第9話 神様だって切実に盆休みが欲しい(壱)
ユメノとユウキが山を訪れてはや数か月過ぎ、山はすっかり新緑の夏だった。
ユメノたちは都に引っ付いて、「暑いよぉ~~~幸枝さんひんやりする~~~」などと縋っている。都は「ふふふ」と笑って「じゃあ、もっとひんやりさせましょうね」と思いきり息を吐いた。山の一部が凍り付く。
呆気にとられるユメノとユウキの前で、「もうちょっと冷やす?」と都は小首をかしげた。向こうから走ってきたタイラが、「幸枝ちゃん手心!!! 幸枝ちゃん!!! 手心!!!」と叫んでいる。
その後ろから走ってきているノゾムが、「先輩!!! 先輩!!!!!」と怒鳴っていた。「あら……みんな元気ね」と都は微笑んだ。
ようやくタイラに追いついたノゾムが、「せっ、せんぱい!! やばいです!!!」とタイラの服を掴む。
「なんだお前、もうちょっとでここが雪山になるとこなんだぞ……。それに比べたら大抵が些事だろう」
「それもやばいですがもっとやばいことがあります。てか幸枝さんに限ってそこまではしないでしょう」
「いや彼女はやる。やる女だ」
「? 何の話かしら」
タイラとノゾムは一瞬都の方を向いて、何も言わずに咳払いをした。「とにかくこっちに来てください」とノゾムはタイラを引っ張っていく。ユメノたちも追いかけることにした。
山の中腹、神社の周り。そこには、数えきれないほどの人々が右往左往していた。
さすがのタイラも虚を突かれたようで、「これは……?」と言ったきり黙っている。ユメノとユウキを見た美雨が「あなた方もいらしたんですの」と柔らかく微笑んだ。
「めーゆい様、この人たちなに? この山ってこんなに人来ることあんのかな」
「あれは人というより、人の魂ですわねえ」
「たましい」
「死者、幽霊、オバケと言われるものです」
「ひえっ」
思わずユメノはタイラの後ろに隠れる。ユウキは隣で「生きてる人にしか見えないです……」と小声で呟いた。タイラはと言えば、一瞬で『うんざり』という顔になって「どういうことだ、これは」と腕を組む。
「関係あるかどうかわかりませんけど、そういえばもう盆でしたね」
「そうだとしてもうちに集まる理由がねえだろ。全員うちの山で死んだのか?」
「まさか……」
盛大にため息をついたタイラが、「仕方ねえな。聞いてみるか」と言って携帯電話らしきものを出す。「聞くってどこに?」と尋ねると、「上に」と端的な答えがあった。耳にあてて数秒、『おかけになった電話番号への通話は、お繋ぎできません』という音声が聞こえる。
「…………」
「…………着拒?」
なぜか隣で美雨が思い切り吹き出した。「着拒!!! 天上から着拒されてる神様だなんて!!!」とタイラを指さす。
「まったく見てられませんわ。私が繋いで差し上げます」
そう言って美雨もまた携帯電話のように見える物体を耳にあてた。数秒後流れだす『おかけになった電話番号への通話は、お繋ぎできません』というアナウンスに呆然とする。
「……え、ふたりとも着拒されてるんすか? 上に?」
「俺はまあ想定内として、美雨……お前……」
「今は妖となっておりますが在職中はちゃんと鳳凰やってましたし、円満に引き継ぎも致しましたが……」
「妖になった時点で見放されたんすかね。それにしても鳳凰が天上から着拒とは」
やる気のなさそうに頭をかいたタイラが、懐から何やら巻物のようなものと筆を取り出した。「面倒くせえんだよな、これ」と言いながら巻物を開く。それからさらさらと文字を書き認め始めた。
「何書いてんの」
「話しかけるな。今、半世紀ぶりぐらいに集中してる」
「マジで?」
どうやら書き終わった様子のタイラに、「何書いてあるかは全然わかんないけど、字綺麗だね」とユメノがコメントする。タイラは瞬きをして、「当然だろう。俺は寺で子供らに字を教えたこともあるぞ」と言った。「嘘じゃん」と思わず眉をひそめるユメノを無視して、タイラは数珠を取り出す。
書いた巻物を目の前に置いて、タイラは経を読み始めた。
「あれ何してんの?」とノゾムに尋ねると、ノゾムはちょっと言葉に迷いながら口を開く。
「『信心深い人間が神の声を聴く』というのはどこの宗教でもよくある逸話です。逆に言えば、“信仰は神仏に届く”ということになります。あのひとは生前それなりの信仰心を持った僧侶であったらしいので、まあ届くんでしょう……天に」
巻物がふわふわと浮かんだ。光って、消える。
『…………はい、天上カスタマーセンターです。ご用件をどうぞ』
耳を疑う。どこからかわからないが、確かに上から声が聞こえる。「か、かすたまーせんたー???」と呟けば、とっさにノゾムに口を塞がれた。
「“ご用件をどうぞ”じゃねえんだよ、どうなってんだ」
『失礼ですがお客様、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか』
「“雀鈩”だ」
『……雀鈩様、ご無沙汰しております。貴山の異常に関しましては、こちらとしてもたった今把握したところでございまして、現在対応中となっております』
「どうしてこんなことになったんだ」
『原因としては現在解明中ではありますが、何らかの異常により本来各々の場所に盆帰りする亡者たちの一部が貴山に送り出されてしまったようです』
「いつ解決するんだ」
『……現在天上も人手不足でございまして、一日ほどお時間をいただければと存じます』
「“人手不足”?」
『獄卒が食い合いをしたとのことで天上の番人がいくらかそちらにヘルプに入っております』
「獄卒が食い合い、ねえ……。まあ、うちはそれなりに手があるからいいが、早いとこ事態を収拾しろよ。あとなんで俺のこと着拒してんの?」
『大変ご迷惑おかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。失礼いたします』
プツっと通信が切れたような音がする。振り向いたタイラが「……ということらしいよ」と肩をすくめた。「先輩もしかしてナメられてんじゃ」とノゾムがコメントする。
「一日っすか……どうします、この人ら」
「どう、って言われてもな。盆帰りできるやつらとなると、天上か人間道へ転生が決まっている善人ばかりなんだから話は通じるだろうが」
「話が通じるのなら自由にさせておいてもいいんじゃありません? 彼らだって一秒でも早く行きたい場所があるだろうに、こんなことになって災難ですわね」
タイラとノゾムと美雨が顔を見合わせ、各々仕方なさそうな仕草をする。それからタイラが大きく手を叩いて「お前たち」と亡者たちに声をかけた。
