第5話 川を渡る牛

 


 乃白瑠と小桜と楓の3人は、新東京国際空港で一足先に待っていたベルサトリ=ウィズダム編集長と落ち合うと、機上の人になった。


「あのぅ、乃白瑠さん。本当に私もついていって良かったんですか?」


「え、大丈夫、大丈夫」


「我王君も、連載漫画の締め切り間近でこれないっていうしね」


 そう言って、小桜がワイングラスを傾け、芳醇な香りのする濃厚な液体を喉に流し込む。


「任せて下さい! 実を言うと私、文才よりも絵の方が才能あるんです! 絶対、格好の良い『剣撃大王』を書いてみせますから!」


 楓はドンと胸を叩いてから、思い出したようにバッグから乃白瑠から受け取った小説を取り出して、読み始めた。

 小桜は窓側の席に座る編集長へと視線を送る。


「……で、編集長。今回の依頼は?」


 テンガロンハットを目深に被り顔を隠していたベルサトリは、黙って腕組みしていたが、


「それは、向こうについてから話す」


 言葉少なにそう言うと、暗闇の雲海に視線を投じた。





 乃白瑠ノベル達の行き先はファンタジー小説の王国、英国だった。

 編集専門会社ベベルゥ=モードのPCに依頼が書き込まれたのが今日の午後6時。

 成田発20時の便に搭乗し、時差9時間の英国のヒースロー空港に乃白瑠達が到着したのは、現地時間で三更(深夜0時)を回った頃だった。


 四人が向かったのは、オックスフォードだった。


 ロンドン~オックスフォード間は、『インターシティー』と呼ばれる都市間を結ぶ急行列車が走っているが、彼らは、ヒースロー空港からの最終の直行バスに乗る。





 -オックスフォード。


 ロンドンの西北西約80㎞に位置する都市である。オックスフォード県の県都で、かの有名なオックスフォード大学の所在地である。

 オックスフォードとは、川(ford)を渡る牛(ox)の事であり、伝説ではサクソンの王女フライズワイドが創建者とされ、W・R・M・モーターズという自動車メーカーの工場がある事でも有名だ。

 乃白瑠達はバスの停車場からタクシーに乗り、ウスターカレッジを左にウスターストリートを走り、ウォールトンストリートへ。テムズ川(アイシス川)に架かるレインボーブリッジを渡り、セント・マーガレット教会から二十分程走った所にある古びた屋敷の前でタクシーを降りた。

 鬱蒼うっそうとした森に囲まれ、中世の城を思わせるような外観。そして何より、この屋敷を不気味に思わせているのは、庭に据えられた無数の十字架・・・・・・。

 ベルサトリが呼び鈴を鳴らすと、ややあって扉は開かれた。出て来たのは執事だろう。


「お懐かしゅうございます。ウィズダム様。お待ち申し上げておりました」


「お久しぶりですね。クリストファーさん」


 すると、テンガロンハットを脱いで礼をするベルサトリの姿を見つけた、一人の可憐な少女が駆け寄って来た。


「ミラル!」


 ベルサトリは、腰を屈めて両手を広げ、そしてその少女を抱き締めた。

 泣きじゃくり、ベルサトリにしがみつく少女。その名をミラル=セランヌと言った。


「落ち着くんだミラル。いいね」


 何も言葉を発しないその少女のまなじりからこぼれ落ちる真珠の粒を、ベルサトリは拭ってやる。フランス人形を思わせる可憐なその少女は、漸く落ち着きを取り戻した。

 彼女の華奢な腕に付けられた無数の痣に気づくベルサトリ。

 執事に案内され、乃白瑠達はリビングに通された。そこには、世界中から集められた、名だたる医者、そして霊媒師達が集められていた。プロテスタントの英国でありながら、ローマ・カトリックの総本山、ヴァチカンからエクソシストも派遣されていた。

