第10話 森の人 オラ・ウータン

 

 エレベーターに慌てて乗り込む乃白瑠の背中を、同じく黙って見つめていた楓。


(乃白瑠さん……)


「楓ちゃんも行くわよ」


「はい! すみません!」


 そして四人は、欧州方面入国管理課に行った。

 前回、乃白瑠達が来た時は、珠のように美しい心を持つ春王様が大宴会を開いていたのだが、先程下で見たように、裁かれる死者も数多く並んでいたので、今はそれにてんてこ舞いといった感じだろう。       


「今回は……、来てないな」


 一番後にエレベーターから降りた乃白瑠が、恐る恐る足をフロアに足を運ぼうとした瞬間、その背後から乃白瑠の目を両手で覆う人物が居る。


「だ~れだっ!」


 透き通ったメゾソプラノの、百合小雪の声音だ。


「小雪さん?! でも、今別れたばかりだし、まさかそんな事が!」


 そんな風に嬉しがる乃白瑠が、手を外して後ろを振り返ると、


「エヘッ!」


「ダーッ! 羅王様!」


 乃白瑠の背後に立っていたのは、他でもない、地獄の大王の一人、春王様その人だったのだ。因に言っておくと、彼女は乃白瑠にホの字なのだ。


「乃白瑠! 似てたか?!」


「やめて下さい! 今、僕落ち込んでるんですから……」


「さては小雪にでもふられたか? じゃぁ、少し良い事を教えてやろう。目を閉じてみろ」


「はい」


 すると映像が現れた。一週間前の、神田古書店街のとある古本屋の前に置かれた自動販売機の光景だった。

 林立するビル群の森の中、エロ本自販機が立ち並ぶ光景。

 オラ・ウータンとは森の人の意味がある。

 オラン・ラウトとは水上生活者の事だ。

 アイヌも人間の意味。

 日本で差別待遇を受けていた原民族は人間扱いされていなかった一族だ。

 人でない人。


 人の外にいる存在。


 人外。


 外道の道の犯罪者こそ人でない人間=人でなしであり、その人でない犯罪者に罪を着せられていた存在が、人でない人に罪を着せていた人間が、無実の冤罪事件で死んでしまった人間を、神社、社で神として祀りあげ、その神様の怒り、祟りを鎮めてきたのだ。


 人間世界で死刑になった魂を、閻魔様は、あの世で再捜査するのだ。

 閻魔様が送り返す魂。


 地獄道に落とさない魂を選り分ける。


 黄泉国で選り分ける魂。


 エロ自販機がビルの森の中の雑草なのか?


 神田古書店街の中で、森の人、オラ・ウータンが、エロ雑誌を補充する。


 低年齢モノのポルノ雑誌を販売するような店は表通りにはない。

 エロ自販機を摘発するかどうか。

 その設置者を捜査する時、森の人は、その行動を監視されるのだ。


 高校生時代に、17歳のセブンテイーンズマップではなく、16歳にならず、入学前の15歳で作った、エロ本自販機マップでエロガキ高校生もどきが、目を付けられた後、その罪が着せやすい相手にさせられていたのか?


 乃白瑠は……。


 乃白瑠が呟いたように、自動販売機でキリンの缶コーヒーをファイアを買った乃白瑠が、お釣りを取ろうとした時だった。その釣銭取り出し口に、五百円玉が何枚も取り忘れてあったのだ。普通の人間なら、ラッキー! とばかりに猫ばばしてしまいそうなものだが、乃白瑠は迷わずその取り忘れの釣銭を持つと、店の中に入り、古本屋の老主人にそれを渡した。


「おおーッ!」


 鏡に映し出された光景に見入っていた人達が感嘆の声をあげる。

 そして、更に、閻魔大王はリモコンを操作する。次に映し出されたのは、JR神田駅の階段で困っていた車椅子の障害者の、その車椅子ごと体を、乃白瑠が数人に声を掛けて持ち上げて、上へと運んであげている光景だった。


