第5話 猿夢と夢幻の天女
ガタンゴトンと音がする。遠くから聞こえるその音でユメノは目を開けた。瞬間、「あーこれ夢じゃん」と呟く。隣のユウキも「またですか」と眉をひそめていた。
どうやら駅のホームのようだ。向こうから電車がやってくる。『まもなく、電車が参ります』とアナウンスが聞こえた。
『6番ホーム、まもなく電車が参ります。ご注意ください。6番ホーム、まもなく電車が参ります。ご注意ください。ご乗車いただきますと、恐ろしい目にお合いになりますが、ご注意ください』
「今なんて」
「おそろしい目に合うって」
「そんなの乗る人いる?」
何なんだよぉ、と言いながら回れ右をしたユメノとユウキの視線の先に、ちょうどユウキと同じぐらいの背格好の子どもがいた。
子どもは、迷いなく電車に飛び乗る。
「…………夢の中だもんねえ」
「そうですね」
「夢の中で知らない子のこと心配してもね」
「うん」
「罠かもしんないし」
「『でも』の話ですか?」
うん、と言いながらユメノは踵を返した。
「もしかしたら、あたしたちみたいに同じ夢を見ている子かも。危ないよって声かけてくる」
そのまま電車に乗り込む。子どもの姿は見えない。それが女の子であったか男の子であったか自信がなく、「おーい、ぼく~もしくはお嬢ちゃーん。おいで、あぶないよー」と声をかけた。その隣でユウキも「おーい」と声を上げていた。
「ユウキは来なくていいんだよ! 外に出てなよ」
「ぼく、ユメノちゃんのこういうところ好きです」
「えっ?」
「行きます、ぼくも」
その瞬間、音を立てて電車のドアは閉まる。「おおう……」とユメノは呟いた。「普通電車ってもうちょっと停まってない? こんなんじゃ全然お客さん乗れなくない?」と突っ込んでしまう。仕方なさそうなユウキがユメノの手を掴んで、「行こうユメノちゃん」と引っ張った。
車両をいくつか渡ったけれど、人影はない。なんだか陰気な車内だった。
『次は、活け造り~活け造りです』
ふとアナウンスが流れる。ユメノとユウキは顔を見合わせ、電車の先頭まで一気に駆け抜けた。
貫通開戸を勢いよく開けると、耳を劈くような悲鳴が聞こえる。目を見開いたユメノは、思わずユウキの目を塞いで「R18G規制!!」と叫んだ。ユウキは怪訝そうに「あーるじゅーはちじー? なんですか、ユメノちゃん……」と尋ねる。
駅員の格好をした小柄な男たちが、ひとりの乗客に群がっていた。悲鳴と共に夥しい量の血が流れてくる。その惨状を前にして、なぜかたくさんの人が無表情に列をなしていた。
ユメノは呆然としながらも、拳を握る。ユウキから手を離して、足を踏み出した。「ユメノちゃん!?」とユウキが叫ぶ。そしてそのまま、軽く飛んだ。駅員のような男たちに向かって、飛び蹴りをする。「ゆ、ユメノちゃーん!!!!」とユウキが追いかけてきた。
駅員らしき男を二人ほど吹っ飛ばし体勢を崩したユメノを、ユウキが支える。駅員がこちらを向いた。顔まで毛むくじゃらの――――「え……猿……?」と目を見張る。大きな包丁を持った猿が、それを振り下ろした。ユウキがとっさにユメノを引きずって後ずさる。
「なになになに」
「逃げましょうユメノちゃん」
「で、でもたくさん人がいるのに。あの人たちも逃がさないと」
「サル気持ち悪い。夢に見そうです」
「夢だよねコレ??? 夢なんだよね???」
何とか立ち上がったユメノがユウキを抱きしめた。「ごめんねえ、ごめんねえ、ユウキ。また巻き込んじゃって」と震える。存外冷静なユウキが、「落ち着いてくださいユメノちゃん。ぼくが来たくて来たんですよ」とユメノの頭を撫でた。
「うーん、美雨さまの夢だったりしませんか?」
「たぶん違うよ……。だって美雨さまは、『幸せな夢を見せる』って言ったんだもん」
また包丁が振り下ろされようとしている。その瞬間、後ずさりするユメノとユウキの体が宙に浮いた。思わず声を上げながら、お互いの手を掴む。気付けば、二人ともしなやかな女の腕の中に収まっていた。
目を白黒させながら、ユメノもユウキもその女の顔を見る。
「め、美雨さま…………?」
美雨は何か口にくわえながら何か言った。よく聞き取れなかったので「え? 何?」と聞き返す。ユメノとユウキを下ろしながら美雨はくわえていたものを咀嚼して、「わたくしの名をお呼びになりましたか?」と言い直した。
「あ……うん。呼んだっていうか……うん。なんでうまい棒食べながら登場したの?」
「深夜に小腹がすきまして」
一気に力が抜けたユメノは腰を抜かす。美雨が辺りを見渡して「悪趣味な夢ですわねえ、美しさの欠片もない」と眉をひそめた。
「わたくし、猿って苦手なんですわよねえ。まあいいですわ、この子たちを解放なさい。それでもう二度と悪さをしないようになさいね」
