第7話 悪魔のオラクル



「乃白瑠さん。タントラ性魔術ってどんな事をするんですか。不動の明皇であるあなたなら、同じ密教の事、ご存じでしょう?」


「うん……。だけど、ちょっと……」


 言葉を濁す乃白瑠。その会話を脇で聞いていた小桜が答える。


「条件に合った髑髏を手に入れたら、その前で美女とナニをするのよ。そうすれば、本尊が現れ、忽ち神通力じんつうりきを得る、というわ」


「神通力? 神の託宣、オラクルか?」


 皆が主治医の唇を見つめた。


 寝台の上に、胎蔵界曼陀羅が敷かれている。小桜の言葉に、吐き気を催した楓が、


「乃白瑠さん……、いいですか。私、ちょっと気分が……。ウッ!」


 そう言って、楓は地下室の階段を駆け登る。

 髑髏を祭壇に戻したベルサトリは、皆の方へ向き直る。


「此処にユラリアの体を検査した主治医の方はおられますか?」


 その言葉に、片眼鏡の男とは違う、品の良い初老の男が手を挙げる。


「私だが」


「私とてユラリアの名誉を守りたい。しかし、事は一刻を争います。その検査結果を正直に話して頂けませんか」


「それは、どういう事ですかな」


「ユラリアの血液検査の結果ですよ。彼女は麻薬をやっていましたね。タントラ性魔術では、阿片等のドラッグを使い、精神を日常世界から解放してから、『五摩字』を実践したという……」


「何だと?! そんな事は我々は聞いていない!」


 片眼鏡の老紳士が目を剥いて声を荒げる。


「そ、それは……」 


「主治医であるあなたの立場、そして名門セランヌ家の家名を辱めない為の配慮であった事はわかりますが」


 ベルサトリに告白を促されたユラリアの主治医は、暫しの沈黙を守った後で言った。


「……わかった。確かに貴殿の言う通りだ。彼女の血液から、麻薬成分が検出された」


 主治医の沈鬱の声音はオブラートに包まれ、皆に伝染するが、一人激昂したのは、片眼鏡の老紳士だ。


「ならば、我々が態々集まる事はなかった! 彼女の昏睡状態も奇行も、全ては麻薬のせいではないか!」


 片眼鏡の老紳士の怒声に、ベルサトリが、


「いや、そうとも言えない。彼女が眠り続けているのには別の理由がある筈だ」


「何だと?!」


「信じたくはないが、ユラリアは此処で鬼子母神の髑髏法を行っていた。一体何の為に? それに新たな問題が浮上してきた」


「新たな問題だと?」


「そう。髑髏法の儀式におけるナニの相手だよ」


「そうか! そいつこそが、彼女が眠り続けている真の理由を知っている!」


「上に行きましょう。此処にはもう用はない」


 そこに主治医の老紳士が、ベルサトリを呼び止める。


「ベルサトリ殿。これは他言無用ですが、あなたのお耳に入れておくべきだと判断して 、お話ししておきます」


「はい。……えっ?! はい、そうですか……」


 悲しそうな表情を浮かべるベルサトリ。

 そして、ベルサトリと乃白瑠達一行は、階段を昇り、リビングへと戻った。

 バタン。

 口許をハンカチで押さえ、洗面所から楓が出て来る。


「ウエップ……。変な事聞いちゃったな。え~と、皆は……、リビングね」


 楓は、急ぎ足で薄暗い廊下を歩く。窓の外はまだ暗い。


「夜はまだ明けないみたいだわ」


 窓の外をちらと見遣った楓が、足を止める。


「!」


 驚愕の表情。人影? 窓の外、庭を横切る、そう人影だった。


「う、嘘?! そんな筈がないわ! あの人が此処にいるなんて!」 


「さぁ、聞かせて貰おう。麻薬の中毒症状ではなく、彼女が眠り続けている訳を」


 ソファーにドカッと腰を降ろした片眼鏡の老紳士が、ベルトリーに説明を求めた。


「その前に。乃白瑠君。この本をちょっと読んでくれないか」


「えっ?! はい!」


 小桜からベルサトリの娘さんの事を聞かされた乃白瑠。

 乃白瑠は、渡された本のタイトルを見て、驚愕する。


「『誘拐犯』! 作者は優城美町だって?! 編集長!」 


「中を読んでみたまえ。丁度栞を挟んであるページだ」


 ベルサトリに促され、乃白瑠はその通りにした。


「ま、まさか! そんな馬鹿な事がある筈がない! 編集長! どういう事ですかっ?!」


 皆には不得要領な言葉が並べられ、小桜は戸惑う。


「乃白瑠君。何をそんなに驚いてるのよ。ちょっと貸してみなさいよ」


 乃白瑠の手から本を引ったくるように奪った小桜が、同じ箇所を声に出して読み上げる。


「え~と・・・。『そこで乃白瑠は、権瓦の足元に底無し沼を出現させた?』。ちょっと何よ、これ! どうして、この『誘拐犯』に乃白瑠君の名前が出て来るのよ! それに、底無し沼が出現したっていうのは、昨日の夕方、乃白瑠君が聞かせてくれた話でしょ?! それがなんで?! 編集長!」


 小桜が説明をベルサトリに求めた。


「これは、ユラリアの筆跡に間違いない。上に書かれた日付を見てみたまえ。丁度一週間前だ。間違いなく、これはユラリアが一週間前の『想像世界』での出来事を見ていた事を意味する」