「今のやり取りが聞こえていただろうが、天上の不手際でここに送り込まれてしまったようだ。しばらくこの山で大人しくしていてくれ。山の外には行くな。ここでなら、いくらくつろいでくれても構わないから」
亡者たちはしばらくどよめいたが、元々善性の魂であるためかすぐに大人しくなる。ユメノも「ほんとだ、生きてる人と変わんないや。こわくないね」とそれを見た。
都母娘がかき氷屋をやり始めたのを皮切りに、神社の境内は一気に屋台でいっぱいになった。「神も妖も基本的に祭り好きっすからねえ」と笑ったノゾムは林檎飴を売っている。
金魚すくいの屋台をやっている美雨が、ユメノとユウキを手招きした。
「せっかくのお祭りです。あなた方も、相応しい恰好をなさったらいかが」
「ふさわしい格好? 浴衣?」
「そう、それですわ。とっても可愛らしいでしょう」
そう言って、美雨が指を鳴らす。ユメノの着ていた服が消え、代わりに桃色のシャボン玉のような柄の浴衣を着ていた。「これも幻覚?」と尋ねれば「まあ、夢のないことを言うとそうですが」と美雨は肩をすくめる。
「じゃあユウキには効かないんじゃない?」
「……変です。ぼくにも浴衣が見えます」
「そうでしょう。ちょっと強めにかけましたからね」
「それ大丈夫???」
「支障ないはずです。さあ、お祭りを楽しみましょうねえ」
ユメノとユウキは顔を見合わせ、「まあいっか」「ユメノちゃん似合ってます」と言い合った。それから思い切り破顔して、気になる屋台へ走っていく。
水ヨーヨーを揺らしながら歩いていると、ニット帽を被った男に呼び止められた。
「お嬢ちゃん、おぼっちゃん、いいもん持ってんなあ」
「これ? 水ヨーヨー、あそこで釣れるよ」
そう屋台を指さすと、「へえ」と男は目を細める。
「おじさんも……幽霊なの?」
「ああ。でも、落ちてきたのがこの山でよかったよ。なかなか面倒見のいい神様がいるじゃねえか」
「うん。でもタイラたちも、『みんないい死者で助かった』って言ってたよ」
「“いい死者”ねえ……。まあ転生待ちしながら盆帰りできる連中だ。こんなとこで暴れるようなやつらはいないわな」
そんな男の口ぶりに違和感を覚えながらも、ユメノは「そっか」と流した。男は「この山はどうなんだ?」と首を傾げる。
「見た感じ、随分たくさん人でない者がいるなぁ。手に負えない化け物はいないのかい」
「いないよ、そんな化け物なんか。ちょっと悪戯好きな妖怪みたいなのは結構いるけど」
「へえ……“化物なんていない”のか」
さすがにユメノは怪訝に眉をひそめて、「何が言いたいの?」と尋ねた。男はニッと笑ってユメノの頬を左手で掴む。「そんなことよりお嬢ちゃん」と囁いた。
「中で何か面白いもん飼ってんなぁ。本当の自分を知りたいと思わねえか?」
「離してよ」
「俺が解放してやろうか」
「意味わかんない。いらないし」
嫌がるユメノを見て、ユウキが水ヨーヨーを男に投げつける。パンっと音を立てて割れ、男の服が濡れる。「おいおい」と男は笑った。
「ご機嫌を損ねちまったか? 『不審者がいた』なんて神様に言いつけるのはやめてくれよ」
「言うよ! おじさん怪しいもん!」
「勘弁してくれよ。ぼっちゃんも、な? 言わないでくれたらクリーニング代は請求しないでやるぞ」
「それとこれとは別です! タイラたちには言うし、クリーニング代はお小遣いから出します!」
「律儀だな……」
威嚇しながら離れようとして、途中でユメノは「おじさん、名前は!?」と尋ねる。ノゾムなどに名前を教えれば、それなりの拘束力があると思い出したのだ。男はにんまり笑って「イマダだよー。よろしくな」と手を振った。
焼きそばを焼いているタイラの元に駆け寄って、ユメノとユウキはその背中を叩く。
「なんだ、お前ら。どうしたんだ」
「さっき、さっきね!」
「向こうで! あの、さっき」
そう言いかけて、止まる。ぽかんと口を開けて二人で顔を見合せた。「なんだっけ? 何言おうとしたんだっけ?」「あれ……おかしいですね……」と首を傾げる。
「焼きそば食う?」
「食べる!」
「お腹すきました!」
焼きそばを頬張っている二人にタイラが「よく噛んで食えよ」と言ったその時だ。どこかで爆発音のようなものがした。ユメノとユウキは手を止めて、タイラは怪訝そうに音がした方向を見る。
「ちょっと見てくる、ってノゾムに言っといて」と言いながらタイラはユメノたちの頭を雑に撫でて飛んで行ってしまった。
その後すぐにノゾムが近づいて「先輩は?」と聞いてきたので、「向こうの方見てくるって」と指さす。納得した様子のノゾムは「まあどっかの妖の悪戯でしょうねえ、祭りで浮かれて花火でもやったのかもしれません」と肩をすくめた。それからタイラが作っていた焼きそばに手を伸ばし、おもむろに食べ始める。
「……焼きそば食べたかったんならタイラに『ください』って言えばよかったんじゃ」
ユウキがそう言うと、ノゾムは盛大にむせた。
ノゾムの背中をさすっていると、向こうから都母娘と美雨が歩いてくる。「あら、介護?」と美雨が眉をひそめるので、「誰がおじいちゃんすか」とノゾムが目を見開いた。
「そんなことはどうでもよろしくてよ」
「ごめんなさいね、一緒に来てもらってもいいかしら。少し様子がおかしいの」
都たちについて行くと、そこには理性のない獣のように変貌してしまった亡者と、それに襲われて無残な姿になった屋台たちがあった。
「“少し”どころかだいぶ様子がおかしくて草」
「ひえ……ゾンビみたいになってる……」
「さっきまであんなにいい人たちだったのに……どうして……」
空咳をしたノゾムが、「何があったんです?」と尋ねる。都は困ったような顔をして、「それが、何もなかったの。突然にこうなったのよ」と答えた。「そんなバカな……」とノゾムは考え込む。
「美雨様は何か」
「私にもさっぱり見当がつきません。ただ、ここにいる亡者はみな転生待ちの善人たちであることは間違いなく、突然に良識を失くすということは考えられません。魂の汚染かしらね」
「厄介だな。この数の魂に穢れをふっかけるほどの妖がこの山にいたとは思えませんが……」
亡者たちがこちらを見る。彼らの行動原理が何なのかは不明だが、こちらに向かってくる気配があった。ノゾムがユメノとユウキを小脇に抱え、「とりあえずここは逃げるべし」と駆けだす。
「追いかけてくるぅ!!!」
「ゾンビにしては足が速いっすね、クソゲーかな」
