06 勇気を出してみたんだけど

 魔の昼休みが終わった。


 クラスの連中はみんな口をそろえて「氷南さんとどういう仲だ」なんて質問攻めだった。


 そのいちいちになんでもないと説明するだけで時間を費やして、結局昼飯を食べ損なったではないか。


 一方の氷南さんはというと、何事もなかったかのようにいつの間にか席に戻っていた。

 しかし彼女の方をクラスの奴らが見ると、すさまじい目つきで睨みつけてくるので怖くて誰もその話題を彼女に振ることはなかった。


 放課後、空腹が限界に近づいていたので部室に行く前にパンを食べようとカバンから取り出していると、氷南さんが俺の席の前に立っていた。


「あ」

「部活、行かないの?」

「い、行くよ。でもお腹空いちゃって」

「私のせい、かな」

「ち、違うよ俺がもたもたしてたから」


 珍しく氷南さんが弱気に見えた。

 いつもの無表情でも、ぷくっと膨らんだぷんぷん顔でもなく、今日はシュンとしているように見える。


 でも、これもこれで可愛いな。

 じゃなくて何か励まさないと。


「ええと、誰にでも失敗はあるからさ。大丈夫だよ」

「失敗してない」

「え?」

「してないもん。お弁当うまくできてたもん」

「い、いやそういうことじゃなくて」

「プイッ」


 なぜか俺のフォローは彼女に通じなかった。

 結局機嫌を損なったまま一緒に部室に行き、俺は気まずい空気の中でパンをかじる。


 ……おすすめの本の話、どうやって切り出したらいいんだ?



 お腹すいたなぁ。私もお昼何も食べてないから。


 泉君、美味しそうにパン食べてる。

 あ、お腹が……


「ぐーっ」


 やだっ!き、聞こえたかな?

 泉君がこっち見てる。ぜぜぜ、絶対聞こえたっ!


 はううっ、どうしよう……


「氷南さん、お腹空いてる?」

「な、なんで?」

「え、だってお腹鳴ってたし……」


 聞かれてたー!

 あー、もう死にたい……違う、朝からやり直したい。


 私がお弁当さえ忘れてなければこんなことならなかったのに。

 あー、どうしようまたお腹が鳴りそう……

 

「食べる?」

「え?」


 私はそっとパンを差し出す彼を見て、いや正確には差し出されたパンを見て心臓が破けそうになった。


 泉君の食べかけ……


「ご、ごめん俺がかじってる奴なんていらないよね、あはは……」

「……」


 食べたい。すんごく食べたい。


 お腹が空いてるからとかじゃなくて泉君が食べたパンを……


 って何考えてるの私!そんなの変態じゃん!

 かかか、間接キスとか狙ってないし意識してないし!


 ダメ、これ以上考えたら顔がまた赤くなる。

 こ、断ろう……


「いらない」

「そ、そうだよね。ごめん読書の邪魔しちゃって」

「別に……」


 あー、もう!死ね死ね私!バカチーン!


 もう空腹と恥ずかしさとで本なんて集中できないって!

 今日だけは早く帰りたい……でも、なんか約束してなかったっけ?


 あっ、そうだ。


「あの、おすすめのやつ」



 あ、氷南さんの方から話を振ってくれた。

 よかった、かじったパンなんてとっさに出して怒らせたかと思ったけど……


「うん、おすすめのやつお互いに出そうか」

「じゃあ、まず泉君から」

「俺から?うんわかった」


 実は俺が進める本っていうのはラブコメで、しかもヒロインを電車で助ける系なんだけどこれの主人公と自分を重ねて何度氷南さんとの甘い日々を妄想したことか。


 いや、実際助けたところまでは一緒なんだけどその後の展開があんまりにも違いすぎて泣きそうになるのだけど。

 

 ああ、俺もこの本の主人公になりたいよ……


「こ、これなんだけど」


 その本を差し出した時、彼女は目を丸くしていた。

 驚いた様子だけど、知ってる本なのかな?


