85 忘れられない一日
春休みは短い。
それに、新学期から二年生になる私は、もう少ししたら後輩が入ってくることに緊張を覚えていた。
もちろん中学の時もそうだけど、後輩という存在は私をいつも悩ませる。
私は中学に入った時、先輩と絡むのが嫌で誰もいない手芸部を選択して、一人で過ごしていたのだけど中二の時にその手芸部に三人ほど後輩が入ってきたのだ。
そしてすぐに彼女たちに部室を占領され、結局私は居場所をなくして帰宅部となった。
つまり後輩に対してもトラウマだらけだ。
ウザがらみしてくる無邪気な彼女たちが苦手で苦手で仕方ない。
先輩なんだからなにか奢ってとか、先輩なんだから後輩のために頑張ってとか、そういう時だけ後輩という特権を振りかざしてくる彼女たちがすごく嫌だった。
この時期はそんなことも思い出す。
♥
「いらっしゃいませー」
今日も元気にアルバイト。
でも、春休みとあって新しくこの春から高校生になる子や、うちの学校以外の人もたくさん店に訪れる。
忙しいけど随分アルバイトも板についてきて、今では洗い物以外にお店のドリンクを作ることまで許可してもらっている(コーヒーマシンでいれるだけだけど)
やっぱり私ってやればできる子だと調子に乗っていると、見覚えのある面々が店にやってきた。
「あはは、まじ先輩ってあほだったよねー」
「高校にもいるんでしょ?いじめられてんじゃない?」
「わかるー。絶対男とかいないでしょ」
私の中学校の後輩だ。そして彼女たちは私のトラウマの一つ。
幸子ちゃんと律子ちゃん。中学時代から髪を少し染めてやんちゃな風貌だけどすごく美人で、男子からも人気があったと思う。
そしてなぜか私の部活に入って酷いことを繰り返していたヤンキーでもある。
「ぶるぶる」
「氷南さん、どうしたの?」
「あ、あの子たちのところ、お水いいかな?」
「何かあるんだね。うん、いいよ」
怯える私を気遣って泉君が彼女たちのところにいってくれる。
でも。
「いらっしゃいませ」
「えー、かっこいい。おにーさん、高校そこ?」
「え、うんまあ」
「きゃー。まじラッキー。私律子。ねえねえライム教えてよ。てか彼女いないの?」
「い、いるよ」
「そっかー。でもいいや、連絡先教えてよ」
「え、ええと」
なんと泉君がナンパをされている。
しかも不良大学生に対してでも毅然とした態度だった泉君がたじろぐほど、あの二人はグイグイと勝手に話を進めていく。
「あの、仕事があるので」
「何時あがり?待つから」
「お、遅いから。じゃあ」
「まってよー。まだ注文きまってないしー」
忙しい時間帯になんとも迷惑な客だ、なんて感想は私にはない。
……私の泉君を、返せ!
「すみませんお客様、ただいま大変込み合っ”#%$&’」
「え、お姉さんなんて?」
「あうう」
「あれ、もしかして……まどか先輩?」
「へ?」
「えー、やっぱそうだ!うわーめっちゃ痩せてる!どしたんすか?」
「え、ええと」
私は中学時代から随分見た目が変わったのでバレないと思って飛び出したのだけどすぐばれた。
そして彼女たちの前ではやはりまともに喋れない。
二人してどうしたらいいかと戸惑っているところを店長が助けてくれて、私たちは一旦店の奥に引っ込んだのだけど、うるさい声はそこまで聞こえてくる。
「えー、まどか先輩めっちゃ綺麗なってるやんー」
「もしかしてさっきの人の彼女って先輩じゃね?うわー、まじ高校デビュー」
「うっざー。待ち伏せする?ちょっと昔思い出させてやろっか」
「いいねいいね。バイトあがるまで待ってようよ」
こんな物騒な会話が聞こえてきて私は怯えた。
しかもなんとも都合悪くお客さんも捌けていき、店内には彼女たちだけとなり私はどうしたらよいかわからなくなる。
そんな時、泉君がまた彼女たちのところへ。
「すみません、追加の注文はございますか?」
「え、ないけどー。お水ちょーだい」
「……帰ってください」
「は?何その言い方。客なんですけどうちら」
「帰れ。氷南さんの邪魔だ」
「あー、やっぱ先輩の彼氏なんだ。あんなのと付き合うとか趣味わるー。ねーねー知ってる?彼女ってもともとめっちゃブスでデブだよー」
私は裏で会話を訊きながら、もうやめてと泣いた。
店長は何も言わず傍にいてくれたが、私は辛くて泣いた。
大好きな泉君に昔のことを知られたくない。
私はいじめられててデブでブスで陰キャで眼鏡で、そんな自分を知られたくなかった。
でも。
「……昔の氷南さんも知ってる。その彼女も好きだったし今の彼女も好きだ。だから余計なお世話だ」
「……あ、そ。なにそれつまんない。幸子、かえろ」
「う、うん」
二人が呆れた様子で帰ろうと席を立つ。
その時、泉君が最後に一言彼女たちに言った。
「彼女に何かしたら、絶対に許さないからな」
その一言に、何も言わず彼女たちは去っていった。
そして私は腰が抜けながらも、なんとかフラフラと泉君のもとへ。
「い、いじゅみくん」
「氷南さん、もう大丈夫だよ」
「あ、あの……わ、私のこと昔から知ってたのって」
「あはは、昔河川敷で泣いてた女の子が氷南さんだったって知ったのは部屋で写真を見ちゃって気づいたからかっこいいことは言えないけど……でも、あの時からずっと好きだったんだよ俺は」
「え、で、でも」
「まあいいじゃんか。あの子たちが何かしてきたら俺が撃退する。一緒に電車に乗ろうって言ってくれた時から俺は、君を守るって決めたんだから」
「……いじゅみくーん」
鼻水と涙とよだれと。まあ散々な私だったけどぐじゅぐじゅになる私を泉君は優しく慰めてくれた。
店長も気を利かせてくれて、今日は早くアルバイトをあがることになった。
そんな春休みも、もうすぐ終わる。
新しい後輩たちが入学する新学期には、やはり不安が多い。
でも、彼と一緒なら大丈夫だって、強く思えるようになった春休みでもあった。
だから。
「泉君……ううん、名前で呼んでいい?」
「うん。じゃあ俺も、いいかな?」
「うん。しゅ、しゅうくん」
「あはは、呼び捨てでいいのに。新学期もがんばろうね、円」
「うん!」
一年かけてようやく名前で呼んでもらえた。
多分記憶力の悪い私でも、今日のことは一生忘れないと思う。
そんな一日だった。
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