5.激突!

 カマボコアバターは、なんのひねりもなくカマボコそのものだ。練った魚肉を板に乗せて蒸した食料品カマボコ――誰もが連想するあの形を、そっくりそのままアバターにした。


 プレイヤーの操作に必要な手足は、板から生えている。棒きれのように細い腕と足、先端の手と足先だけが大きい。まるでオモチャかカートゥーンといったところか。遠い昔に流行った、ゆるキャラ然とした造形だ。


 紅白に分かれる表層の色をどうするかずいぶんと迷ったが、最終的にカッちゃんは紅を選んだ。どうせなら突き抜けようと思い、よりカマボコらしい着色にこだわった。おかげで試行錯誤の末に完成したアバターを最初に見たときの感想は、「おいしそう!」――おいしそうなカマボコができあがった。


「フン、お出ましか」


 児童公園で拳法着の白猫とカマボコが対峙する。

 先ほどまでとアバターが変わっても、イカルガ丸は気にする素振りをみせなかった。やはり手の内を知られていたようだ。


 人型とかけ離れた特異なカマボコ形態も、対策済みと考えるのが妥当か。驚いているスキに一気に攻め込む作戦は、うまくいきそうにない。冷静に対処されれば、経験の乏しいカッちゃんのほうが押し込まれるのは目に見えている。

 いまさらながら緊張が胸の奥に芽生え、息苦しさをおぼえた。グルグルと頭を駆け回る迷いが、思考をにぶらせていく。


 そこに、『カッちゃん、聞こえる?』と、いきなり耳元でタンチキの声が響いた。

『これ、ちゃんとつながってるんだろうな。ミスってる時間ないぞ』


 つづけてトモPの声がした。慌てて周囲を見回すが、二人の姿は見当たらない。外から中継で観戦することはできるが、対戦者以外がステージに入れない仕組みと聞いている。


「ど、どうして声が聞こえるんだ……」

『ああ、よかった。ちょんと接続されてた』タンチキの安堵の声が、またも耳元で発生した。『ちょっと裏技を使って、カッちゃんとこちらの音声システムを同期させた。勝負がはじまったら話す余裕はないだろうけど、これで応援は送れる』


 チーム戦がメインのゲームでは、通信回線がデフォルトで組み込まれている場合が多い。争いの火種となることもあるので、定型文のみを送れる仕様のゲームも存在した。

 しかし、通信可能な格ゲーというのは聞いたことがなかった。一対一で戦う格ゲーに不必要な機能であることを考えると、裏技発言はまんざら冗談ではないのかもしれない。


『カッちゃん、リラックスするんだ。たとえ手の内を知られていても、落ち着いて戦えばそう簡単にやられることはない。これまでの練習でつちかってきたものは、けっしてムダじゃないはずだ!』


 タンチキが熱の入った激励を飛ばす。まるでスポコン物の1シーンのようだ。それだけ本気ということが、充分に伝わってくる。

 こちらから教えを請うたわけだが、他人の果たし合いに、なぜここまで熱心になってくれるのか?――そんな疑問が脳裏をよぎるが、いまは考えないことにした。


「わかりました、がんばります!!」


 カッちゃんは気合いを入れて、正面に立つイカルガ丸に顔を向けた。


「そろそろいいかい?」

「ああ、準備はできた。いいよ」

「では、はじめるとするか。時間無制限一本勝負だ!」


 イカルガ丸の宣言と同時に、公園で遊んでいた子供のモブキャラが一目散に逃げだした。そういう演出のようだ。

 同時に、対峙した二人の間にカウントダウンが表示される。


 3……2……1……Lady Fight !


 開始を告げる警笛のような効果音が鳴り響く。イカルガ丸はタイミングを合わせて突進――軽やかなステップで踏み込み、パンチのモーションに入った。

 カッちゃんはすぐさま反応し、大きく後方に飛びのくことで距離を空ける。さんざんイメージキャンセラの練習を重ねてきたが、確実に決めないことには不発してスキを生む。

 小柄な白猫アバターが相手なら、間合いを維持しつづければ攻撃が届くことはない。


 だが、充分な距離を置いて安全圏にいたはずのカッちゃんに、予想外の衝撃が走った。軽くのけ反り、たたらを踏む。ハッとして体力ゲージを見ると、目盛りが見る間に減っていく。

 慌ててイメージキャンセラを発動しようとしたが、混乱と焦りでうまくいかない。一瞬にしてカッちゃんの体力は、三分の二奪われた。カウンターが乗らなかっただけ、ラッキーと思うべきだろうか。