「いわゆるゾンビと呼ばれる怪物の足が遅いのは主に肉体の劣化によるものだものね。彼らは肉体から解放されているわ」
「厄介すぎるでしょそれ」
空を飛んでくるくる回る美雨が、「こんなにたくさんいて、どうしましょう。あなた、ハラキヨビームの出番なのでは?」と提案した。ノゾムは難しい顔をしながら「確かに神罰対象とはなるでしょうが、それはあまりしたくないっすね……」と呟く。
「神罰というのは対象のものの穢れを祓い、神の御許へお返しするもので、言ってしまえば因果も業も無視した神道式の弔いです。その後もそれに則るもの……つまり、現世では仏道で弔われ転生を待っていたはずの彼らを強制的に神道に引きずり込むということになります。それは大変よろしくない」
「???? よくわかんない」
「人間の死後というのは、生前の信仰の集大成です。転生をよしとする信仰であればそうなるし、天国や地獄、それに近い概念を持つ信仰であればそちらへ行くこともある。生前無宗教だったと言っても弔い方で決まったり、無意識化の宗教観で決まったりするわけです。ここにいる亡者はみな転生待ちをしていた人たちで、それを神罰で祓ってしまうと、彼らはもう二度と仏道には戻れません」
「神仏習合といえど、考え方が違うものね」
「気使ってんすよ、オレも。一応は。なので、一番いいのは先輩の方で彼らを一旦成仏させることなんすけど」
「あの方にそこまでの力があるかしら。ひとつふたつぐらいの魂ならできそうですけれど」
「無理でしょうね。何よりあのひとの読経は自滅技ですし」
ため息交じりにノゾムは「とりあえず先輩と合流しましょう、原因を探れば解決策があるかも」と言う。空を飛んでいる美雨が「ユメノちゃんとユウキくんは私が抱えて飛びましょうか」と手を伸ばした。ノゾムが肩をすくめてユメノたちを下ろす。
「いいっすねえ、飛行能力があるひとはほんとに……」
「ふっ……空に天敵はいなくてよ」
そんなことを言ったそばから、美雨はガクンと落下し、顔から地面に突っ込んだ。「美雨さまッ!?」とユメノたちは叫ぶ。起き上がった美雨が、「? いま、風が……」ときょろきょろした。
「何してんすかこんな時に……」
「顔からいってたけど……大丈夫……?」
痛かった、と呟きながら美雨はまた翼を広げようとする。そうして、なぜかノゾムのことを見た。
「なんすか」
「……とべない」
「は?」
「飛べませんわ。なぜかしら、飛び方がわからないのです」
「冗談言う時間じゃないっすよ」
しかし美雨は泣きそうな顔をしながら「わからないのです。翼を広げても、そこからどうすればいいのか」と話す。絶句したノゾムが、「とにかく走って!」とせっついた。
「こうなりゃ、もうヤケですわ!」
「どうするつもりっすか!?」
「相手は元々人間。なけなしの神性をかけて
足を止めた美雨が亡者たちと向き合い、さっと右腕を上げた。すると今まで着ていた古い着物はするすると脱げていき、透けるような美しい衣をまとってゆく。天女のよう、あるいは天女そのものの美しさを以て、彼女は口を開いた。
「夢幻なりや、極楽の入り。救いを求むなら、さあ傅きなさい。甘くとろけるような夢を見せて差し上げる」
次の瞬間、亡者たちが次々と膝を折る。ユメノとユウキでさえも、勝手に力が抜けて膝をついていた。頭の中が、ぐわんぐわんと揺れる。途方もなく幸せな気持ちで満たされる。もう何もかもが上手くいき、不安なことなどひとつもないような。
ふっと視界を塞がれた。耳元で「君たちに夢幻は必要ない」とノゾムの声が聞こえ、ハッとする。体が動いた。
「びっっっくりしたぁ~~~。何、今の」
「この数をどうにかできるとは思いませんでしたが、さすが私ですわ……。まだまだ現役ですわね」
「あんたやっぱ危険っすわ」
「でもこれで亡者たちを無力化することができたわ。彼らを動かすことは可能?」
「ええ。こうなればこっちのものです。私の言うことなら聞くでしょう」
「全員をひとまとめにして神社の境内に戻しますか。あそこの結界に閉じ込めておくのが一番安心ではありますからね」
美雨が羊飼いのように亡者たちを誘導し始める。「それにしても一体なんでこんなことに……」とノゾムはぶつぶつ呟いた。
「……おかしいですわね」
そう、美雨が口を開く。腕を組み、顔をしかめて亡者たちを見ていた。
「ひとり、洗脳がかかっていない亡者がおりますわ。亡者……とは、魂の質が違いますわね。なぜかかっているふりをしているのです? そこのあなた、私の洗脳を跳ね返したでしょう」
亡者の中にいるひとりの男を指さして、美雨はそう言う。指をさされた男はしばらく黙っていたが、やがて笑いながら目深に被っていたニット帽を押し上げた。
「あれー、バレちったなぁ。なんだよ、ここでバレるんならもっと上手くやったのによ」
ユメノとユウキは同時に「あーっ」と声を上げる。
「さ、さっきの!!」
「知り合いすか」
「知り合いっていうか、知り合いっていうか……なんだっけ!?」
「えーっと、えっと、あの、クリーニング代が……」
「なんだァ? 塩梅間違えたか。俺の名前まで忘れたんじゃねーだろうな。あんなに丁寧に名乗ったのによ」
男はひらひらと手を振って、「イマダだよー。よろしくな」と笑った。
「イマダ……さん? あんたが今回の騒ぎの原因ですか」
「いやいやいやいや、まさか! 俺はあれだよー? たまたまそこのお姉さんの洗脳が効かなかっただけの善良な一般人」
「いや、人間でも亡者でもないでしょう。今まで山の妖たちに紛れてわかりませんでしたが、明らかに人ではない匂いがしますよ」
「え? じゃあ、善良な一般妖怪ってことで許してくださいよ神様」
へらへら笑うイマダに、ノゾムが眉をひそめる。
瞬きをした都が「善良な一般妖怪が、美雨の洗脳にかかったふりをする理由がわからないわ。なぜ亡者たちの中に隠れていたの」と尋ねた。「ええ?」とイマダは表情を変えないまま首を傾げる。
「俺、そっちのショートヘアの女の方がタイプだな」
「は? ちょっと私がハッキングし損なったくらいで調子に乗らないでいただけます?」
「勝手に話を変えないで。なぜ亡者でないあなたが亡者のふりをしていたのか聞いているの」
都をじっと見たイマダが、「やっぱあんたいい女だな」と呟く。それから深いため息をついて、笑った。
「“わたくしがハッキングし損なったくらいで”ねえ……。あと俺、こんなことできまーす」
そう言って腕を広げる。数秒後、地鳴りとともに角の生えた牛のような生き物が出現した。その大きさは、少なくとも人間の三倍くらいはある。
