレッテルの方が強いもの。今だって、あなたたちを攫って飛んでいけたらどんなに幸せかしらと思いますわ。あなたたちを愛しているから攫いたいし、あなたたちを愛しているからそうしないというだけなのです。どちらに傾くか私にもわからないの。おわかり?」


 きょとんとするユメノたちの頬に触れ、美雨は「気をつけて、あなたたち。決してわたくしに攫われないで」と言って目を細めた。

 風が吹いたので、ユメノとユウキは美雨にしがみつく。それから、「どうして鳳凰を辞めちゃったの?」と尋ねてみた。

「そうですわねえ……。鳳凰というのは神の使いでありながら、自身も信仰を集める存在で、私も当時は不死性を有しておりました」

「そうなんだ!」

「とはいえかの稲荷の若様とも天狗お兄様とも別種のもので、私の不死性といえば完全なる同一性を保ちながらの転生だったのですが」

「ごめんもうちょっと噛み砕いて」

「記憶はもちろんのこと、姿かたちも同様に生まれ変わるということです。あなた方の“不死”の定義とは外れるかもしれませんわね。だけれど私が私のままで生きた時間は千年を超えるのです」

「千年は……どれぐらいですか? 長すぎてよくわかりません」

「そうでしょうねえ。途方もなく永いとだけ思っていただければ結構ですわよ」

 あなた方の人生を十や二十繰り返したくらいの時間ですわ、と美雨は一瞬目を閉じる。息を吐いて、「何をどうお話してよいものか。誰かにお話するようなことでもないもので」と呟いた。

「生まれ変わるたび、私は人と人との間に生まれました。神と人を繋ぐ役目を持つからには、人の暮らしを間近で見るべしという神のご意思だったのかもしれません。しかし私と言えば傲慢で、何度生まれ変わっても、人間と自分は根本的に違う生き物なのだという考えを捨てられずにおりました」

「でもそれはシステムの問題だと思う」

「ぼくもそう思います」

 真面目な顔で言うユメノとユウキが可笑しかったのか、美雨はくすくすと笑う。「システムの問題ねえ、そうかもしれませんわねえ」と目を細めた。

「私を生み落とした人間の両親は、神の使いを生んだと知って歓喜する者、お腹を痛めて生んだせっかくの子と早々に引き離されることを悲しむ者がおり、私はそれをいつも滑稽に見ていたものでした。彼らは一様に私を娘として扱いましたが、私自身は人間を親に持ったと考えたことが一度もございませんでしたので。ただ、“此度の世も変わらず役目を全うしよう”という思いのみでした」

 考えてみれば因果応報というものかもしれません、と美雨は言う。「因果応報?」とユメノが聞き返せば、美雨は「私が姑獲鳥などという妖になったのも、あるいはと思ったのです」と目を閉じた。

「あるとき私は人間の男に恋をしました。短い逢瀬ではありましたが子を生し、私は親となりました。千年を生きて初めての経験でございました。この子はどんなふうに育つかしら、健やかに大きくなってくれるかしら、と想像を膨らませたものです。人間との間に出来た子でしたので、その子が私の力を継ぐか、まったくの人間として生まれてくるかもわかりませんでした。そうしてふと、考えたのです。どのように生まれても鳳凰としての未来が決まっている私のようなものこそ実は滑稽というもので、この可能性に溢れた未知数の生命こそが本当に貴いものなのではないかと」

「うーん……どっちも滑稽なんかじゃないと思います」

「いいのです。我ながら産む前からの親バカとわかっておりますので」

「愛してたんだね、お腹にいたときから」

「ええ。しかし産んだそばからその子とは引き離されてしまったのです。鳳凰が産んだ子というものに恐れをなしたのと、私が子にかまけて役目を果たせなくなると思ったのでしょう。私は悲嘆に暮れ、鳳凰の座を降り子を探し続けました。そうしているうちに姑獲鳥へと堕ち果てたというわけでございますわ」

 ユメノとユウキは顔を見合わせて、腕を組み考え込む。「仕事のためにプライベートを奪っちゃダメだよね」「ありえないブラック企業です」と言い合った。こらえきれない様子で美雨がけらけら笑う。それから目の端を拭い、「……今思い出すのは」と続けた。