「あ、こういうラブコメはあんまり好きじゃない?」

「……そうじゃなくて、これ、読んだ」

「え、そうなの?面白かった?」

「うん、よかったと思う」


 実はちょっとだけ嬉しい自分がいたりする。

 俺が勧めた本は既に読まれていて少し残念でもあったが、でもお気に入りの一作を彼女も読んでいるならトークに花が咲くのではという期待があったからだ。


「い、いいよねこれ。なんか両片思いというか甘々というか」

「う、うん」

「氷南さんも読んでるのは嬉しいな。お気に入りの場面とかある?」

「……にゃい」

「へ?」

「な、ない。別に、普通におもしろかった、だけ」

「そ、そっか」


 俺の期待は大外れだった。

 別にこの作品を彼女が好きだったわけではなく、単に読んだというだけの話。

 

 結局話題が途切れてしまったので次に彼女のおすすめを拝見することに。


「じゃあ氷南さんのおすすめの一冊、見せて」

「……れた」

「え?」

「忘れた」

「忘れた、の?で、でも朝は持ってきてるって」

「忘れたの!」

「う、うん」


 彼女は怒った様子で顔をそむけてしまった。

 

 本当に忘れたのだろうか?

 もしかして、俺が持ってきた本に幻滅して自分の勧めたい本を出すのが嫌になっただけでは?


 そんな不安が俺の心を支配していくばかりだが、結局彼女にはこれ以上何も訊けず、ただ時間だけが過ぎていった。


 やがて部室を出て帰る間もずっと彼女は俯いたままだった。


 駅についてもそれは継続していて、今日は一段と何も会話のないまま彼女との一日を終えようとしている。


 でも、何か爪痕を残さないと。

 こんなままでは何も変わらない。


「氷南さん」

「は、はい」


 はい?ずいぶんとかしこまった返事だな。

 ……なんか距離がひらいた気がして嫌だな。


「あの、明日は本、持ってきてくれる?」

「うん……大丈夫」

「そっか。よかった」

「あの、泉君」


 ここで会話が終わるかと思った時、彼女の方から俺に呼び掛けてきた。

 もちろん体は前を向いたまま、俺の目を見るどころか反対方向を向いてだったが。


「どうしたの?」

「……明日は、休みだよ」

「あっ」


 うっかりしていた。

 明日は休日だ。学校もなければ部活もない。


 ということは……氷南さんと会えない魔の土日がやってくるんだ。


「そ、そうだね」

「部活、ないからおすすめは月曜日、かな」

「う、うん」


 扉の開く音で消えてしまいそうなくらいに小さな声で彼女は話す。

 でも、この扉が閉まって次の駅についたら、彼女とは二日間会えない。


 ……いやだ、なんとか連絡先くらいは聞いて、せめて休日の間にライムとかしたい。


 勇気をだして聞いてみる、か。


「あのっ!」


 と言った声が彼女と被った。

 さっきまでの小さな声とは違い、振り絞って出したような声で彼女は言う。


「あ、ごめん」

「う、ううん。先、どうぞ」

「え、いやいや大したことじゃないから。どうしたの?」

「え、ええと」


 彼女が再び口籠る。

 でも、先に話を譲った以上は俺の方から話を進めることはできないし。


 ああ、もうすぐ駅についてしまう。

 早く、早く話してよ氷南さん!


「ええと、その、ふーっ」


 彼女の頬がもうりんご飴みたいに朱色になっている。

 熱でもあるんじゃないかと心配になるくらいに赤面している。


 そんなに恥ずかしいことを聞こうとしてるの?


「泉君!」

「は、はい!」


 また急に大きな声を出されたところで電車が緩やかに止まる。

 そして空気が抜ける音で扉ががたんと開く。


 それと同時に彼女は勢いよく立ちあがり、出口に向かうのだが


「ライムのアイディー教えて!」


 と叫んだと思うと、そのまま改札に向かって猛ダッシュしていった。


 え?


 となったのは俺も周りの乗客も同じ。

 でも、もちろん彼女が言葉を向けていた相手は俺である。


 アイディー教えてって、つまり連絡先交換しようってこと、だよね?


 や、やった。ついに彼女の連絡先が聞けるんだ。


 なぜか一人で興奮していた。

 そして携帯を取り出そうと思った時にふと気が付いた。


 あれ、彼女帰っちゃったけど……



 ガタンガタンと。俺が我に返った時には既に電車は俺を次の駅まで連れて行こうと走っていた。


 

 

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