突進してくる化け物に、ノゾムが咄嗟に結界を張った。大きな衝撃音が響く。どうやら結界を割られたようだ。すぐさま二重三重に結界を張る。
「おっとぉ、この山の結界張ってたのお兄さんか。すげー。若い神なのに頑張るな」
「何者だ、名を名乗れ」
「言ってんじゃん、イマダだよー」
「それは真名じゃないだろ……」
「そう怒んなって。この山にはこれぐらいの悪戯する化生どもがたくさんいるんだろうがよ、俺のことだけそんな目くじら立てなくてもよくない?」
「ここを神域と知っての狼藉か」
「おい、だから怒んなって。キャラ変わっちゃってますよ、神様。神罰でも何でも使えばいいだろ。まあここで使ったらそれこそ善良な亡者の方々も巻き込むかなー?」
短く息を吐いたノゾムが「久しぶりにムカつく感じの人外が来ましたね。美雨様、死者の魂たちをできるだけ避難させてもらっていいですか」と言いながら両手を合わせた。光が溢れ、そこに刀が出現する。
「ユキエさんも誘導係をやってください。もし先輩に会ったらこっち来るよう言ってもらって」
「わかったわ。ユメノちゃんとユウキくんはどうする?」
「ここにいてもらった方がいいでしょう。こうなると、先輩が向かった方の爆発音も気がかりです。道中何かに襲撃されるよりは、ここでオレが」
「あなたひとりで大丈夫なんですの?」
「まあ、少なくとも防衛戦でオレに勝てるやつはいないので。早いとこ先輩を呼んでほしいとは思いますが」
「善処いたしますわ」
美雨と都が亡者を連れてゆく。どうやら化け物の傍を通ることができずに取り残された亡者たちもいるようだ。またため息をついたノゾムが「美雨様が飛べないってのが結構痛いんだよなぁ」と言う。
「ちなみに美雨様の飛行能力を奪ったのもあんたなんですか?」
「そーだよ。俺はな、なんでもできるんだよ。全能なんだわ」
「……ハッ、全能とか。ウケますね。ハイハイ、全能全能。まったく、神でもあるまいし」
鼻で笑ったノゾムに、イマダが「あのさあ」と呆れた顔をした。
「どーして俺が“神じゃない”って言いきれんの? そうやって決めつけて見下すの、性格悪いなー。土地神だけに、お里が知れるってやつじゃねえ?」
途端にぴくりと眉根を上げたノゾムが、「神性……?」と呟く。「今まで全くそんなもの……神性を隠していた? 何のために? そんなことが可能なのか?」と顎に手を当てた。何にせよ、と刀を握りしめる。
「ユメノちゃん、ユウキくん」
「は、はい」
「そこを動かないようにしてくださいね。一応そこにいれば、安全は安全なので」
そう言ってノゾムはイマダに向かって踏み込んだ。刀を振り上げる。イマダは「おいおい、そこの牛さんはほっといていいのかよ」と言いながらのけぞった。
「あんたが本当にあの怪物を呼んだんなら、あんたを真っ先に叩くのは道理でしょうが」
「神様、割とゲーム脳じゃね?」
イマダは背中を向けて逃げようとする。後ろから、ノゾムが刀で殴った。「でっ」と短い悲鳴が上がる。
数分後、刀の峰でめちゃくちゃに殴られたイマダが地面に転がっていた。口を押えたノゾムが「え……よっわ……」と漏らす。
「非戦闘員のオレにこんなやられるって、弱すぎでは? なぜあんなに大口を叩いたのか……。しかも丸腰。俺の武器貸しましょうか……」
呻きながら起き上がったイマダが、鼻血を拭いながらノゾムを睨んだ。ノゾムは頭をかき、「どうしようかな。ここで殺すわけにもいかないしな」と本気で困った顔をした。
「とりあえずあの化け物を引っ込めてもらって。それで、一体何なのか説明してもらっていいすか」
「うぜえ……」
「まあ、何なのかは別にいいか。アイちゃんさんに視てもらえば正体は大体わかるしな」
「アイちゃんさん……? 誰だそりゃ」
殴られたところをさすりながら「ったく神様ってのは乱暴だよな、いつの時代も」とイマダはぼやく。それから舌打ち交じりに「なあ、おい。お前は非戦闘員だとか言ってたな」とノゾムを指さした。
「なら、お前の言うところの“戦闘員”とやらせろ。ぶちのめしてやる」
「は? いやいや。オレとやって負けるような人が先輩に勝てるわけないじゃないですか。なんであんたそんなに強気なんだ……」
「あとなぁ……お前、勝って兜の緒を締めよって言葉知ってる? 油断しすぎなんじゃねーかな」
空から、ギャアギャアと喧しい鳴き声が聞こえる。「鳥?」と見上げれば、途端に空が翳った。鳥だ。確かに鳥だ。「……あれ、美雨様のしもべよりデカくね?」とノゾムが呆然とした。
そして――――木の合間から、土の中から、風の中から、規格外の大きさの生き物たちが顔を出す。
「これだけの数を……」
「全能だからねえ、俺。これぐらいやっちゃうよねー」
「言ってろって感じなんですよね」
ノゾムは結界を張った。「はー、ほんと人んちにこんな押しかけてきて……不敬どころの話じゃないな」と呟く。
怪物たちの攻撃を防ぎながら「先輩……早くしてマジで……」と悲鳴を上げるノゾムに「ねえ、神罰やったらぁ?」とイマダが囃し立てた。ノゾムは眉間に皴を寄せながら「うるさいなあ!!」と怒鳴る。
「くっそぉ……強度を重視した結界を張る時間がない……」
「やっぱクソ生意気なガキをいじめてる時が一番楽しいよな。ところでお前、かなり不意打ちに弱いタイプだろ」
その瞬間、ドッと地響きが聞こえた。最初に召喚された雄牛の怪物だ。ノゾムの背中に向かって特攻し――――そして、結界を破った。「……クソッ」とノゾムは言いながら振り向こうとする。一瞬早く、雄牛の角はノゾムの躰を背中から貫いた。
「…………ぁ」
ノンちゃん、と叫んでユメノたちは駆け寄ろうとする。凛とした声で「そこに留まっていなさい」とノゾムが言った。
腹を抱えて笑ったイマダが、「傲慢傲慢。ほんと神様ってのは、万物を舐め腐ってるから相手が楽だわ」とノゾムに近づく。
「あのさあ、慢心にもほどがあるだろ。なんでお前、自分自身に結界張ってねえの?」
口の端から一筋血を垂らしながら、ノゾムはふっと笑った。
「そんなの……張る必要がない、からに……決まってんでしょ」
怪訝そうなイマダの前で、ノゾムは笑いながら────霧散して、消えた。
「消えやがった。おい、そこのガキども」
「…………」
「さっきのは何の神だ? 手の内を教えろ」
「………………」
「だんまりかよ、クソ使えねえなぁ。じゃあ、いいや」
ちょいちょい、とイマダが手招きをする。ユメノもユウキも首を横に振り、「行かない」と拒絶した。それなのに足が勝手に動いて、イマダの方へ進む。
