第4話 オランス ~祈る人~
乃白瑠は1DKの畳の部屋の真ん中の炬燵に入り部屋を見回す。窓は北向き。冷暖房なし。恐らく相場からいって家賃4、5万というところだろう。旅行の土産物なのか、アフリカの民芸品やら何やらが飾られ、ベッドの脇には多くのブランド物の洋服が所狭しと掛けられている。
暫し一同の沈黙。気まずいその雰囲気を破り、楓が、
「あの、小桜さん。これ、この間のお礼です」
楓は、小桜にリボンの掛かった小箱を手渡した。小桜は気恥ずかしそうに上目遣いで乃白瑠と楓を交互に見ると、視線を小箱に落として早速その包みを開けた。
「こ、これ! ティファニーのブローチじゃない! これ前から欲しかったのよぉ!」
先程の表情とは打って変わってパァーッと表情が華やぐ。
「そうですか! 喜んで貰って私も嬉しいです!」
「で、乃白瑠君も何か貰ったんでしょ? 何貰ったのよ」
「僕は万年筆ですよ。OMASのドクターペンの復刻版」
「それって、乃白瑠君がカタログ見ながら良いなぁってぼやいてたやつよね。確か定価120万円、今じゃプレミアが付いてその5、6倍はするっていう! 一体この差は何?!」
ブローチを放って、両手を広げて疑問を投げかける小桜に、楓は、
「アハハハッ。それはそのぉ……」
「わかった! 楓ちゃん、
「ブッ?! そうなんですか?!」
小桜が容れたお茶を吹き出し、楓の顔を見る乃白瑠の声が上ずる。
「いえ! 違いますよぉ!」
頬を紅潮させて、鼻先で右手をパタパタ振って否定する楓の様子にがっくしきた
「どうしたのよ、乃白瑠君。否定されて落ちこんじゃったかなぁ? この間の一件で
「それもありますけど……」
「小桜さん、実は、一週間前の依頼の件で、編集長と何かあったみたいなんです」
「へぇ……」
小桜は、乃白瑠の背中を思いっきり叩いた。
「しゃきっとせんかい! このお姉さんに全てぶちまけちまいな!」
「小桜さん……」
乃白瑠は例の『誘拐犯』の一件、小桜がトリップアウトした後の事を話し始めた。
「そう、そんな事があったの……」
「あの時の編集長の形相には鬼気迫るものがありました」
と、楓がその時!
「キャァ! ゴキブリ!」
「えりゃ!」
小桜が炬燵の上にあったファッション雑誌を丸める。
「ダメだ! 小桜さん! 潰しちゃ!」
「なんでよ!」
「生き物を殺すと、殺した人に取り憑きます!」
「本当?!」
ひくひくひく。
「わかったわよ!」
小桜さんは、ゴキブリの活動を見守った。
「まぁ、無理もないわね。編集長にもあれ位の娘さんがいるからね」
「エッ?! 編集長って結婚してたんですか?!」
「正確には結婚してた、だわよ。離婚したのは3年前。丁度私達が出会った頃ね。その時娘さんは2歳だったから、今は5歳になるかしら」
「だから、幼女誘拐犯の梶瓦をどうしても許せなかったんですね。数年前の事件じゃ、婦人会だったかPTAの会長が東南アジア系の美少女の誘拐殺人事件で逮捕されてますよ。その女の子が通っている学校がある市内在住だったようですね」
「保護者会の会長だったり、婦人会の会長の子供だったり、先生が買春したり、何か実際の教職に就いている人間の犯罪のもみ消しもあるでしょうね?」
「数年前に書かれた小説で、裏DVDの顧客リスト絡みで、教育省の汚職贈賄事件を書いた推理小説では、やっぱり教職に就いている人間や、保護者会、婦人会絡みの内部犯行説が一番濃厚だった事件も、過去でもみ消されている事実もあるようよ。内部犯行を隠す為に、地域で身代りでマークされる人間を作って監視させながら、本当の犯人が野放しで犯行を続けているのだから、ただの馬鹿―」
楓がお茶を淹れる。
「子供さんが帰って来て欲しいって、親御さんはいつも祈っているでしょうね―」
「……オランス……。祈る人、か……」
乃白瑠は肩甲骨を剥がす為、両手を広げてタイタニック号の映画の真似をした。
「それで、娘さん達は今何処に?」