「私を生んだ人間の母の『わたしの赤ちゃんを連れて行かないで』という悲痛な叫び声です。ああきっと、彼らも同じだったのだろうと。今更になって思うのです。ですからきっとこれは、因果応報なのでしょう。仏道において親不孝は大罪ですからね」

 美雨はユメノとユウキを抱き直して翼を広げる。そのまま木の上から飛び立った。ゆっくりと空の低いところを飛ぶ。

「もう一つ、鳳凰の座を降りた理由に不死性に飽き飽きしていたというのがありますわ。愛したひとのいない世界で生き続けるのは辛いものがありました。お二人はまだ歳若いから、もう戻らない事柄への“懐かしい”という感傷が理解できないでしょうね?」

「わかるよ」

「いいえ、きっとその本質をご存知ないのです。懐かしさというのは不死者にとって猛毒でありました。懐かしいと感じるようなことが増えるほど、不死者は狂って壊れてしまう。私は人を愛してそれを知ってしまった。だから、それ以上不死性を有してはいられなかったのです。それでも狂気はこの身を妖へと変えてしまったのですが」

 たん、と地面に降り立った美雨が「せっかくですから我が家へ寄って行かれませんこと? 一緒にケーキでも食べましょう」と誘った。ユメノとユウキは顔を見合わせて、「もちろん」と答える。






 じゃあ今ケーキを買ってきますからね、と言い出した美雨に「買ってあるんじゃなくて買ってくるの!?」とユメノが突っ込む。美雨が外へ出て行くと、入れ違いにタイラが顔を出した。タイラは「よお」と軽く右手を上げる。ユメノたちはそれをまじまじと見て、「タイラさぁ」と口を開いた。

「“よお”って挨拶するときの手、挨拶っていうより威嚇っぽいよね」

「? どういうことだ」

「普通はこうです、“よお”って。真っ直ぐ。でもタイラのはこう。これはガオーってやる時の手です」

 一生懸命にユウキがタイラの真似をする。タイラはお面を被っているため表情が見えないが、喉を鳴らしたので笑っているのだとわかった。さっぱりわからん、とタイラは言う。

「わからんが、お前たちが可愛いのはわかる。もう一回ガオーってやってくれ、写真撮るから」

「いやです」

 写真という言葉で思いついた顔のユメノが「ねえ、ピースして」とタイラにせがんだ。タイラは「うん?」と言いながら顔の横でピースしてみせる。それを見てユメノとユウキは「ピースもふにゃふにゃしてる」「指真っ直ぐにならないんですか?」とにんまり笑った。タイラは自分の手を見て、「真っ直ぐ……?」と言いながら指を伸ばしている。そんなことを言われたのは初めてだ、と呟いた。


「タイラもずーっと生きてるんでしょ? 今まで言われなかったの、挨拶の時とか」

「どうかな。3日より前のことは記憶が定かじゃないもんで」

「おじいちゃんですね」


 笑いながらタイラがソファに座ったので、ユメノとユウキもその両脇に座る。「何か映画でも見るか」と言って、タイラはリモコンを操作し始めた。

「そだ、怪我治ったん?」

「大体な」

「はや……。すごいね」

「! だよな、俺の自然治癒力は優秀な方だよな」

「えっ? そう思うよ。だって普通こんなに早く治らないよ」

「そうだよなあ……」

 やっぱりなあ、とタイラは何かぶつぶつ言っている。ユメノとユウキはそれを不思議そうに見た。


 ねえタイラ、とユメノはそのまま口を開く。「タイラも、不死が辛かったりする?」と尋ねてみた。タイラは「いきなりなんだ」と穏やかに聞き返す。

「さっき、美雨さまとそういう話してたんだ。美雨さまは鳳凰だった時、不死なのが辛かったって言ってた」

「……前にも言ったろ、百年や二百年生きればそれが人間の生きる時間ではないとわかる。それだけだ」

「神さまだったらつらくないですか?」

「辛くなることもあるだろう、美雨がそうであったように」

「タイラは」

「随分俺のことを聞きたがるんだな」

「あなたが話したがらないんでしょう」

 しばらく、何か考えるような沈黙があった。ふっと力を抜いた様子のタイラが「あまりいじめるな。俺は臆病な神なんだ」と話す。

「そうだな、もうそろそろ飽き飽きだと言っておこう」

 有名なアニメ映画が再生された。耳に残る音楽が流れる。

 ふとユメノは「でもあたしたちがいる間は死なないでほしいな。あたしたちが生きている間は」と呟いた。思わずという風に深いため息をついたタイラが「ひどい話だ。叱る気にもならない」と言う。


