第8話 オランピアの少女
「……誘拐、という訳ですか」
朝。昨晩は誰も一睡もしていない。皆が誘拐犯からの交渉の電話を待っていた。
ミラル拉致された事は事実。行方不明ではない。これは間違いなく誘拐事件だ。ベルサトリの判断で、地元警察への通報を行う。警察は、直ちにロンドン市警、スコットランド・ヤードへ連絡。誘拐交渉人のネゴシエーターが変装して到着したのが、朝の9時を回った頃だった。
「男達は十数人居たんだね」
「はい」
警察の事情聴取を受ける楓。
皆は、リビングでモーニングコーヒーで喉を湿らせていた。
「集団で誘拐を行うとはな。此処一年で全世界を股にかけ、国際的な誘拐が多発しているが、それとこの誘拐も関係あるのか?」
片眼鏡の老紳士が言う。
「その事件なら知っている。僅か一年の間に全世界で百人もの女児ばかりが、誘拐されている」
エクソシストが顎を撫でた。
「確か、名だたる推理作家が挙って、直ぐさまこの一連の誘拐事件をモチーフにした推理小説を発表しているな。確か日本では、ミマチ・ヤサシギという作家が発表していた筈だ。性的犯罪者が自らの犯罪の映像記録を業者に原版として売り、業者を通して映像を買った人間に、実際の犯罪者が罪を着せようとしていた事実を小説に書いていた筈だ。ミマチ・ヤサシギは、その業者が犯罪者を警察に密告する為に、業者の一か月分の利益を、アダルト映像をダウンロード売買する大手の企業が、海賊版映像の駆逐を目的とする名目で、経費で計上した金を支払い、その海賊版業者の営業を停止させた事で、犯罪者と業者の連絡を不通、つまり途絶えさせる事で、実際の犯罪者を摘発する流れで、逮捕出来たストーリーになってる」
「自費で孤児院を開いていたユラリア=セランヌが、その国際的誘拐事件で事情聴取を受けた容疑者の一人だったのだ」
「Mr.ベルサトリ! それは本当か!」
「この誘拐事件に心を痛めた宗教関係者の命令で、この事件の情報は集められていたからな。間違いない。世界を股にかけたこれだけの規模の誘拐事件だ。単独犯というよりも大規模な犯罪グループが犯人だと考えるのが妥当だ。その犯人グループと何らかの関連があるという事で、インターポールが彼女に尋問したようだ」
「関連がある?」
「何でも、インターポールが目を付けている、ある重要人物と接触している可能性があるという事だったな」
そんな会話を交わす皆を他所に、楓の事情聴取が続く。
「では、あなたが不審人物を目撃し、皆が外に出た隙に不法侵入してミラちゃんを拉致していったと。こういう訳ですな」
「そうです」
「フム……。そうですか。もしかして、その不審人物とは、こんな男でしたか?」
そう言って、スコットランド・ヤードの警部が一枚のモンタージュ写真を見せた。
「っ! これは!」と言って、その写真を見るなりガタガタと体を震わせる楓。
「この男を知っているのですか?!」
警部が乃白瑠とベルサトリ、そして楓に尋ねた。
三人は顔を見合わせる。ベルサトリは、その写真の男の正体を警察に話す。
「リューノスケ=コウオツ。日本人のファンタジー小説家ですね。知っていますよ。彼の書いた小説はこのイギリスでも翻訳出版され、悪魔崇拝にも似た熱狂的ファンも多いですからね。ですが、確か、一年前に失踪した筈では?」
「失踪ではない。我々の手で魂を葬った」
「我々は日本の警察ではないから、あなた方を逮捕は出来ない。だから、それは一先ず置いておきましょう。それよりも今重要なのは、その人間がこの一連の誘拐事件に関係しているという点です」
「誘拐事件に関係している?」
「そうです。誘拐された子供と接触していたとの目撃情報が多数寄せられていましてね。インターポールから容疑者として手配書が回ってきているんですよ」
ベルサトリは、チラッと小桜を横目で見てから、そこで考え込む。
(甲乙龍之介が、この一連の誘拐事件に関係してるだと? 金に左右される男ではないのだが……)
甲乙龍之介に奇妙な信頼を寄せるベルサトリだったが、それは確かにそうだった。
甲乙龍之介。生きているとすれば、38歳。東平大在学中、