猿たちは顔を見合わせ、しばらく何か話しているようだった。が、すぐに包丁を振り上げてこちらへ向かってくる。あら、と美雨が口元に手を当てた。
「夢幻の世界にて私に歯向かうなんて、お馬鹿なお猿さん」
指を鳴らしただけで、猿たちの立つ場所だけ底が抜ける。ぎゃっ、と短い悲鳴を上げて猿たちが落ちていった。ユメノとユウキは咄嗟に下を覗く。何か赤い液体が波立って猿を飲み込んでいた。「誰も訪れることのない夢の底で、永遠に焼かれ続けなさいな」と美雨は冷たい目でそれを見つめる。
「……さて、せっかく私のイメージがはぴはぴな夢を見せるゆめかわ大妖怪ということで固定されていたというのに、軽くシリアスかましてしまいましたわね」
「ゆめかわ大妖怪とまでは言ってないけど」
「ゆめかわ大妖怪っていったい……?(真顔)」
美雨は何か絡めとるような仕草をする。すると電車だと思っていた背景は純白に染まり、全てリセットされたかのようだった。真っ白の世界の中で美雨が、手を握りしめてゴミでも捨てるように見えない何かを放り投げる。
「電車の旅ってのもモチーフとして悪くないのですわ。でもせっかく夢なんですし、もっと美しいものを見ましょうよ」
足元から吹き上げてくる風に目を閉じれば、甘い香りが漂ってくる。握りしめたユウキの手が揺れた。目を開けると、透き通った美しい泉と色とりどりの花畑が目の前に広がる。
「うっわあ、すごい!」
「そうでしょう、そうでしょう」
「このあまいにおいはなんですか?」
「霊泉。わたくしの故郷なのです」
すごく綺麗だね、とユメノは呟いた。美雨がゆっくりと瞬きをして微笑む。
電車の中で並んでいた乗客たちが、未だ夢の中であるにも関わらず夢から覚めたような顔をしていた。「ここは一体どこだ」「夢……?」「き、綺麗だな……」と声が上がる。
少年のような恰好をした女の子が走ってきて、ユメノとユウキに花冠を差し出した。「ありがとう」と受け取ると、はにかんで走っていく。どうやらいろんな人たちに手渡しているようだ。
「あなたたちが救ったものたちでしてよ」
「助けたの、美雨さまじゃん」
「わたくしはあなたたちのことしか助けてませんわ」
うーん、と言いながらユメノはうつむく。それからハッとして、「最初にR18G規制かかってた人大丈夫!?」と尋ねた。「あーるじゅーはちじー? ……まあ、息があったようだから目が覚めれば大丈夫でしょう。記憶があれば相当なトラウマになっていたでしょうが」と美雨がさらさらの髪をなびかせる。
「私くらいになれば人の記憶なんてちょちょいのちょいですから、ここにいる全員目覚めたときには何も思い出せませんわよ」
「それはそれで安心できない話ですね」
泉の縁に腰かけた美雨が「結局のところ人の世で何より大切なのは、多くの“認識”ですわ」と話した。「この前、幻でも世界が信じれば事実となるのだと申し上げましたね」と続けながらユメノとユウキを膝に乗せる。
「人々の認識の前で、真実とは無力で無意味なものとなります。私は夢幻にて生まれ夢幻にて揺蕩う幻想獣。多くの人々の認識のズレは、いとも簡単にこのような存在を生み出すのです。化生しかり、神しかり」
そう言って美雨はユメノとユウキの頬を撫でた。ユウキはこてんと首をかしげて「ぼくたちが神さまをつくった?」と尋ねる。「そうであるとも言えるしそうでないとも言えますわね」と美雨が目を細めた。
「空も海も大地も、火も風も水も、超常的な全てはあなた方の生まれる以前から存在しました。つまり“神”あるいは化生は現象として確かにそこに存在していましたが、それに名前を付け意味を与えたのはあなた方なのです。こう言い換えることもできます。ただの“現象”であった私たちを形作ったのはあなた方なのだと」
「……でも空も海も大地も、あたしたちを造った全てはやっぱり神様なんだね」
「あなたたちがそう考える限りは」
何か考え込む様子のユメノとユウキを微笑ましげに見て、「さて、とても怖い思いをなさいましたね。お二人も全て忘れてしまいましょう」と頭を撫でる。
ユメノは緩く頭を振って、「いいよ。覚えてるよ。美雨様に助けてもらったこと、ちゃんと覚えとく」と言った。ユウキも「やってもらったことは忘れないようにしないと」と殊勝な顔つきをする。
美雨は驚いたような顔で、瞬きを一つ、した。
「…………そうですか。では、そのままに致しましょう。あなた方の夢がいつまでも美しくありますように」
色とりどりの花畑が、透き通った泉の水が、ぼやけては溶けてゆく。最後に「いつか何もかも嫌になった時には、こちらの世界にお寄りなさい。死ぬまで幸せにして差し上げますからね」という声が、耳に届いた。
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