「いい子だなぁ。でもいいのか? 神様がせっかくお前たちを守ろうと結界張ったのに、そっから出てきちゃって。『動くな』って言われたのにさぁ」
「なん、で…………!」
体が勝手に動く。止められない。数歩進んだところで、牛の怪物が地面を蹴るのが見えた。
イマダはほとんどこちらを見ずに、「武器まで手に入った」と小刀を手の中で弄んでいる。
目をつむって衝撃を待つ。やがて大きな鈍い音が響いた。しかしユメノたちに痛みはなく、何かがぶつかった感触もない。ただ、体が浮くほどの風が吹いただけだ。目を開けて、その場にへたり込む。
タイラが怪物を蹴り飛ばして、着地するところだった。
「お、おそいよ……!」
そう呟いてユメノはその場にへたり込む。タイラはといえば顔をしかめて「一体どうなってやがる。山中化け物ばかりじゃないか」とぶつぶつ文句を言った。
「ノンちゃっ……ノンちゃん、死んじゃった……」
「死んだのか、あいつ。それは厄介だな。何より俺は防衛戦向きじゃない。これだけ数がいるとさすがに結界の一つや二つ欲しいところだな」
ぽかんとするユメノたちを撫でて「とにかくお前たちを一度里へ避難させるか」とタイラは呟く。
「ねー、お兄さん。今の何? どうやって牛さん吹っ飛ばしたんだ?」
苦笑したイマダが話に割って入ってきた。それには答えずに、タイラは眉をひそめながら「お前がこの騒ぎの原因か? こいつらみんなお前のペット?」と逆に尋ねる。「そーだよ」とイマダは仕方なさそうに肩をすくめた。
「もしかしてあんた……さっきの若造が言ってた“先輩”だったりする?」
「だとしたら何だ」
「やろうぜ」
そう言って、イマダは小刀を構える。
頭をかいたタイラが、ユメノとユウキに「あいつ、どんなもん? 強いか?」とひそひそ尋ねた。困惑しながらユウキが「ノンちゃんに負けてました……」と答える。タイラは「マジか」と言いながら一層怪訝そうにイマダを見る。その真意を測りかねているようだ。やがてふっと表情を失くしたタイラが「まあいい。やろうか」とため息をついた。
突っ込んでくるイマダの拳を軽く弾きながら、タイラが逆にイマダの襟を掴む。強引に引き寄せて、頭突きをした。ニット帽をつけていたからか音はそれほどではなかったものの、イマダは少しふらついて後ずさる。
ぐっと踏みとどまったイマダが右腕を引いてまた刀を握り直した。タイラは大股で近づき、相手の間合いに入る。下から軽めのアッパーカット。正確に、イマダの顎に入った。そして恐らく本命の蹴り。至近距離からイマダの腹に入り、思い切り吹き飛ぶ。
近くの樹木をへし折りながら転がっていったイマダが、口の端を拭いながらよろよろと立ち上がった。汗一つかいていないタイラを見る。それから、笑った。
「ほんとだ。すげー強いじゃん、あんた。相当だろ」と言って、首を鳴らす。それから目を細め「ほんとツイてるわ、俺」と呟いた。
それからまた、踏み込む音がする。構えたタイラが、少し――――ほんの少し、眉をひそめた。
タイラの顔めがけて蹴り上げたイマダの足を右腕で受け止め、タイラは「こいつ……」と呟く。咄嗟に、力を流すようにして避けた。
足を下ろして前のめりになったイマダが「手加減してやってたんだよ、バーカッ」と高らかに笑う。掴みかかろうとするイマダの手を何度か弾いて、タイラは「慈悲深いことだな。どうして最初から本気を出さなかったんだ?」と問いかけた。鼻で笑ったイマダがまた手を伸ばす。それを弾こうとしてタイラは左腕を振り上げた。が、逆にその手を掴まれ、強く引っ張られる。タイラは一歩引きずられ、イマダが思い切り頭突きをした。
タイラの額から、ぼたぼたと赤い血が滴る。「いいねえ、その顔」とイマダは自分の額をさすりながら言った。「もしかしてタイマンで力負けするのは初めてか?」と楽しげに煽る。
「お前は一体何なんだ」
「そう結論を急くなよ。まだまだこっからだぜ?」
「俺はお前みたいな意味のわからん法則性を持った化生と遊んでいる暇はないんだ」
「“意味のわからん法則性”だぁ? そんなの簡単だっつうの。俺は全能なの」
全能、と呟いてタイラはくすくす笑った。「あるいはそうなのかもしれないな」と顎に手を当てて肯定する。「は?」と言ってなぜかイマダは舌打ちした。
「いいや、もう十分だし。とりあえずオメーも殺すから」
「神殺しか? せめて名乗りをあげろよ、歴史に残るぞ」
「イマダだよ」
「そうか、いい名前だな」
タイラとイマダはほとんど同時に腕を上げ、構える。
先に動いたのはイマダだった。顔の真ん中に向かって打ち込む素早い右ストレート。それを避けたタイラがイマダの足を払う。わざと膝を折ったイマダがタイラの足を掴みながら、胸にまで手を伸ばした。
「あんたは強いが、どうも『上から押さえつけてやろう』っつう動きが多すぎる。さっきもそうだ。あんたは、下から引きずり降ろされるってことを知らねェ」
そのままタイラの胸倉を掴み、引き寄せる。勢いで、タイラはガクンと膝をついた。
イマダが刀をタイラの胸に刺し、力づくで押し込む。貫通していた。タイラは派手に血を吐きながら、イマダの首に手を伸ばす。イマダが前のめりに立ち上がり、それに引きずられるようにしてタイラは仰向けに倒された。覆いかぶさるようにして、更に刀を根元まで刺す。
「あんたが強くて本当に助かった」と、イマダが耳元で囁いた。タイラの躰から刀を抜きながら、立ち上がる。
しばらくごぼごぼと咳き込んでいたタイラが静かになり、イマダは満足そうに視線を移した。
ユメノとユウキは何が起こっているのかわからず、ただ近づいてくるイマダに「タイラは……」と尋ねる。イマダは肩をすくめて、「見て来れば?」と倒れているタイラを指さした。
ユメノはユウキの手を握る。ユウキも、ユメノの手を握り返した。ただ黙って首を横に振る。
「俺さぁ、よく考えたんだけど、お嬢ちゃんのこと殺したくないんだよね。面白い匂いがプンプンするからさ」
「何……それ……」
「だからさぁ、俺と組まない?」
顔を上げたユメノがキッと睨みつけようとした瞬間、動きを止める。それを訝しげに見たイマダが振り返る直前、その首に腕が絡む。タイラががっしりと、イマダの首を固定した。
「子供なんぞに浮気か? 妬けるな」
「……よく言うぜ。オメー、ちょっとでも俺に興味あるわけぇ?」
タイラが、イマダの首を固定しながらズルズルと後ろに下がる。イマダは抵抗せず、両手を上にあげていた。
「血反吐撒き散らしてそれでも死ねねえなんて惨めだねえ、神様」
「そうかもしれないな。それで? お前は何だ。正体と真名を言え」
