49 もしこうだったらなんて


「泉君、私……」

「氷南さん……?」


 気持ちが大爆発寸前。もう止まらない私は彼に迫る。


「そっちいっていい?」

「う、うん」


 またキスをしようと、私はそっと彼の顔に近づいていく。



 

 しかしその時だった。


「ただいまー」


 玄関からお母さんの声が。


「あ、おばさん帰ってきた、よ?」

「……ちょっと待ってて」


 今日は泉君を返したくない。

 そんな気持ちから、私は空気を読まず帰宅した母に文句を言いに行く。


「お母さん、なんで今日に限って早いのよ!」

「何よ、もしかして今からおっぱじめるとこだったの?」

「おっぱじ……そ、そうじゃないけど!」

「はいはい。でも、今日はお父さんも帰ってくるんだからさすがに日を改めたら?」

「え、そうなの?」

「そうだ、泉君がよかったらお父さんにも挨拶したら?会ってみたいってずっと言ってたし」

「き、聞いてみる……」


 一度恐る恐る部屋に戻ることに。

 そりゃそうだ。だって私、今さっき痴女みたいに発情して泉君に迫っていたばかりなのだ。


 だから部屋で待つ彼にどんな顔で会えばいいかわからない。

 でも、早くしないとまたお母さんにいじられるので部屋の扉を開ける。


「あ、あの……」

「だ、大丈夫、だった?」

「うん。でも、お父さん、帰ってくるって」

「だ、だったら今日は」

「い、一緒に晩御飯食べない?」

「え、い、いいの?」

「うん。お父さんも泉君に会いたいみたい」


 一度崩れた雰囲気はそうそう都合よく戻っては来ない。

 私はチラチラと彼のカバンを見るけども、泉君もどこかホッとした様子だし、やっぱり今日は何もなくてよかったのかもしれない。


 ただ、私が発情してしまったことをどう思っているのだろう。



 ……あー、マジかー!


 今、絶対にエッチする流れだったよね?

 うわー、なんかすごいことなりそうだったのに。

 

 ……いや、いざ迫られても俺、どうやって何をしたらいいのか全くわからん。

 やっぱり今日は準備不足だし、これでよかったのかな。


 とりあえず気持ちを切り替えようと大きく息を吐いてへたり込むと、ゆっくり扉をあけて氷南さんが戻ってきた。


「あの、晩御飯できたから、食べる?」

「う、うんいただくよ」


 一緒に部屋を出てキッチンへ向かう間もずっと無言。

 気まずいのは向こうも同じようだ。


 いい匂いのする先に向かうと、そこには初めて見る眼鏡をかけた男性が。


「はじめまして、円の父です」

「え、あ、はじめまして泉です。あの、円さんとは」

「かしこまらなくていいよ。まあ座って座って」


 少し頼りなさそうな細身の人だけど、声も穏やかでとても優しい人なのだろうと初見でもすぐにわかるほど。

 そんな彼の前に座り、やがて隣に氷南さんもやってきてみんなで遅めの夕食となった。


「いただきます。さあ泉君も遠慮せずに食べてよ」

「は、はい」


 彼女の父親とご対面というだけで相当緊張するが、それが伝わっているのか向こうに気を遣わせているのがすごくわかるので余計に気まずい。

 ちなみに隣の氷南さんは好きなメニューなのか、一心不乱にコロッケをかじっていて全く会話に入ってこない。


 でも、さすがに本人を目の前に「娘とはどんな感じだ」とか「どこまでやったんだ」みたいな高校生のような下世話な話はしてこない。


 それに少しほっとしながら何気なく会話を続け、食事を淡々と終えるとおばさんが氷南さんを呼んで一緒に片づけをしに行ってしまった。


 そこで気づく。俺は今、彼女のお父さんと二人っきりだと。

 これ以上気まずい状況があるだろうか。

 何かしゃべりたいけど特に話題もなく、飲み物を口に運んでいると向こうから話しかけてきた。


「円はどうだ?迷惑をかけていないかい?」

「え、迷惑だなんてそんな……とても良い人です」

「そうか。あの子は学校での出来事なんて今まで一切話してはくれなかったんだけど、初めて泉君のことを嬉しそうに話す円を見てわかったよ。君は本当にあの子に好かれてるんだね」

「そ、そんな……いや、まあ」

「よろしく頼むよ。それに僕はあまり家にいないし母さんも忙しいから相手してやってくれ」

「は、はい」


 なんてことはなく、ただ良い人だなあと思って話を聞いていると奥から氷南さんたちが戻ってくる。


 それを見て席を立つおじさんが、最後に小さな声で一言。


「泊まっていくのも自由にしていいからね」


 そんなことを言い残したせいで俺は一人で勝手に大慌て。

 コップのお茶をひっくり返しそうになってあたふたしていると気まずそうに氷南さんがおれのところにくる。


「あの、この後どうする?」

「え、ええと……」


 泊っていっていい。そんなことを言われたせいで思わず「部屋に戻ろう」と言いかけたがやめた。


 さすがに今日じゃない。

 もっと二人だけの時がそのうちくるだろう。


「今日は帰るよ。また明日、勉強しにくるし」

「そ、そうだね。うん、じゃあお見送りする」


 おばさんに挨拶をして、俺は氷南さんに見送られて家を出た。


 夜道で一人、もし彼女の両親が帰ってきていなかったらなんてことをずっと妄想していた。


 ……そういうこともそろそろ勉強した方がいいのかな。



「お父さん、泉君と何話したの?」


 私はちょっと不機嫌です。

 だって、あの流れでは絶対に何かあると思っていたのに泉君があっさり帰ってしまったからだ。


 もちろんしたくて仕方ないような淫乱女じゃありません。でも、もっとイチャイチャできたかもなんて期待があったからこその現状にイライラするのは当然。


「な、なにも言ってないよ。円をよろしくって」

「余計なこと言ったでしょ。気まずそうに帰ったもん泉くん」

「なんだ、帰ってほしくないならそう言えばいいじゃないか。彼なら喜んで泊っていってくれるだろ」

「そ、そういうことじゃないもん!」


 八つ当たり。勝手にぷんすか怒って最後はその辺のクッションをお父さんに投げて(投げたつもりがなぜか地面にたたきつけられていたけど)部屋に戻った。


 そしてベッドにダイブすると、一人で悶える。


 ……もし、お父さんとお母さんが帰ってなかったら今頃。


 ……にゃー!死ぬ―!


 自分が泉君と何をしようとしてたのかを冷静に考えてこの日は朝まで眠れませんでした。

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