「流石、乃白瑠さん!」


 楓が両手を組んで、そう叫んだ。


「この光景も小雪に見せといたぞ」


「えっ?!」


「何も言わなかったが、あの顔は確かに、『私の選んだ男に間違いはない』といった顔をしてたな。お前は自分を過小評価する性分のようだが、もっと自分に自信を持て。確かにお前はこの想像世界を救った英雄なのだからな」

 そう。間違いなく乃白瑠は、多くの小説世界、即ち『想像国家』を救った救世主なのだ。

 沈黙の乃白瑠。このフロアの全ての者が尊敬の眼差しで乃白瑠を見ている。


「あまり買いかぶらないで下さい。計算して、善行を行ったかもしれないじゃないですか」


「うむ。だが、大抵の人間はそこまで考えんぞ。あまり自分を苦しめるな。それに断っとくが、あの時のお前の行動に、悪心など微塵もなかった。純粋に人助けをしたいという心で善行を行ったのだ。天国に入る為に善行を行うのと、無心に善行を行うのとでは天と地ほどの隔たりがあるのだ」


 乃白瑠の方に視線を向ける全ての人間が、微笑を浮かべて大きく頷く。


「でも、天国に入りたい、幸せになりたいというのは、よこしまなる欲望でしょうか?」


「どういう事だ?」


求道者ぐどうしゃは、悟りたいという欲望をもっていますが、それは間違っていますか?」


「う~む」


「悟りとは、欲望から解脱した状態ですか?」


「次々と質問をするな。だが、答えよう。悟りとは欲望から離れて真理に到達する事だ」


「その真理とは?」


「それには答える事は出来ない。自分でそれに気づくのが悟りの条件だ」


「ならば、欲望から離れて悟りに到達するのに、悟りたいという欲望を捨てなくてもいいのですか?」


「お前はどう思う?」


「その答えは、『煩悩ぼんのう即菩提ぼだい』という言葉に集約されると思います」


「そうだ! 人を救いたい、幸せになりたいという思いに、いい悪いもない」


「確かに僕もそう思います。じゃぁ、天国に入りたいという思いの為に善行を行う人間も救われるのですか?」


「難しい問題だ。聖書にもあるだろう。天国に入る為には針の穴を通るより難しいと」


「そうですね。抽象的な表現かも知れませんが、そこに愛があればいいのですか?」


「愛とは、どういう意味だ?」


「それでは、神様になって迷える子供達を救いたいという欲望は正当なる思いですか?」


「私はそれが愛だと思う。それを行っているのは、私の分身、地蔵菩薩だよ!」


「その為には自ら解脱げだつして天国に入らねばならないのではないでしょうか?」


「そうか」


「例えば政治家の事を考えて下さい。総理大臣になって人を導いていきたいという裏で、色々裏工作するのはいけない事でしょうか?」


「正当なる目的があれば手段も正当化され得るという事か?」


「そうです」


「私はこう思うぞ。自分一人が汚れ役になればいいと思っている人には愛があると言える」


「それは、間違いなくそう思います」


「人はそれをサタンと言う……」


「!」


「では悪という存在の意味を問う。善と悪。男と女。保守と革新。究極の二元の中にあって、『太極』を生み出す為には、悪の原理は排除されるのか?」


「いえ違います。『太極』を生み出す為にはお互いの存在を認め合わなければなりません」


「お互いの心を理解し合うと。天国に入る為の善行とどう関係がある」


「愛している人が天国にいる。ご先祖様に会いたい為に浄土に入る為に努力する」


「なるほど。その努力を神様が評価するという事か?」


「小さな一つの評価こそが、世界の中の個を認め合う世界精神に同期する精神を育てるという事だと思います!」


「よし! 少しは合格だ」


「はい!」


 皆が一斉に拍手をする。



第十話 了




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