「ちょっと悪戯しただけじゃないっすかー。ここは一旦見逃してくださいよー」
「この状況でお前を逃がす馬鹿はいねえだろ」
軽やかに笑いながら「いやー? それはどうですかねー」とイマダが瞬きをする。不意にタイラが力を緩めた。イマダがタイラの腕から抜け出し、「あばよ、神様。また会おうぜ」と手を振ってどこかへ消える。
残されたタイラは自分の手を見て、「体が勝手に動いた……?」としきりに首を傾げていた。それから右手で目の辺りを覆い、深く息を吐く。そのまま眠りにつきそうな沈黙に、思わずユメノは「タイラ……?」と声をかけた。タイラは目を開けて、「ああ……行くか……。合流、しないとな……。お前たちを里に……」と言いながらユメノたちに手を伸ばす。
「……途中で神社に寄らなければならん。ユウキ、俺の背中に乗れるか?」
そう言ってタイラは腰を落とし、おんぶの体勢を取った。ユウキは黙って頷き、タイラの背中から首に抱きつく。ユメノのことは腕に抱えて、タイラは翼を広げた。
風が起こり、ふわりと浮く。気づけば上空だった。
「……タイラ」
「うん?」
「血が出てる」
「まあな」
「だ、」
「大丈夫だ、何も問題ない。俺は不死なんだ」
そして、と言ってタイラは上空から指をさす。「あいつもそうだ」と言うタイラにつられて目を向けると────そこには神社があり、ちょうどノゾムが伸びをしているところだった。
「ノンちゃんっ」と思わずユメノたちが叫ぶ。ノゾムはこちらの方を向いて、眩しげに手を目の上にかざした。
タイラは急降下していき、地面すれすれのところでノゾムを拾う。そのまま担いで、また上昇した。
「うわー最悪ですね。目覚めてすぐ先輩に拉致られるということは、オレが死んでいる間に何も事が好転していないということでは? てかオレ今回あんまり上手くメモリの引き継ぎができなかったんですけど、どういう状況だったんでしたっけ」
「亡者が山に溢れてるわ化け物どもが出現するわ、それを操っていると思われるヤツに俺とお前が一回ずつ殺されるわ」
「はー、厄介すぎて草」
言いながらノゾムは下を見て、「随分派手にやってくださってますね。なんですか、あのデカい虫みたいなの」と頬杖をつく。「何でも大きくしとけば強いみたいな考えが浅はかだよな」とタイラは笑った。
「それでユメノちゃんはどうして黙って泣いてるんですか?」
「お前が本当に死んだと思ってショックだったんだろう」
「えっ……」
驚いたように目を丸くして、ノゾムはユメノをまじまじと見る。「ちなみに俺の背中にはユウキがいるが、こっちも声を殺してずっと泣いてる」とタイラはバラした。ユウキがバンバンと背中を叩き、「いてえよ」とタイラは苦笑した。
「ああ……まあ、アレっすね。この現代にそうホイホイ死ぬことないだろうと思って言ってなかったっすね」
「本当にな」
顔をぐちゃぐちゃにしながら鼻を鳴らし、「よかっ……よかった……」とユメノは言う。顔を見合せたノゾムとタイラが、困ったように笑った。
「さて、俺は失血でもう一回くらいは死にそうなので幸枝ちゃんと合流していいか?」
「派手にやられましたね、ほんと」
しばらく飛んでいると、亡者たちが集まっている一角が見える。真ん中に都母娘と美雨、それからカツトシもいた。ゆっくりとタイラが降下を始める。こちらに気づいた都たちが手を振った。
タイラがユメノたちを下ろした。ぐずぐずに泣いているユメノとユウキを、都が抱きとめる。実結がハンカチを出してくれて、ユメノたちの涙を拭った。
「ちょっと! ユメノちゃんたち泣いてるじゃありませんの! あなた方、何をなさっていたんです?」
「いやぁ〜返す言葉もないんですが……」
じっとノゾムやタイラを見ていたカツトシが「……かなりやられたみたいね」と目尻を下げた。頭をかいたノゾムは「そうみたいなんですよ」とため息をつく。
ふらついた足取りで都の腕を取ったタイラが「……悪い」と囁いた。驚いた様子の都が、しかし察して頷く。ふたりでその場を離れた。実結がそれを心配そうに見送る。
「さて、どういう状況かしら……」
「オレの情報はあてにしないでください。メモリが一部クラッシュしてます」
「なんですって??」
驚く美雨に、カツトシが「こいつは死ぬとき稀にデータが破損することがあるから」と簡単に説明する。それでもわからない様子の美雨は「どうしてそんな精密機器みたいなシステム性してるんです??」と難しい顔をした。
「まあ、何があったかについては僕が全員の記憶を繋ぎ合わせて大体整理できるわよ。肝心のイマダって男のことはよく視えないけど」
「さすアイ(さすがアイちゃんさんの略)」
向こうから都とタイラが歩いてくる。タイラは着物を羽織りながら、「俺たちもいれてくれ」とノゾムの隣に腰を下ろした。
「ケガ、大丈夫……?」とユメノが聞くと、「氷で塞いでもらった。まあ大丈夫だろう」とタイラは答える。「無理しちゃダメよ。治ったわけではないんだし」と都は実結を抱き上げながら苦言を呈した。
「カツトシ様が話を整理してくれるって?」
「そうよ。有難く聞きなさいね」
「煙草吸っていい?」
「子どもがいるんだからよしなさいな」
タイラはくつくつと喉を鳴らして「どうぞ」と話を促す。呆れた顔のカツトシが、気を取り直して口を開いた。
「まず、盆帰りするはずの死者たちの魂がこの山に集まっているのを、ノゾムと美雨が発見した」
「卒倒するかと思いましたよね」
「そこにタイラたちが合流して天と話をつけたけれど、明日にならなければ迎えは来ないということになった」
「あいつら仕事を舐め腐っているからな」
「人手がないと言っていたし、許して差し上げたらいかが?」
肩をすくめたタイラが「あいつらの肩を持つのか」と美雨を見る。美雨はと言えば、涼しい顔で「まあ元の飼い主ですし。あなたも元々は仏道に捧げた身でしょう。天への憧れと敬意は忘れていないのでは?」と煽った。タイラは何でもないように「いや、俺は忘れた」と腕を組む。
「それで死者たちをもてなすために出店などやり始めたところ……」
ふっとユメノが「そういえばアイちゃんって何かお店出してた? 見つからなかった」と疑問を口にした。カツトシは微かに肩をすくめて「実を言うと僕はちょっと距離を置いていたのよね。あんまり人がいると色んなものが見えすぎて眩暈がするから」と答える。
「アイちゃんさんの力は便利ですが、その分大きなデバフでもありますしね」
「今は大丈夫?」