母親が日本人であり、日本の出版社に就職した若き編集者であったベルトリー=ウィズダムに出会いその才能を開花させ、短編小説『魔王の休日』が今は文科省から発刊中止命令を受けている時代劇ファンタジー系の雑誌に掲載。文壇にデビューした。デビュー以来、熱狂的なファンの指示を集め、一躍文壇の寵児となるものの、筆を折り、行方を
そして、次に彼が現れた時は、新興宗教の教祖としてであった。
甲乙龍之介の掲げた理想世界。宮沢賢治の『イーハトーヴォ』の現出。全ての小説家達の描いた世界観が合体した『
甲乙龍之介は『
その結果は、明王 乃白瑠を中心とした『
疑問を抱くベルトリー達は、恐らく掛かってくるであろう交渉の電話を待っていた。
そして、その電話が掛かってきたのは、午前10時を回っていた。
逆探知の用意。5回目のコールを待って、警部が合図をする。受話器を取るのは、セランヌ家の執事であるクリストファーだ。
「は、はい、もしもし」
震える声。
〃……用件はわかっていますね〃
その電話の声は、壮年の男のものであった。
小桜はハッと顔を上げる。
〃手短に言いいます。そこに、日本のベベルゥ=モードの方々が居る筈です。そう、ベルサトリ=ウィズダムに伝えて下さい。眠り姫は『想像世界』で、お前の事を待っている、とね。彼女の娘を頂いた訳も、全ては彼女に聞いて下さい。それでは……〃
そこで電話は切れた。
「もしもし?! もしもし?! アッ!」
受話器に向かって声を張り上げる執事から、それを奪ったのは、
「龍之介?! あたしよ! 小桜よ! お願い返事して!」
ツー ツー ツー。
小桜だった。
愕然と項垂れる小桜の肩を、ベルサトリが優しく抱いた。
「それにしても誘拐の目的だ。金の事は一言も言い出さなかった。こう言っちゃ悪いが、セランヌ家は没落貴族。サー・レガルス=セランヌが一年前に亡くなってからは、彼が経営していた貿易会社の経営も逼迫している。それに、彼は国際的な保険会社の誘拐保険の請負人、シンジケートのメンバーだった。何でも、世界で誘拐されているのは、その誘拐保険に加入している子供達ばかりだったという事で、彼もその請負をしなければならなかったのだ……」
これは、片眼鏡の老紳士の分析だ。
「では、営利目的ではないと?」そう言って、エクソシストがコーヒーを啜る。
「恐らく金が目的ではないのだろう。性的悪戯に、快楽殺人」と、片眼鏡の老紳士が言う。
「やめて下さい!」
楓が耐えられないといった表情で耳を塞いだ。
「営利目的でないとすると、これは模倣犯によるものか? この一連の、全世界に於ける百件の誘拐事件にしてみても、模倣犯によるものと考えられる事件が少なくとも一割はあると、インターポールの報告にあったぞ」
そこで、ベルサトリが執事のクリストファーに尋ねた。
「では、確かにその男は私の名前を出して、『想像世界』でユラリアが待っていると言ったんですね?」
「然様《さよう」です」
考え込むベルサトリ。
「編集長」と、乃白瑠がベルサトリの正面を向く。
「乃白瑠君の言いたい事はわかる。恐らく、ユラリアが一週間も眠り続けているのは、彼女の魂が『想像世界』へトリップしているからだろう。恐らく彼女は、一週間前に我々が梶瓦麗人と戦っていた時、その様子を閻魔王庁で見ていたのだろう」
「やっぱり!」
「そうと解れば、やるべき事は一つだ。問題は……」
そう言葉を濁すベルサトリ。視線の先に居たのは、小桜だった。今の彼女の精神状態を考えれば、置いていった方がいいだろう。ダイブする為の精神集中が持続出来ないからだ。 だが、そのベルサトリの心配は無用だった。
「心配いりません。編集長。私も行きます」
「しかし……」
「先程はお見苦しい所を見せて申し訳ありません。一年前に、彼の事はふっ切れています。大丈夫です。私もダイヴします」
ベルサトリは、小桜の両肩に手を置く。
「わかった」
黙って頷く小桜の悲壮な決意が、彼女の瞳に灯火となって灯っていた。
第八話 了
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