『あいつ、手が、手が伸びたぞ!?』

『違う、あれは袖。折り込んでた袖を、パンチの勢いで押し出したんだ』

『袖にまで当たり判定あんのかよ。そんなのズルだろ!』


 トモPとタンチキのやり取りで、ようやく何が起きたのか理解できた。


『衣装もアバターの一部なんだ、ズルじゃない。それを見抜けなかった……わたしの、ミスだ』


 悔やしそうなタンチキの声が耳元で響く。深い落胆の吐息まで伝わってきた。

 師匠として、この奇襲を見逃したことをよほど後悔しているらしい。そこまで落ち込まなくても、いいのに――と思うものの、カッちゃんに気づかう余裕はまったくなかった。


『と、とにかく相手の射程を甘くみないこと。どれだけ離れてても、当たると思って対処して!』


 イカルガ丸が再び間合いを詰めてくる。

 ビクッと肩を震わせ、カッちゃんは動揺しながらも身構えた。もう一発食らうと、そこでゲームオーバーだ。

 白猫の肉球がペタンと地面を踏みしめてパンチの挙動に入るが、途中でキャンセル。フェイントか、それとも余裕からくるたわむれか、どちらにしろカッちゃんの精神はもてあそばれる。


 緊迫した状況に耐え切れず、ハッと荒い息をついて、口にたまったツバを飲み込んだ。のど仏が上下する動きは、当然ながらのど仏のないカマボコアバターには反映されない。


『カッちゃん、迷っちゃダメだ。フー・ファイトは迷ったほうが負ける』


 あらゆるゲームに当てはまることだが――自分のやりたいことを押しつけて、相手のやりたいことを潰す。それが兵法というもの。わかってはいるが、わかっているからといって簡単にできることではない。

 しかし、手をこまねいていては後手に回るだけだ。カッちゃんは勇気を奮い立たせて、棒きれのような足を一歩踏み出した。


『行った!』と、トモPが叫ぶ。

 その声に後押しされるように、一気に加速してカマボコの短い手が届く距離まで迫る。相手がやりづらい形状として決めたカマボコアバターだが、その形状ゆえに攻めづらいという欠点もあった。

 タンチキとの特訓である程度は習熟したが、どこまで実戦で通じるか、やってみないことにはわからない。


 カッちゃんは全力のパンチを放つ――と言っても、叩きつけるような強力なパンチではなく、ボクシングでいうところのジャブだ。これが、フー・ファイトでは一番効率がいい。

 パワーよりもスピードがすべて。何度も何度も、現実でシャドーボクシングまがいの練習までした必殺の弱パンチである。


『あちゃー、空振り』


 それなのに、あっさりとさけられた。届かなかったといったほうが正確か。

 イカルガ丸はバックステップで、悠々と拳から逃れた。さらに反撃のオマケつきだ。

 手を側面から回し打つ単純な攻撃である。長い袖が後を追うので、手は届かなくなくとも袖の分射程距離は伸びた。


 紅色のカマボコの表層に、ペチンと袖が命中した。固さにこだわったカマボコがプルンと揺れ、体力ゲージは容赦なくゼロに減っていく。

 この一撃は――想定済み。素人が簡単に攻め込めるとは思っていない、狙うは反撃の反撃だ。カッちゃんはすかさずイメージキャンセラを発動させる。


「なにッ?!」


 イカルガ丸は目を見開き、驚愕の声をもらす。

 一度は最後まで減りきった体力ゲージが、一瞬の間を置いて戻っていった。イメージキャンセラが発動したのだ。カッちゃんのアバターは、こんがりと焼き色のついたチクワに変貌していた。


『うまい、チクワになった!』

『チクワってうまいか?!』


 声だけを聞いていると、何がなんだかわけがわからない会話だ。


『チクワも魚肉の練り物。材料はカマボコに近く連想しやすい。イメージする食材としては絶妙だ』

『わかるようなわからないような……やっぱりわからん!』


 チクワアバターに変形したカッちゃんは、イメージキャンセラが解除される前に素早く次の行動へ移る。弾性のあるチクワをしならせて、頭突きの要領で叩きつけた。

 衝突の瞬間、イカルガ丸は冷静に両手を交差させて防御ガードする。ほんの少し体力ゲージは削れたが、成功したとは言いがたい。


 しかし、それこそがカッちゃんの狙いだった。通常防御では発生しないが、体力ゲージを削れる大技のガードモーションに入ると、わずかに硬直する設計になっていた。時間にして1秒未満――10フレームほどだろうか。


 そのスキを突いて猫アバターをつかみ、持ち上げて地面に投げつける。イメージキャンセラに頼る上級者ほど、ガード硬直は狙い目だとタンチキに教わったコンボだ。

 投げは打撃よりもダメージ効率が高く、一撃必殺が起きやすい。投げのモーションが決まったカッちゃんは、勝利を確信する。


 だが、勝負は簡単にはいかない。


「えっ、そんな――」


 投げたイカルガ丸は猫ではなかった。そこにあったのは、なんとネジだった。

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