「一か所に集まっていてくれるとそっちを見ないようにすればいいからまだ楽ね。今心を読んだところで鳳凰様への篤い信仰しか視えないし」
「そうでしょう、そうでしょう」
「そこの歩く洗脳装置については後で審議が必要っすわ」
わたくし頑張ったのに、と美雨はいじけた。「まあ、信仰を上書きするようなもんじゃないだけマシだろう」とタイラがフォローする。「そんなことされたら困りますよ」とノゾムは更に難色を示した。
「話を戻すけど」
「あ、はい」
「境内でお祭り騒ぎをしていた時、ユメノちゃんとユウキくんはそのイマダって男に会ってるのよね」
「! そうなの。そうなんだよ」
「何か話したか?」
「えーっとそれが……」
「それを話そうとするとなんだか難しくなっちゃうんです」
「……どういうことだ」
「記憶の方は残ってるのに。結構話をしてるみたいよ。何を話しているのかは……視るのが結構大変なんだけど……強く浮かんでくるのは、『神様に言いつけるのはやめてくれ』と言われたことね」
「! そう、そうなの。そうやって言われた」
タイラが腕を組みながら「『言いつけるな』ねえ……」と考え込む素振りを見せた。「その後で」とカツトシが強引に話を進める。
「山の外れの方で大きな音がしたので、タイラが様子を見に行った」
「そういやそっちは何だったんすか」
「すでに化け物が湧いていた。数が多すぎるので全体を把握しようと飛び回っていたわけだ」
「一方神社の方では突然死者たちが理性を失くして暴れ出した……と」
「アレはやっぱり前触れとかはなかったんすか?」
「ええ……特段何も」
「気づいたら囲まれていたという感じですわね」
「僕も記憶を視る限りトリガーになりそうな出来事は見つからないわね……」
「……なるほど」
「それでノゾムたちは一旦退却をはかったけれど、途中で美雨が飛べなくなった」
ずっと黙っていたタイラが「なんで?」と怪訝そうな顔をする。「それがわかれば苦労しませんわよ」と美雨は憤慨した。
「その時点でイマダって男は死者たちに紛れて鳴りを潜めていたわけだけれど、ヤケクソの美雨が広範囲
「あの男、洗脳が効きませんでしたからね。まったく生意気ですわ」
「それでそのイマダって男が、いきなりその場に化け物を召喚して……美雨たちは死者たちの先導をしてその場を離れた。で、イマダの相手をノゾムがして……」
「ああ、そこら辺どうなってるんだ。お前、あいつに勝ったんだろう? どうして死んだんだ」
「勝った……んすかねえ」
「ユメノちゃんとユウキくんの記憶を見る限り、
「ああ……なるほど……」
「ほんとにノゾムが勝ったのか。あのイマダって男、そこそこに強かったぞ。神性持ちだったしな」
頬杖をついた美雨が「神性?」と驚いたように口を挟んだ。「なんです、神性って。そんなものお持ちじゃありませんでしたけど」と眉をひそめる。タイラはタイラで困惑の表情をしながら「いやアレは確かに神性だったが……」と言ってカツトシを見た。カツトシは空咳をして、「ユメノちゃんとユウキくんの記憶を視る限り、」と口を開く。
「“途中で神性を帯びた”らしいわよ。ノゾムがそんなようなことを言ってるっぽい」
「言ってますか、オレが」
「ちょっと! ほんとなんでこの方、大事なところでメモリクラッシュさせてるんです!?」
「仕方ないでしょ……死んでんだから。何回かに1回ぐらいクラッシュすんですよ……」
「だからそれがどうして今回なのかって言ってるんですわよ!」
まあまあ、と都がなだめた。カツトシも「こればっかりは本人の意思じゃないから」とノゾムの肩を持つ。
「私にはわからないけれど、“いきなり神性を帯びる”あるいは“神性を隠しておく”ということは実際に可能なのかしら」と都が尋ね、タイラとノゾム、美雨は各々『うーん』と考え込む素振りを見せた。
「神性というのは高ければ高いほど霊力の少ない一般人にも感知できるもので、たとえばそこにおわす鳳凰様の洗脳能力というのは一時的に神性をぶっぱして対象に『自分が神である』と無理やり認識させて強制服従させる代物ですが」
「そうなんだ……」
「そうなのですか、わたくし初めて知りました」
「つまり神性に強弱をつけることは可能かと思います。ただ、
「基本的に神同士は不可侵なのでな、ぱっと見で『あれはどこかの神、あるいは神の使い』ということがわかるように神性を感知できる」
「まあ、神性を隠すということがもしできたとしてもそれをするメリットがあるのかという話にはなりますね。神性を持つ者は同じく神性を持つ者に対して友好的なことが多いですし、ある程度の抑止力になるので」
「あなたたち、私に対して最初から攻撃的じゃありませんでした?」
「お前自分が何をしたか覚えていないのか」
美雨は小さく舌を出して、タイラを指さしながら「あとはこの方みたいに神性が着脱式だったりとか」と話す。「そういう可能性もあるのか」とノゾムが難しい顔をして、「誰の神性が着脱式だ」とタイラは美雨の頬を指先で小突いた。
「で、そこにタイラが来てイマダと戦ったけど負けてる」
「先輩……なんで負けたんすか……」
「こいつはなんかタイマンで負けてるわよ。僕もなんでだか聞きたい」
「いや、俺も聞きたいよ。なんでだろうな」
顎に手を当てて考え込んだタイラが、ふっと顔を上げて「強かった」と言う。「えー……」とノゾムがのけぞった。
「強かったなー、あいつ。たぶん何かカラクリがあるんだろうが、まあ強かった」
「目を輝かせてそんな…………」
不意に都とユウキが同時に身を乗り出して、「そんなのはおかしい」と言い出す。「タイラが負けるなんておかしいです」「何かカラクリがある、ということはズルでしょう。あなたが負けるわけないもの」と怒りを声にはらませた。
「何かカラクリがあったとしてもそれはズルじゃない。タネや仕掛けを含めてそいつの戦法だ」
「タイラはだまっててください」
「あなたは黙っていて」
「なんでだよ」
詰め寄るような勢いで、都が「カツトシ、結局のところイマダというひとは何者なの?」と尋ねる。「えー?」とカツトシは目をぱちくりさせた。
「僕、そいつのこと視えないんだってば。あれ……最初に言わなかった?」
「全然聞いてない。そんなこと言ってたか」
「みっ」とノゾムが口を半開きにする。「視えないんすか……? 嘘でしょう……?」と呟くが、カツトシはといえばあっけらかんと「視えないのよねえ。不思議だわねえ」と頷いた。
「この山見渡しても、そいつだけが見つからない。みんなの記憶を視ても、“そこに誰かいる”ってことはわかるけど視認できない」