「でも、一体何処で?! いや、それよりも何でユラリアさんが優城美町先生の『誘拐犯』を持ってるのよ!」


 小桜の素朴な疑問に、執事のクリストファーが答える。


「……実は、奥様とミズ・ヤサシギとは、大学時代の同じ文芸サークルのご友人同志と聞いております。一週間前に、丁度お電話を頂き、奥様のご病気の事をお話し、つい昨日も、こちらからご心配なさらぬようにと、私からお電話を差し上げた次第です」


「そうだ! 僕が編集長と先生の自宅に伺った時、国際電話で話していた!」 


「そう言えば、優城先生も東平大文学部出身だったわね」


 小桜が顎に手をやり、頷いた所に、バタバタと足音を立てて、リビングに駆け込んで来たのは、愛王 楓だった。


「ハァ! ハァ! ハァ! 乃白瑠さん! 小桜さん! 聞いて下さい!」


「どうしたんですか、楓さん! そんなに慌てて」


「ハァ! ハァ! わ、私、見たんです!」


「何をですか?!」


「り、龍之介さんです! 甲乙龍之介さんを、見たんです!」


 小桜は、楓に駆け寄り、両肩を揺さぶる。


「何処で?! 何処で見たの?! 楓ちゃん!」


「裏庭の方です! お墓を前にして、寂しそうに立っている所を見たんです!」


 それを聞いた小桜は一目散に玄関へと走り、外へ飛び出した。


「ウィズダム殿! リューノスケ・コウオツとは、《象魔大戦》を引き起こすきっかけを作った、あの男の事か?! しかし、あの男は貴殿らの手で消去された筈だっ?!」


 大戦に参加したエクソシストが声を荒げる。


「いや! 消去した訳ではない! 神上がりさせただけだ! 彼の荒魂を!」


 その時、余りの大音量の声に驚いたミラルが目を覚ました。


「ウヮーッ!」と、頭を抱えて怯えを見せるミラルの叫びが部屋中に響く。


「乃白瑠君! 我々も行くぞ!」


「楓さん! 君はミラルちゃんを見てて!」


「はい!」


 乃白瑠の指示通り、リビングに楓は残り、残りの人間全てが裏庭へと向かう。

 物語り上で勇者に倒された怪物達の悲しき墓標……。

 無数の十字架が、辺りの静謐に酷く無機質な無限の広がりを与えている。

 乃白瑠達は、急いで小桜の後を追い、裏庭へ。

 だが、そこに甲乙龍之介の姿はなく、十字架の一つに縋り付き、声を出して泣いている、甲乙龍之介の曾ての恋人、萩尾小桜の姿があるだけだった。

 その十字架に記された名前は。


 Ry nosuke Kootsu……。


 ベルサトリと乃白瑠達は、黙ってその光景を見守るしかなかった。

 と、ベルサトリが、傍らに居た執事に訊く。


「クリストファーさん。彼女の奇行が始まったこの半年の間に、この屋敷に出入りしていた男はいましたか?」


「はい」


「その男とは?」


「この屋敷に住み込んで頂いている、ミラル様の家庭教師です」


「今、その男は何処に?」


「それが、一週間前から行方知れずでして……」


「ま、まさか、その男が甲乙龍之介さんだって事は……?」


「写真でもあれば、わかるのですが……」


 執事のクリストファーの言葉に、ベルサトリは嗚咽する小桜の許へと足を運ぶ。


「小桜君。いつも君が肌身離さず持っている、彼の写真を貸してくれないか」

 小桜は黙って、その甲乙龍之介の色褪せた写真を胸ポケットから取り出し、ベルサトリに渡した。ベルサトリは、受け取ったその写真をクリストファーに渡す。


「っ! ま、間違いありません! この男です!」


「何だって?!」


 乃白瑠は思わず叫んでいた。それはそうだ。《象魔大戦》で、甲乙龍之介は、乃白瑠と我王が変身した剣龍童子により、倒された筈なのだ。それが、この英国に現れただと?! そんな筈はない! 乃白瑠は心の中で繰り返し叫んでいた。


「では、あのリュウノスケ・コウオツが、ミズ・セランヌが行っていた性魔術の相手だと言うのか! フン! 《象魔大戦》で夫であるセランヌ卿を失って、女というものには貞操観念というものはないのか! ふしだらな女だ!」


 エクソシストを睨めつけるベルサトリを他所に、エクソシストが声を張り上げる。


「それに、リューノスケ・コウオツとは、『想像世界』をメチャメチャにした、日本出身の大悪人だぞ?! ハッ! 彼女の相手には相応しいという事か!」


 体を怒りで震わせるベルサトリが、エクソシストに向かって、

 バキッ!

 違う。ベルサトリではない。エクソシストの顔を殴りつけたのは、他でもない。甲乙龍之介の名が記された墓標に縋り付いていた萩尾小桜だった。

 と、その時だ!


「キャーッ!」


 夜明け間近の夜気を切り裂く、女性のかん高い悲鳴。


「ハッ?! 楓さんの悲鳴?!」


「屋敷の中だぞ! 急げ!」


 片眼鏡の老紳士が叫ぶ。

 乃白瑠を先頭に屋敷の中へと飛び込む一行。皆はリビングへと向かう。


「どうしたんですか?! 楓さん!」


「ノ、乃白瑠さん! ミラルちゃんが! ミラルちゃんが!」


「ミラルがどうしたんだ! 楓さん!」


 今度はベルサトリが楓の両肩を激しく揺さぶる。


「そ、それが! 黒覆面をした男の人達が突然入って来て、ミラルちゃんを!」


「どっちへ逃げた!」


「う、裏口の方へ!」


 駆け出すベルサトリ。心の中で純粋無垢な少女の名を呼ぶベルサトリ。

 だが、彼が裏口に到達すると、開けっ放しになった裏口の扉が、風に揺られてギシギシと泣いていた。   

 そして、夜が明ける……。



第七話 了

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