 リビングに入ってきたカツトシが「タイラ、あんた飲み物ぐらい出しなさいよ」と眉をひそめた。ちょうど帰ってきたらしい美雨がケーキを掲げる。タイラは肩をすくめ、「仕事の時間だ」と出て行ってしまった。





 日が傾き始めたころ、ユメノとユウキはタイラたちの家を出た。暗くならないうちにお帰りなさい、と美雨が言ったからだ。送ってくれるとも言っていたが、ユメノたちの方から断った。

 途中で神社に寄って、ノゾムの顔を見ようと思ったのだ。

 ノーンちゃん、と呼びかけるが返事はない。おかしいなあ、と辺りを見渡すと、ノゾムのものらしき背中が見えた。ユメノたちは顔を見合わせ、驚かせようと忍び足で近づく。


「何をしてるんですかねえ……」


 背後から声をかけられ、飛び上がった。振り向けば腕を組んだノゾムが立っている。「えっ!?」と言いながらきょろきょろした。先ほどまで見えていた影はない。悪戯好きの妖怪にでも化かされたのだろうか。

「ノンちゃんに会いに来たんだよ……」

「今なんか追いかけてませんでした?」

「気のせいです」

 ノゾムは石段の上に腰かけ、「オレに何か用でしたか」と小首をかしげる。「ううん、会いに来ただけ」と言ってユメノとユウキも隣に座った。

「会いに来ただけ、すか。困ったな。オレはあのひとらと違っていつも話題に困ってるんですが」

「今日は何してたの?」

「別に何も……」

「あたしたちは美雨さまに誘われてケーキ食べてたよ」

「映画も観てました」

「いいなあ、デカいテレビがあって」

「今度一緒に行こうね」

「酒飲んでる時勢いで誘えって言いましたけど、そういう時ってどんな顔して行けばいいんだろう……」

「普通でいいんじゃないですか?」

 普通が一番難しいんだよなあ、とノゾムは嘆く。『神さまなのにそんなことで悩んでる』とユメノは可笑しい気持ちになった。


「ノンちゃんも不死なんだっけ」

「そうですよ。まだ数百年のひよっ子ですけどね」

「今日ね、美雨さまとその話もしたんだ。美雨さまも昔は不死で、辛かったって言ってた。ノンちゃんも、もう不死なんか飽き飽き?」

「実のところオレはそうでもないんですよね。そうならないようにできている、というか」

「不死に飽きないようにできてるってことですか?」

「まあ、そうですね」


 ユメノは目を輝かせて、「どんなふうに?」と尋ねる。ノゾムは少し肩をすくめ、「たとえばアレですね。オレは死ぬと確率でメモリが破損する。つまりそういうことです」と簡単に答えた。

「え……あれって仕組まれてるの?」

「まあ、ある程度」

「…………」

「記憶に限らず、思想なんかもそうですね。死んで生き返るときに不要なものは取り除かれるというか」

 ぽかんとするユメノたちを見て「えーっと、簡単に言うと」とノゾムは少し慌てる。

「そもそもオレの存在は稲荷明神とイコールのものではなく、この雀鈩稲荷という小さな神社が本体なわけなんですが。イメージとしては、大きな水槽からコップで水を汲んだのがオレと考えてもらっていいです。もちろん同質のものですが、別存在となります。で、オレという個体の死で一度コップの水を水槽に戻すわけなんですね。その時、コップに入ってしまった不要物などを取り除く。それが記憶であり、稲荷明神から外れてしまった思想であるわけです。そうして永遠に同一性を保ちながら存在し続けることを可能とするシステムなんすよ」


 ユメノとユウキからの反応がないことを訝しげに思ったノゾムが顔を覗き込んできた。「あんまりよくわからなかったかな?」と首を傾げている。

 思わず、ユメノは「そんなのっておかしいよ……」と呟いていた。

「? おかしい、すか」

「いらないものなんて、何もないのに」


 動きを止めたノゾムがじっとユメノを見る。ふっと息を吐いて、「……なるほど。それはオレには、永遠にわからないだろうな」と言った。

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