「つまり何だ? 俺が透明人間とやり合って負けたように視えてんのか?」
「そうなるわね。まあ、僕なら透明人間だって視えるはずなんだけどね」
全員、その場で顔を見合わせる。「厄介なことになりましたね……」とノゾムがこめかみを押さえる。慌てた様子の都が「もう一度整理しましょう」と言い出した。「そうだな。正直なところ最後にはカツトシがアレを何者か言い切るものと思っていたので話を真面目に聞いていなかった。道理で『話を整理する』なんて言い出すわけだ」とタイラが姿勢を正す。「“そんなこと言って、もうあの男の正体がわかってるくせに。探偵ごっこをなさりたいのかしら”なんて微笑ましく見てしまいましたわ。視えていなかったとはね」と美雨は心底びっくりした顔をした。
「あんたたち、僕のことあてにしすぎじゃない? だからそんな余裕ぶっこいてたのね」
「それはもう、おっしゃる通りです……」
腕を組んだノゾムが「とにかく、あのイマダというひとが一体何なのか考えましょう」と提案する。
「今のところの情報としては、『神性を持っている』『怪物を召喚する』というものがあるわね。そのような逸話を持つ妖、神、神の使いがいるかしら」
「それだけでは何とも……。あとは一つ一つ不可思議な点を洗っていく必要がありますが、」
「不可思議な点、多すぎでしょう。本当に単独犯かしら。他に協力者がいるのでは? あまりに一貫性がなさすぎる」
「それもそうね。『相手は複数かもしれない』ということを念頭に置いて事に当たる必要はある。だけどミスリードになったとしても“これらのことはあのイマダというひとが単独で引き起こした事象”という仮定で推理するしか現時点で出来ることはないとも思う。何かしら法則性を見つけたい」
「であるなら、オレはあのひとの能力が『強力な洗脳能力』であることを推しますが」
洗脳能力、と全員が呟く。「仮定っすよ」とノゾムが眉根を寄せた。「強力な洗脳能力と召喚能力がある、とすると大体説明がつきます」と続ける。
「そりゃあ説明はつくけどね」
「説明がつきすぎる、という問題がある」
「まあ、それはそうっすね」
説明がつきすぎる、と呟いてユメノとユウキは都を見た。都は苦笑して、「つまり、“都合が良すぎる”ということよ」と言う。
「たとえば……そうね。カツトシ、あなたはイマダという人に『自分を見るな』と洗脳された覚えはある?」
「もちろんないわね。その男と接触した覚えもない。ただ、本当に洗脳されていたとしてもそう言うでしょうね」
「そういうことになる。自分・周囲の全ての言動に確実なものがなくなり、『洗脳されていたとすればあり得る』という一言で片がついてしまうわ。極論を言えば、今交わした情報の全てが無意味」
「この場にいる全員がヤツの洗脳下にあるとなると、もはや手立ては何もない。あの男にそこまで強い洗脳能力があると認めることは、そのまま敗北宣言になるだろうな。というわけでその説については何かしら反論をしたいところだが……そうだな。美雨、お前を洗脳することは可能なのか」
足を組み直した美雨が、「可能か不可能かで言えばもちろん可能ですわよ」と瞬きをした。「私よりも強い洗脳能力があれば」と唇を尖らせる。軽くため息をついたノゾムが「あのひとに美雨さんの洗脳は効いていないわけですし、あり得るっちゃあり得ますよね」と呟いた。
「ただそうなると、『なぜ初めは亡者たちに紛れて隠れていたのか』が気になるところね。そこまでの洗脳能力があって、身を隠す必要があるかしら」
「それについてはまあ、戦略としてはアリ寄りのアリだとは思いますわよ。私は広範囲洗脳を得意としますが、対象範囲を狭めるほど威力は増します。一対一での洗脳であれば私の広範囲洗脳を凌ぐ力を発揮する、と考えればおかしくありません。確実に洗脳をかけるために機を狙っていた、と。ただ私はこの説を全く支持いたしませんけどね」
「その心は?」
「簡単な話ですわ。この場にいる全員が、『自分たちは洗脳されているかもしれない』と疑いを持った。その時点で何かしらの変化はあってしかるべきです。洗脳というのは基本的に、疑いを持たれた時点である程度効力を失くすのですよ。しかし事態は何も変わっていない。恐らく最初から洗脳などではないのでしょう」
「……それはかなり、もっともらしいっすね」
ううん、とノゾムが考え込む。「でも、最初に洗脳の線を消せるのはありがたいわ。タイラが言っていた通り、そうなるととても厄介だから」と都が頷いた。
「先輩はどう思うんですか?」
「あいつが自分のことを『全能』と言い張っていたのが気になるな」
「全能とか。イキりすぎでは」
「ああ、俺もそう思う。ただそう口に出すことに意味があるのかもしれないと思っただけだ。さっき幸枝ちゃんが言った通り、あいつは最初のうち亡者の中に潜んでいた。そうする必要があった、というのは恐らくあいつの弱さに起因する。にもかかわらず『全能』と口に出したのは、単なる見栄というよりはそこに何か意味があると考えたい」
「口に出したことが本当になる、とか?」
「そうだとしたらあいつはすでに全能だ。もう少し制約付きの能力だろう」
「……あるいは、“そう思わせた分だけそうなる”とか」
何にせよ、とタイラは伸びをする。「もう一度ぐらいぶつかってみないと何とも言えないな」と。「ですよね……」とノゾムもため息をついた。
「も、もう一回戦うの?」
「心配しなくても、不死持ちのオレらが行くんで大丈夫ですよ」
「でも……」
「そうだぞ、こいつなんか神社が無事な限り無限湧きだし。今度からリスポお兄さんって呼べよ」
「永続ガッツ先輩に言われたくないんすけど」
そうだ、とタイラが手を打つ。「その前にお前たちを里に帰さないとなぁ」と言ってユメノとユウキを腕に抱いた。それからユメノたちが何か言う前に、飛翔する。
ぐんぐん飛んで、やがてタイラが「あれ?」と呟いた。
「おいノゾム、山の上に結界張ってるか? ここから先全然飛べないんだが」
「結界張ってたとしても引っかからないでしょ」
「そりゃそうか。なんだこれ」
一度地面に下りてユメノたちをノゾムに預けてから、タイラがまた飛んでゆく。彼方へ消えてすぐ戻ってきた。
頭をかきながら、「さっぱりわからん。俺だけで飛んでいても何もない。いつも通りだ」と首を傾げる。
「つまり?」
「つまり、こいつらだけが山を出られない」
「本当に何なんすか、キレそう」
「俺に言われてもなあ」
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