2.タンドリーなチキン

「おい、連れてきたぞ」


 トモPが声をかけると、そのニワトリは腕組した姿勢のままゆっくりと顔を向けた。かなり近くまで来ていたのでわかっていそうなものなのに、まるで気づいていなかったかのようなリアクションだ。


「ああ……」と、クチバシから発せられたとは思えない低音の渋い声が響く。音声変換ソフトを噛ませた声だろうか。


 ニワトリのギョロッとした目が、スッと滑るようにカッちゃんをとらえた。にじみ出すハードボイルドな雰囲気に、思わずたじろいでしまう。

 見た目は凶暴そうな狼男の外見で、情けなく愛想笑いを浮かべて会釈した。


「ど、どうも、カッちゃんです」

「キミが、トモの言っていたフレンドか。ワ……ワガハイは、“タンドリーなチキン”だ」


 独特な名前にも驚いたが、それ以上に驚いたのは一人称だ。と語る人物が実在したことに、心底度肝を抜かれた。

 ニワトリの態度に冗談めかしたところはないので、どこまで本気かいまいちつかめない。


「おい、。引き受けてくれるんだよな」

「かまわないが、ただし、一つ条件がある」

「はあ、急に何を言いだすんだ。条件ってなんだよ!」


 タンドリーなチキン――タンチキは、もったいぶるようにたっぷりと間を取る。

 固唾を飲むカッちゃんを見て、白い羽毛に埋もれた人差し指をビシッと突きつけてきた。ニワトリ姿はアバターなのだから、人間同様の手があっても不思議なことはないが――やはり妙な感じがする。


「フー・ファイトのことを教わりたいなら、ワガハイを“師匠”と呼ぶんだ。それが条件だ」

「なんじゃそりゃ」と、トモPが呆れた声をもらす。


 呆気に取られて一瞬尻込みしたカッちゃんであったが――条件としては、覚悟していたよりずいぶんと軽い――多少の抵抗感は胸の奥に沈めて、おずおずと頭をさげた。


「わ、わかりました、師匠。よろしくお願いします」

 タンチキは満足そうにうなずき、勢いよく手を広げてバサリと羽根音を鳴らす。「ああ、こちらこそよろしく、カッちゃん」


 まとった空気感はいたって真面目シリアスだが、だいぶ感覚のズレた人物であるようだ。ただの強面ニワトリでないことがわかって、カッちゃんの強張った体から緊張が解けていく。

 アバター越しでもそんな感情の動きは案外伝わるもので、タンチキの表情が若干ゆるんだ気がした。少なからずタンチキも緊張していたのかもしれない。


「それで、キミはどれくらいフー・ファイトのことを知っている?」

「ほとんど知りません。かなりのクソゲ……クセの強いゲームってことくらいしか」

「まったくの初心者というわけか。まあ、ヘタにかじっているより、まっさらな状態のほうが受け入れは早いかもしれないな」


 どう指導すべきか考えているらしく、タンチキは赤いトサカを揺らしてわずかに首をかしげた。アバターの設定で、トサカはかなり柔らかな素材にしているようだ。レーティング審査の限界に挑戦した、巨乳キャラの乳揺れに近いものを感じる。

 しばらく思案した末に、タンチキはクチバシを突き出すように顔を上げた。


「とりあえず、フー・ファイトについて説明しよう。このゲームは12年前にリングライブに実装された対戦格闘ゲームだ。古いゲームだが、いまもアクティブユーザー数は3000名ほどおり、熱心なファイターがランキング戦でしのぎを削っている。カッちゃんの言うとおり、確かにクセの強いゲームではあるけど、戦闘システムを理解してやり込めば、その面白さはわかってもらえるはずだ」


 熱く語るタンチキを尻目に、冷めた様子のトモPがぼそりと毒づく。「やり込まなきゃわからない面白さって、ゲームとしてどうなんだ……」

 言いたいことはわかるが、教わる手前カッちゃんは同調できない。


 あきらかにムッとしたタンチキと、やけにつっけんどんなトモPの間に割り込み、話を進めることで場をとりつくろう。リングライブ外の知人と思われる二人の微妙な関係性が気になってはいたが、ヤブをつついてヘビが出ては目も当てられない。いまはスルーする。


「やっぱり難しいんですか?」

「難しいというより、シビアと言ったほうがいいかな。フー・ファイトはノーマルな格ゲーと同じように打撃・防御・投げの三すくみになっているんだけど、極端に攻撃力が高くて、弱パンチ一発で体力ゲージの3分の2が削れるほどのダメージを与えることができるんだ。カウンター補正が乗っていれば、一撃で倒すことも不可能じゃない。そんなかたよったバランスをしているものだから、ある程度コツをつかめてないと勝負にならない。初心者同士なら運任せのレバガチャ戦法でやるのもありだけど、果たし合いのゲームに選んでいる以上、相手はそれなりに経験を積んだ上級者だと思う。まともにぶつかったら、絶対に勝てないだろう」


 一気にまくし立てたタンチキは、言葉を区切ると細かく肩を震わせていた。アバターには反映されていないが、現実世界で息を切らしているのかもしれない。


「それじゃあ、ボクはどうしたら……」

「大丈夫、ワガハイが上級者ともやりあえる戦法を教えたげる」


 そう言って、タンチキはモードセレクトのメニューを開いた。浮かびあがった半透明の板状のリストに、いくつもの項目が表示される。

 白い羽根が指し示したのは、『トレーニング』の項目だった。


「まず先に言っておかなきゃないのが、基本となるファイタータイプの選択。これを登録しないと、トレーニングルームにも入れない。ファイタータイプはスタンダード、スピード、パワー、トリッキーの四つ、それぞれの特性がアバターに反映されて戦い方に違いが生まれるわけだけど、そこんとこは忘れてもいい。カッちゃんはとにもかくにもトリッキーを選ぶように」

「師匠、他じゃダメなんですか?」


 素人考えだが、一撃が重いならスピードタイプが良さそうに思える。


 しかし、「ダメ!」と、ドスを聞かせた声でタンチキはきっぱり言いきった。

「トリッキーの特性が、このゲームのシステムと噛み合ってることもあって、ランキング上位陣は全員トリッキータイプなんだ。ちゃんと調べたわけじゃないから正確なことは言えないけど、ランキング100位以内は大体トリッキーだと思う。使いこなすにはテクニックが必要で扱いが難しいけど、勝つためにはトリッキーでいくしかない」


 どれだけバランス調整しても、絶対的な有利不利が生じてしまうのはゲームにおいて珍しいことではなかった。それでも一般的なゲームなら、ある程度は使用状況がばらけるものだ。プレイヤーの好みという価値観は、そう簡単にくつがえせない。


 ゲーマーとしていまいち納得がいかないカッちゃんは、疑問をはらんだかすかなうなり声をもらす。

 タンチキはわずかに肩をすくめて、「やれやれ」といったふうにトサカを揺らした。


「実際経験してみないことには、理解は難しいのかもしれないな。とにかくカッちゃんはトリッキーを選んでみてくれ。他との違いを確認するために、トモはそうだな……スピードタイプでいこうか。動きをまじえて比べてみるのが一番手っ取り早い」

「そうですね、ゲームは自分でやってみないとわからない」


 二人はファイタータイプの選択を終えると、すぐさまトレーニングモードに移行した。

 世界が暗転して、入場口エントランスから白い空間に切り替わる。

 何もない平坦な床に、等間隔のマス目が入ったトレーニングルームだ。アバター像をはっきりさせるためか、自動的に黒い縁取りがほどこされていた。


 いよいよ師匠となったタンチキによる、実戦的な練習がはじまる。

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