41 まだまだここから


 心の準備が整うまでには半日では足りなかった。


 泉君が部屋に来る。

 しかも勉強するということになってはいるけど実際は他の目的があるのかもしれない。

 そう考えると私の頭は沸騰しそうだ。

 どうしようとあたふたしていると、泉君が迎えに来てくれた。


「じゃあ、一緒にかえろっか」

「う、うん」


 あー、どうしよう。


 でも、部屋に入れておいて何もせずに帰したりしたらまたお母さんから「何もなかったの?ププッ」って笑われそうだし。


 んー、んー、んー!


 よし、頑張って泉君にチューしてやるんだから!



「ただいまー」

「おかえり。あら、泉君も一緒なのね」

「お邪魔します。これから部屋で勉強を」

「ふーん勉強ねー。まあいいわ、どうぞどうぞ」


 お母さんの目は明らかに疑いの目だ。

 私たちが部屋で勉強以外のことをすると思っているに違いない。


 ……まあそのつもりだけど!


 さっさと部屋に行くと、泉君は遠慮がちに座る。

 私もさすがに明るいうちからぶっ飛ばすわけにもいかず、とりあえず勉強道具を机に広げる。


「これ、よかったら食べてね」


 普段なら絶対に部屋に来ないのに、珍しくお菓子とジュースをもってお母さんが部屋に。


「もういいから。私が準備するもん」

「はいはい。じゃあごゆっくり」


 ニヤつく母は私にだけ聞こえる声で「ファイト」と呟いてから部屋を後にした。


「どうしたの氷南さん、顔が赤いけど?」

「な、なんでもない……それより勉強、何からする?」


 お母さんが変なことを言うから途端に二人でいることが恥ずかしくなる。

 でも逃げるも何も行き場所がないので、とりあえず日本史から始めることに。


「私、暗記が苦手で。泉君は?」

「俺は数学とかの方が苦手かな。じゃあお互い得意なのを教え合うってことで」

「うん、じゃあ早速」


 早速教科書を開いてすぐに閉じた。

 私、日本史の時に退屈で漫画書いてたんだった……


「どうしたの?」

「ええと、教科書は見ても仕方ないから問題集しよっか」

「え、うんいいけど」


 あー、こんな落書き見せれないよ。

 だって、泉君と私をモデルにしていちゃつかせてる絵なんて見たら絶対引かれるもん。


 気を取り直して問題集を。

 しかしここでも自分のバカさ加減を露呈することに。


「えーと、江戸時代最後の将軍といえば」

「うーん、徳俵よしお?」

「ええと、誰?」


 徳なんちゃらさんだったということくらいしか覚えておらず、正解を聞いて赤面。

 でも気を取り直して次に行こうと、また泉君が問題を出してくれる。


「いいはこ作ろう」

「えーと、釜倉爆発?」

「とんでもないことになっちゃった」


 あははと笑う泉君が正解を言うと、私はもう恥ずかしすぎて燃えそうだった。


「ううっ、全然わかんない」

「これから覚えたら大丈夫だよ。もう一問行くよ」

「うん、頑張る」

「じゃあ。鳴くようぐいす」

「平安高校!」

「高校野球好きなの?」

「あれ?」


 正解は平安京だと、見ればあっとなるんだけど咄嗟に出てこないのは私がバカだから、以上。


 あー、無理だ―。高校受験の時は泉君と同じ高校に行くんだってモチベーションでがむしゃらだったから全く身についてないよー。


「あ、焦らずにやっていこう。国語とかにする?」

「うん、国語ならいけるかも」


 私だって読書家のはしくれ。国語は得意だと勝手に自負している。


「問題行くね。〇肉〇食に入る漢字は」


 ふふん、これくらい私にだってわかるもんね。

 焼肉定食じゃないのくらい知ってるもんね。


「ええと、肉食動物!」

「並びが変わっちゃったよ……」


 弱肉強食が正解。うーん、怖いなあこの言葉。


「じゃあ最後に。油〇大〇」

「油田大金!」

「夢があるね……」


 結局私に出された問題を一個も正解できることはなかった。

 この数カ月、高校でぼーっとしていたこともあって、私の学力は地に落ちていた。


 そして泉君はというと、簡単な問題はすらすら解いていて、私は驚愕した。

 なにせ泉君が解いていた問題のほとんどがわからないからだ。


 勝手に絶望した私は死ぬほど泣きそうになっていた。

 ていうかもう泣いた。


「ううっ、わかんないよう」

「ま、まだ時間あるんだから一緒に頑張ろうよ」

「うん……でも、頭悪いから迷惑かけちゃう」

「教えてるのも勉強になるから、気にしなくてもいいよ」


 泉君の優しい微笑みに私はもう見蕩れていた。

 天使、いや神ですこの人。

 

 違う、私の彼氏なんだこんな素敵な人が。

 

「泉君……」

「氷南さん……」


 見つめ合って動きが止まる。

 この流れは……キス!?


 そ、そうだ。これはきっとそうなる流れだ。


 ええと、目を瞑って、じっと待って。


 私は散々シミュレーションしたことを実践。

 しかしその時。



 蚊が。


「へっ、へっくしょん!」

「だ、大丈夫氷南さん?」

「ずっ……だ、だいじょうび」


 盛大にくしゅんした。

 そして私のよだれで教科書がぐちゃぐちゃ。


「ご、ごめんなさい……」

「いいよいいよ、それより大丈夫?」

「う、うん」


 今日もだ。

 いつもと同じように私が失敗して泉君が優しく許してくれる、そんな流れだ。


 でも、こんなままじゃいつか嫌われてしまう。

 もっといい人がきっと現れて私なんて捨てられちゃう。


 どうしよう、何か挽回する方法は……そうだ!



 風邪かな?

 氷南さんって体弱そうだし、今日は早めに帰ったほうがいいのかも。


 そんなことを考えていると、目力を強めて彼女が俺を見てくる。


「ど、どうしたの?」

「……泉君、あのね」


 付き合っているのだからそんなことはないのだけど告白でもされるかのような勢いだ。


「な、なにかな?」

「ええと……いかない?」

「え?」

「今日、晩御飯うちで食べていかない?」


 

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