 乃白瑠達の姿を認めた、片眼鏡を掛けたいかにも博士という感のある老紳士が口を開く。


「ほう。この方々が最後の切り札という訳ですか」


 ベルサトリはそれを無視して、豪奢なソファーに身を沈める。そして、執事に詳しい説明を求める。幼い少女、ミラルは、ベルサトリの脇に座っている。


「依頼内容はインターネットの書き込みで理解していますが、詳しく話して下さい」


かしこまりました」


 執事はそう言うと、話し始めた。


「ファンタジー小説が盛んなこの英国で、奥様もそのファンタジー小説の虜になられた一人でした。そう、……あれは半年程前の事でした。



 奥様は、可哀想、可哀想、と言いながら、お庭に墓を造り始められたのです。私共が『何のお墓でしょうか?』とお尋ねしたところ、


『小説の中に出てくる、主人公である勇者に倒された怪物達、可哀想な私の子供達のお墓よ』


 と申されたのです。そして莫大な資金を投じて何百匹もの怪物の葬式を教会で挙げたのです」


 勇者に倒されたモンスターのお葬式を挙げる女性? それは今正に乃白瑠が新人賞向けに書いている『葬儀屋 ランちゃん』の骨子になる設定だった。

 思わず乃白瑠の顔を見る楓。執事は更に話し続ける。時間は既に深夜4時を回っている。「可哀想なあの子達の為にと朝夕と食事を何十人分も作らせたりと、奥様の奇行はそれだけに留まりませんでした」


「ミラルへの虐待もですね」


 いつの間にか側でベルサトリの膝で眠ってしまったミラルを確認しながらベルサトリは言った。ミラルの腕の痣の正体。


「は、はい……」


 執事は身内の恥を晒すかのような、困惑の表情で頷いた。


「ミラルは自閉症にでもなってしまったのですか?」


「……はい、自ら心を閉ざしておしまいになったのです」


「……」


 楓が寝息を立てているミラルの穏やかな寝顔に、慈しむような視線を投げる。


「そして、一週間前の事です。朝、いつまでたってもお目覚めにならない奥様を、私共が発見致しましたのは……」


「眠りから醒めない?」


「はい。まさに童話の『眠り姫』のように、今日まで一週間眠り通しなのです」 

 執事のその言葉を聞いて、ベルトリーは顎髭に手をやる。


「それで」


「大学病院の先生、果ては霊媒師、エクソシストまでに奥様を診て頂きましたが、原因は全く不明という事でした。そこで、ミラル様があなた様方の事を思い出され、藁にも縋る思いで、あなた様方にお願いしたという訳です」


 ローマ法皇庁から派遣されたエクソシストが、眠気覚ましのコーヒーを啜ると、乃白瑠を見て鼻をフフンと鳴らす。


「その首から掛けられた十字架の形をした剣型の万年筆……。君が『象魔大戦』で

『善化想像国家』連合に勝利を齎した、不動の明皇あみとお見受けした。お手並み拝見といこうじゃないか」


「は、はい……」


 圧倒的な威圧感をもって相対するそのエクソシスト達に気後れしていた乃白瑠。


「乃白瑠さん! しっかり! 私達で何とかしましょう!」


 楓に励まされ、乃白瑠は心を持ち直す。


「はい。わかりました。とりあえず診てみましょう」


 そう言ってベルサトリは立ち上がる。そして、小桜、乃白瑠、楓、執事を伴い二階の寝室へと向かった。

 その寝室で、曾てはこの一帯の領主であったセランヌ家の当主、今は亡きレガルス=セランヌ男爵に嫁いだユラリアは、永遠とも思える程の深い眠りについていた。


「ユラリア……」


 麗しい程の美貌。傾城の、絶世の美女と謳われるであろう、金髪の眠り姫がそこに居た。 その時、ベルサトリの呟きを耳にした小桜が、


「ユラリア=セランヌ……。何処かで聞いたような。ねぇ、楓ちゃん?」


「そうですねぇ。ねぇ、乃白瑠さん?」


「ハァ、そう言えば……」


「ハッ?! 何ですって? 編集長! もしかして彼女は-」


「言うな!」


「!」


 ベルサトリの顔には危機迫るものがあった。天蓋つきのベッドの脇の椅子に腰掛け、ユラリアの手を握るベルサトリ。


「……私が、まだ学生の頃。私と私の妻、そして彼女、ユラリアとその夫のレガルス、オックスフォード大学の『トールキン研究会』の仲間でね」




第五話 了

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