乃白瑠にそう訊かれて、小桜は眼鏡を外して答えた。
「アメリカの病院らしいわね」
「病院? 何処かお悪いんですか?」
「百万人に一人の奇病でね。原因も全く不明、治癒する可能性は5%にも満たないそうよ」
「そんな!」と、楓がその円らな瞳に涙を滲ませる。
「乃白瑠君。どうして編集長が《象魔大戦》に参加したか知ってる?」
首を横に振る乃白瑠。
「それはね、『不死身文庫』を捜し出す為よ」
「『不死身文庫』?」
「そう。ユダヤ教で言う『命の書』、道教で言えば、人間の寿命台帳、『命籍』の事ね。その本に名前が記された人間は、復活して、不死身の肉体、所謂『天使体』を得るというわ。編集長は『想像世界』の何処かに隠されたその『不死身文庫』を捜し出して、娘さんの名前を書き記すつもりなの」
「そうだったんですか。でも、編集長が非承認を出すなんて、あれが初めてですよね」
「非承認?」
「楓さんには説明しなかったけど、僕は不動の
「不動の明皇? 『剣撃文庫』?」
全くチンプンカンプンの楓に小桜が説明する。
「まず、説明するとね、乃白瑠君の御先祖は、聖徳太子様な訳よ」
「聖徳太子ですか? でも聖徳太子の一族って、西暦643年に蘇我入鹿に攻められて、集団自決したんじゃ……」
「歴史上ではね。けど太子様には
「ええ。そして、明王家は平安時代に弘法大師空海の手によって十二家に別れ、夫れ夫れ、不動明王、金剛夜叉明王、軍荼利明王、降三世明王、大威徳明王、無能勝明王、大輪明王、歩擲明王、愛染明王、太元帥明王、孔雀明王、烏枢沙摩明王を祀ってたんです」
「乃白瑠さんの家が不動明王の家柄なんですね」
「ええ、そうなんです。それで、僕は家に代々伝わる剣型の万年筆で、『大銀河文庫』から貸し出された『剣撃文庫』に文章を綴って、その本に宿っている聖霊、『剣撃大王』を召還して敵と戦うんです」
「文章が現実化するんですか?」
「そう! 『剣撃文庫』の作家である僕が文章を書いて、小桜さんが校閲し、編集長が承認する、という過程を経てね」
「それで、編集長さんが承認を拒んで、乃白瑠さんと意見が合わなくなったんですね」
「そうなんです」
乃白瑠は落ち込んだ声音で言葉を沈黙の渦に流し込んだ。皆が押し黙る。そして、
「う~ん! でもこれは由々しき事態よ。作家と編集者と編集長は、三つにして一つ。つまり、キリスト教流に言えば、三位一体なのよ」
「三位一体ですか?」
「そう。フロイトの精神分析から引用すれば、『作家-編集者-編集長』の関係は、
『イド-自我-超自我』に例えられるわね」
「どういう事です?」
「いい? 楓ちゃん。イドとはリビドーの貯蔵所。これは、欲望、本能のままに文章を書く小説家の事。自我とは、その作家と現実との調整機関である編集者の事ね。そして、超自我とは、イドの働きを規制し、不道徳な欲求を抑圧する検閲者としての上位自我。社会的規範が内面化された良心と言う事が出来るわね」
「なるほど」
「いつもなら、外界とイドと超自我を融和させる自我-編集者の私がいるからいいんだけど、あの時は私がトリップ・アウトしていなくなっちゃったでしょ。その調整が上手くいかないと、人間の場合、神経症状を生ずるように、三位一体の連携が崩れるのよ」
「小桜さんの立場ってすごく重要なんですね」
「ク~ッ! 楓ちゃん良い事言うわね! 作家と編集長との板挟み。中間管理職みたいなもんだから、こうして胃薬が手放せないのよ。特にダメ作家の担当になったら……」
ジト目で乃白瑠を見る小桜。
「エヘヘヘッ」
と、その時だ。小桜の携帯電話の着メロが鳴り出した。ジョン・レノンの名曲、『イマジン』だ。
「はい。あ、編集長。……はい、えっ? 今からですか? はい、乃白瑠君も一緒です。わかりました。成田へ向かいます」
携帯を切る小桜に、二人の視線が集まる。
「皆、仕事よ」
第四話 了
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